共産主義の指導者は聖書の真理を恐れる
さらにロシヤの内部を探る
ロシヤの中にいるヱホバの証者たちは,ユダヤ人やローマ人の中で伝道した初期クリスチャンたちと同じように伝道しなければなりません。『私のために人々があなたがたをののしり,また迫害し,あなたがたに対し偽つて様々の悪口を言う時には,あなたがたはさいわいである。喜び,よろこべ,天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の予言者たちも,同じように迫害されたのである。』(マタイ 5:11,12,新口)迫害されても,ヱホバ神とヱホバの御国に強い信仰を持つているならば,その信仰をすてません。彼らはどんな事があつても,決してこの世に妥協しません。
1948年の当時,ロシヤにいる数人のヱホバの証者は『ものみの塔』を手刷りしたり,聖書の教えに関する事柄を印刷したりしていました。そして,最善を尽くして,これらのものをロシヤ国内に配布しました。しかし,共産主義の指導者たちは,聖書の真理を恐れており,ロシヤの秘密警察はヱホバの証者を追跡しました。証者の所有していた印刷機械,紙,インキそして他の物資は押収されてしまい,働いていた人々は逮捕されて奴隷収容所に連れて行かれました。
秘密警察は,『どうしたらヱホバの証者を抹殺できるか?』という大問題にいつも頭を悩ましています。ヱホバの証者は,ひとりとして悪い人間ではありません。警察もそのことを良く知つています。ヱホバの証者は,世界で一番ひろく読まれている本,聖書を読みかつ聖書について語りたいと思つているだけです。ソヴェットの官憲は,ヱホバの証者を少しの期間だけ解除して,解散させることができます。しかし,ロシヤにいるヱホバの証者は程無くして再び組織化し,新しい出版中心地を設立します。そして,入手する真理を手刷りしたり送り出したりします。共産主義の指導者は,なんとかして巡回の僕や会衆の僕をみな逮捕しようと思つています。そして,一度逮捕すると,25年の投獄刑を宣告して,収容所に入れてしまいます。
第二次世界大戦直後では,ものみの塔とか,協会の出版物,そして聖書を隠すことは,実際に言つて不可能な事柄でした。秘密警察は,キリスト教に関するものを躍起になつて探したからです。ひとりの人がヱホバの証者である,またはヱホバの証者らしいという嫌疑がかけられると,秘密警察は,その人の家宅を捜査します。暖炉を取りはずし,屋根を引きはぎ,家全部を壊してまでも聖書や文書の隠し場所を探し出そうとします。つまり,キリスト教宣伝という証拠を握ることにより,その人を奴隷収容所に送るためだつたのです。当時では,兄弟たちが昼間集会することは不可能でした。たいてい,穴倉か,森か,または人の近づき難い場所で家族の聖書研究を司会していました。兄弟たちは,自分の家で他の人々と共に研究するなどということが先ず無かつたのです。『ものみの塔』の群の研究は不可能なことでした。しかし,家族が一緒になれる家庭では,全部の窓や戸に鍵をかけて定期的な研究が行われました。それは,なんと幸福な家庭なのでしよう! ロシアのような独裁主義の国にいても,彼らは真理である神の言葉について語り,宇宙の至上支配者であるヱホバを崇拝することができました。たとえ圧制の国に住んでいようとも,真理はこれらの人々を自由にしました。『自分の霊的な必要物に気づいている人々はさいわいである。天の御国は彼らのものである。』― マタイ 5:3,新世。
多くの人々は真理を愛したために,1948年から1951年にかけて,ヱホバの証者はロシア全地で増加し,共産主義の指導者たちは,この事実に周章狼狽しました。最近ロシアから入手した報告によると,1951年の4月1日,7日,そして8日に,共産主義者は大きな粛清運動をいたしました。ロシアにいるヱホバの証者にとつて,この日は忘れることのできない日です。この3日間に,西ウクライナ,ホワイト,ロシア,ベサラビア,モルダビア,ラトビア,リスアニアそしてエストニアにいたヱホバの証者はみな ― 7000人以上の男女 ― は逮捕されて,連れ去られました。衣服や食物の携行は許可されなかつたのです。家族全部は車につめこまれて汽車の停車場に運ばれ,それから家畜車に入れられて遠いところに送られました。この逮捕は夜行われたのです。もし,ヱホバの証者の逮捕が午前7時までに終らなかつた時には,警察はその日の暗くなるまで待ちました。それから出発が始まりました。幾千人というヱホバの証者は,ロシアの国内を運ばれて行つたのです。そして,幾十万という偽りの自由ロシア人たちは,ヱホバの証者をのせた汽車が通るときに,証者がヱホバ讃美の歌を歌い,真理を語り合つているのを聞きました。ヱホバの証者のこの大群は土地開墾のために森林のところに運ばれました。最初の冬には,彼らの食物は木の根と木の実だけだつたのです。警備兵の配置されている広い森林内に分散させられて,次のような命令をうけました。『森林を開墾しろ,家を建てろ。永久にここにおれ,生きたいならば働け。』ヱホバの証者は,こんなことで気落ちしませんでした。彼らは働きました。それで,現在でも生きています。彼らの信仰は強く,彼らはヱホバの設立した御国の良いたよりを伝道し続けています。
今日の大国ロシアの中では,どの隣人もまつたく敵であります。どの人も隣人に注意せよ,と教えられており,特にヱホバの証者に敵対せよ,と教えられているからです。どんな人でもみな監視されており,そして郵便物は郵便局が検閲しているのです。自分が直接出かけて伝道することにより慰めと真理を与えるヱホバの音信は人々にひろめられています。捕えられたヱホバの証者は,裁判をうけます。法廷に行つて裁判官の前に立ちますが,弁護士を傭つても良い結果は得られません。多くの場合に,政府は弁護士を指命して,被告の弁護に当らせます。でも,ヱホバの証者の弁護に指命された弁護士は,弁護士というよりは,検事の役割を果しています。もし,ヱホバの証者を弁護して被告に有利な弁護をすれば,弁護士自身も奴隷収容所に送られてしまうからです。全くソヴェットの制度は公正なものではありません。
ある場所にヱホバの証者がいると,その証者のことは,あまねく知れ渡つてしまいます。人々は表に立たないように話し合うからです。すべての人は官憲に密告しようとはしません。なぜなら人民自身も,何時か将来には,この残忍な支配から自由になることを希望しているからです。ロシアの国家教会であるロシア正統派教会は,人民の期待を裏切つているため,人々は真理愛好者たちを求めています。『悲しんでいる人たちは,さいわいである。彼らは慰められるであろう。』― マタイ 5:4,新口。
共産主義を止めてクリスチャンに
いまロシアに一人の婦人がいます。その方はヱホバの証者ですが,多くの苦しみを受けた後でも,ヱホバの御国の良いたよりを伝道しています。1942年から始まるその姉妹の物語は,幾百人という他の姉妹たちの物語と同じようなものです。1942年に,その姉妹は活潑な共産主義者でした。そして,ナチスは他のロシア市民と一緒に,その姉妹をドイツに移送しました。ドイツにいるあいだ,労働者と共に農園や工場で働き,共産主義思想をひろめました。間もなくして,ヒトラーの国家秘密警察は,そのことを嗅ぎつけ,この姉妹はナチの収容所に送られました。収容所の中にいて,この姉妹は仲間の共産主義者たちと連絡がとれず,またひとりぼつちでいたため,共産主義者の制度に不信を抱くようになりました。失望を感じたからです。この姉妹は,神のことを考え始め,他の人々に話をして,遂にヱホバの証者に合いました。ナチの収容所内で,この姉妹はバプテスマをうけ,聖書を熱心に研究しました。真理を学んでからこんどは他のロシア婦人たちに語り始めました。ある日,収容所の所長は,これらロシアの婦人たちのところに来て,そしてこの姉妹に『お前は誰か?』と聞きました。姉妹は『私はヱホバの証者のひとりです』と答えました。収容所の所長は,『お前はロシア人である』から,そんなことは決してあり得ないと言い張りました。それで姉妹は力をこめて,はつきりと次のように言いました『神はドイツ人だけの神でなく,すべての民の神です。』この時,なんの罰も受けなかつたため,この姉妹は元気が出ました。そして,ロシアの婦人たちの中でますます熱心に伝道しました。遂にこの婦人たちもロシア語で真理を学びました。
1945年に戦争が終つて,ヒトラーの収容所が解消した後,この姉妹や他の多くのロシアの婦人たちはロシアに戻りました。彼らがナチの収容所にいるあいだ,彼らと真理を語り合つた一人のドイツの姉妹が捧げた神への祈りは,いまや自由の身になつたこれらロシアの婦人たち,ヱホバの証者各人の祈りになりました。『父ヱホバよ,ロシア人に真理を話す,という私の望みを叶えて下さつて感謝します。』
自由に解放されてロシアに戻つた彼らは非常によろこびました。しかし,間もなくして共産主義の秘密警察はこの姉妹たちを嗅ぎつけて逮捕しました。姉妹たちは神の御国を伝道して,他の人々に聖書からの慰めの言葉を教えたため,25年間の奴隷収容所に入所するよう宣告されました。しかし,現在でも,ドイツの収容所内で真理を学んだこれらの姉妹たちは,ロシアの収容所内で伝道をつづけています。そしてみな,ヱホバの御名に誉と栄えを捧げているのです。かつては共産主義者で,今はヱホバの証者になつている,この姉妹は,現在でも定期的な御国伝道者です。彼女は以前自分の仕えていたソヴェット政府の奴隷収容所にいまでもいます。だが,なぜ? なぜなら,神の御言葉は聖書に書かれている言葉である,と信じているからです。そして,ロシアにいても聖書の良いたよりを敢然と伝道しました。そのため,現在では奴隷待遇をうけ,森林の中で建設の仕事をさせられています。姉妹は森林を伐り開く仕事を手伝つていますが,その開墾された場所は,後日,共産主義者のものになるのです。その仕事が終ると,姉妹は別の場所に転送されて重労働をさせられます。
ロシア全国には多くの収容所があり,ヱホバの証者が入所しています。その収容所の中の一つの場所では真理が多く伝道されたため,警備兵さえも真理をうけ入れた程になりました。収容所の事務をしている人々も,真理の知識を得るにいたりました。彼らは真理を聞いてから,いまでは良いたよりを伝道しています。時経つ中に,警備兵や事務員たちも刑務所に入れられてしまい,15年と10年の刑を宣告されています。なぜ? なぜなら,彼らは聖書を研究し,真理を語り,そして自分はヱホバの証者である,と言つたからです。これらの囚人たちは,みな別々の収容所に入れられて,ロシアの違つた場所に送られています。そうすることによつて,ヱホバの証者の強い群の形成を阻止しているのです。
伝道者は各地に行く
ロシアにいるヱホバの証者たちは,こう言つています。すなわち,すべての収容所に証者たちが散らされて収容されているため(この記事の前のところに示されているごとく,証者たちが50以上の違つた収容所にいることは確かです)御国の良いたよりは,広いロシアの各地で絶えず伝道されています。ロシアにいる証者たちは,御国の音信を伝道するために1万キロメーター(6000マイル以上)を旅行する旅費を調達することができました。しかし,今では,共産主義政府自体が証者たちを国内くまなく転送し,奴隷収容所内で働かせています。そして,政府がその旅費を払つて,証者たちを新しい区域に送つているのです。そして,証者は新しい区域で御国の音信を伝道しています。ロシアのどの場所であつても,ヱホバの証者は働いています。大多数の或る者たちは,労働収容所で働いており,他の者は外出を禁ぜられている孤立した場所で働いています。また,現在まで捕えられていない他の者たちは,都市や村で働いています。サウロの振舞を想い起します,『(タルソの)サウロは,家々に押し入つて,男や女を引きずり出し,次々に獄に渡して,会衆を荒し回つた。さて,散らされて行つた人たちは,御言葉を宣べ伝えながら,めぐり歩いた。』― 使行 8:3,4,新世。
ロシアにいる兄弟たちは,消極的な態度を取らず,御国の音信を伝道する自由を得ようと,できるだけのことを努めてきました。そして,共産主義政府に要求を提出して,ヱホバの証者が宗教団体であること認可して貰うと努力しました。1948年,兄弟たちは内務大臣を通してソヴェット連邦の最高ソヴェット会議首悩部に請願書を送附しました。この請願書は,ロシアにおけるヱホバの証者の活動を説明したものです。なんの返答もなかつたため,代表として3人の兄弟たちはモスコーの内務省を訪問し,請願書を手渡しました。何処から来たか,と尋ねられたので,『ウクライナから来ました』と兄弟たちは答えました。それではキエフにあるソヴェット社会共和国ウクライナ内務省に行く方が良いだろう,と言われました。兄弟たちはまつすぐモスコーからキエフに赴き,内務大臣に請願書を手渡しました。キエフの内務省の官吏たちは,兄弟たちの来ることを予期していたらしい。この請願書が手渡されてから,政府はこの3人のヱホバの証者に次の提案を申し出ました。ヱホバの証者は兵役に服するか? ソヴェット政府の選挙に参加するか? 国家の法律全部に服して,しかも他の宗教団体と一致協力するか? これら3つの質問に対して,兄弟たちはイエスの使徒ペテロの言葉『人間に従うよりは,神に従うべきである』をもつて,答えました。(使行 5:29)兄弟たちは,内務省の事務所から出ることができましたが,二・三日の後に兄弟たちの家は襲撃され,兄弟たちは逮捕され,長年の入獄を宣告されました。
ロシアのある場所では,120人が記念の祝に出席できました。しかし,これは例外の事柄です。二・三年前に,モスコーには7人の伝道者がいました。しかし,今はみな移送されてしまいました。たいてい,国家の首都にはヱホバの証者がいます。しかし,ソヴェットの首都モスコーには,ヱホバの証者はいま一人もいません。だが,真理はモスコーで知られています。共産主義の政府は,ヱホバの証者のことを知つています。奴隷労働者にさせられたヱホバの証者の数は,あまりに多いため,政府が知らないわけはありません。鉄のカーテンの背後にあるどの国でも,共産主義者の制度はヱホバの証者と戦い,打ち負かし,絶滅しようと努めています。ポーランド,チエッコスロバキア,ロマニア,ハンガリー,東ドイツ,そしてロシアの国で,それは行われています。しかし,ヱホバの証者を亡ぼすこともできなければ,その音信を亡ぼすこともできません。真理は,これらの人々を自由にしました。そして,彼らはいまでも自由であり,彼らの言葉を聞くすべての人に証としてヱホバの設立した御国の良いたよりを伝道し続けます。
ロシアでは,自分の好きな生活をして,神に仕え,また自分自身のごとく隣人を愛する,などということはとうていできないことがらです。人は国家の奴隷になり,国家を崇め,国家を崇拝しなけばれなりません。しかし,ヱホバの証者は決してそうしません! ヱホバの証者は,神の御言葉に頼り,キリスト・イエスの御跡に従います。(ペテロ前 2:21)イエスが地上に居られた時,彼は,この世にいるがこの世に属さない,と支配者たちに語りました。(ヨハネ 18:36,37)今日のヱホバの証者も,それと同じ見方を取ります。(ヨハネ 17:13,14,16)私たちはこの世にいますが,この世に属しません。この世は,自分の思う通りに運営しています。ヱホバの証者は,この世と関係を持ちません。人間の建つた国々が存続して,運営することが,ヱホバ神により許されているあいだは,ヱホバの証者は国家の仕方に干渉しません。そして,神の律法と一致する人間のすべての法律に従います。
自分の住んでいる国がどんな国であろうと,ヱホバの証者は,ヱホバの御国の奉仕者,キリスト・イエスの代表者であれ,という使命を頂いています。(イザヤ 43:10-12; 52:7,8; 61:1-3。マタイ 24:14。コリント後 5:20)それで,ロシアにいるヱホバの証者は,収容所に入つていようと,入つていなかろうと,聖書を用いつつ良いたよりを伝道し続けます。(マタイ 24:9; 28:19,20。マルコ 13:9-11。ルカ 21:12,13。黙示 2:10)彼らは,ひとりだけであろうと又は群であろうと,穴倉や,森林や,収容所や,孤立した場所で主の夕食を記念いたします。そしてあらゆる障害にも対処して,克服して行きます。だが,この古い世とは決して妥協しません。―ヨエル 2:4-9。ピリピ 1:28。
聖書はロシアから抹殺されません。ヱホバの証者は,聖書を用います。昨年のユナイテッド・プレスの報ずるところによると,世界で一番ひろく読まれている本は『来月(1956年の1月を指す)ロシアでも入手し得る』とのことです。聖書は共産主義者によつて38年間禁ぜられてきました。しかし,ユナイテッド・プレスが告げるごとく,僅かな数の聖書だけが印刷されるでしよう,『活字はすでに組まれており,モスコーの教長たちが最後の校正を読んでいた。1月になされる最初の印刷部数は僅かである。教会が紙を買い,印刷代金を政府に払わねばならぬからである。しかし,将来には,新しい聖書をソヴェット連邦中に配布したい,と教会は希望している。』
ロシア中で多量の聖書が頒布されるようになりますか?
その時,ヱホバの証者は聖書を人々に説明するでしよう。共産主義の指導者や支持者たちが,ロシア語で書かれている新しい聖書の真理を恐れ,かつ共産主義政権が存続しいている中は,その頒布の数は僅かなものに限定されるでしよう。聖書がヱホバの証者に与えられることは,万が一にもないでしよう。証者の手にある聖書は,ダイナマイトのようなものです。それで,ヱホバの証者に対しては,聖書は禁ぜられるでしよう。
世界で一番ひろく読まれている本は,ヱホバのハルマゲドンの戦が始まる前に,ロシアでひろく読まれるでしようか? ―黙示 16:13-16。エレミヤ 25:32,33。イザヤ 34:1-4。ゼパニヤ 2:1-3。使行 2:19-21。
ロシアだけでなく,全世界のどの国であろうと,聖書を見て理解する人々とは,ただ次のような人だけです。すなわち,ヱホバを求める人々,真理と正義に飢えている人々,まつたく『信仰の戦いを』りつぱに戦い抜こうとする人々(テモテ前 6:12,新口)そして真理のためには自分の生命をもよろこんで捨てる人々です。(黙示 12:11)
ロシヤ森林に送られた7000人(この号の195頁に述べられています)の中のひとりの兄弟は,生々しい体験談を伝えました。その体験談は『シベリヤの流刑生活』と題され,次号に掲載されます。是非その体験談を読まれますように!