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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1962
塔62 3/1 156–158ページ

神の目的とエホバの証者(その33)

「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10新世訳

中立の問題

この危険な期間中,エホバの証者はどんな立場を取りましたか。第一次世界大戦中,証者の取るべき立場は明白に示されなかったため,エホバのしもべたちは大へんくるしみました。1939年11月1日号の「ものみの塔」(英文)は,西欧州の兄弟たちに時代にかなう強力な助言を与えました。次の年の春,その地の民主主義が崩壊したので,そのものみの塔は実に時宜を得たものと言えました。この「ものみの塔」は「中立」という問題を徹底的に聖書的に研究したものです。昔の神の民は「中立」の立場を取りました。証者たちは使徒にならって中立を守ったので,ドイツ軍や日本軍の占領中のむずかしい時であっても,難局に対処することができました。

特に興味深い経験談がアルバニアから伝えられてきました。それは,中立という点を明白に示しています。アルバニアの兄弟たちは,ギリシャ人,ファシスト,ナチスおよび共産主義者たちの四つの群れから迫害されました。これらの四つの群れは,敵対し合っていましたが,兄弟たちは厳正な中立の立場を保ちました。すくなくともある場合,兄弟は中立の立場を保ったために生命を失わずにすみました。

ナチスとファシストがボローニャの南部にある海港を占領していたとき,共産主義者たちはひとりの兄弟を訪問して,共産党を援助するため金銭の寄付を彼にたのみました。その兄弟は,自分の中立の立場を説明して,地下運動をしている共産党を助けることができないと話しました。1年後,その兄弟の援助を求めた共産主義者は,政治的な見解を変えて,国民党に参加しました。国民党は,ボローニャにいる共産主義者全部を逮捕するために彼を使用しました。彼は共産党の一員として活動していたとき,その地の共産主義者と知合うようになったからです。彼らがその兄弟の家に来たとき,以前の共産主義者はこう言いました。「この家はちがいます。私が共産党援助の寄付を求めたとき,この人は中立を守る人だと言って寄付をことわりました」。共産主義者を援助した者は,みな逮捕されました。しかしこの兄弟は逮捕されずにすんだのです。

あるアルバニアの人々は妥協したために生命を失いました。ファシストにせよ,ナチスにせよ,あるいは共産主義者にせよ,どの党が町にはいっても,彼らはその党を支持すると言いました。しかし,時には共産主義者はファシストの記章をつけて,町にはいり,人々の見解をたずねました。「わたくしたちはあなたのようにファシストです」と言う人々は共産主義者に逮捕されたり,殺されたりしました。しかし,兄弟たちはいつでも中立の立場を守って,共産主義者にも,ファシストにも,ナチスにもあるいは他の政党の者にも全部の者に同じ答えをしたのです。

欧州で戦争が始まる前,そして日本軍がアジア侵略を始める前に,ジャッジ,ルサフォードは1938年にオーストラリアを初めて訪問しました。彼は1935年にハワイ諸島を訪問しました。そして,新しい支部がホノルルにつくられて,新しい支部の建物といっしょに集会所も設立されました。a この集会所は,「御国会館」と呼ばれましたが,このことから全世界のエホバの証者は会衆の集会中心地を御国会館と呼ぶようになりました。b

ジャッジ・ルサフォードが1938年に始めてオーストラリアを訪問したとき,一般人から大歓迎をうけました。もちろん,オーストラリアでも強い宗教的な偏見と圧制的な戦術が採用されていたのです。c ジャッジ・ルサフォードの訪問と「警告」という公開講演は大々的に宣伝されて国民にそのことが知らされました。この公開講演「警告」は,彼の訪問中に行なわれた大会の最高潮として,シドニーのスポーツ・グランドでなされました。この大会には,オーストラリア支部の管轄下にあった区域内御国伝道者が出席しました。マラヤ,ジャワ,仏領インド支那,上海,ニュージーランド,そしてオーストラリア各州からの代表が出席しました。この講演の放送は取りきめられていましたが,宗教指導者たちが郵政省に圧力を加えたので,放送は中止さました。10日間に12万人が抗議状に署名しましたが,これは無視されました。

出席した2万5000名は,協会の会長の講演を熱心に聞きました。その話の後,講演の原稿は,前もって契約を結んだ新聞社に渡されて印刷されることになりました。しかし,新聞社も宗教的な圧迫を恐れたため,その契約に違反して,この重大な講演を一般人に知らせませんでした。しかし,その話は録音され,レコードにより世界中の大ぜいの人々に知らされました。d 協会の会長はアメリカ合衆国に戻る途中,ニュージーランド,フィジー諸島,アメリカ領サモアそしてハワイに立ち寄りました。e

英国の中立主義者は発言

英国でも兄弟たちは第二次世界大戦の嵐を乗切る準備をし,中立の道をかたく守りました。戦争の始まったときエホバの証者は英国中でニュースの種になっていました。なぜなら,1939年10月30日に発行された白書(ドイツ第2番)の記事「ドイツ内でうけるドイツ国民の待遇」がひろく配布されて論議されたからです。この白書は,1939年9月3日に宣戦が布告された時までベルリンに駐在していた英国大使ネビル・ヘンダーソンの集めた報告を基礎につくられたものです。その中には,ドイツにおけるエホバの証者の経験も含まれていました。次にあげるのは,この白書からの引用文です。

1500名のユダヤ人と800名のエルンステ・ビベルフォシェル〔万国聖書研究生〕がいた。……各人はバッジをつけていた。ユダヤ人はダビデの星のついた黄色いバッジ,聖書研究生は紫色のバッジ,その他である……ユダヤ人の捕虜は月に2回手紙を書き,手紙を受けることができた。聖書研究生には「外部との通信がすこしも許されていなかったが,彼らに対する食物の配給は切りつめられなかった。X氏は彼らに対して最大の尊敬を払うと語っていた。彼らの勇気と宗教上の信仰はすばらしいものであった。そして,神により命ぜられたことなら,最後の死にいたるまでよろこんで苦しむと語った。

……「ビベルフォシェル」は,聖書の教理にもとづく宗派で,国内のいたるところに数多くの成員がいる。しかし,軍役を拒絶するため,ゲシュタポに逮捕されている。これらの不幸な人々は,ユダヤ人と同じ虐待を受けた。f

1939年11月15日協会のロンドン事務所は,次の声明文を国会議員,宗教指導者,地方の役人および新聞社に宛てて出しました。

エホバの証者はどこに住んでいても,国家の法律と習慣に従い,神とすべての善意者に仕えようとします。もし人間が聖書に反することを命ずるなら,あるいは全能の神だけに属する崇拝を人間にささげよと命ずるなら,彼らはそのような命令に従いません。現在の出来事に対するエホバの証者の立場を明白に示すため「ものみの塔」から再出版されたパンフレットを同封します。同時に,このパンフレットは,あらゆるときに彼らが中立を保つ理由,および彼らが軍務に参加するのを拒絶する理由を明白に示します。

英国にいる幾千人というエホバの証者のために,私たちはこの立場を明白にしたいと思います。最高の神のしもべである私たちの立場は,ドイツの兄弟たちの立場と同じです。すなわちかたい中立という立場です。私たちの献身,奉仕,および忠節は,エホバの神権政府にささげられています。そして,ヨハネ伝 17章16節は,「我の世のものならぬ如く,彼らも世のものならず」と述べています。ここに,「政府と平和」という出版物をも同封します。お読み下さるようお願いします。

この声明文は,ドイツのエホバの証者が軍役につかないために迫害を受けていると述べた英国政府の白書にも言及しました。英国内で公けに表わされたこの大胆な立場の結果,干渉を受けぬ神権的な奉仕の基礎が置かれました。当局と一般国民は,エホバの証者が平和主義者でないと知りました。また,エホバの証者が英国内に問題をひきおこしている多数の平和主義運動とすこしの関係もないことを知りました。カトリック系の新聞だけがエホバの証者に反対して,英国内のエホバの証者は暴動をたくらむ者と言いふらしました。

ナチスが空襲をくり返し行なったため,英国の兄弟たちはつらい経験をたくさんしました。支部のしもべは,次のような報告をしています。

敵の火の下で伝道する

1発の焼夷弾は,クレーベン・テラス,中央ロンドン御国会館の屋根をつき抜いて,内部で燃え出した。火災警備にあたっていたベテルの兄弟たちは,その火をすぐに消し止めた。同じ夜,火災爆弾7発がベテルの家と事務所のある協会の敷地内に落ちた。悪鬼共はロンドンのベテルを目標にしたらしい。3ヵ月間に29発の高性能の爆弾が協会事務所から数百米の範囲内に落ちた。至近弾は,道ひとつへだてた30ヤードはなれたところに落ちたのである。ロンドン市の被害記録に記載された最大の爆弾のひとつは,ベテルのうしろ70ヤードはなれたところに落ちた。事務所は2度も猛火に包まれそうになった。ベテルのうしろ15フィートまでの建物は全焼してしまったのである。ベテルの家は,地震のときのように何度も何度も揺れた。恐怖と死につつまれた夜は幾晩もつづいた。家族の成負はそのことを決して忘れないであろう。しかし,こうしたことにもかかわらず,ロンドンと英国内における「不思議なわざ」は,かつてないほどに進歩し,真実の避難所を求めた幾千人という人々に希望,慰め,および慰安をもたらした。g

この恐ろしい空襲をもふくむ「英国の戦争」において,英国にいた1万2000名以上の証者のうち12名の証者が生命を失いました。多数の証者たちはけがをしました。また,ナチスの空襲のため家や御国会館は焼失しました。しかし,エホバの真の崇拝はつづけて行なわれ,家から家の伝道はつづけられました。会衆の集会は,夜の空襲による危険を避けるため,日曜日の午後に行なわれました。しかし,集会は定期的に司会されました。この戦争の年月中,エホバの証者は大規模な伝道の運動をしたので,幾千人という正直な心を持つ英国人に多くの希望と慰めをもたらすことができました。

大会は,あたかも戦争がなかったかのように予定どおり行なわれました。ある大会は空襲中でも行なわれました。マンチェスター市の大きなフリートレード・ホールは,夜の空襲で破壊されました。エホバの証者がそのホールを借りて1940年の国際大会を行なった直後でした。しかし,最も驚くべきことは,1941年9月3日から7日までライセスターで行なわれた大会でした。この5日間の神権的な大会に約1万2000名の証者たちが集まりましたが,戦時中のむずかしい時にその大会が開かれたことは,実になみなみならぬ努力が必要でした。いろいろの勢力はエホバの証者に好意を示さなかったため,食事,宿舎および交通の面で,そのような大群衆の集会に大へんむずかしく,大きな妨害を克服することが必要でした。1941年8月6日-10日,アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス大会でなされたジャッジ・ルサフォードの主要な講演は,レコードに録音されてロンドンに飛行便で送られました。検閲者たちはその入国を許可し,この英国の大会にちょうど間に合いました。この大会によって,英国の兄弟たちは霊的にぐんと強められました。そして,戦争中のむずかしい状態下にあってもエホバの証者が一致と愛の協力を持つことを示しました。h

ブルックリンからの文書の輸入は禁止されたので,英国の兄弟たちは出版物を野外に補給しつづけるため,国内で大規模な印刷の仕事をしました。大ぜいの活発な開拓者たちは,幾千人という人々に奉仕していたのです。後日,英国の講読者のための「ものみの塔」誌の輸入も禁ぜられました。しかし研究用の記事は禁ぜられなかったので地方的に印刷されました。それで毎週1度の「ものみの塔」研究集会は,妨害なしに行なわれました。

英国では男性も女性もみな徴兵制度に編入されました。多数の判事は兄弟たちに軍役免除を拒絶しました。それで1593の判決があり,刑期の合計は6世紀を越えるものでした。刑の宣告を受けた者の中334名は婦人でした。彼らは戦争の義務を命ずる国家の指示に従わなかったため兄弟たちと共々に刑務所に入れられたのです。英国で開拓者奉仕をした証者たちは,ポーランド,ドイツ,オーストリア,ベルギーおよびフランスから避難してきた人々でした。彼らは戦争の始まる前に英国に来ました。しかし,戦争が激烈になるにつれて政府は戦争のつづく期間中,彼らをマン島の収容所に収容しました。エホバの証者であったアメリカ人とスイスに国籍をもつ者は,国外に追放されました。

それで,英国のエホバの証者はむずかしい制限を受け,戦争のために活動が限定されましたが,中立の立場をしっかり保ち,神への忠実を守りました。エホバを自由に崇拝するための戦いは,英国で弱まりませんでした。むしろ,世界の他の場所と同じように,その戦いをつづけて行きました。

[脚注]

a (リ)1936年の「年鑑」(英文)144頁-146頁

b (ヌ)1937年の英国では「ロンドン幕屋」が再献堂されて,御国会館と再命名されました。「コンソレーション」(英文)第19巻,1938年,4月6日,26,27頁。

c (ル)「コンソレーション」(英文)1938年6月15日,第19巻。

d (オ)1939年の「年鑑」(英文)103-105頁。

e (ワ)「コンソレーション」(英文)第19巻。1938年7月13日,8頁。

f (カ)「白書」(ドイツ第2号)1939年10月30日。シーエムディ,6120。10,35頁。英国政府出版。1941年の「年鑑」」(英文)104,105頁をも見なさい。

g (タ)1942年の「年鑑」(英文)84頁。

h (レ)1942年の「年鑑」(英文)83-97頁。

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