読者よりの質問
● ノアの洪水以前まだモーセの律法も与えられて居らず,人類は肉を食べていなかつた頃,どんな基準に於いて,潔い動物と潔からぬ動物との区別がなされたのですか? ― 一読者より。
創世記 7章2節を見ると,このような区別がなされていたことが分ります。『諸の潔き獣を牝牡七宛,汝の許に取り,潔らぬ獣牝牡二取りて……』洪水以前に於いては,肉は食用に供せられて居りませんでしたから,この潔い動物と潔くない動物とは,どれが食べられ,どれが食べられないという基準に於いて,区別されたのではないのです。洪水後に,肉は,以前からの食物であつた野菜に加えられて,人間により,始めて,食べられるようになつたのです。然も,当時に於いては,どの動物の肉だけを食べて良いというような制限は全くなく,人間は彼らの好むところによつて,凡ての動物を食べ得たのでした。(創世 1:29,30; 9:2-4。)食用に供する場合に於いての,『潔い』とか,『潔くない』とかの区別は,モーセの律法と共に生じ,そして,それと共に終了してしまいました。(使行 10:9-16)モーセの律法が施行される前には,その動物が,ヱホバの崇拝の犠牲に適するか,どうかによつて,「潔いもの」又は「潔からぬもの」とされていたのです。アベルは,動物の犠牲が適宜な,好ましいものであることに気付いて居たようです。その犠牲の目的で,アベルが使用したと言われる動物は,『潔い』ものでした。ノアが動物について区別したとき,それは,犠牲の点から ― 食用に供するときの見方ではなく ― 為されたことは,ノアが,洪水後,方舟から出た直後に,取つた行動から明瞭です。『ノア,ヱホバのために,壇を築き,諸々の潔き獣と諸々の潔き鳥を取て燔祭を壇の上に献げたり。』― 創世 8:20。
◎ 1951年9月1日号の『ものみの塔』(英文)にある記事『彼の名の故に憎まれる』に依ると,何十万というクリスチャン達は,ネロの時に始つた10の迫害のために死にました。エジプトだけでも,14万4000人がその迫害によつて殺されました。キリストの体になる成員には,14万4000人という制限があり,当時のクリスチャン達に開かれていた唯一つの道は,ただキリストの体になることだけであつたという聖書の教えと,前述の事柄は矛盾することなしにどのように説明されますか?
その記事は,これらの迫害で死んだ人々について,どの級に属していたかなど断言して居りません。唯,結果を一般的に語つたのみです。質問されている場合には,一つの大切な条件がつけられていることに気をつけて下さい。『エジプトの地だけでも,14万4000名のそのような自称のクリスチャン達は,この迫害にあつて,暴力でもつて殺された。更に70万名の者は,追放とか,強制的な公共の仕事をさせられて生じた疲労の結果死んだのである。』犠牲者は,『自称のクリスチャン達』と示されて居り,実際の真のクリスチャン達ではありません。迫害の波に,多くの人々は捕えられたことでしよう,しかし,実際には彼等は真理を全然伝道したことはなく,イエスの足跡に従つたこともなく,ただ自称のクリスチャン達にすぎませんでした。彼等は,その当時の世は腐敗して居るということを知つて居り,そして彼等はクリスチャン達の音信に耳を傾けて聞きました。たとえ彼等がキリスト・イエスの体になるという高い召を受ける者ではなくても,その音信の為に彼等はよろこんで死んだのでした。今日に於いても,自ら自分はクリスチャンであるという多くの人は,その信仰の故によろこんで死ぬかもしれません。しかし,彼等はイエスの足跡に従う追随者ではなく,そのことに対する聖書の要求に適わないでしよう。