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  • 神の目的とエホバの証者(その53)
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  • 第32章 伝道と印刷の面に表われた神権の拡大
  • 「神権の増加大会」
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1963
塔63 1/1 15–31ページ

神の目的とエホバの証者(その53)

「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳

その頃,神とクリスチャンに敵対するデュプレシス一味の決定的敗北を招く一因になった別の事件が起きました。

婦人の奉仕者ルイス・ラムは,1946年12月7日,ケベック州バーダンにおいて,州警察官パウロ・ベノアの手で逮捕されました。ベノアは,「ケベックの燃える憎しみ」と題する文書を配布しているエホバの証者を逮捕するように命ぜられていたのです。ラム姉妹はこのパンフレットを持っていませんでしたが,彼は横暴きわまる仕方でこの姉妹を逮捕しました。

逮捕されたのは土曜日でしたが,彼女は逮捕の理由も明らかにされないまま,友人や弁護士を呼ぶことも許されずに,月曜日まで拘置されました。写真や指紋をとられたうえ,犯罪者のように取り扱われました。警察署の留置場は不潔で,病気の売春婦と同じ独房に入れられ,便所も同じでした。

このひどい取扱を受けてのち,この貞淑な若い女性は,月曜日にベノアから「良い知らせ」があると言われ,釈放されると告げられました。しかし一つの用件があります。このようなひどい場所に3日間も不法監禁したことに対して彼を訴えないことを誓約する一文を入れるようにと,いうのです。そうしなければ刑事犯として告訴すると言われました。一人ぼっちで,強く圧迫された状態におかれていましたが,ラム姉妹は正しい原則を固く守り,誓約書に署名することを拒絶しました。ベノアは刑法の罪状で彼女を告訴しましたが,法廷はただちにこれを却下しました。

不法逮捕と悪意による告発に対し,ベノアを相手どって訴訟が起こされ,事件はケベック州の最高裁判所および州の控訴院にまで提出されましたが,両方の法廷とも,手続上の問題で訴えを却下しました。そこで事件はカナダ最高裁判所に持ち出され,エホバの証者に加えられた不法行為はカナダの最高法廷において裁かれることになりました。a

この事件は,モントリオールの兄弟が個人的な損害を蒙むったことに対し,デュプレシスを相手どって起こした訴訟と時を同じくして最高裁判所に提出され,その結末は全カナダの注目の的となりました。これは最高裁判所自体の試金石となる事件でした。一人は最高の地位を持ち,一人は下級の役人が二人とも,悪意を以て職権を濫用し,市民に損害を与えた罪を問われたのです。ケベック警察は不法逮捕に対して罰を免れるでしょうか。ケベック州で最大の権力を持つ政治家である,ごうまんな首相と検事総長は,「我は法なり」と豪語することを許されるでしょうか。

事態はカナダの歴史上類のないものであり,最高裁判所は1959年1月27日,二つの記念すべき判決を下したことにより,カナダにおいて正義の行なわれることを明白に示しました。新聞は大見出しをかかげて,うむことを知らないエホバの証者の勝利を国中に伝えました,「最高裁,デュプレシスの有罪を宣告」「デュプレシス,宗教に敗る」「デュプレシスに賠償を命ず」。デュプレシスは,保釈金を出したモントリオールの証者に利子,訴訟費用のほか3万3123ドルを支払うように命ぜられました。モントリオール・スター紙によれば,訴訟費用と利子は2万ドルから3万ドルと見積られていました。b それでデュプレシスは,その卑劣なカトリックの行動に対して5万ドル近くを支払う破目になりました。彼の州警察官パウロ・ベノアは婦人の証者を不法に逮捕したことに対し2500ドルと利子,訴訟費用の支払を命ぜられました。

デュプレシスの敗北はラジオとテレビによっても伝えられ,この大勝利は,デュプレシスの強圧手段を是認しない,自由を愛するカナダ人に喜びを以て迎えられました。彼が低くされたことを人々は喜び,また新聞記者や漫画家は,最高裁判所から公の叱責を受けて,威厳をなくしたデュプレシスのことを書き立てました。

これはトロントのテレグラム紙の社説です,

カナダ最高裁判所がデュプレシス首相に下した判決は,控訴人の勝利というよりは,権威の濫用から個人の権利を守ることが保証されたという点に意義がある。………地位,権力にかかわりなく,何人も個人に対して,たとえどんなに低い地位の個人であろうと,不公正な仕打ちをすることは許されない。いかなる権威もそれを濫用して個人の権利を侵害するのは許されない事である。権威を持つ者も法律の前では特別の恩恵を示されず,その行いに対して責任を問われる。これは最も低い人が,自分の正しさのゆえに権威に勝ったという輝かしい正義を示す。c

トロントのデイリー・スター紙は次の論評をかかげました,

デュプレシス,ケベック首相は,事実上「我は法なり」と言ったが,カナダ最高裁判所の判決はその間違いを示した。最高裁はデュプレシス氏や他の政治家がカナダ市民とその権利をふみにじることを許さないであろう。d

オッタワ・シチズン紙は,デュプレシスの横暴に対し,エホバの証者が自由のために戦って成功したことを,次のように回顧しています,

多くのカナダ人にとって,それは正義の勝利と受け取られるであろう……自分の是認しない意見を抑圧するデュプレシス氏の法律は,打ちこわされてきた。1950年,バウシャー事件において,カナダ最高裁判所は,エホバの証者のパンフレットを「扇動的誹毀」ときめつけたケベックの主張をしりぞけ,1953年には,ソーマー事件において,エホバの証者の文書配布をさしとめるために用いられたケベック市条令を,ケベックの崇拝の自由に関する法律に違反するものと裁定した。……〔デュプレシスは〕法廷における敗北によって抑制されても,政府の性格がこのようなものである限り,ケベックにおける市民の自由はおぼつかないものだ。e

さてこの二つの判決によって法の原則が確立され,官憲によって少数者の権利が不当にふみにじられたり,圧迫される風潮は,おさえられました。エホバの証者はカトリックのケベックで激しく戦ってきましたが,戦いは終っていません。しかしエホバの過分の御親切によって,真理と清い崇拝の道は,善意者のために大きく開かれ,神とキリストと自由を憎むケベックの者たちは意外の敗北をこうむりました。

第32章 伝道と印刷の面に表われた神権の拡大

トム: カナダのエホバの証者の忍耐が報われたことについて,先週ロイスさんのお話を聞くうち,あなたが2週間前,1942年のオハイオ州クリーブランド大会について言われたことを思い出しました。

ジヨン: それでこの前,1942年の「ものみの塔」を借りにいらしたのですね。何か参考になりましたか。

トム: 基調をなす話は,大会報告中の「進め」の言葉によって言い表わされていると言われましたね。「唯一の光」と題するその話から一,二の節を読んでみてもよいですか。

ジヨン: どうぞ。

トム〔読む〕

自発的な働き人を求める主なる神の召しに,彼らは心から喜んで応じた。「我ここにあり,我を遣はし給へ」と。「行きてこの民に告げよ,汝ら聞けと」,彼らはこの使命を地上のどんな宗教組織からも受けず,天と地の王なる最高者より与えられた。理解しようとせず,心を和らげることを拒んでいやされることのない人にも告げるのである。

これらの働き人は何時まで語るのだろうか。独裁者,全体主義の支配,「荒らす憎むべき者」の新しい秩序が到来して,諸国民を動員し始めるまで? 否,それらのものが権力を失い,「火と硫黄の池」に投げ込まれるまでつづく。エホバの証者の偉大なる司令官は,「町々は荒れすたれて,住む者なく,家には人かげもなく,国は全く荒れ地となり,人々は主によって遠くへ移され,荒れはてた所が国の中に多くなる時まで」と命じている。(イザヤ 6:11,12)すなわち証者の宣べ伝えた神の音信に耳を傾けることを拒絶した人々が神により滅ぼされて家に人かげなく,法律をもって害を加え,暴徒をそそのかして証者を追い出した町が,ソドムとゴモラの如くなって,家から家への伝道が無意味になるまでつづく(マタイ 10:13-15)。ハルマゲドンによって地から「山羊」の級が滅ぼされる時まで,何が起きようとも,証言の「不思議なわざ」をすすめることを命ずる「進め」の合図は,最高の権威者からのものである。身にふりかかるものを恐れてはならない。主の御霊が取り去られることはなく,打ち勝ち難いそのもによってキリスト・イエスによる勝利は我らのものとなる。f

過去二週間のあいだにお聞きした,1942年以来の多くの出来事と考え合わせると,この言葉は非常に興味深いものに思われます。神権的活動のこの進歩は,1950年の国際大会のあいだ,またその後もつづきましたか。

「神権の増加大会」

ジヨン: そうです。事実それは「神権の増加,エホバの証者の大会」と呼ばれました。7月30日から8月6日までニューヨークのヤンキースタジアムで開かれた大会は,出席した人々にとって忘れることのできない,喜びにみちた8日間の神権的な集いでした。この大会でも,よいわざに励みつづけることがすすめられました。

戦後すでに5年を経過していた当時,アメリカ以外の67ヵ国から1万人の証者がニューヨークに旅行できたので,これはその時まで,1ヵ所で開かれたエホバの証者の大会のうち最も大規模な世界大会となりました。戦禍の大きかったヨーロッパからも大ぜい出席し,アフリカ,オーストラリア,ニュージーランドから来た人々の顔も見えました。アジア諸国,太平洋の島々の代表者も参集したのです。ラテンアメリカ諸国,カナダからも大ぜいの人々がやって来ました。船,飛行機,鉄道,バス,自動車など,あらゆる交通機関が使われました。大会前,ニューヨーク市に繰り込んできた外国人の数は非常に多く,このため不審を抱いたアメリカ移民局では証者たちを差別立てして無礼な待遇をしました。これに対し大会出席者は後に厳重な抗議をしています。g

この問題にもかかわらず,1950年7月30日,日曜日の初日には,7万9247人の聴衆を集めてギレアデ15期生120名の卒業式が行なわれ,大会の最高潮である最終日の8月6日,日曜日には12万3707人がものみの塔協会会長の講演,「あなたは地上で幸福のうちに永遠に生きられますか」を聞きました。以前の国際大会に集まった人の数を覚えていらっしゃると思いますが,1946年8月4日から11日まで,オハイオ州クリーブランドで開かれた「諸国民の喜び神権大会」に集まった8万人がそれまでのうち最大のものでした。それでこれは戦後の5年間におけるエホバの証者の大きな増加を如実に示すものです。「神権の増加大会」とはよく名づけられました。

1946年のクリーブランド大会の型にならい,大会管理部門ではこの大規模な大会の運営に必要なすべての部門を設けました。宿舎部門では7万5000人分の宿舎を確保し,加えてニューヨークから40マイル離れたトレラーの町に1万5000人が宿泊しました。この大がかりな事業が人々の目につかないはずはなく,大会のことは広く報道されました。h

日曜日朝,大会最初のプログラムのときに新しい歌の本,「エホバに讃美の歌」が発表されて,聴衆は最初の驚きを味わいました。7月31日,月曜日,「良いたよりを弁明して合法的に確立する」と題する有益な冊子か発表されましたが,96頁のこの冊子は今まで10年以上の間に協会が法律問題で兄弟たちを援助するために出版した資料にくらべ,はるかに詳細にわたる貴重な手引です。i

8月1日,火曜日の午後,「共産主義に反対する決議」が読まれ,8万4950人の熱心な聴衆によって採択されたのにつづいて,新しい体裁の「ものみの塔」が発表され,聴衆を喜ばせました。晩のプログラムのとき,「進化論対新しい世」の冊子が発表されています。

8月2日,水曜日,歴史的な瞬間がおとずれました。協会の会長はクリスチャン・ギリシャ語聖書新世訳を発表したのです。これは聴衆にとって全く意外であり,大きな驚きでした。この新しい聖書のほん訳について会長の述べた事柄に興味を持たれると思います。それについてはすぐ後でお話しましょう。

木曜日には朝,昼,晩ともギレアデ宣教者の心をおどらす報告が語られました。なおこの日に3381人が浸礼を受けています。金曜日の「支部の日」にも,全地にわたる神権の拡大を物語るニュースを聞くことができました。

[脚注]

a (ヤ)「目ざめよ!」第40巻,1959年4月8日号,9,10頁。

b (マ)1959年1月27日付モントリオール・スター,1頁。

c (ケ)1959年1月28日付トロント,テレグラム。

d (フ)1959年1月28日付トロント,デイリー・スター。

e (コ)1959年1月28日付オッタワ,シチズン。

f (イ)1942年「ものみの塔」(英文),295頁。

g (ロ)エホバの証者の増加大会報告,1950年8月6日,4-9頁。

h (ハ)エホバの証者の神権の増加大会報告,1950年7月30日–8月6日。

i (ニ)以前に発表されたリーフレットとしては,1939年の「裁判の手順」(1939年7月の「通知」),1939年の「御国伝道者への助言」(1939年11月の「通知」),「法を守る」(1940年11月の「通知」),「エホバの僕は弁明する」(1941年9月の「通知」),「崇拝の自由」(1943年12月の「通知」),があります。

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