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  • 死んだ人の甦りを喜んで迎える
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
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  • 自分自身を知る
  • 誰が死んだ人をよろこんで迎えますか?
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 5/15 183–184ページ

死んだ人の甦りを喜んで迎える

生きている人は,どのように死んだ人をよろこんで迎えることができますか? 死んだ人が,いのちによみがえされねば,そのようなことはできません。しかし,『なんじはチリなれば,チリにかえる』と聖書は言い,死んだのちには,すべての人はチリにかえると聖書は教えているのですから,何がふたたびいのちによみがえされますか?(創世 3:19)そしてまた,生きている人は,死よりよみがえされた人を見わけることができますか? よみがえされる人は,死ぬ前のときと同じ人でしようか? どうして,それらの人を知ることができますか?

よみがえりは,神だけがすることのできるふしぎな業です。それは,キリストを通しての神のおどろくべき力により,そして死んだ人についての神の記憶によるのです。いのちによつて,どの人もみな生き,考えによつて人は考えます。そしてじぶん自身を表わししめす生きている型をつくり上げます。造られているその人の体がどのようなものであれ,生きている型はその人を表わすものです。三つ児はおなじ種類の人間の体を持つかもしれませんが,しかしそのひとりひとりは全くちがういのちの型をつくります。それで,ある習慣,傾向,心の能力,記憶そして歴史がその結果を生じます。人が死ぬときには,その死んだ人から,何かが生きたまま残されるというものは全く一つもありません。

このわけで,その人を再び造るためには神は死んだ人をよみがえさねばなりません。でも,何によつて,よみがえりの日のときの人が,かつて死んで墓に行つた人と同じなのですか? それは,その人が死ぬ前に造つたいのちの型です。墓にいるすべての人のいのちの型を,ヱホバ神はおぼえています。そして,神が造られる人の中に,まつたく同じいのちの型を,ふたたび生じさせます。そのようにして,神は死んだ人をよみがえします。

おぼえているということと,前の仕事をふたたび生じさせるという神の力について,ヨブの言葉を読んでみましよう。それは神への願いの言葉です『願くばなんじわれを陰府にかくし,なんじのいかりのやむまで我をおおい,我がためにときをさだめ,しかして我をおもいたまえ。人もし死なば,また生んや,我はわがいくさの諸日のあいだのぞみおりて我がかわりのきたるをまたん。なんじ我をよびたまわん。しかして我こたえん。なんじかならず汝の手のわざをかえりみたまわん。』(ヨブ 14:13-15)このようにして,神はキリスト,イエスを用いて,新しい人間を一人も造り出しません。それですからアダムの造られた時からの神の大いなる休みの日を破ることはありません。一度は死んだが,キリストのあがないが与えられた人を,神はふたたび再生するだけです。その大いなる7000年の安息日を破ることなしに,神は死んだ人を死の穴からひきあげられます。ちようどユダヤ人への神のおきては,安息日に穴に落ちた動物にあわれみを示し,その動物をひきあげることは全く正しいことであると申しています。―マタイ 12:11,12。

自分自身を知る

死んだ人はいのちがなく,意識もありませんので,その死ぬときの考え,またはその最後の意識ある観察や話したことが,死から目覚めさせられる時の始めの考えと結びつけられるだろうということがわかります。それで,死からよみがえりをうける人はじぶん自身を知り,過去の生活を思いだします。よみがえりの日の時のイエス自身の記憶を思いだしてください。その時,イエスは弟子たちと語り,地上のイエスの過去の生涯は,聖書予言の成就であつたと話しました。(ルカ 24:25-47)それで,死んだ人は記憶の場所である墓から出てきます。記憶の場所にいる人々は,神とその子によつて記憶せられます。イエスはこの事実を保証しています。―ヨハネ 5:28,29。

しかし,死んだ人が意識を持つていないならば,どのようにして彼らを呼ぶ神の子の声を聞くでしようか? それは,ラザロが聞いたのと同じ方法です。その時,ラザロは4日間死んで横たわつていましたが,イエスはその墓の前に立ち,言いました『ラザロよ,出てきなさい。』ラザロは死んでいたときの無意識状態から目を覚まし,出てきました。(ヨハネ 11:43,44,新世)そうです。死んで3日目に,イエスの父が彼を呼んでいのちによみがえらしたときに,イエス自身が答えたのと同じように,死んだ人はこたえるでしよう。―詩 16:10。使行 2:27-32。

イエスの例を見ると,同じ人であるためには,その復活の時に同じ体を持つことは必要でないということが判ります。イエスが地上で人間であつた時,天にいた時と同じ体をイエスは持つていませんでした。地上で,イエスは人間でした。よみがえりの時,イエスは『霊で生かされました。』それでも,彼は真にイエスでした,というのは神はイエスの比べもののない特性と個性を,新しい朽ちることのない霊の体の中に再生されたからです。神はイエスをよみがえされる時,霊の体を彼にそなることによつて,彼に栄えをあたえました。―ペテロ前 3:18。コリント前 15:44。ピリピ 2:5-7。

でも,もしよみがえりの時,前の体の全部またはある部分がよみがえりをうける人に持ちこされねばならぬというならば,霊の体を持つイエスは同じイエスではありません。また,イエスは彼の肉と血を持つ体に再びいのちをあたえられたから同じイエスであり,そしてそれから霊者とされたのでイエスは人間の見えるところから消えさり,天の神のおられるところにのぼることができたなどと考えるべきではありません。それは,人間の朽ちるものが,朽ちないものを相続するということを意味します。しかし,そのようなことは全くあり得ません。(コリント前 15:5)ヱホバ神は,彼の愛された子を他の誰れよりもよく知つておりおぼえていました。それで,その全能の力により,神はイエスを正確に再生することによつて彼をよみがえさせました。イエスに不滅と霊界における不朽の衣をつけられました。

聖書はこう申しています『最初の人は,地から,チリでつくられている。第二の人(キリスト,イエス)は天からのものである。』(コリント前 15:47,新世)アダムはもともと地から造られたのですから,アダムのすべての子孫は地のものであると言えるでしよう。このことを考える時に,地の胎から人間の体をつくりましたので,地は人類の母と言うことができましよう。はじめにアダムの母となつたこの同じ地の胎から,神はそのよみがえりを与える人間の体をつくります。そして,死んだときその人の持つていたものであり,神が忠実に再生される個性と特性に釣合わせられます。

誰が死んだ人をよろこんで迎えますか?

今日『大いなる群集』の人々は,ゼパニヤ書 2章1-3節にある命令にこたえて,ヱホバを求めています。これらの献身した善意者は,ヱホバのいかりの日の間『かくされる』かもしれません。かくされますので,この悪い世のほろびるハルマゲドンの戦いに彼らは生きのびるでしよう。このように生きたまま古い世から正義の新しい世にうつりますので,そのような人々はアダムから相続したもとの肉と血のままでありましよう。ハルマゲドンを生きのびたこれらの人は,アダムとエバから相続した罪,弱さ,不完全を持つていますが,神の御国の病気をなおし,再びたておこす力によつて,それらのものはしだいしだいに彼らから取りさられてなくなるでしよう。そして終りには,彼らは人間として完全になり,地上の楽園で神に永久に奉仕します。彼らはこの地上にいて,イエス・キリストによつて神が,死んだ人を地上によみがえらせる時,彼らをよろこんで迎え,物質の面でも,また教育の面でも彼らを助けます。そのときは,説明することのできないほどのなんというよろこびと特権の時なのでしよう。

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