『日ごとに彼の救の良いたよりを宣べ伝えよ』
ロシヤで
1956年中に全世界で開かれたヱホバの証者の地域大会で人々は喜びに溢れ,また涙を流しました。それはロシヤにいる同労者に対して世界中の兄弟が抱いている愛の故の喜びであり,またロシヤの新世社会の人々が堪え忍ばねばならない悲しみと苦しみを知つた故の涙でした。全世界各地からブルガーニン首相に請願が送られました。様々の国で請願書が大使館に渡され,ロシヤ政府の多くの人々と会見が行われました。何ヵ月も経ちましたがこれらクリスチャン請願が受け入れられたかどうかについては,まだ何の知らせもありません。クレムリンの支配者に神はないのです。彼らは自分自身と国家を崇拝し,あらゆる人々を奴隷にしようと努めています。そして特に,全人類に平和と繁栄をもたらす正義の御国を信ずる人を奴隷にしようと躍起になつているのです。全世界にいる献身したヱホバの僕たちは,懲役下にあつて,苦しみ,大きな試錬に会つている人々の上に神の霊が豊かに注がれるようにと,天にいます神に祈り続けています。私たちはその人々の苦難を知つているからです。そして日が経ち,月と年が過ぎ去るにつれて,ロシヤから更に多くの経験が私たちの耳に入ります。二,三の短い経験をここに載せます。
1956年の奉仕年度の間,ロシヤでは御国の事柄を増進させる上に多くの事が為されたと言えます。制度というものがなく,兄弟たちは多くの苦しい困難と戦わなければなりませんでしたが,追放されて居り,収容所にいる人々の外にも他の多くの人々が御国の良いたよりを宣べ伝えて歎く者を慰める業に携わっているものと,ロシヤにいる私たちは信じています。今日ロシヤで真理の中にいると分つている人の中で,40パーセントは刑務所や収容所で真理を受け入れたことが分ります。その中には陸軍将校や警官,刑務所の役人,弁護士,新聞記者さえもいます。それらの人々は遂に自由,真理を見出したのです。刑務所,収容所にまだ入れられていますが,真理はそれらの人々の心を自由にしたのです。紡績工場で働いていた一婦人の経験が報告されています。その婦人はヱホバの証者でしたが,仲間の労働者たちの間で人気があり,皆に好かれていました。彼女はその工場で唯一人の証者でした。そしてある日機械に向つて働いていたとき,検閲治安官が入つてきました。この人が来ると必らず誰かが逮捕されることを皆は知つていました。そしてこの婦人の名前が呼ばれたのです。そして外出着を着て治安官と一緒に行くように命ぜられました。ところが直ぐに他の労働者全部が彼女の処に走り寄つて取り囲み,治安官が彼女を連れ去ることができないようにしました。一人のヱホバの証者を連れ去ろうとした為に叛逆が起つたのです。しかもその婦人は唯一人の証者でした。とうとう,工場の支配人は,その婦人には何の害も加えられず,仕事に戻れると約束しました。それは或る事を調べることだけでした。そこで他の人々は仕事に戻つて,その婦人が連れて行かれるのを許しました。
警察は,その婦人を留置したとき,きびしく調べました。彼女を打ち,真理の中にいる他の証者が何処にいるかを聞き出そうとしたのです。しかし拷問の初めから終りまで彼女は御国を伝道している同労者のことを少しも洩らしませんでした。怒つた警察は,その婦人に自分の宗教を否定することを要求し,また警察で起つたことを誰にも言わないと誓う書類に署名するように命じました。そしてやつと釈放しました。その婦人は工場に戻りましたが,二,三日の中にアパートから連れ去られ,姿が見えなくなりました。彼女はシベリヤに移送されましたが,一人きりではありませんでした。他の大勢のヱホバの証者と一緒にいたのです。村々を通り過ぎたとき,人々は彼らが誰であるかを尋ね,彼らはヱホバの証者であると答えました。このようにして人々に証言する機会がありました。ある村で追放するためにヱホバの証者が集められたとき,その中に99歳の姉妹がいました。ヱホバの証者の一人であるか,と尋ねられたとき,彼女はそうであると答えました。彼らは2時間の猶予を与えて,心を変え,神への信仰を否定するようにと言いましたが,その婦人はそうする事を拒絶しました。そして自分はヱホバの証者であつて死ぬまでヱホバに奉仕することを望んでいると答えたのです。その婦人は他の者と一緒にシベリヤに連れて行かれました。この政府は何と強いのでしよう! ロシヤ政府は99歳の年老いた婦人を恐れているのです。
旅は長く,何度も止まりました。この移送を見て,好奇心を抱いていた人々は兄弟たちに話しかけ質問しました。証者とは誰であって,なぜ追放されて行くのかを知りたかつたのです。手に入ることのできる材料でプラカードが作られ看板が掛けられました。『福音を伝道した故にヱホバの証者は追放されてゆく』他の看板にはこう書かれました,『ヱホバへの我らの信仰のゆえに』
ある場所で汽車が止まつたとき,大きな群衆が列車に沿つて集まりました。一人の兄弟は荷物の上によぢ登つて群衆に話しました。神の御国の慰めの音信を話しているとき,多くの人は眼に涙を浮かべていました。その近くに見張の小屋があり,何が起つているのかを見ようとして見張が出て来ました。事態を見たとき,見張は兄弟たちに叫びました。『窓から離れて話すのを止めろ,さもなければ話している者は銃殺されるぞ!』その兄弟は答えました,『望むならそうしなさい。私はいずれにしても追放されて行くのです』そして話しつづけました。
ロシヤ中でたとえ何処に行こうと,ヱホバの証者は御国の良い音信を伝道しつづけています。
収容所の汚さや,収容所にいる人々の腐敗にもかかわらず,共産主義者はすべての収容所を教育的な収容所と呼んでいます。悪い心を持つ人々がいかがわしい楽しみに耽つているこれらの収容所で,実際に何が行われているかを話すことは到底できません。ある人はロシヤで15年間を過し,その中で14年は収容所で過したと書いています。今その人はポーランドに戻つています。1955年になつて,その人は初めて一人の兄弟に会いました。多くの苦しみと試錬と迫害に会つてから,その人はヱホバに讚美を帰する感謝の歌を歌いながら,生きながらえて出てきました。そして生涯の15年を『死の谷』とその近くで過したと語つています。これが真理のためでなかつたならば,今日,生きてはいなかつたであろう,とその人は感じています。
ロシヤの新世社会はその大部分の人が刑務収容所の中にいるのですが,喜びに歓喜しつつ最も高い神の讃美を歌つて居り,世界の他の場所で収容所に入つていない兄弟たちが伝道の自由を持つていることを喜んでいます。そしてそれら全部の兄弟たちがヱホバ神の御前にあつて忠実に行うように祈つています。他のすべての兄弟と共にロシヤの兄弟たちが願うことは御国の良いたよりが伝道されて,この古い悪しき世に終りが来ることです。
ポーランドで
兄弟たちの持つている溢れるばかりの喜びについて,述べる報告がポーランドから来ました。最近,刑務所から釈放されたばかりのポーランドの支部の僕,シェイダー兄弟によると『何もかもはかどつて居り,主の喜びという力によつて進歩し続けている』ポーランドの兄弟たちが多くの迫害にも屈せず,そして今では政府が兄弟たちの活動をいつそう注意深く調査して居り,以前にはなかつた大きな自由を許可していることに,私たちはポーランドの兄弟と共々によろこび会います。1956年8月にポーランドにおける伝道者数は,かつてない最高数に達しました。それでその国を治めている役人たちはヱホバの証者が繁栄している制度であると認めています。ポーランドの多くの高官たちは,ヱホバの証者の問題を解決しようとして頭を悩まして来ました。なぜヱホバの証者は国家と同化せず,その一部にならないのか,ということが高官たちの疑問なのです。
政府の一高官はこう語りました,『あなた方の立場には私も心を打たれます。』その高官は言葉を続けて,ポーランド政府がヱホバの証者を考慮し直すことになつた三つの主な理由を語りました。その理由は次のようなものです,(1)6年間の禁止にもかかわらずヱホバの証者の教えは変らなかつた。(2)逮捕やその他多くの苦難にもかかわらず,ヱホバの証者は勇気をもつて恐れずにその宗教を実際に行いつづけること。(3)禁止されていた全期間中にその数が4倍になったこと。将来にたとえどんな事が起ろうとも,ヱホバの証者はヱホバの側と御国の側にかたく立つて,妥協しない立場を取りつづけるでしょう。それについては,一点の疑もありません。ヱホバの過分の御親切によつて彼らはヱホバの倉に全き什一を携え,ヱホバから栄光に充ちる祝福を頂く者になろうと決意しています。彼らはこれらの祝福を受けています。そして送られて来たその年の報告はこのことを示しています。これはその報告の一部です。
家から家の宣教を再び始めたときに,伝道者たちは少し不安を感じましたが,最初から非常な熱心さで努力したので,その熱意を見た他の人もその手本に従わざるを得ませんでした。多くの場合,熱意が極めて大きかつたので,兄弟たちは大き過ぎる群になつて行くことを差し控えなければならない程でした。このような群の業は満足すべき成果を収めました。伝道者が役人に会うことも屢々ありますが,この事が重大な結果をもらすことは全くありません。禁止前に人々がヱホバの証者に敵対的であつた区域においてさえ,仕事は妨げを受けずに進捗して居り,多くの人は音信に対して心からの興味を示しています。伝道者たちはこのような挨拶をうけました,『長い間皆さんをお待ちしていました。もういらつしやらないのかと思つていたところです。』人々はカトリックの牧師に欺かれていたことを知り,それで今度は一そう真理に耳を傾けるようになつています。ある処で14人の伝道者は群の伝道活動をなし,51軒の家の中に真理に対して興味をもつ人々がいるのを見出しました。最初の再訪問をした後に,止めた人は3人だけで残りの人々は喜んで神の言葉から更に深い教えを受け入れました。
会衆の発展は,会衆の僕の示す模範によるところが大きいのです。ある会衆では業が禁止された時に7人の伝道者がいました。今その会衆の区域には4つの分会があって合計100人の伝道者がいます。このように増加したのは会衆の僕が熱心に働いたからなのです。この兄弟は病身の妻と5人の幼ない子供たちを扶養しています。それにもかかわらず,この兄弟は会衆の凡ゆる活動分野で率先して働き,個人の難しい問題があつてもこれを克服して御国の事柄を第一にできることを伝道者に示しています。最近この兄弟は自分の事柄を適宜に取りさばいて開拓者奉仕をするようにしました。この同じ会衆に12歳の姉妹がいて,熱心に家から家に働いています。この姉妹が人々を訪問すると,時折,人々はこの姉妹の言葉に初めは耳を傾けて聞こうとせず,こう言うのです『お前のような子供が神について何を話せるというのかね』しかしこの姉妹の証言を聞いた後には,人々の目にはしばしば喜びの涙が浮かんでいることが多いのです。この若い姉妹は非常に多くの家庭聖書研究を司会しています。
ロシヤから帰つて来た大勢の兄弟たちを再び迎え入れて,その面倒を見てあげることは私たちの大きな喜びでした。もちろん,真理の知識についていうならば,その兄弟たちは少し遅れていますが,それでも集会に定期的に出席して,その遅れを早く取り戻しています。これらの送還された兄弟たちの多くは,ヱホバの証者について誰にでも尋ね或は家から家に行つて兄弟たちを探し出しました。それ以外には連絡することができなかつたのです。今日,これらの兄弟たちは野外奉仕の業に加つています。
多くの地域ではカトリックの牧師が人々の上に今でも大きな勢力を振つています。しかし牧師たちのするひどい偽善的な行いのために,ますます多くの人が真理を探し求めるようになつています。ある姉妹は次のような報告を寄せました。家から家に行つている時,その姉妹は一人の婦人に会いました。訪問の目的を聞くとその婦人は直ぐに『もしかしたら,あなたはヱホバの証者ではありませんか』と尋ねました。姉妹がそうですと告げたとき,婦人は言いました,『それはよかつた。皆さんが真理を持つていると,聞いたからです。とうとうお会いできたのです!』それから次のような話を始めました。『私の父は教会の下働きでした。そして大そう悪徳な牧師の下で忠実に働きました。その牧師は父の仕事に対して1年間に20ズローチ(約5ドル)を与えると告げました。(これは20年前のことです)その年が終つたとき,その牧師は20ズローチは払えない,5ズローチだけ払うと父に言いました。父がでは5ズローチを頂きたいと言つたところ,怒つたその牧師は連発拳銃をつかんで,怒鳴りました,『お前は神に仕えながら報酬を得ようというのか。俺がお前に償いをしてやる』父は逃げ帰つてその後は一生の間(15年間)二度と教会に行きませんでした。その牧師はこの事が知れ渡るのを恐れて父に謝まりましたが,それは何の役にも立ちませんでした。真理はどこかにある,しかし教会にはない,と父は屢々私たちに語りました。「子供たちよ」と父は語りました,「真理を探し求めなさい。目を覚ましていなさい。イエスのしたように,人々が出かけて真理を伝道する時がくるだろうから。しかし,それらの人々は憎まれるだろう」父は死にました。そして私たちの家族は父の言葉をよく想い出していました。そしてあなた方が真理を伝道している方々ではないかと思つたのです』行き届いた証言を聞いてその婦人は,父親の語つていた人々に,本当にお会いしたことを確信しました。
また,牧師自身が説教壇からヱホバの証者について好意ある言葉を述べました。そのような例も幾らかあるのです。牧師の一人は語りました『ヱホバの証者に反対してはいけない。我々とヱホバの証者と何れが正しいか,まだ確かではない。聖書を読みなさい。そうすれば聖書が正しい道を教えてくれるだろう』巡回の僕は次のような報告をしています,ある会衆を訪問したときに,ヱホバの証者の会衆に見なれない人が来ている,と誰かが牧師に話しました。牧師は会衆の僕に手紙を出して『兄弟を訪問する僕』に会いたいと告げました。巡回の僕はその招待を受け入れて牧師に徹底的に証言しました。次の日曜日の説教の中で牧師は巡回の僕と論じた多くの問題を述べました。その牧師は今後も来て頂きたいと頼みました。