恐れずにエホバに奉仕する
エホバの証者が困難な状況下で熱心に働く国々(その3)
― 1965年度エホバの証者の年鑑から ―
ソ連
真のクリスチャンにとって,この国の状態はある意味で第1世紀のローマ帝国支配下の状態に似ています。永遠の福音の宣明を妨げようとする官憲の取締りがきびしくなるにもかかわらず,あちこちで新しくエホバの証者になる人が現われ,近くに住む人々を慰めようとしています。官憲による迫害と一般の無神論的な態度は昨奉仕年度とほとんど変りがありません。しかし伝道者の志気と信仰はさらに強められました。エホバが霊的食物を定期的に備えて下さるからです。
伝道者は絶えず監視されているため,注意深くなければなりません。彼らは厳しい圧迫の下で生活しています。それで,エホバの力ぞえがないなら,長く耐えられないでしょう。使徒パウロが述べている通りです。「しかしわたしたちは,この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって,わたしたちから出たものでないことが,あらわれるためである。わたしたちは,四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない」。―コリント後 4:7-9。
新奉仕年度の初めに,敵はいろいろ抑圧手段を用い始め,数ヵ所で忠実な兄弟が逮捕され懲役刑をいい渡されました。
逮捕され投獄されるのは珍しくありません。ある伝道者は自分の区域で音信に興味を示した新しい人を見出して聖書研究を始め,よろこんでいました。しばらく研究が続いてから,伝道者は研究用に1部の「ものみの塔」を持って行きました。すると「興味を持つ」人は彼を警察に引き渡し,その兄弟に不利な証言さえしました。その結果,兄弟は懲役5年の宣告を受けたのです。
大抵の場合,人々の家を訪問して,聖書から話し始めることは不可能です。そうするなら伝道者は間もなく逮捕され投獄されてしまいます。それでも新しい人は見出されています。例えば伝道者は人々が話し合っている事に耳を傾け,だれかが少しでも聖書の事にふれるなら,その人に話しかけ,少しずつ伝道します。また死者のため心から悲しんでいる人を見かける時には,墓地は良い区域になります。
ある収容所には250人以上の兄弟がはいっています。多くのつらいことを耐えて行かねばなりませんが,彼らは霊的にとても強い状態です。兄弟は強制収容所にはいっていることを,円熟性をまし信仰を強めるために,特別な学校に出席しているかのように見なしています。
他の収容所では20人以上の兄弟が一緒にいます。日中は外にでて看守の見張りの下で,住宅建設,農業,森林伐採の仕事をしなければなりません。官憲は兄弟の妥協を勧めるため役人を送り,信仰をくつがえそうとしていますが,兄弟は敵の攻撃に耐えるためエホバが引き続き強めて下さる事を確信しています。
釈放されてからも,伝道を止めないために2度も3度も収容所に入っているエホバの証者がいます。また他の理由で収容所にいれられている間に,真理を学んだ人もいます。彼らは浸礼を受け,後に釈放されてから,今度は真理のために逮捕され懲役刑をいい渡されています。その他収容所内で伝道したため刑期の延ばされた兄弟がいます。しかし兄弟たちは第1世紀のクリスチャンのようにみなよろこんでいます。「み名のためにはずかしめられるに,適わしい者とされた」からです。
数人の興味ある人と研究を続けていたある伝道者は逮捕され,裁判にかけられました。そのある者は法廷で圧力を加えられて恐れをなし,その伝道者に不利な証言をしたのです。官憲は成功間違いなしと見て,伝道者が研究していた他の人たちをも証人として召喚しました。警官に尋問されてもしっかりしていた彼らでさえも,法廷の雰囲気は確かに彼らのひざを弱め,舌をゆるませるのに十分でした。しかし証言台での彼らの答えはこうでした。「あなたがたは無実な人を裁いています。この人は私たちに神のことばを話してくれただけで,何も悪い事をしていません」。
裁判官は彼らをおどそうとしましたが,彼らはそれに動じませんでした。これ以上手がないと見た裁判官は彼らの退場を命じました。長期の服役を言い渡されたその兄弟もこれらの若い人たちが法廷でしっかりした立場をとったのを見,働きが無駄でない事を知ってよろこんだに違いありません。
音信に耳を傾けるとしばしば家族の反対にあいます。ある兄弟は屋外の人目につかない場所で聖書研究を続けなければなりませんでした。冬の凍りつくような日にも,戸外で1時間以上もエホバに祈って神のみことばを教えました。それでも人々はこのようにして,真理を学びます。その伝道者と戸外で勉強した4人は今では良いたよりの伝道者になりました。
エホバの証者をアメリカ情報局の手先ときめつけた,とりとめのない記事が1964年7月22日付のミンスクの新聞,ビェロラッシャ・ソビェティカにのりました。外人旅行者はソ連に宗教的物品を持ち込んでいると非難されています。アメリカ中央情報局と国務省が出版している宗教的反ソ文書や聖書に加え,わいせつ物品の中に聖像や崇拝のメダルを梱包して持ち込んだというのです。非難されたのは「エホバの証者」であるとはっきりのべています。新聞記事はさらに彼らの宗教的文書に関して論じ,ソ連国民に向けられている火器以上に危険な思想的武器を彼らが持っていると述べました。勿論ほとんどの人はそれが作り話である事に気づきました。エホバの証者は聖像,メダル,わいせつ文書などを用いていない事をよく知っているからです。しかし共産主義者が聖書の真理を恐れるあまり,それを火器とくらべている事は注目に値いします。実際に神のみことばは彼らには「もろ刃の剣」です。
この事は第1世紀の真のクリスチャンと共にあったエホバの聖霊が今日でも同じく鉄のカーテンの背後にあるこの国の人々と共にある事を証明するものです。神のしもべは聖霊の助けによって敵の攻撃によく耐え,信仰をくつがえそうとするあらゆる努力にもかかわらず,クリスチャンの忠実を守る事ができます。ひどい迫害があっても,永遠の福音の宣明はやみません。神の食卓からの新鮮な食物は私たちを力づけるもので,私たちはその食物に心から感謝しています。
アラブ連合共和国
過ぎ去った奉仕年度中,わたしたちはかつてないほど「四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない」ことを経験しました。―コリント後 4:8。
この国の人たちと「上なる権威」に神のみことばを大胆に語るため,私たちは厳しい戦いをしなければなりませんでした。最近私たちのわざに対する悪い宣伝は今までにないほどよく組織されています。回教の新聞報道員か陸軍将校が指導したらしく,その語調には特別なものが感じられました。カイロのラジオ,テレビ放送局と新聞は私たちがシオン主義者で反アラブ的であると非難したのです。神の国のよいたよりを伝道したかどで起訴され1962年以来裁判を受けてきたある伝道者は,有罪とされ投獄されました。他の伝道者も同じ理由で逮捕され,その一人は,信仰を放棄して宣教活動をやめるようにと,乱暴に打ちたたかれました。ある兄弟たちはこの世の政治に関しクリスチャンの中立を守りませんでしたが,ほとんどの兄弟は忠実を守りました。そしてよいたよりにふさわしい行いをすることにより,偽りのクリスチャンと真のクリスチャンの見わけができるように多くの人を助けました。次の経験はその事をよく示しています。
2年ほど前にある薬剤師は協会の文書を求めましたが,真理にはあまり興味を示しませんでした。しかし礼儀正しい人であったので,多くのエホバの証者は好んでその薬局から薬を買いました。彼は,その薬局で薬を買ったエホバの証者の名前も住所も知りませんでしたが,彼らがエホバの証者であることを知っていました。
ある時一人の開拓者は彼の妻のために高価で入手困難な薬が必要でした。その兄弟はそれを求めるだけの余裕がなかったので買わないことに決めました。薬剤師は兄弟に薬を持って行くようにと親切にすすめ,薬品名と値段をひかえました。開拓者はその店を出てすぐ,薬剤師が彼の名前も住所も尋ねなかった事に気づき,ひき帰してなぜそんなに信用するのか薬剤師に尋ねました。それに対して薬剤師はほほえみながら控えを開き「エホバの証者」の項を見せてくれました。その下に薬品名と値段が記録してあるのです。彼はさらに「あなたたちの正直な事は知っています。あなたたちの神エホバの名を汚すようなことはないでしょうから」とつけ加えました。
多くの人をとりこにしている物質主義も,心をつくしてエホバを愛する人には無力です。足の悪い一婦人の場合がそうでした。8年以上床から離れることも座ることもできない有様でしたが,数ヵ月前に真理を学び始めました。彼女の夫は老齢で働けませんでした。この夫婦には14才の男の子と12才の女の子がいました。エホバの証者が真理を持っていることがわかると,その婦人は早速子供たちに日曜学校をやめさせました。彼女に経済的な援助を与えていた夫の家族は,エホバの証者に従うなら援助をやめるといって彼女をおどすと共に,子供には,日曜学校へ行くなら,耕作できる土地を与えると約束しました。これらの困難にもかかわらず彼女と子供は引き続き証者と交り,神の国を宣べ伝えています。