神の目的とエホバの証者(その7)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
第6章 攻勢に出る
トム: ロイス,お母さんはどんなことについてジャッジ・ルサフォードに反対したのかね。もつとも,お母さんは自分の牧師さんの話以外には耳を傾けようとしなかつた。
ロイス: トム,それは正しくありませんわ。母はむかしほど,自分の宗教について強気ではありません。しかし,ジャッジ・ルサフォードは教会に対してはばからずに話しました。ジョンさん,そうでしたでしよう。
ジョン: たしかにそうです。しかし,おぼえていただきたいことは,ルサフォードがものみの塔協会の会長になる時までには,教会の指導者たちはパストー・ラッセル個人に対しても,また協会そのものに対しても,根ぶかい敵意を持つていたのです。
ロイス: でも,パストー・ラッセルが教会に対して戦いをしかけるというよりも,教会と共に働こうと努力したのであるなら,たくさんのことができたはずではないでしようか。
トム: ロイスたぶん妥協はすることが,できたかも知れないが,それ以外のことは何もできなかつたろう。いままでの話から知つたのだが,それは一つの試験だつたのだ。つまり,彼が信仰のためにかたく立つか,あるいは全部の教会が選んだような背教の道に従うかを調べるためなのだ。それに,ラッセルの見解は,正統派宗教の見解とは全く正反対だつた。ジョンさん,そうでしたでしよう?
ジョン: そうです。ロイスさん,いつか私がお話したことをおぼえていますか。パストー・ラッセルはピッツバーグとアレゲニイの牧師たちに近づいて,新しく発見したキリストの再臨についての聖書的な理解を知らせようとしたところ,牧師たちはそれを受け入れようとしませんでした。それでは,ラッセルはどうすべきでしたか。牧師たちから反対されたという理由で,その見解を捨てることはできませんでした。収穫の時は来た,と彼は確信していました。それで,もし牧師たちが,自分たちの管理にゆだねられている「羊」に語らないなら,彼が語らねばならないと信じました。それで,あるかぎりの力と巧みさをもつて,このことを行ないはじめました。
ラッセル自身も認めたように,再臨論者はたしかにキリスト再臨の教理に多くの悪評をもたらしました。彼らはとてつもない見解や時定めを,どんどん発表したからです。この点については,ラッセル自身も再臨主義に真つこうから反対しました。その結果,彼はもつと自由な見解を持つ教会で講演をする招待を受けたのです。しかし,パストー・ラッセルが人々に,肝要なことをみな講演すれば,必ず教会指導者たちの気嫌をそこねました。古くから協会と交わつているひとりの人から聞いた出来ごとをお話ししましよう。
ある日曜日,ラッセルはペンシルバニア州の一都市の教会で説教をする招待をうけました。朝の礼拝のとき,ラッセルは御国の祝福について語り,キリストの千年統治のもたらす幸福な状態を説明しました。出席者はみなこのたよりに大よろこびでもつと話を聞きたいと思いました。実際のところ,聴衆の中のある人々は,その都市の別の教会から来ていたのですが,その受けた感銘が非常に良かつたので,両方の牧師たちに働きかけ,その夜両方の教会会員に別の説教をするようラッセルに願つてくれと説得しました。これは賛成されました。その夜の集会のとき,ラッセルは決意をもつて臨みました。人々がキリストの再臨と,その臨在にともなう祝福についての興味を示したのであるから,このことについて,もうすこし深く語り,これらのことの起こる時について語らねばならない,と彼は決意したのです。a 彼はその通りに行い,1914年を指摘しました。
その話を終えてからラッセルは説教壇の真うしろにある牧師の書斉に行きました。そこでは二人の牧師が彼を待ち受けていて,ラッセルのことを羊の衣を身につけた狼であると責めました。牧師の言うには,ラッセルは再臨論者であつて,午前には人々の耳に快く聞える良い話をして,その夜大ぜいの人々を集めようとしたのだ,そして,再臨論者の宣伝をたくさん吹きこんだ,と両人は責め立てました。両人は,朝の集会のときにラッセルが神の御国の祝福について語つたことには反対しなかつたのです。しかし,町に住む最善の人々が夜の集会に集まつたとき,ラッセルは再臨論者の本性を表わした,と両人は言い立てました。そのときラッセルは年若い青年でした。後になつてからの彼の話しによると,両方の牧師は,数分のあいだラッセルに悪口を言いつづけ,しかもラッセルには一言も語らせる機会を与えなかつたのです。ラッセルは,黙禱をささげて援助を求め,床が開いて彼を呑みこむようにと希望していた,と語りました。
ちようどそのとき,戸をはげしく叩く音がしました。牧師が「お入りなさい」と言う前に,あるいは戸のところに行く前に,手に大きな杖を持つたひとりの老人が入つてきました。この老人は,その杖で戸を叩いたのです。老人は牧師のところにつかつかと歩き,その面前で杖を振り舞わしながらこう言いました,「わしは,20年間お前さんに良い給金をあげてこの会衆を教えてきてもらつた。だが,二つの説教をしたラッセル兄弟の話は,20年間のお前さんの話よりも,ずつと多くのものを教えてくれた。お前さんは勉強して話を良いものにするようにしなきやならん。このラッセルから教わりなさい。それがだめなら,新しい仕事を見つけるがよい」。それから,老人はラッセルのところに歩いて行つてその手を取り,こう言いました,「ラッセル兄弟,神の恵みがありますよう。いつしよに家に来てください。いくつかの質問があるので,おたずねしたいと思います」。後日このことを話したパストー・ラッセルは,それはほんとうに悪い状態の幸福な結末だつたと述べたそうです。
ラッセルは教会の指導者にはくり返し失望を感じていたので,次のことを認識するようになりました,すなわち教会の牧師たちのうち真理に来る者はほとんどいないのであるから,牧師たちと交わりを持つよりもその羊の群れの者たちと交わりを持つ方が,時間の賢明な使い方だ,というのです。
ロイス: では,いろいろの教会指導者たちが,ラッセルの教理に賛成しなかつたのなら,彼らはパストー・ラッセルに反対するよう自分の群れに警告を与えなかつたのですか。その義務を感じなかつたのですか。
ジョン: 多分感じたことでしよう。しかし,彼らは監督の地位についていたので,彼らの責任はいつそう大きなものでした。教える者は,その大きな責任の故に,いつそうきびしいさばきを受けるであろう,とヤコブは初期のクリスチャンたちに警告しました。b 少数の教会指導者たちは,ラッセルと聖書論議をしようとしました。しかし,これはいつも彼らの大敗に終つたのです。しかし,牧師たちは自分たちの持つ真の立場に目ざめず,かえつて敵意をいだいて,ラッセルに対していつそう強い手段を取る結果になつたのです。
彼らの責任は,強調されました。なぜなら,彼らはラッセルを個人的にそしり,奉仕者としての彼の立場を軽んじようとつとめたのです。1846年,顕著な新教徒の制度は,「福音宣教会同盟」と呼ばれる伝道者の組合のようなものをつくりました。これは,すでに神学校を経営している大きな宗派だけに聖職の任命認可を限定しました。この同盟に属さない者たちは,認可をうけた奉仕者とは見なされず,もしラッセルのしたように,それらの者が伝道するなら,それらの者たちはさげすまれ,一般人の嘲笑をうけました。それで,ラッセルは援助を与えようと希望していたこれらの人々により,あらゆる面で反対をうけたのです。c
顕著な比較
ロイス: すると,宗教指導者たちは,神にも敵対したことになるのですか。宗教指導者たちは,彼らなりの仕方で良いことをしていたかも知れません。
ジョン: ロイスさん,そのときのエホバの証者のしていたわざに,彼らが反対したということだけはないのです。牧師たちが証者に反対した仕方が問題なのです。牧師たちの行いは,彼らがサタンによつてたしかに用いられたことを明白に証明します。パストー・ラッセル自身も認めた対比をお知らせしましよう。彼は1881年5月号の「ものみの塔」(英文)で,その見解を発表しました。彼はキリスト・イエスの初臨が再臨の型を示す,と指摘しています。イエスは3年半のあいだイスラエルの国民に伝道しましたが,国民全部としては,彼らはイエスの言葉に耳を傾けようとしませんでした。その結果,肉のイスラエルは,一国民として神により捨てられ,それから後の3年半は個人としてのユダヤ人だけが彼のところに来ました。その3年半は,メシヤの初臨のとき,イスラエルに与えられた恵みの期間でした。
栄化されたイエスが1874年に目に見えないさまで臨在した,と信じていたラッセルは,そのとき,こう書いています。
さて,この対比は何であろうか。また,この預言的な「影」の意味は何であろうか。我々はこう答える。1874年からの3年半の期間中,臨在している花婿イエスの宣明は,教会全体に対してなされた。御霊はシオン全体に次のように話しかけている,「我なんぢにすゝむなんぢ我より火にて煉りたる金を買ひて富め,白き衣を買ひて身にまとひ…すべてわが愛する者は我これを戒め,これをこらす。この故に,なんぢはげみて悔改めよ。視よ,われ戸の外に立ちて叩く」(黙示 3:18-20)
しかし,彼らは彼の臨在と召に注意を向けなかつた。その「影」は,彼らがそうしない,ということを示した。(「律法の博士」が「影」の中で行なつたごとく,「神学の博士」がもつぱらそれに反対した。)3年半の後(1878に)彼は,「影」の中で行なつたように,ここの教会を捨てて荒れるままにさせた。彼はこう言われている「熱きにもあらず,冷かにもあらずただぬるきが故に,我なんぢを我が口より吐出さん」(黙示 3:16)ユダヤ人の教会は,「捨てられる」までは神の代弁者であつた。しかし,その時から後は,神の真理は別の径路を通して来た。それで,福音教会は,神によつて認められた真理の径路,すなわち代弁者であつた。しかし,そのようなものは,もはや存在していない,と我々は信ずる。真理はいまは他の径路を通つて来る。
1878年以来(それ以前には決してない)我々は神の子たちを教会から呼び出して自由の立場につかせることを自由に行ない得ると感じている。その立場にいる彼らは自由であつて,エホバに自由に仕えることができる。そして,エホバの御言葉を研究してエホバから教えられるであろう。彼らは次のように言う,「大なるバビロンは倒れたり…悪魔の住家,もろもろのけがれたる霊の檻,もろもろのけがれたる憎むべき鳥の檻となれり」(教会がこのように倒れて,そのふところに地上の腐敗がいだかれたことは,しばらくの期間中行なわれていた)さて,次のような音信が来る,「他の声あるを聞けり。曰く『わが民よ,かれの罪にあづからず,彼の苦難を共に受けざらんため,その中を出でよ』」。(黙示 18:2-4)d
神に奉仕すると主張していた者が,メシヤはふたたびあらわれて,以前この地上にいたときに約束した祝福を忠実な人類にもたらすという音信に対して,なぜ敵対したいのでしようか。それで,これらの宗教指導者たちは,パストー・ラッセルに反対すべきではなく,むしろ彼らとしてなし得る最少限のことはガマリエルのすすめた立場をとるべきだつたでしよう。ガマリエルは,イエスの弟子たちを支持した正直な法律家でした。彼は,ユダヤ人の最高法廷であるサンヘドリンにこう言いました,「あの人たちから手を引いて,そのなすままにしておきなさい。その企てや,しわざが人間から出たものなら,自滅するだろう。しかし,もし神から出たものなら,あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば,諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。e しかしラッセルの時代の宗教指導者たちは,ガマリエルの述べたこの賢明な助言に従いませんでした。パストー・ラッセルが,彼らのところに来て,彼はイエス・キリストのしもべであると述べ,イエスの弟子たちが伝道していた希望と同じ希望を指摘したとき,牧師たちは,彼らに従う者たちに次のことを言うだけで満足しませんでした。「これらの人々に注意を向けるな。そのなすままにしておきなさい。時が来れば,彼らのわざは神からのものでなく,人間のものであると分かるであろう。それは,その重味で倒れるであろう」。
もちろん,自分たちのあやまりを認めて,神の御心に従おうとする積極的な気持がないなら,彼らはそのことを言えないでしよう。彼らは高慢でした。彼らの教会制度に交わるいちばん良い人々が,きわめて熱心な態度でこの教理をうけ入れたので,牧師たちはイエスの時代の宗教指導者たちが取つたと同じ道を取りました。聖書の記録によると,そのときの人々はイエスの言葉をよろこんで聞いたのです。これらの現代の学者やパリサイ人たちは,ラッセルのしていたわざに反対し始めただけでなく,彼を個人的にそしり,ラッセルに従う者たちを嘲笑し始めました。さらに,彼らはわざを妨害する障壁を立て始めました。彼らはカイザルの政府に願い出て,法律の面からわざの進歩をむずかしくさせようとしたのです。しかし,ラッセルはいつでも,人々が公正な比較をして,自分自身で決定を下し得る機会を与えたのです。
[脚注]
a (イ)1881年4月号の「ものみの塔」(英文)
c (ハ)ジェー・エフ・ルサフォード著「教会の天における大いなる戦い」(1915年)7-10頁「連合同盟」
d (ニ)1881年の「ものみの塔」(英文)5頁。
e (ホ)使行 5:38,39新口。