共産主義の指導者は聖書の真理を恐れる
真理はヱホバから出ています。ヱホバが語る言葉は必らず成就されます。ヱホバは『偽ることのあり得ない神』である故,偽りはヱホバから来ません。たくさんの偽りは役立つものでなく,かつ永続しません。時が経つにつれて,人間のつくり出す想像や考えは,消えてなくなり,影をひそめます。しかし,『ヱホバの真実はとこしえに絶ゆることなし。』ヱホバの忠実な御子,イエス・キリストは,『あなたの御言葉は真理であります。』と言われています。イエスは,自分を信じたユダヤ人たちに対し,またこう言われました,『真理を知るであろう。そして,真理は,あなたがたに自由を得させるであろう。』いま,ロシヤの指導者たちの恐れているものは聖書に記されているこの真理であります。―イザヤ 55:11。ヘブル 6:17-20,新口。詩 117。ヨハネ 17:1-17; 8:31,32,新口。
ソヴエット共産主義の指導者たちは,『神なし』と主張しています。そして,1917年以後,彼らは幾百万人に対する支配を始めようと努め,そして将来には地上の幾十億という住民を支配しようと決心しています。(詩 14:1; 2:1-12)神なしでも,旨く行える,ということを証明するため,彼らは先づ,世界で一番ひろく読まれている本である聖書を禁止する行動に出ました。
『ボルシェビキ革命以来,ロシヤにある新しい聖書と言えば,外国から密輸入された僅かな数の聖書しかない。―その大部分は外国語で書かれた聖書である。』と,昨年の12月ユナイテッド・プレスの外国ニュース編集者は報告していました。また,こう言葉を続けています,『革命以来,聖書はどんなに破れてボロボロになろうと,多くのロシヤ人家庭の大切な宝物になつている。』
1917年以来,約40年が経過しました。この間,ソヴエット指導者たちは,政府に関する自分たちの理論を実際に行つてきましたが,いまや山のごとくに積み重ねられた証拠は,彼ら独裁者たちが神を憎む者であることをはつきり示しています。彼らはまた,霊と真をもつて全能の神に崇拝を捧げる人民を憎む者です。まつたく,それらソヴエットの指導者たちは,浅はかで,理性に欠け,ますます貪欲な気持を持ち,無暗やたらに圧迫し,威権を振い,『国家』の名に隠れて残酷な殺人をも行つています。実際,この小さな地球上の広大な国内で,彼らは多くのことがらを大規模に行つてきました。今日,彼らは北叟笑みながら,自分たちの業績に得意満面になつています。しかし,彼らの行は自分自身の利益を図るためであり,自分たちの神である,自分の腹に仕えることなのです!―ピリピ 3:19。
彼らは,誰の犠牲に立つて,その『業績』と『進歩』をなしとげてきたのでしようか?『鉄のカーテン』内の状態は,なかなかに知りにくいものです。しかし,今では少しづついろいろな情報が入手されています。二,三週前,オランダの一通信員は次のように書いていました。
『ソヴエット連邦の大都市の中には,いままでに聞いたこともないような大都市がある。旅行者は,レニングラード,モスコー・キエフ,オデッサ,タシュケントを訪問する。しかし,ノバゼンブラの南東でヨーロッパ・ロシヤの北の極にあるボルクタ,また北西シベリヤにあるノリルスク,そしてカラガンダやイウジェルの名前を知つている人は先づない。だが,これらの場所には大きな収容所がある。ボルクタの人口は,12万人,ノリルスクは40万人,カラガンダは15万人と推定されている。』
ロシアにはたくさんの労働収容所や刑務所があります。そして,国家の利害から見て,どうもいては困る,というような人々は,それらの収容所に入れられ,働いています。前述の所は,それらの収容所のごく一部に過ぎません。神を否定する共産主義の奴隷労働は,これらの場所で行われているのです。そこに入れられている人々は,みなが皆,戦争の捕虜兵士たちではありません。その中の幾十万という人々は,ロシヤに生まれたロシヤ人なのです。彼らは,自由に考えても大した罪ではないだろうと思い,又その考えを人に語つても大した罪ではないだろうと,思つた結果,収容所の中に入れられてしまつたのです。そのような幾百万という人々は,鉱山の労働に服したり,森林を伐り開いたり,共産主義政府のために家々を建てる仕事に服す,という罰をうけているのです。政府は,好ましい人々すなわち共産主義を支持して進歩させる人々を,その家々に住まわしています。しかし,ロシアは全部の捕虜を永久に刑務所に入れておくことができません。時々戦時中に捕虜になつた人々は,ロシヤの収容所から自由の国に戻つてきます。それらの人の言葉によつて,収容所に住んでいる,幾百万という人々の生活実態が明るみに出されてきました。
しかし,この記事は,いちばん広く読まれている本! 聖書に深く関心を払つている人々に関係する事柄を述べるものです。今日のロシヤの指導者たちは,神に対する信仰を,ほとんど取り除いてしまつた,と感じているかもしれません。また,自分たちの国はかくも発展したのであるから,人々が生ける神に崇拝を捧げる,などということは,あり得ないと感じているかもしれません。現在,正統派教会のロシヤ派は,ソヴエット指導者の思うままに従つています。それで,ロシヤにいるロシヤ正統派教会の牧師は,ロシヤの指導者にあらん限りの協力をしています。しかし,ロシヤ正統派に属していない者たちはどうでしようか? 例えば,ヱホバの証者たちはどうでしようか?
1955年の夏,ものみの塔聖書冊子協会の一代表者は,ヨーロッパ滞在中に前述のオランダ通信員と,話をすることができました。ロシヤから戻つてきた人々の話を聞き伝えながら,その通信員は,ヱホバの証者に関する限り,彼らはソヴエット刑務所の中で異常な団結を示している,と語りました。ヱホバの証者に対しては,警備兵や士官たちも同情しているとのことです。ヱホバの証者は,非常に熱心な聖書研究者として知られている,と通信員は言葉を続けました。収容所の中でも,ヱホバの証者はキリストの見えざる臨在と,現在の組織制度の全き滅亡を宣明しています。ヱホバの証者の全部が刑務所に入つているわけではありません。しかし,彼らは地下に潜る生活をなし,しかも非常に多くの人がヱホバの証者になつているとの由です。さらにこの通信員は,こう報じました。ある時,孤立していた村全部が閉鎖されてしまい,村の中に住んでいた人はみな捕えられて収容所に送られてしまいました。なぜなら村の人はみなヱホバの証者になつたからです。
オランダ通信員は,次のことを強い調子で附言しました。すなわち,正統派教会の教長を信ずる幾百万というロシヤ人と,モスコー市民たちは,正統派教会の牧師たちが今日の無神ソヴエット政権の手先に過ぎない,と考えています。それで,ロシヤ正統派教会は,多くの人々から嫌われています。一方,ヱホバの証者の教えは,ますます多数の人に受け入れられています。
共に奴隷収容所へ
心の謙遜な人は,いつも真理を求めます。そして圧迫を加える者たちは,心の謙遜な人々が一致団結することに恐れを感じています。『柔和な人たちは,さいわいである。彼らは地を受けつぐであろう。』とイエスは言われました。(マタイ 5:5,新口)これら柔和な人々は,ロシヤで伝道することが危険である,と知つています。だが,ヱホバの証者は,ロシヤで伝道しており,しかも栄えているのです。多くの人々は,いまや霊的な必要物に目ざめてきました。多くの人々は,共産主義に飽き飽きしており,また全部の人が共産主義の愚かな教に傾到しているわけでありません。(詩 53:1)実際のところ,最高存在者を信ずる人々は幾百万人もいるようです。地や,空や,木や,草や,花や,植物を見る時,そう信ずるのも当然でありましよう。ソヴエット独裁者たちも,そのような自然の証跡を取り除くことができません。
祕密警察を手先に使うソヴエット指導者たちは,ヱホバの証者たちを探し出し,奴隷収容所の中に入れようと努めます。しかし,そのような収容所の中にいても,証者たちはヱホバの設立した御国を伝道し続けます。(ダニエル 2:44。マタイ 6:9-13)神の御言葉を信ずる者たちは,自分の家から連れ去られて,労働収容所のある地に運ばれ,収容所の中に入れられてしまいます。だが,収容所の中に入ると,すぐ神の言葉,聖書を愛する他の人々に迎え入れられ,それらの人々の慰めをうけて保護されるようになります。なぜなら,前から収容所にいる人々は,その収容所の方法を知つているからです。それで,新しく収容所に入つた人々も,力づけられ間もなくして収容所内の他の人々に証言し得るようになります。収容所にいるからといつても,彼らの熱心は弱まりません。彼らはその環境に応じつつ,大きな宣教の業を行つています。
1955年の別の時に,ものみの塔協会の会長は,最近ロシヤの収容所から釈放されたひとりのヱホバの証者と話を交しました。この証者は,収容所で6年過しました。その話は,熱心と清い心を示す話で,まつたく胸を打つものでした。その人は,聖書を強く愛していると共に,熱心に研究していた方であつたため,誰彼の区別なしに,すべての人にお話しし,そして,共産主義者の制服を着ている人にも話をしました。その人のいた所は,ロシヤの中ではなく,ロシヤ外の共産圏の国です。だが,この兄弟のところに来て聖書のことを教えて貰いたいと申し出たロシヤの兵隊たちに神の言葉を伝道したため,この兄弟は検挙されてロシヤの司令官の前に引き出され,ひつきりなしに訊問をうけました。彼らによると,兄弟のした悪い事と言えば,兄弟のところに訪問して,神の御言葉について質問したロシヤの兵士たちに,聖書のことを語つただけのことなのです。この兄弟は,兵士たちを援助して,世界で一番ひろく読まれている本を読ませたため,ロシヤで10年間の重労働という刑を宣告されました。ロシヤまでの旅行は,言葉ではとうてい言い表わせないものです。この兄弟と他の囚人たちは,家畜車で運ばれました。そして何日ものあいだ牛よりも悪い待遇を受け,苦しみの連続だつたのです。ロシヤに6年いる期間中,この兄弟は転々と収容所を変えられ,50以上のちがつた収容所で重労働しました。シベリヤのいくつかの収容所にもいたことがあります。どの収容所でも,10人から15人位のヱホバの証者,または15人以上のヱホバの証者と会うことができました。
ある時,48人のロシヤ人の囚人が収容所に入れられました。この48人は,警察に追跡されて,ロシヤで捕まえられ,この兄弟のいる収容所に入れられたのです。この兄弟は,ロシヤに来る以前ヱホバの御言葉について学んだ良い事柄を,この48人に語りました。そして,これらの真理に新しい人々を援助したため,彼らはいまでも忠実の道を保つています。ソヴエット支配の初期,ロシヤの西部にまで達していた真理は,いまやロシヤ内部にまで深く入つて,全くのところロシヤ全土にも及んでいるのです。48人からこのことを知つたその兄弟は,喜びに充たされました。このよろこびと励ましによつて,この兄弟は何処にいようともヱホバの奉仕を忠実に行うことができました。
ヱホバの証者である他のロシヤ人と会うことにより,警察は恰もウサギを追跡するようにヱホバの証者を追跡している,ということをこの兄弟は知りました。また,共産主義の指導者たちが聖書の真理を非常に恐れており,かつ聖書の真理を打ちつぶそうとしていることもつぶさに知ることができました。弟子たちにその来ることを祈れ,とイエスの命じられた神の御国を伝道したため,多くの人々は25年の投獄を宣告されています。この兄弟は次の話を語りました。午前3時,祕密警察は三つの小さな村を取り囲み,ヱホバの証者を一人残らず狩り出して捕え,暗やみにまぎれて連れ去りました。これらの村々から,ヱホバの証者は永遠に消え去つたのです。
たまたまある収容所内で,この兄弟は聖書を持つているウクライナ人と会いました。このウクライナ人は,なんらかの手段によつて聖書を収容所内に持ち込んでいたのです。その聖書はボロボロになつていました。このウクライナ人は,夜こつそり聖書を読んでいてこのヱホバの証者にも自分の読んでいる本を見させなかつたのです。しかし,ある晩のこと,証者は聖書のペーヂをちらつと見てしまいました。兄弟は,そのウクライナ人に『読んでいることが分りますか?』と聞きました。ウクライナ人は,『私が聖書を読んでいることを,どうして分つたのですか?』と言いました。それで兄弟はこう答えました,『あなたは聖書を読まれていますね。でも,読んでいるところの意味が分りますか?』(このことは,ピリポの話を思い起させます。エチオピヤ人は,イザヤ書を読んでいましたが,その意味が分らなかつたため,ピリポの援助を求めたのです。ピリポは親切に援助いたしました。―使行 8:26-39)遠い国からロシヤの奥地に連れられたこの兄弟は,ウクライナ人を援助して,ヱホバの設立した御国についての真理を知らせることができました。
二人は幾週ものあいだ,人知れぬように研究し,上棚の寝床の中で研究しました。そして,人目につかないようにして聖書を読んでいました。しかし,収容所の所長は,二人が聖書を読んでいるのを見つけてしまつたのです。実際のところ,二人が神の目的や,ヱホバの御意をしようと努める人間に対して示されている聖書の素晴らしい希望などを話し合つているのを,この所長は,寝床のうしろで幾晩も聞いていたのです。所長は二人のところに行き,もつと注意深く振舞つて聖書を隠しなさい,聖書を読んだり論じたりする事は規則違反だから,と語りました。この所長は,二人から聖書を取り上げることをせず,ただもつと注意深く振舞うようにと二人を警めただけでした。なぜなら,その所長がいつもそこにいるわけでなく,また二人もそこに長くいるわけでないからです。イエスは次のように言われています,『義に飢えかわいている人たちは,さいわいである。彼らは飽き足りるようになるであろう。』― マタイ 5:6,新口。
忠実を守り通したこのヱホバ神の僕は,いまではロシヤの収容所から釈放されて,自分の故郷に戻つています。この兄弟は,次の事実を述べました。すなわち,戦争の捕虜や,ロシヤとか衛星国の囚人たちが収容所に入れられると,先づ食事が殆ど与えられないため,囚人たちは飢餓の状態になつてしまいます。それでも重労働をさせられたために,囚人たちは働いている最中に死ぬ有様でした。ソヴエットの政策は,このようにして囚人たちを殺すことでした。しかし,最近では状態が変りました。政府の幹部たちは,囚人たちが良い奴隷労働者であることに気づいたからです。今では,多くの仕事と良い奉仕をさせるために,囚人たちに特別手当を給与している程です。以前よりも良い食事や施設が囚人たちに与えられています。なぜなら,奴隷労働者は安いもので,共産主義労働者よりも安くつくからです。
ソヴエット政府は,奴隷労働者たちを実際恐れています。ロシヤの収容所のまわりは,鉄条網で取りかこまれ,猛犬を連れている警備兵がいつも見張つています。死の道とは,収容所のまわりの幅3米の空間地のことです。その地に踏みこむ者は,何の質問も受けずに即座射殺されてしまうか,または猛犬に引き裂かれてしまいます。共産主義者は,堕落した国家を強めるために,奴隷の男や女を必要としました。同時にまた彼らは自分たちの奴隷を恐れています。彼らは自分たちの奴隷を愛しておらず,双隷たちも自分の主人を愛していません。
ロシヤは恐怖の中に生活する国です。ロシヤは,収容所をも恐れています。この兄弟に起きた事柄は,他のロシヤの囚人全部にも言えるものです。囚人を3ヶ月か4ヶ月ぐらい一つの収容所に入れておいてから,こんどは別の収容所に移します。約4000人ぐらいいる収容所では,二,三日置きに200人が転送され,その後に新しい囚人が入れられます。ロシヤの指導者たちは,大勢の囚人たちが収容所内で組織をつくるのではないか,と心配しています。もし,囚人たちが組織をつくるとなると,何時かは警備兵をも倒してしまい,自分たちの地を獲得するようになるのではないか,と恐れているのです。支配者たちは何という生活をしているのでしよう。彼らは,人間を恐れていて,ヱホバ神を恐れていないのです。彼らの憎んでいる本,すなわち神の言葉は,全く真実です,『貧者を虐ぐる者は,その造主を侮るなり。』― シンゲン 14:31。
このヱホバの証者は,刑に服し,特赦によつて予定よりも二,三年早く釈放された時に,自分の家に帰りました。ところが,その兄弟の妻は,兄弟が捕えられてから二,三ヵ月の後,あまりの悲しさに死んでしまつたのです。子供たちは,別の家に引き取られていました。でも,ヱホバの御国奉仕に献身している兄弟たちの許に戻つたこの兄弟は,非常によろこびました。いまこの兄弟の心からの望みとは,ヱホバの御国の良いたよりを伝道することです。なぜなら,この古い世には希望は全くない,とこの兄弟は知つているからです。共産主義者たちは,聖書の真理を恐れています。しかし,真理を持つていたために,この兄弟は,ロシヤの奴隷収容所にいる期間中ずつと自由を感じることができました。イエスは,次のように言われています。『義のために迫害されてきた人たちは,さいわいである。天国は彼らのものである。』― マタイ 5:10,新口。(次号につづく)
[175ページの図版]
世界でいちばん広く読まれている本は,ソヴエットの禁止をうけ続けますか?