神の目的とエホバの証者(その43)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
すべての人のための研究の手引
大会のときに協会は新しい手引を発表しました。また協会の代表者が個人的な訪問をする取決めにより,会衆内の全員の奉仕を強化することができました。そして,建てることと,植えることについての世界的な計画の基礎が置かれました。協会の3番目の会長就任と同時にエホバの証者全員に対する進歩的な教育が強調されました。新会長の就任第1年に出された「年鑑」(英文)第1巻には訓練についての次の記事がのせられていました。
任命された福音の奉仕者は,みな神の是認を受けていることを示すため研究しなければならぬ。また,主の御言葉によって訓練を受けねばならぬ。主の御心を行なうという契約をむすぶ者たちのために,協会はそのような教訓を施す準備を設けた。エホバの証者の群れのいる都市では,会が組織される。このエホバの証者の群れは,毎週数回定期的に集まり,聖書を注意深く研究する。ものみの塔協会は,そのような群れに研究用出版物を供給する。注意深い研究をするために,本や雑誌が供給されるだけでなく,研究生を指導するために質問の本も印刷されている。これらの会の研究を援助するため,協会は多数の聖書研究の手引も出している。それぞれの研究は祈りで始められ,協会によって任命された有能な司会者の指導の下に秩序正しく行なわれる。これらの研究に出席する人々は,聖書を真実に研究する人々で,使徒の次の助言に従う,「わが子よ,汝キリスト・イエスにある恩恵によりて強かれ。且おほくの証人の前にて我より聴きし所のことを他の者に教え得る忠実なる人々に委ねよ」。(テモテ後 2:1,2)これらの研究生は,知識を得ることの責任を十分に認識している。また,御国の側に立ち得ることができるようにするため他の者にも学んだことを語ることができる。これらの研究は,聖書および天の御父の教えについてもっと知りたいと思う善意者全部に開放されている。
いろいろの都市で協会の定期的な集会に出席する聖書研究生たちは,主の御言葉に関して進歩的な知識を得るために研究するだけでなく,町々や村々の善意者の家庭でも研究を司会する。これらの研究の重要性と良いわざは,報告の後の部分で述べられるであろう。
神権宣教の進歩した課程
ニューヨーク市ブルックリン,コロンビア・ハイツ124番地に所在するベテルの家には,200人以上の聖書研究生がいる。そのベテルでは,アメリカ全土の全部の会が行なっている多数の研究の他に,神権宣教の進歩した課程が実施されている。この学校にはいる青年は,公開講演について十分の訓練を受ける。公開講演はみな聖書の論題に関するものである。この課程には,聖書のいろいろの翻訳の研究,索引と聖書辞典の使用,聖書の歴史と聖書に出てくる人物の注意深い研究,正しい言葉使い,発音,そして話の準備の仕方が含まれている。他の多くの事柄も,これらの級の研究で取りあげられる。研究生の全部は,話をしたり,いろいろのことに関して論文を書く機会が与えられる。論文はみな学校の教訓者に提出される。神権的な宣教におけるこの進歩的な課程は,すべての研究生にとって最も益があり,有益なものであった。学校内の研究生はみな任命された奉任者で,家庭で聖書研究を定期的に司会している。そして多くの者はニューヨークから,田舎や町のいろいろの場所にある会衆に奉仕している。a
トム: その学校の取決めは,新しいものではありませんでしたか。
ジョン: そうです。もっとも,1919年に伝道の仕事が再開されてからすこしして,話の仕方に専問の訓練を施す試みがなされました。多くの人はその必要を感じたからです。アメリカ全土には,「預言者の学校」と呼ばれる群れが形成され,ある時にはベテルでもそのような群れがひとつありました。しかしそれは協会の正式な準備でなく,程なくして,その取決めは中止されました。
ロイス: なぜ「預言者の学校」と呼ばれましたか。
ジョン: エリヤとエリシャの時代に行なわれた群れの研究から,その名前が出てきていることは疑いありません。「ものみの塔」(英文)は,むかしの預言者の時代におけるそのような取決めについて次のように注解していました。マリア,それを読んでくれますか。
マリア: 〔読む〕
〔エリシャは〕エリヤが脱ぎ捨てた外套を拾いあげて,自分のものにし,ヨルダン川に来て,それで川を打ち,エリヤのしたように,「エリヤの主なる神はどこにいるか」と呼んだ。つまり,エリヤの主なる神は私といっしよにいないのか,ということである。もしそうなら,エリヤを通して働いた同じ神の力は,私にも働くだろう。彼の信仰は報われた。エリヤの場合のように,ヨルダン川は分けられたからである。その後,彼はエリヤの建てた学校の主要な教訓者になり,他の人も教訓者としての彼を認めた。b
トム: 協会がベテルに組織した新しい学校は,どのように運営されましたか。正規のクラスがありましたか。
ジョン: そのプログラムは1942年2月16日,月曜日に始まりました。そして,本部の男子全部に開放されていました。c この学校は,毎週1回,月曜日の夜に開かれました。第1時間目は,全員が講堂に集まって,学校にはいっている全員に対して講演がなされました。学校にはいっていないベテルの家族の他の者も,姉妹をも含めて,出席してその話を聞くことができました。その後,わずかな休憩時間があり,聴衆は幾つかの教室の群れに分けられました。この2時間目の教室の中でいろいろの題についての研究生の話が行なわれ,訓練された教室の助言者の指導を受けました。
この学校で進歩的なプログラムが作られるにつれ,話し方と聖書研究のいろいろの面におけるコースが提供されました。原稿に頼らぬ公開講演の最新の技術が用いられたとき,良い講演をする能力がすぐに目に見えて表われて来ました。演壇からの話の仕方が改善されただけでなく,家から家の伝道にもすばらしい進歩が示されました。学校にはいっていた人だけでなく,ベテルの家族の姉妹たちも,この新しい教育のプログラムから真実の益を受けたのです。この新しいプログラムの結果は,ひじょうに良かったため,この学校は協会本部における教育プログラムの一部になりました。
ギレアデは1943年に開校
協会の新しい教育プログラムの次の点は,伝道活動を拡大することにより,地の果てまでも建ておこす計画を遂行することでした。外国の地で専問的に奉仕にたずさわる宣教者や奉仕の代表者たちに,進歩した訓練を与えるため,宣教学校を設立することが必要になりました。
この新しい神権的な訓練を施すのに良く適している場所は,1935年以来協会が管理してきた広さ800エーカーの大農場でした。この農場は,主としてブルックリンのベテルの家族用の食物を供給する場所でした。「御国農場」として知られるこの場所は,ニューヨーク市から255マイル北西に位置し,ニューヨーク州五湖地方,有名なコーネル大学のあるイサカ市の近くにあります。いつかお話ししたのですが警察の機敏な処置のおかげであやうく暴動事件が回避され,協会の資産全部を焼きはらう放火計画が阻止された農場はここです。
年月が経つにつれて,この土地に数多くの建物ができました。例の事件の後,1941年には大きなレンガづくりの建物が完成して,「あかしの塚」という意味の「ギレアデ」という名前がつけられました。これは,管理経営の建物になり,1942年の9月,理事会はそこに聖書学校を設立することに賛成しました。この学校はギレアデのものみの塔聖書学校として知られるようになりました。
ただちにベテル奉仕者の4人が教訓者として任命され,彼らは,適切な研究課程を準備し,講演を作成し,教科書をさがし,大切な聖書に関する1400冊の小さな参考図書を集め,各級の研究スケジュールをつくりました。この研究は,5カ月間にわたるもので,100人の生徒が入学して,そこに寄宿しました。この教育期間中の費用はみな協会によってまかなわれました。したがって,教室,講堂,食堂および寝室を設置するためにいくらかの調節が必要になりました。d
戦争はまだ続いております。カナダにあったものみの塔協会は禁令を受けていたため,アメリカの開拓者だけがギレアデの最初のクラスに招待されました。1943年1月31日までに,生徒の全員はギレアデに到着して,入校し,その翌日に行なわれた学校の献堂式に出席しました。
献堂式の日ギレアデの講堂に100人の新しい生徒が集まりました。彼らは51人の兄弟と49人の姉妹で構成される第1回生で,その中のある者は既婚者,ある者は未婚者でした。また100人の生徒の他に国内の多くの場所からの友人や親族,御国農場の家族および近くの隣人たちが出席しました。学校の校長でもあった協会の会長は,開校式にあたって次のように語りました。
全地の多くを荒廃させている世界大戦の只中にあって,多数の大学は閉鎖を余儀なくさせられている。1943年2月1日の今日,ここに集まったわれわれは,ニューヨーク州のこの美しい地にあるギレアデのものみの塔聖書学校の開校式に臨む特権にあずかっている。この誉は人間に帰せられるものではない。エホバ神はご自分の目的のために,この地と,「ギレアデ」と名づけられたこの建物を備えられた。私たちはエホバ神にすべての感謝と賛美をささげる。エホバ神は敵に対するご自分の力を示す前に,全地に御名を宣明させるという目的を遂行される。しかし,地上にいる彼の証者たちがもっと多くのわざをしなければならぬことは明白である。(出エジプト 9:16)この大学は,その目的のためにめぐみ深いエホバが設けられたものである。ここで,任命された福音の奉仕者は特別の奉仕をするための備えと訓練を受ける。この場所がエホバの御名に栄光を帰し,御名を立証するために用いられることを私たちは祈る。
ギレアデ学校の目的
講演者は,ものみの塔協会のこの学校は「特定な分野で主の奉仕者が,より効果的な僕になるために訓練を受ける目的で」設立されたと説明しました。その目的は法人団体ものみの塔聖書冊子協会の憲章と全く一致するものでした。彼は次のように話をつづけました。
御国の証言が大規模に行なわれていない場所はたくさんある。このような場所に住んでいる人々は,宗教に捕われて,暗黒の中にいる。少数の証者のいる国々では,善意者に正しい訓練を施すなら彼らはよろこんで答え応じ,主の制度と交わるにちがいないことが分かった。野外で働く人がもっと多くいるなら,さらに幾十万という人々が集められるに違いない。主の恵みにより,多くのそのような人がいるようになるだろう。
あなたがたを任命された奉仕者にすることは,この学校の目的ではない。あなたがたはすでに奉仕者であって,幾年ものあいだ宣教を活発に行なって来た。これは,この学校にはいるための要求である。あなたがたは,エホバ神から任命を受けた。あなたがたの働き,あなたがたの忠実な活動,あなたがたが良い兵士として戦ったために,あなたがたは任命を受けていることを証明し,協会は任命を受けた奉仕者としてあなたがたを認める。この学校の研究課程は,これからあなたがたの行く区域であなたがたがいっそう有能な奉仕者になるための準備を設けるものである。選出された有能な教訓者が司会するこの学校の研究課程は,大学の数学,発送についての指示と協会の用紙と報告の使用,官吏との交渉の方法,必要な国際法,御国の福音を良く述べ伝えるために必要な英語と文法の研究などである。また,必要な外国語の基礎も教えられるであろう。そうすれば,任命地に行くとき,外国語をすぐに習得することができるだろう。あなたがた生徒は,研究に最善をつくしてこそ,最大の益を受けることができる。あなたがたは,この研究に最善をつくすべきである。そして,神権的な野外奉仕およびあなた方の参加する宣教奉仕に十分の備えをしたいと思うにちがいない。
あなたがたは前述の科目を注意深く研究しなければならない。しかし,主要な訓練は聖書研究,公開の聖書講演および神権制度の指示についての理解である。あなた方は,「支部の僕」になるため,あるいは協会の特別な代表者として特定な国でわざを指示するための訓練を受けているのではない。しかし,ある者は,主の御こころであるなら,そしてわざに必要であるなら,いつの日かそのような地位に任命されるかも知れぬ。
あなたがたの主要な仕事は,イエスや使徒たちが行なったように,家から家へ御国の福音を伝道することである。聞く耳を持つ者を見つけたなら,再訪問を取りきめ,聖書研究を始め,都会や町でそのような者たちの会を組織しなさい。会の組織をよろこぶだけでなく,彼らを援助して神の御言葉を理解させ,彼らを強め,時折り彼らに話しかけ,奉仕会や制度内にあって彼らを助けねばならない。彼らが強くなって,一人立ちでき,自分たちの,区域で奉仕することができるようになれば,あなたがたは他の都市に行って御国を宣べ伝えることができる。e
数人の理事は生徒に話をして,その日から学校の授業が始まりました。f
入学の資格とスケジュール
トム: その学校に入学するには,どんな資格が必要でしたか。生徒はエホバの証者に限られたようですね。会長の開校式の話によると,第1回生の人々は長年のあいだ宣教に従事していたようです。でも,第1回生の人はみな開拓者だったとか仰言いませんでしたが。
ジョン: そうです,2年間の開拓奉仕の経験は,入学資格のひとつでした。つまり,生徒は主にまったく献身して専念していなければならぬという意味です。それに加えて,入学できる資格を持つ者は,世俗の学校でも良い教育を受け聖書を研究する人々で聖書の内容を良く知っていなければなりません。
もちろん,授業料は徴集されませんでした。ものみの塔協会はすべての人に無料の教育を提供するからです。それに加えて,協会はこれらの生徒が学校に来るときと学校から任命地へ行くまでの旅費を払い,勉強期間中の宿舎を供給し,毎月少額の手当も与えました。この学校で学ぶ人は,協会の任命するどの場所にでも,どんな奉仕でもすることになっています。
ロイス: すばらしい取決めのようですね。生徒はどのように入学許可を受けたのですか。
ジョン: まず生徒は質問書に記入して提出しました。その後会長の事務所を通して招待状が出されました。そして,入学の通知と共にギレアデ学校の事務所で入学許可書が作成されました。
協会のギレアデ学校ほどすばらしい課程を持つ学校は他にありませんでした。科目は任意に選択することができず,生徒はみな同じ科目を学びました。科目の大部分は聖書的なもので,神権宣教と宣教者奉仕には十分に進歩的な課程が含まれていました。最初から研究は神権的な記録,宣教者の奉仕,神権的な奉仕,聖書真理,公開講演,聖書研究,聖書の事実,崇拝の歴史,御国の預言,最高の律法,聖書の主題,および外国語でした。g 聖書は主要な教科書で,第1回生は外国語にスペイン語を学びました。
ロイス: 教室の勉強はどんなものでしたか。
ジョン: 週の5日間,毎日午前8時から午後2時半まで5時間半の勉強が必要でした。お昼には1時間の時間がありました。それに加えて,土曜日には1時間半の講演があり,午前中は研究と教訓者の個人的な指導がありました。週日の毎夜,午後7時から10時までも研究時間になりました。
週日の毎日,講義と教室の研究の他に,生徒は午後の3時間を建物内の仕事や農場の仕事に費しました。これによって教室の研究と夜の研究までのあたまのつかれが取れただけでなく,構地内の5つの建物を維持したり,数多くの農場の仕事をする際に大きな助けになりました。各クラスの生徒たちの努力が積みかさなって,構地内にいろいろのものが建てられたり,改善されたりしました。たとえば,水泳プールがつくられたり,道路が舗装されたり,図書館が建てられたり,一般に見はらしが改善されました。
週末には野外奉仕の取決めもありましたから,週中のはげしい研究から気分を転換するのに役立ちました。生徒たちは群れをつくって,学校から30マイル以内のいろいろの町や村で証言しました。後には伝道範囲は60マイルにも及び,この結果御国についての人々の興味がひき起こされました。生徒はそれらの善意者を再訪問して,そのお宅で聖書研究を司会しました。学校の教訓者も任命された奉仕者で,生徒といっしょに家から家の活動,再訪問の活動,街頭の伝道活動をしました。生徒と教訓者がこのような一致を保ったために,学校の取決め全部にみちる神権的な性質は向上されました。h
いよいよ世界的な拡大の計画は実施されました。新しい会長は協会の本部にいたのでエホバの証者の世界的な伝道については十分の訓練を受けており,また協会の2番目の会長と共に数多くの旅行をしたため,協会の奉仕者全員にさらに大きな訓練を与える必要を認めました。会長は,その補佐と共に,神権的な教育のための遠大なプログラムをつくり始めました。その基礎はだんだんできてきたのです。
[脚注]
a (ヨ)1943年の「年鑑」(英文)25頁。
b (タ)1898年の「ものみの塔」(英文)223頁。1節。
c (レ)「ブルティン」第1号ベテルの学校。
d (ソ)1943年の「年鑑」(英文)25-27頁。
e (ツ)1943年の「ものみの塔」(英文)61-63頁。
f (ネ)「コンソレーション」(英文)1943年3月17号,第24号には開校式の模様が写真といっしょに全部述べられています。
g (ナ)1944年の「年鑑」(英文)39-43頁。
h (ラ)「ザ・メッセンジャー」(英文)1946年8月12日,46頁。