エホバの証者が困難な状態下で働く国々からの報告
(1963年のエホバの証者の年鑑より)
アラブ連合共和国
アラブ連合にいる神の民にも幾多の障害や圧迫が加えられましたが,それに押し負かされずに,御国の証言が広く行なわれた事を報告できるのは,奉仕年度の終りにあたり実にうれしい事です。調査局の人の訪問を受け,なおエホバの証者として伝道しているか,なお神の言葉を学んでいるかについてしつようにたずねられた兄弟がたくさんありました。この種の役人は他にエホバの証者として活動している者がいるかどうかについても情報を手に入れようとしています。なぜこの国が,ほんのひとにぎりほどのエホバの証者のためにこれほどの騒ぎをしなければならないのか不思議なほどです。調査局に出頭を命ぜられ,詳細にわたり尋問を受けた兄弟もあります。エホバ神を信じ,エホバの証者として活動した事を理由に国外に追放されたヨーロッパ系の人もあります。多くのエジプト人の兄弟は刑務所に入れられましたが,その忠実な立場はしっかり保たれています。この国においても,真のクリスチャンとして生きることは決してやさしいことではありません。エジプトから来た人たちの報告を整理して,この国での経験をいくつかここに紹介します。
神の僕の一人となるためには,勇気を持ち,エホバを信頼することが必要ですが,それは次の出来事にも良く示されています。熱心なエホバの証者の姉妹で,10歳になる若い伝道者は,ある日,特別開拓者と共に野外奉仕に行きましたが,時勢が悪いから許してもらえないだろうと思い,両親に知らせずに出かけました。その日たまたま,エホバの証者に強く反対する婦人に会い,その人は警官を呼び,逮捕を要求しました。警官の威嚇的態度にあっても,少しも,ものおじせず,なにを言われようと神について語ることは決して止めないという若い子供の信仰強く,勇気ある態度を見て,警察の人々はむしろ驚きさえ感じました。父親が呼ばれ,連れ帰えるまで,この伝道者は10時間以上の間調査局に留置されました。父親は非常に怒ってはいましたが,この子供をそれほどひどくは扱いませんでした。この女の子は当局の人の言葉や,父親の真理に対する反対にもかかわらず,前以上の熱意を抱いて活動を続け,できるだけ早く水のバプテスマによって献身を象徴することを願っています。
特別開拓者から音信を聞き興味を抱くようになった17歳になる若い少女の経験は,忍耐と巧みさとを持って教えることの必要性をはっきり物語っています。彼女は三位一体の教義が偽りであり,神の名前はエホバである事を良く理解しましたが,それ以上進歩せず,ひきつづき教会の礼拝に出席していました。しかし,ある日,親せきの人と共に教会に来ていた時,一面の壁に,イエスは神の子であるという言葉が書き込まれているのに目がとまりました。彼女は熱心な態度で隣にいた親せきの人に問いかけました。「イエスは神の子であると書いているのに,どうして,神であるとも言うのだろうか」。親せきの人は少し感情を立て,教会の堂守を呼んで,彼女に説明させようとしました。しかし,堂守はあまりよく説明できなかったので,司祭を呼んできました。司祭は,上手にまたていねいに説明することなど少しもせず,声を立てて怒り,もしそんなことを考えているなら,二度と会堂に足を入れてはならないと少女に言いました。こうして偽りの羊飼は,自分の「羊」の一人を失い,イエスはその羊をひろわれました。その日以来,この少女は御国の側に立場を定め,救いのたよりを宣べ伝える伝道者の一人になったからです。
物質主義的な考えが惑わしとなりわなとなって,霊的な事柄をおろそかにする事が時に見られるかも知れませんが,4ヵ月ほど聖書の研究をしたある若い男の人の場合のように,神の言葉をしっかり心の中に根づかせるならば,そのようなことはありません。彼はレバノンに住む自分のおじから,実に魅惑的な申し出をのせた手紙を受け取りました。「私は近くアメリカに移住します。もしよかったら私と一緒にアメリカに行って住みませんか。ただ,まずレバノンに来て,カトリック教徒になることが条件です」。この青年は,町の中でもごく貧しい区域に住んでいますが,一緒に勉強している特別開拓者にその手紙を見せました。エホバは専心の献身を求められるということについて聖書からの説明を聞いた時,彼はいかにもうれしそうに言いました。「それこそ私が考えたことです。私はもう手紙を書いて,自分はエホバ神に奉仕する決意をしているから,どんなに物質的な利得があっても,エホバを否定するようなことはしないとおじに知らせたところです」。
昨奉仕年度中に,ヨーロッパ系の伝道者30人が国外に去り,霊的食物も十分には入手できず,正規のエホバの証者の活動が禁令下におかれているので,その霊的食物にあずかるために兄弟たちが一緒に集まり合ったり,主の業を行なうことには困難がありますが,この国々にいる私たちの友の霊的な状態は良く,善意者たちに対する良い励ましとなっています。それで,昨奉仕年度中には23名の人があらたにバプテスマを受けて献身を象徴し,ある月には伝道者の最高数も見られ,主の記念式の出席数もこれまで以上であった事に,私たちも喜びを禁じ得ません。
ソビエト
エホバの証者に対する攻撃的な宣伝が前以上に強くなって,奉仕年度初頭にあった険悪な情勢は悪化しています。無神論的な宣伝が広く行なわれ,その影響で聖書については議論さえしないといった気持の人が多くなっています。エホバの証者に対する偏見も強く,証者との関りを一切避けようとする者もあります。いくつかの新聞は,いずれも政府の手による発行ですが,エホバの証者に関する記事をのせ,外国からの力によってあやつられ,スパイ行為のために情報を集めることを目的とする組織として紹介しています。
ここで働く兄弟たちは,いかにしたら人々に近づけるかについていつも新しい方法を考えています。業を攻撃するために書かれた中傷的な新聞記事さえ,真理を証言するための良い踏み石となりました。正しいことを求める人々は,強まる中傷的な宣伝を見て,かえって関心を高め,自分自身でエホバの証者について調べてみるようになりました。こうした人々が特に印象づけられるのは,まず第一に真理を見つける事,そして,喧伝される非難が少しもあたらない事およびエホバの証者は自分たちが教える通り,聖書の原則に従って生活しているという事です。
全世界のエホバの証者と同じく,ソ連の伝道者も御国の歌をうたうのがすきです,時々,集まってコーラスの練習をしています。葬儀の時に御国の歌をうたうそのようなコーラスも加わることがあります。ある葬儀に出席していたギリシャ正教の婦人は,エホバの証者によるこのような葬儀なら,自分の時にもしてもらいたいと言いました。そばでその言葉を聞いていた兄弟は早速話しかけ,その婦人と聖書研究をするとりきめを作りました。その後,この婦人は死について考えたりするのを止め,神に善意を持つすべての人にさしのべられた永遠の生命の希望を知って喜びました。彼女は,今,献身し,バプテスマを受け,共なるエホバの賛美者の一人になっています。
工場で働く一人の若い兄弟が事故で死にました。そのニュースを聞いた他の兄弟たちは初め気を落としました。しかし,葬儀は真理を証言する大きな機会になりました。近くからたくさんの人が集まってきました。一般の人々も多勢でしたが,出席した伝道者は800人近くもありました。集まりの事を聞いた警察は葬儀を中止させようとしました。しかし,出席者が非常に多いため,警察も手を下すことができず,ただ周囲に立って葬儀の様子を見るだけでした。遠くからも数多くの伝道者が集まっていたので,葬儀ではなく,大会だと言った者もありました。兄弟たちは御国の歌をうたい,そのうちの一人が葬式の話をしました。公衆に対する良い証言になっただけでなく,ほんの数人のエホバの証者の集りしか見たことのない真理に新しい人にとって,強い励ましともなりました。
その葬儀のしばらく後,若い姉妹が心臓の病気で死にました。この時にも多くの人が遠くから集まり,一般の人も沢山まじっていました。警察当局は集会の出席を妨げることを目的に,バスや汽車の検問を始めました。それがあまりうまくゆかないのを知って,今度は,白衣を着せて医者をよそおわせた秘密警官をその姉妹の家に派遣し,患者は伝染性の病気を持っていたから,公の埋葬をしてはならないと言わせ,さらに,強引に遺体を運び出して,遠くの別の町に持って行きました。
ソビエト社会主義共和国同盟憲法第124条には,次の一文があります。「宗教的礼拝の自由および反宗教的宣伝の自由は,すべての市民に対して認められる」。しかし,ある地方において,伝道者は警察に呼び出され,信仰を棄てないならシベリヤへ放逐するとのおどしを受けました。エホバへの忠誠を保つことのゆえに,どれだけの苦難がもたらされているかは殆んど信じ難いほどです。
70才になる一姉妹も召喚され,信仰を否定する旨したためた書類に署名をせまられました。それをことわった彼女がうけた仕うちはおよそ人間のものとは思われません。強迫者はさらに強暴な獣に変わりました。翌朝帰宅した彼女の姿は受けた仕うちのほどをしのばせました。歯1本を失い,からだ全体にうちきずがありました。頭皮の一部ははぎとられ,口びるはむらさき色にふくれていました。病院の医師は同情的な態度で彼女を診察しましたが,その言葉によると,頭のきずのために残った毛髪もだめになるかもしれないとの事でした。頭のきずが痛く,彼女はあごで首を支えて,うつむけになって眠らねばなりませんでした。
昨奉仕年度中に,強制労働収容所から釈放された兄弟たちもたくさんあります。残った兄弟たちはいくつかの収容所にまとめられました。ある収容所には300人以上の兄弟がいました。収容所の中においてさえ,共産主義者は福音の力を恐れています。それで,収容所の中では,エホバの証者が牧師や宗派心の強い人々を除いては他の収容者に接しないようにさせています。ある収容所の中では,6人の牧師が真理を認めました。その収容所にいた伝道者20人は,収容所内で活発に伝道活動を行なった事を理由に,特に孤立した所へ移されました。
姉妹たちが集められた収容所もあります。ある収容所は以前に罪人が入れられていたところで,どの部屋も非常に不潔で,とても普通には生活のできないところでした。姉妹たちは相談の結果,余分の作業をして部屋を掃除し,いたんだ箇所を修繕することに決めました。姉妹の中には色んな技術を持つ者がいて,大工,ペンキ塗り,熔接工,電気工,一級の裁縫師などがいました。収容所の職員も周囲の人たちも非常に驚き,収容所の仕事をきちんと行なうだけでなく,収容所の各部屋をきれいにし,修繕し,しかもそれを休みの時間にしたこの人たちは一体どんな種類の集まりだろうと考えました。
ソ連の兄弟は全世界の兄弟たちに愛のあいさつを送っています。また,エホバへの賛美と栄光のために,さらには,この巨大な国に住む数多くの善意ある人々のためにも,ソ連の兄弟たちがどんな試練の中でもしっかりと立場を守り続けるための力が与えられるよう,私たちがエホバに祈り続けることを求めています。