ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔65 6/15 379–382ページ
  • 恐れずにエホバに奉仕する

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 恐れずにエホバに奉仕する
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1965
  • 副見出し
  • アルバニア
  • ブルガリア
  • チェコスロバキア
  • 東ドイツ
  • エチオピア
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1965
塔65 6/15 379–382ページ

恐れずにエホバに奉仕する

エホバの証者が困難な状況下で熱心に働く国々

― 1965年度エホバの証者の年鑑から ―

伝道者最高数: 104,597

人口合計: 420,365,600

比率: 4,019人に1人

昨年はどこにいるエホバの証者も,「聖霊に満たされて,大胆に神の言を語る」という年の聖句に心を用いました。(使行 4:31)鉄のカーテンの背後の国や,迫害の激しい国に住んでいて,そこで御国のよいおとずれを伝道するには,いっそうの大胆さが必要です。しかしそういう場合にエホバ神は,聖霊,すなわちご自身の活動力をいっそう豊かに与えて,ご自分の民を大胆にされるようです。この聖句は,使徒行伝の3,4章に記録されているごとく,ペテロやヨハネが大胆に語った時代を私たちに思いおこさせます。初期キリスト教時代の宗教指導者や政治権力者たちは,イエスが弟子たちに,望み,祈り求めるようにと教えられていた神の国のよいおとずれの伝道をやめさせようとしました。しかし当時伝道をやめさることができなかったのと同じく,今日でもそれは不可能です。彼らはキリストの弟子をいく人か殺し,そのからだを滅ぼしましたが,そうした忠実な人々の魂を滅ぼすことはできませんでした。エホバ神はご自身に忠実に奉仕する者たちをおぼえられます。そして復活の約束があることも私たちは知っています。

今日エホバのクリスチャン証者たちは,どんなに困難な状況のもとでもわざを押し進めていきます。次にかかげる経験は,すべてのクリスチャンにとってよい励ましになります。クリスチャンは,時が良くても悪くても,光を輝かさねばなりません。今日の世界には,神の国よいたよりを伝道するのに時の悪い国が多くあります。しかしそれでも神の国は宣べ伝えられており,私たちはみなそのことに大きな喜びを感じます。

アルバニア

1964奉仕年度のアルバニアにおける戸別伝道の記録はありません。しかし,状態が悪化しているにもかかわらず,この国でも真理の伝道はつづけられています。兄弟たちは迫害にあっていますが,過去12ヵ月の間に伝道者の数は相当の増加をみました。エホバの証者であるがゆえに,また神のことばを語ったという理由で,いく人かの兄弟が逮捕されました。なかには強制労働収容所に送られた兄弟もあります。そういう場合,家族は路頭にまようことになります。しかしほかの兄弟たちがあとに残された者を援助し,そうすることによって神への忠実を示しています。彼らは,夫を収容所に取られた人々に必要な援助を与えます。もしエホバの証者であることがわかったなら,きびしく監視されるのですから,聖書の研究をつづけることがいかにむずかしいかは想像がつきます。所によっては人と聖書の勉強をすることはできません。できることといえば,自分で聖書を読み,信頼できる兄弟や姉妹と話すくらいのことです。私たちの絶えざる祈りは,天のみ父が,私たちの同労者に恵みを給い,この最も困難な時代に,アルバニアの兄弟姉妹を力づけて下さることです。

ブルガリア

昔アモスという預言者は,エホバが,パンや水のききんではなく,エホバの言葉を聞くことのききんを送られる日が来る,と預言しました。(アモス 8:11)ブルガリアにもこのききんがあるといえます。牧師は人々を霊的に栄養不良のままの状態で放置しています。ですからまじめな人々はより良いものを求めており,ある人はエホバの証者をとおしてそれを得ます。共産主義支配のため公然と伝道することはできません。彼らは,神の国のよいおとずれを伝える人々を容赦なく投獄するのです。にもかかわらずかなりの数の兄弟たちにより,よいわざが成し遂げられています。兄弟たちは状況に応じて最善をつくします。その結果,真理を求める人々は真理にかんして知識を深め,円熟し,しっかりした立場をとるようになり,この世から離れます。彼らは,神のご予定のときに救いがくること,現在は最後まで忠実を保つことが最も大切であることを知っています。

チェコスロバキア

あらゆる職業の人々がエホバ神に献身しますがチェコスロバキアにおいてもそのことは同じです。昨年はかなりの数の人がバプテスマを受け,組織は着実に増大しています。エホバの証者は「心のいためるものをいやす」ためにつかわされます。(イザヤ 61:1)次に述べる経験はまさにその好例といえるでしょう。ある村の若い男の人がひどい事件で命をおとし,母親と妹は悲しみにくれていました。そこで同じ村に住むエホバの証者は,その人たちを慰めてあげようと考えました。この伝道者は次のように書いています。「葬式の時,私は墓地で娘さんに話しかけました。彼女は,兄さんが死んだときの有様を説明し,これから兄さんが永遠の火の中で責苦にあうのかと思うと悲しくてたまらない,と心を打ち明けて話してくれました。この娘さんは悲しみのあまり,自殺して兄さんのところへ行きたい,とまで考えていましたが,私の慰めの言葉ですこし悲しみが和らいできました。そして,私がお宅に伺いますので,死者の状態や新しい秩序のもとにおける復活のよいおとずれについて聖書をお調べになってみませんか,とすすめたところ,彼女はその申し出を受け入れました。それ以来私はその娘さんおよびお母さんと聖書の勉強をつづけています。ふたりの悲しみは喜びに変りました。そして娘さん自身が活発に奉仕するようになり,いま妹さんと聖書の勉強をしています。次の機会にはバプテスマを受けることを楽しみにしています」。

偶然の伝道がよい結果を生む場合も少なくありません。次の経験でわかるように,この方法で「羊」になる見込みのある人が見つかることもあるので,偶然の伝道は決して軽視できません。ある公園でのこと,一組の夫婦がベンチに腰をかけ,女の人は痛む足を休めていました。そこに中年の兄弟が通りかかって会話がはじまりました,そして兄弟は,足によく効くくすりをもってることを婦人に約束し,その夫妻の家を訪ねました。彼は約束のくすりをもって行っただけでなく,霊的ないやし,つまりエホバの御国のおとずれをも携えて行きました。そして地が楽園になるとすべての痛みや病気がなくなることを聖書から示しました。いくぶん興味がありそうなので,その兄弟は2ヵ月ほど定期的に訪問をつづけました。夫妻は近くの町に移転しましたが,その後も奥さんのほうの聖書に対する関心はさめず,熱心にエホバの証者をさがしてついに見つけました。そして聖書の勉強を再び始め,のちに献身してバプテスマを受けました。いまではご主人も真理に興味を示すようになり,妻がクリスチャンの兄弟たちと交わるのを少しも妨げません。この経験は,痛い足のことから始まったちょっとした会話からでも,弟子がつくれることを物語るものです。

東ドイツ

東ドイツのエホバの証者は,共産主義政府によって厳重に監視されていますが,昨年は直接の干渉はあまりありませんでした。東ドイツで投獄されているエホバの証者は約70人で,昨年中新たに逮捕された者はわずか9人であり,釈放された者は48人でした。

昨年の暮れ,1950年以来獄につながれていた4人の兄弟が釈放され,西ドイツに送られました。そのうちの2人はマグデブルクのベテルの家の家族で,他の2人は会衆のしもべおよび正規開拓者でした。共産主義者によって裁判されたとき,この4人は終身刑を言い渡されましたが,のちに懲役刑15年に減刑されました。彼らはもともと東ドイツの住民でした。ふつうなら東ドイツ当局は,住民が西ドイツに行こうとするのを妨害し,境界線を越えようとする者にはだれであろうと機銃掃射をあびせることさえあるのですが,驚いたことにこの4人の兄弟は,釈放されて公然と西独に送られたのです。彼らは兄弟たちに,あなたがたの組織があなたがたを求めたのだ,と告げました。協会が共産主義者によって投獄されたエホバの証者の釈放を最後に要求したのは,1956年から1957年にかけて,ソビエト政府に対する決議が全世界で採択されたときでした。

この4人の兄弟はナチが政権を握っている間に投獄され,真理のゆえに合計23年間獄舎生活をしてきたのです。これはエホバに対するなんというすばらしい信仰の記録であり,またエホバの救いなのでしょう! 西独にきて,兄弟たちと共に大会に集まり,組織が「地上」で運営されているのを見ることなど,これらの兄弟たちにとっては全く思いもよらないことだったのです。ところがいま,夢のまた夢が現実となったのです。

ある姉妹のご主人は警官でした。彼は妻を離婚しないなら失職するだろうと警告されていました。彼自身証者ではありませんでしたが,妻を捨てることを望みませんでした。妻は信仰をもっているからといって,自分をそまつに扱ったことはなく,いつもよい妻だった,と彼は言いました。そのために彼は警官の職を失い,いまは門衛として働いています。給料は以前の半分です。彼の妻は,いつか彼が真理を学ぶ日の来ることを願っています。

ある男の人は,家で聖書の勉強をし,真理を学ぶことにおいてよい進歩を示しましたが,依然共産党員でした。しかししばらくして党に手紙を送り,脱党の旨,および自分の見地を伝えました。そこで彼の職場で集会が開かれ,彼の意見が公に討議されました。ひとりの幹部は,そういうクリスチャンはエホバの証者だけだ,しかし除名以外に党から出る道はない,と言いました。聖書に関心をもっていたその人は,自分から進んで除名の扱いを受けることにしました。彼は除名されました。そしていまはエホバに奉仕する自由をえたことを喜んでいます。

ある日ひとりの姉妹は,聖書に興味をもつ婦人と一緒に野外奉仕に行きました。ある家を訪ねたとき,若い男の人に中へ招じ入れられたので,その人にくわしく証言しました。しかしふたりは,別の男がそのへやにはいってきて,しばらく聞いたのち急いで出ていったのに気づきました。それで姉妹は危険を感じ,証言を早くきりあげてその家を出ました。そしてすぐ近くの市場に行き木のベンチに腰をおろしていました。すると,さきほどの若い男が2人の警官に盛んに何か話しながらやってくるのが見えました。彼らは手分けしてあちこちさがしながら,ベンチのすぐそばを通りました。一緒の婦人はオーバーコートを脱いでいたので違って見えたのです。ふたりは静かにベンチにすわっていました。2時間後ふたりは無事に別の町に行くことができました。

多くの伝道者は,時の緊急性と,多くの人がおとずれを待っていることを考えて,休暇開拓奉仕をしました。

ある夫妻は2人の子どもを連れて休暇開拓奉仕をはじめました。ひとりの親がひとりの子どもを連れ,2組になって働きましたが,子どもたちも短かい証言をすることができました。彼らはあるカトリックの婦人に会いました。この婦人はミュンヘンで行なわれた大会の模様を西独のテレビで見ていました。しかし人々は西独のテレビをみることを禁じられているのです。彼女はエホバの証者が聖書を使って巧みに証言をすることを知りました。自分では聖書をもっていなかったので,証者が訪ねてくれたことを喜びました。休暇開拓者はその人を再び訪問して聖書を渡しました。現在,そこでは楽しい聖書の勉強が行なわれています。

ある休暇開拓者は警官につかまって,伝道していた町から追い出されました。しかし彼は大胆にみことばの伝道を継続する決意をし,翌日また近くの町に行きました。その町には聖書に関心をもつ人がたくさんいました。ある家で若い女の人に伝道していたら,その人の父親もそれを聞いていて娘に言いました。「これはいい機会だ。この機会をのがさないほうがいい。この人は神からつかわされたのだ」。そういうわけで休暇開拓者は,その場で家庭聖書研究を始めることができました。

エチオピア

昨年中,エチオピアとエリトレアの御国奉仕者たちも忠実に働いて多くのわざをなしとげました。多くの面で昨年は最も発展し,エホバから祝福を得た奉仕年度であったと言えます。―箴言 10:22。

昨年の半ば頃まで,牧師や当局者の激しい反対がつづいたにもかかわらず,聖書に関心をもつ人を見つけるための熱心な努力が行なわれました。伝道は新しい地方へと拡大され,多くの人が新しく聖書を学びはじめました。問題を起こすのはおもに牧師です。何ヵ月かまえ彼らは,「バプテスマの祝い」に集まった2万人以上の群衆の前で,エホバの証者を破門する決議を採択しました。群衆は,エホバの証者を非難する牧師たちの言葉に非常な好奇心を示しました。牧師の長は,ラジオ放送によってこの決議を正教会の信徒に伝え,正教会の信徒がエホバの証者にあいさつをすること,エホバの証者を仕事に雇うこと,埋葬することなどを禁じました。この発表があってからある親切な人は,不幸のあった家におくやみに行きました。その人は土地の習慣どおり,くさぐさのおいしい物をかごに入れてもっていきました。しかしすぐに追いかえされました。人々はエホバの証者や,エホバの証者と交わる人とかかわりをもちたくなかったのです。別の兄弟は妻と一緒に親せきの葬式に行くつもりでバスに乗りました。そのバスには同じく葬式に行く親せきの者や友だちが乗っていました。しかしふたりはバスから降ろされ,ほかに乗物がないので葬式に参列することができませんでした。そればかりではありません。ある兄弟は,正教会を侮辱した,という不当な非難をあびせられ,3ヵ月の懲役刑を言い渡されました。兄弟たちは,信仰を捨てるようにと言われました。捨てなければ職を取りあげられ迫害されます。ある兄弟は投獄されました。警官におどかされた兄弟も少なくありません。また,エホバの民の悪口を言い,組織を偽り伝えるために新聞,ラジオ,その他多くの手段が用いられました。

こうして告発されたり,非難されたり,迫害されながらも,兄弟たちは年の聖句に一致して勇敢に行動しました。迫害も彼らの奉仕を停滞させたり,全能の神を忠実に崇拝することをやめさせることはできませんでした。多くの正直な人々は,エホバの証者の忠実さに興味をもち,同時に自分たちの指導者を非難するようになりました。決議を少しも心にとめない人もいました。ある人は兄弟に,「私はあなたの家で食事をして,牧師がどうするかみてやろう」と言いました。また,「牧師たちがごたごたを起こすのは,政府のご機嫌をとるためだ。彼らが教会のためを思ってそんなことをしているとでも思いますか」と言った人もあります。エホバの民については,「彼らは大酒したり,盗んだり,すぐに怒ったりしない」と言われています。エホバの証者についてよいことをいう人が少なくないということは,平和を愛する人たちが少なくないことを物語っています。私たちはこういう人たちがひとりでも多く,真理の知識で養われることを願っています。

この遠い国の私たちの兄弟は,使徒行伝 5章39節のガマリエルの次の言葉から慰めを得ています。「しかし,もし神から出たものなら,あの人たちを滅ばすことはできまい。まかり違えば,諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする