神の目的とエホバの証者(その15)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
第12章 とらわれの状態に入る
トム: ジョンさん,先週あなたは,敵たちがエホバの証者の仕事をなくそうとして,一緒になってかかってきた,と仰言いましたね。それはどうなりましたか。
ジョン: そうですね,トムさん,わざは実質的にとまってしまいました。もちろん,個々のエホバの証者の中にはこの若難のきびしい時代に,ずっと伝道を続けることができた人もいました。でも制度として,短い間でしたが無活動の状態にはいってしまいました。1917年の夏にブルックリンの本部で反逆がおこりましたが,それに続いてこの時までに起きた事件は最高潮に近づいていました。
1917年の最後をかざるものとして,12月30日は歴史的な日になりました。この日から日曜日の自発奉仕を通して,4頁からなるタブロイド版の「聖書研究生月刊」の新しい号,1000万部という莫大な数の配布が始まりました。激しい音信を含んだこの号は「バビロンの崩壊 ― なぜキリスト教国は今苦しまねばならぬか ― 最後の結果」という題でした。a これには「完成した奥義」からの抜すいもはいっており,牧師階級に対する最も辛辣な言葉がはいっていました,配布のこの運動の一部として,ひろく宣伝された公開講演が同じ題のものとに各所でなされました。b
この冊子は,1910年以来何百万と配布されてきたこの月刊の中で,一番強力なものの一つでした。この号は,カトリックとプロテスタントの宗教制度が共に近代のバビロンを形成しており,間もなく世間から忘れさられてしまうことを示していました。最後のページには写実的なまん画がかかれていました。それには城壁,あるいは壁の石が一つ一つくずれて落されていく絵がかかれており,その石には「新教」,「信条」,「永遠の苦しみの教理」,「三位一体の教理」,「悪はない」,「苦しみはない」,「死はない」,「悪魔はいない」,「使徒継承」,「目的は手段を選ばず」,「幼児洗礼」,「告白」,「煉獄」,「免罪符を売ること」などと書かれていました。石がこのように落されているということは,これらのまちがった教理が,永続する価値のある霊的糧を備えることができなかってということを表わしています。
トム: 教職階級の者たちが,これを受け入れることはむずかしかったでしょうね。
ジョン: ええ,そうなんです。実際のところ,このしんらつな暴露によって真赤になって怒った教職者たちは,その時既にひろく配布されていた「完成した奥義」に出ているある箇所に言いがかりをつけて,なにがなんでも協会の働きを停止させてしまおうとしました。その箇所が,扇動的な性質のものだというのです。カナダやほかの国々は,1914年以来,戦争をしていましたが,もともとこの本は1917年4月6日にアメリカ合衆国が戦争に参加する前に既に書かれ,配布のための準備はととのっていたのです。それが一般に公表されたのは,1917年7月でした。
1914年の秋からこの期間にかけて,エホバの証者は黙示録 11章の3節で預言されたように,悲しみと非難のさなかにあって伝道しました。宗教指導者からの反対はきびしいものでしたが,「バビロンの崩壊」という冊子を配布した後のこの時には,全く激しくなりました。彼らは協会をなくしてしまおうとして働きかけたばかりか,イエスの時代のユダヤ人教職者たちのように,政府が彼らにかわってこの卑劣な仕事をするよう望みました。1918年2月12日に協会に対する政府の反対が始まりました。カナダはその先端でした。その日にものみの塔協会は禁令を受けました。その当時一般の新聞には次のように出ていました。
国務長官は,出版の検閲規定にもとづき,カナダにおいて何冊かの出版物の所有を禁ずるよう指令した。その出版物の中には,万国聖書研究会により発行された「聖書研究 ― 完成した奥義」があり,これはその著者パストー・ラッセルの死後に出版された本として一般に知られている。またこのニューヨーク,ブルックリンにあるこの研究会の事務所で発行した「聖書研究生月刊」もカナダで頒布することは禁じられている。禁止されている本を持っているものは,5000ドル以下の罰金,あるいは5年間の禁固の刑に処せられる。c
後になって,カナダのウィニペッグのトリビューン紙は,私たちが今読んだ禁令について述べてから,こう言っています。
禁止された出版物には,扇動的で非戦論的な箇所があると主張されている。「聖書研究生月刊」の最近号の一つには2,3週間前聖ステパノ教会の牧師チャールス・ジー・パーターソンが説教壇から公然と非難した箇所がある。後程法務長官はパーターソンの所に人をやって,「聖書研究生月刊」の一部を求めさせた。検閲に関する命令がだされたのは,これによる直接の結果と考えられている。d
牧師の影響による真理への反対
トム: どうもカナダの牧師たちが,そそのかしてその禁令をしかせたようですね。
ジョン: たしかにそうなんです。牧師たちにそそのかされて,事件がそこここでおきましたが,それはみなアメリカ合衆国とカナダの政府に,ものみの塔協会とその共働者を滅ぼさせようというこころみでした。
トム: アメリカ合衆国の政府はどうしましたか。協会の仕事を禁止しなかったでしようね。
ジョン: いいえ,それがそうではなかったのです。カナダの禁令に続き,同年の2月にその共謀が国際的なものだということが,はっきりしてきました。ニューヨークにあるアメリカ陸軍情報局が協会の本部を調査し始めました。協会が敵国のドイツと連絡をしている,という情報がとんでいたのです。アメリカ合衆国はその当時,ドイツ,ならびにその中心勢力と戦いを交じえていたので,これは非常に重大な嫌疑でした。ブルックリンベテルの本部がドイツ政府にメッセージを送るための本拠になっているという報告が,いつわりにもアメリカ合衆国の政府になされたのです。
ロイス: まあ,どのようにしてですか。国際的なスパイの一味によってというわけですか。
ジョン: いいえ,この嫌疑はそれよりももっと馬鹿げていました。1918年という年は,ラジオ放送,電信,電話が西欧中に設置される4年前でした。1915年までには,無線電信も試みられていました。しかし,これらのものは,確実性にとぼしく,無線電信によるメーセージを遠くへ送ることはできませんでした。1915年にだれかがラッセル兄弟に小さな無線受信機をあげました。本人は余りこれに興味がなかったのですが,本部のベテルのだれかが,ベテルの屋根に小さいアンテナをはり,メッセージをひろおうとしましたが,あまり成功しませんでした。1918年に受信機は戸棚にいれられてしまいました。ベテルから放送されたということは一度もありませんでした。1918年に陸軍情報局の者が二人ベテルを調べにやってきた時,無線受信機がおかれていた屋根に案内されました。それから,倉庫におしこまれている機械そのものをも見せました。この人たちがアンテナをはずし,受信機を持っていってしまってもよいかと言った時に,兄弟たちは即座に同意しました。両方とも長い間使われてなかったということは明らかでした。e
次の動きは1918年2月24日の日曜日に見られました。その日ラッセル兄弟は,後日「現在生存する万民は決して死する事なし」と題されるようになった話を,はじめてしました。これはカリフォルニアのロサンゼルスでした。f その週の木曜日,つまり2月28日に,ロサンゼルス会衆に属する協会の大きな会館と宿舎は政府により,手入れされ協会の出版物は没収されました。その時までにすでに20名以上の証者は徴兵の件で,軍と軍の刑務所に拘留されていました。g
「御国の音信」は反撃をよぶ
ロイス: 一体だれのためにこうなったのかを協会はどうにかして,示すことはできなかったのですか。
ジョン: そうですね,1918年の3月15日に,協会は牧師にそそのかされてもたらされたこの圧迫を暴露して,抵抗しようと決めました。この圧迫はその時各方面から加えられていました。「御国の音信,第1号」と呼ばれる新しい出版物を発表しようということになりました。「聖書研究生月刊」はそれ以前絶刊になっていました。それでその時の状況にかなうものが準備され,アメリカ合衆国,カナダ,英国の民衆の憤りをよびさますために使われました。
新しい冊子はニューヨーク市で3月5日に出されました。
主題の聖句,「天国は近づけり」がでており,マタイ伝 3章2節から引用したことが示されています。わくの中の左側には「クリスチャンの知識増進のために発行される」,「諸国民を教えよ」という言葉がはいっていました。右側には「宗教的寛容の原則と,クリスチャンの自由の原則を擁護する」という言葉が書かれていました。六つの欄にわたっている見だしにはこう書いてあります,「宗教的偏狭 ― パストー・ラッセルに従う者たちは人々に真理を告げたために迫害された ― 聖書研究者に対する仕うちは『暗黒時代を思わせる』」。それからもう少し小さな見出しで,「『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを,おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら,あなたがたをも迫害するであろう」。という聖句がのせられていました。その下には迫害の事実とわざを禁ずることがカナダで始まったことがあげられていました。カナダの証者を滅ぼそうとした牧師たちの責任が真向から問われていました。h またドイツにおいても証者が迫害されているという報告が載せられていました。
ロイス: ドイツでも証者が迫害されていたのなら,あなたがたがドイツびいきではないとわかったはずですのにね。
ジョン: そうです。多くの人は知っていました。でもロイスさん,おぼえているでしょう。人々の感情は高まっており,エホバの証者は人気のない少数派だったのです。しかし,アメリカの徴兵に関して次の記事(声明)がだされました。
アメリカ合衆国の政府は政治的,経済的制度であるゆえに,その基本的な法律のもとに宣戦を布告し,その市民を召集して兵役に服させる力と権威があるものと,我々は認める。いかなる方法においても,徴兵,あるいは戦争を妨害しようとする意向はない。我々のメンバーのある者が法律の保護を受けようとしたことが,迫害の手段として使われている。
「御国の音信,第1巻」もまた,戦争に関する聖書研究生の立場を述べました。それに加わえて,ベテルから取り除かれた無線電信機のことと,政府が不必要に協会の本部を調査したことについても報告されていました。一面の最後には第7巻,「完成した奥義」とそれに対する牧師たちの反対に関する報告が載せられていました。裏側の頁のほとんどに,3月24日の「世界は終わった,現在生存する万民は決して死する事なし」― ニューヨーク州の弁護士名誉会員ジェー・エフ・ルサフォードによる無料の講演」を大々的に宣伝し,ニューヨーク市の人々がきくようにすすめました。この講演は同じ講演者,ルサフォード兄弟によりその前月の2月にロサンゼルスで始めてなされたものですが,3000名の興味ある人々が出席しました。i これは一般の人々に対して非常な興味を誘った話で,近代のバビロンから逃れでて,終りのない生命へと導かれるこのような大群集に公けに知らされたことは,この時が始めてでした。この早い頃の知らせを心にとめた人はたくさんいました。
1917年7月に発表された「完成した奥義」はベテルにいる者たちの間に分裂をおこさせ,それが多くの会衆にも及んだということを,覚えていらっしゃることと思います。それにもかかわらず,忠実な残れる者はずっと活発に奉仕し,あとでルサフォードが報告したところによると,7000人の証者は「完成した奥義」を一生懸命に配布していました。j 数にかぞえられなかった人々も冊子や招待ビラを人々の家で配ったり,個人的に口頭で証言しました。
ロイス: 人気のある宗教制度に真向から立ち向うためには,ずい分強い信念が証者には必要でしたね。特に証者が直面したひどい妨害のことを考えるとなおさらですね。
ジョン: この「御国の音信」を国中で配布するには勇気と信仰が必要でした。宗教指導者たちは怒りをおさえきれず,すでにものみの塔協会に対して公然と反対の行動をおこしていました。このうえ更に暴露するなら,もっときびしい迫害が彼らの上にのぞむということは明白でした。しかし人々が自分たちを守るために,事実を知らされねばならぬということを証者は知っていました。つまり,だれでも神の目的に関して自分自身の役目を果たさねばならなかったのです。それで,牧師たちの協会に対する戦いをやめないばあいでも,彼らを暴露することは必要だと認めました。
[脚注]
a (イ)1917年の「ものみの塔」(英文)354,374頁。
b (ロ)1918年の「ものみの塔」(英文)18頁。
c (ハ)1918年の「ものみの塔」(英文)77頁。
d (ニ)1918年の「ものみの塔」(英文)77頁。
e (ホ)1918年の「ものみの塔」(英文)77頁。1919年の「ものみの塔」(英文)117頁。「御国の音信」第1号
f (ヘ)1924年の「ものみの塔」(英文)358頁。
g (ト)1918年の「ものみの塔」(英文)24頁。
h (チ)1918年の「ものみの塔」(英文)82頁。
i (リ)1918年の「ものみの塔」(英文)110頁。
j (ヌ)1919年の「ものみの塔」(英文)281頁。