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  • 神の目的とエホバの証者(その51)
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1962
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  • 第31章 神と自由に対するケベックの火の如き憎しみは暴露され,敗北をこうむる
  • 火のようなパンフレットの発表
  • 「ケベックの燃える憎しみ」を使う運動
  • 反対者の手口を暴露
  • 権利への請願
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1962
塔62 12/1 730–735ページ

神の目的とエホバの証者(その51)

「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳

第31章 神と自由に対するケベックの火の如き憎しみは暴露され,敗北をこうむる

ジョン: 1950年は,ニューヨーク市のヤンキースタジアムで最初の国際大会が開かれた年として,たいていのエホバの証者の記憶に留められていますが,これはカナダにおいても大切な年でした。その年,カナダで真の崇拝に反対した人々を敗北させた,一連の法廷における勝利の最初のものが得られたのです。これはアメリカ最高裁判所においてエホバの証者の得た記念すきべ勝利と同様なものでした。

すでに何年かにわたり,フランス領ケベックの全土では,崇拝の自由のために戦いが行なわれていました。ここはローマカトリック教会の根強い地盤で,戦いは激しく,熱烈でした。ヤンキースタジアムでの大会についてお話しする前に,これらの出来事を回顧したいと思います。

話は1946年にもどりますが,その年,カナダの支部の僕が協会の会長に送った報告は,真理にうえかわく善意者に伝道するため,一致した努力の必要なことを述べています。

ケベックおよびニューブルンズウイックの両州には,手つかずの広大な区域があります。この国の1150万の人々のうち,350万人がこの二つの州に住んでいます。注目すべきことにカナダの残りの800万人のうちに約1万700人の伝道者がいるのに,これら両州の伝道者は500人に過ぎません。その大部分すなわち300人は,100万以上の人口を持つモントリオールにいます。これらの州の暗黒に坐している人々に福音を宣べ伝えるべき時が来ました。フランス系カナダ人は心の正しい,まじめな人々で,真理に目ざめるならば,歓喜して新しい喜びの歌を歌います。これらの地域では大きな反対がありますが,会の伝道者と開拓者はエホバに絶対の信頼をおいて恐れずにわざを進めており,他のところで伝道したいとは望んでいません。

崇拝の自由を侵害しようとする試みは極度に押し進められ,戦いはつづけられてきました。それと共にカトリックのケベックの怒りはおとろえていません。逮捕,訴訟,暴徒の襲撃はありきたりの事になっています。現在モントリオールとバーダンだけでも,係争中の告訴が800もあります。……両市における戦いは重大なものになっており,モントリオールの兄弟たちのためだけでも,2000ドル以上の現金に加えて10万ドルを越える資産が保釈のために用いられています。これらの州には主の「他の羊」が大ぜいいますから,わざは現在まで以上に拡大をつづけるものと思われます。a

1947年度年鑑の一部としてこの報告が印刷されたのとほとんど同じ頃,1946年,11月2日と3日にモントリオールで開かれた神権的大会において,我々はどうしたらよいかという質問の答えが与えられました。迫害にもめげず,11月2日土曜日には1400人の証者が集まり,11月3日の日曜日には1800人が会場を埋めつくしました。日曜日の午後,ブルックリン・ベテルの本部から来た協会の弁護士は,集まった,フランス語を話す兄弟たちに通訳を用いて話し,ケベック州の崇拝の自由条令はアメリカの憲法と同じく自由を強く擁護していることを指摘すると共に,自由のための戦いを押し進めるエホバの証者の意図を明らかにして,会場のすべての人を励ましました。

火のようなパンフレットの発表

次に通訳を通して熱心な聴衆に話した協会の会長は「我々はどうしたらよいか」という質問で語り出しました。それから間もなく,会長は4頁のフランス語のパンフレットを高く掲げて聴衆に見せると同時に英語の原稿からその要旨を読みました。この「火のような」パンフレットの題は,「神とキリストおよび自由に対するケベックの燃える憎しみは,全カナダの恥」とありました。それは次のように書き出されています。

ケベック州を守る牧師たちが熱烈な否認,抗議,偽りの反論をまくし立て,物の分からない人々を熱狂させる前に,静かに落ち着いて,また明らかな知性を以て,上の表題に示された訴えを支持する証拠を考えていただきたい。神とキリストと自由とに仕えると口先で唱えても,それが言葉だけの空しいものに終ることもある。考え深い人にとって,行いは言葉よりも雄弁に語る。「言葉と舌とをもて相愛することなく,行いをもてすべし」(ヨハネ第一 3:18,カトリック,ドウエイ訳聖書)と神の言葉にある。読者は,単なる言葉よりも雄弁に語る行為に耳を傾けるだけの度量と分別を持たれるであろうか。また神の真実の言葉をはかりとして証拠を検討し,神とキリストおよび自由に対する愛においてケベックに欠けるところがあるか否かを,喜んで,恐れずにしらべるであろうか。数分を費やしてその事を考えたとて,望まれるならば宗教的ケベックから吐き出される熱烈な否認,抗議と偽りの反論を信ずるのにおそ過ぎるわけではない。しかしいま立ちどまって考えていただきたい。b

つづいて,「ケベックの暴徒が神の言葉,聖書を破り,燃やしたのは,神への愛に動かされたからであろうか」といった一連の質問がつづき,崇拝の自由を憎むケベックの暴虐の行いを指摘すると共に,次のような暴動の実例があげられていました。

1945年9月15日,ラシンにおいて,聖書の講演を宣伝したエホバの証者に対し,激しい暴行が加えられた。路上での暴行は,カトリックの暴徒の一隊がジョセフ・レテリエの店と家を包囲するに及んで最高潮に達した。彼は3人の証者と一緒に家の中にいたのである。ショウウインドウのガラスがたたきこわされ,小石やトマトが盛んに投げ込まれた。証者のジョイスは胸にしたたか打撃を受け,証者のレテリエは電話で警官を呼ぼうとしたところへ,飛び込んできた暴徒に顔をなぐられ,大きな傷ができた。暴徒はこの老人の眼鏡をたたき落としてしまった。証者たちはバリケードを築いて中に閉ぢこもり,5時間以上のあいだ小石の雨に耐えたのである。包囲された人々は他の証者の助けによって,25フィートの狭い裏口の通路づたいに暗やみにまぎれて救出されたが,その2時間後,真夜中になって怒り狂った暴徒は建物を爆破した。前面が破壊されて,店にあった高価な時計類はめちゃめちゃになった。c

憎しみにかられたこのような行いの責任は,教会の国家支配とローマカトリック牧師の支配にありました。

ケベック市で一人のエホバの証者を逮捕した警官は,教区の副牧師ラバーニュ氏の命令であると語った。エホバの証者の弁護を担当したカトリック信者のフランス人弁護士が検事,法廷の吏員,警察署長代理から聞いた話によると,彼らは逮捕を不法と知りながらも,牧師の圧力が余りにも強いので,やむなく証者をできるだけつらい目にあわせているとのことである。ケベック市で逮捕された4人の証者が警察の責任者から聞いたところでは,司教の邸宅から毎日のように人が来て,証者はカトリック教会をおびやかすものであること,法の如何を問わず証者をなき者にするのが警察の義務であると主張した。警察署長代理は,エホバの証者の事件があると,牧師がうるさくやってくると,かつて語ったことがある。逮捕の前に,教会あるいは修道院の裏口から警官が出てきたことは一再ならず目撃されている! ケベックの法廷はカトリックに全く支配されているので,カナダの他の法廷にある英国の紋章のかわりに十字架の像が法廷におかれている!d

パンフレットは次のような心を動かす言葉で結んでありました。

ケベックよ,あなたがたは宗教牧師の意のままにその従順な僕となり,悪の実を生み出した。いま神の言葉,聖書を学んでその命ずるところに従っては如何? そのとき神とキリスト,自由に対する愛を反映する良い実を豊かに生み出すであろう。カナダの目はケベックにそそがれている。e

「ケベックの燃える憎しみ」を使う運動

このパンフレットの頁に印刷されている通り,これは英語,フランス語,ウクライナ語で印刷され,協会の会長は英語で100万部,フランス語で50万部,ウクライナ語で7万5000部が印刷されたことを明らかにしました。無料配布を始めるのは1946年11月15日と定められました。しかしそれだけではありません。50人の開拓者が「ものみの塔ギレアデ聖書学校」の次のクラスにはいり,フランス語を学んでから,牧師の勢力の強いケベックと沿海州に戻って伝道することが発表されました。また更に60人が同じ目的でその後のクラスにはいることになりました。f

16日間にわたる電光のような運動によって,英語,フランス語,ウクライナ語のこのパンフレットは国中に配布された。怒り狂ったローマカトリック教会は反撃に出たが,その恥ずべき行為を否認したのではなく,お得意の武器である中傷,偽り,暴力,また法律施行機関に対するケベックの腐敗した政治の圧力を用いたのである。16日間にモントリオール地区で260件の逮捕があったが,カナダの他の場所では1件もなかった。1946年12月4日,「教会」の手先でフアシスト気質のモーリス・デュプレシス,ケベック首相は,兄弟たちの保釈金を用立てたというだけの理由で,あるエホバの証者が手広く営んでいた商売を故意につぶした。これがかえって彼とその一味の敗北を招いたのである。このように明らかな「宗教的」迫害のために政治権力を濫用したことは,国中にわたり,自由を愛するカナダ人の怒りをひき起こした。それは国中に報道され,エホバの証者を擁護すると共に,彼の弾圧を非難する声が高くなった。色々な団体が各地で抗議集会を開き,決議を採決してデュプレシスの政府に送った。新聞はデュプレシスを「カイザルのくず」「二流のフランコ」「ファシズムの焦点」などと評し,ある新聞は「エホバの証者の問題は,他の何ものよりもカナダの人々を近来になく目覚めさせた」と書いている。

ケベックにいる真理の反対者が示している敵意を見れば,パンフレットの題「神とキリストおよび自由に対するケベックの燃える憎しみ」も言い足りないぐらいである。崇拝の自由のために戦う我々に,主の子供たちに対する教会の狂気の迫害を公にすることが必要であった。それは自由を愛するすべての人々の前で証言の立てられるためである。第二のパンフレット,「ケベックは人々の期待を裏切る」も3ヵ国で広く配布され,1月の寒い気候の中で配布を終えた。毎日のように逮捕がつづき(1日に30人が留置場に入れられたこともあった),時には何のいわれもなしに逮捕されたりした……11月から2月までの4ヵ月間に843件の逮捕があり,これで係争中の事件は1300以上になった。その大部分は「行商」などの,でっち上げた告訴であったが,怒り狂った反対者は64人の兄弟に対して「暴動」と「謀叛」の訴えを起こした。g

反対者の手口を暴露

この第二のパンフレットは,デュプレシスの敵意に満ちた差別待遇を示しています。

パンフレットの配布され始めた当初,無許可の理由で逮捕が行なわれたが,新聞報道によれば,デュプレシスは11月の後半に逮捕されたすべての証者を,「暴動と扇動的文書の配布」の理由で再逮捕する模様である。エホバの証者の弾圧に乗り出してから2週間後,自らも認める偏狭なデュプレシスは記者団にこう語った,「エホバの証者の宣伝を許すことはできない。モントリオール,ケベック,スリーリバーズその他で400人以上がいま起訴されている」。1日に30人もが逮捕され,11月末には,ケベックの法廷で係争中の事件が約1000に上った。中には43を数える訴因で訴えられた証者もある。法外な保釈金は一人500ドル,財産によるものは950ドルに及んだ。

エホバの証者はすべての試練の中にあっても,伝道を命ずる神の言葉に従い,神に対する,ゆるがない愛を示す。また彼らが自由のために確固とした態度をとることは,すべての人の自由を擁護することになる。誤解され,悪く言われ,差別待遇をされ,暴徒に襲われ,州内を追い回され,つけねらわれ,偽りの訴えによって逮捕され,害虫のうようよした,病気のはやる刑務所に入れられ,法外な保釈金を要求されても,彼らは神に対する忠実を守り,釈放されると神への奉仕を再び始める。不潔な刑務所と野外のわさと,そのいずれが厳しい試練であるかは問い難い。時にカトリック信者の若者は証者に先立って戸口をおとずれ,人々に警告を与え,偏見を抱かせる。あるいは証者の後から家々を訪問してパンフレットを集め,捨てることをする。読みたいと思う人も,多くの場合,近所の人の目を恐れる。教育程度の低い地区の人々は,いっそう牧師の言うままになっており,3,4軒の家に行くと,もう最初の家の人が外に出て叫び,近所の人の耳をそば立たせてしまう。ポーチや往来に沢山の人が出てきて,ののしり,騒然とした空気がみなぎる。別の人々は警察に電話をかける。多くの場合,証者は6軒の家に行くと,別のところに行って数分間,伝道し,再び元のところに戻ってその区画を終えることが必要である。エホバ神の霊と力に支えられていなければ,これは耐え難い,つらい苦しみであろう。

狂気じみたカトリックの指導者は,これらクリスチャン奉仕者を逮捕するために,警察と密接に協力している。悪名高いケベック市において,聖心連盟は縦9インチ横12インチの紙片にフランス語で,エホバの証者を狩立てるため,警察と協力するように全カトリック信徒に呼びかけた。大仰な広告のスタイルと太い黒の活字で,次のような警察署長の言葉が述べられていた,「最後の一人に至るまでエホバの証者を狩り立てることは,かつてないほどに激しく行なわれている」。また「エホバの証者を往来から一掃するため」,だれでもラジオ警察を利用してほしい。そしてラジオ警察の電話番号が大きく印刷されていた。これはローマカトリック教会が「異端」を狩立てて審問所に送る現代版のやり方である。h

権利への請願

しかしこのような方法も,良いたよりの伝道を阻止することはできませんでした。カナダの支部の僕の報告にもう一度耳を傾けて下さい。

敵のこの激しい攻撃にも,最高者の真の僕たちは動じなかった。彼らは勇敢な兵士と同じく困苦に耐え,固い立場を守った。戦いをつづけるため,正義の軍隊が再び招集され,3月2日,国中の会衆が特別な公開講演「ケベックにおける崇拝の自由への戦い! カナダの人々を事実に目ざめさせよ!」を開くか,支持することになった。我々の戦いに関する事実がそのとき公にされ,我々は国中の注目の的となった。この問題は国中のほとんど全部の新聞に採り上げられ,宗教家が我々に有利な新聞の論調に怒る一方で,善意者は事実を見直してきた。ケベックの新聞の多くは,「泡を吹いた」が,戦いはつづいた。3月2日の講演を契機として,言論と崇拝の権利の保証を政府に請願するようにカナダの人々に呼びかける運動が始められた。これは戦いの一部である。この国に市民の権利があるとすれば,それは目こぼしに過ぎない。権利の保証はないのである。権利が宣言されるならば,崇拝の自由の戦いを更に進めることが可能であり,また長期にわたってつづけることができる。請願の運動は,零下の厳しい寒さをついて3月中行なわれ,50万人以上の署名が集められた。これはカナダの議会に提出された最大のものである。この請願のことが国中に報道され,権利の保証を求める何千通の手紙が議員に送られた結果,政府はこの問題を検討するための委員会を遂に設置した。上級裁判所に上訴する適当な方法のないことも,困難の一因となってきた。ケベックにおいては,市の裁判所が終審で上訴できない。最高裁判所へ上訴する権利を拡張しようとする努力がつづけられている。エホバの証者の忠実な行いによって,市民の自由の問題は全国的な問題に発展し,自由を愛する何千人のカナダ人が法の不備に気づくようになった。

また我々は,上級裁判所に上訴するため,あらゆる合法的な手段を用いつくしてきた。その多くは実際に知られていないものである。ひとつの法廷で保護を与えられなくても,我々は上訴した。カナダの最高裁判所にさえ訴えの受理を求めたが,最高裁判所は我々の事件を審理する権限を持たないと回答してきた。それは市裁判所に差し戻されたが,主の民は熱意を失わず,戦いは再び始まる。裁判になったすべての事件に対して,訴訟,上訴,令状,裁定申請,特別な賠償が求められた。弁護にあらゆる手をつくさないうちに,放棄した事件はひとつもない。

ケベックの役人の中で激しい憎しみを抱いて反対した人々の手によって,文書の配布を禁ずる力を市町村自治体に与える特別法が設定された。これはビラ1枚配布しても,3ヵ月の禁固あるいは100ドルの罰金を課せられるというものである。彼らは今度こそエホバの証者は袋の鼠であり,一見したところ無力な兄弟たちの息の根を止めたと考えた。しかし我我々は窮せず,敵は出し抜かれた。ケベックの奉仕者は,家から家に行って言葉だけで福音を伝え,できるところではドウエイ訳聖書を使うように指示された。いま兄弟たちはケベックの汚い刑務所で時を過すかわりに,全時間をあげて福音の伝道にまい進している。主の導きの下に,我々は勝利を得るであろう。全能者に敵して立つことのできる者はないからである。この国においてエホバを崇拝する自由のための戦いは,終っていない。それは始まったばかりである。

[脚注]

a (イ)1947年度年鑑92,93頁。

b (ロ)パンフレットの全文は,1946年8月8日号「目ざめよ!」(英文)第27巻,22-27頁を見て下さい。

c (ハ)(ロ)に同じ。23,24頁。

d (ニ)(イ)に同じ。26頁。

e (ホ)(イ)に同じ。27頁。

f (へ)(イ)と同じ。27,28頁。

g (ト)1948年度年鑑,101,102頁。

h (チ)1947年1月8日号「目ざめよ!」(英文)第28巻4,5頁。

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