『われこゝにあり 我をつかはしたまへ』
エホバの証人が困難な状況下で働く12の国々の報告(3)
― エホバの証人の1967年度年鑑から
トルコ
偽りの宗教の世界帝国,大いなるバビロンの滅びからのがれたい者は,そこを出なければなりません。真理にはいった幾人かの友人は,この機会を利用して,以前行っていた教会やユダヤ教会に手紙を書き,自分がエホバの証人になった理由を説明し,会員名簿から自分の名前を除いてほしいと伝えました。もちろん,このために牧師や僧職者の間にいくらかの騒動が起きました。委員会の面前に呼び出された友人もあり,彼らはそこで御国のために良い証言をしました。今,牧師は教会員を失いはしまいかと恐れています。そういった理由から,ギリシャ正統派教会,グレゴリアン教会(アルメニア人の教会)やローマ・カトリック教会は,もっと多くの教会員が神の御国の真理を学ぶのを阻止するのに協力することをきめました。教会の新聞紙上で牧師は数回にわたりエホバの証人を偽って伝えたりまた聖書を知らない無知で無教育の人間呼ばわりしました。エホバの証人と聖書を学んでいる羊のような幾人かの人々を訪問して彼らを脅迫した僧職者もいました。僧職者は聖書を研究する者を排斥すると発表しましたがこれはとりわけ教会から葬式を出さないということでした。ほとんどの墓地は教会とかユダヤ教会が所有していたので,人々が死体をほうむる場所がなくなるのを恐れて聖書の研究をやめるだろうと彼らは考えました。しかし多くの者は研究を続けています。イエスは愛をもって人々を世話し,またそうするように命じられましたが,そのわざを行なっているのは牧師ではなくエホバの証人だということは,次の興味深い経験からわかります。一兄弟は次のように述べています。「一軒の家でことわられたので私たちはその家を去ろうとすると,老婦人が近づいて来て,ある店についてたずねました。姉妹は親切に道を教えてあげました。それから私は姉妹に『店への道順を教えてあげたあとで,永遠の生命に至るもっと重要な道について教えてあげたらどうでしょうか』と言いました。姉妹はギリシャ語で老婦人に証言しはじめました。聖書に基づいた真の希望を生まれてはじめて聞いたと婦人はよろこびました。聖書についてもっと学ぶのを助けるため姉妹が老婦人の住所をたずねると,『残念ですが,あなたにおいでいただけないのです。あなたに教えていただいてもさしあげるお金がありません。私は貧しいのです』と婦人はいささか恥ずかしそうに答えました。姉妹はすぐさま聖書の原則を説明し,マタイによる福音書 10章8節のイエスの次の言葉を引用しました。『ただで受けたのだから,ただで与えるがよい』。婦人はこのように学べるのをとてもよろこび次のように述べました。「そうでしたらどうぞいらしってください。私たちの牧師はいつでも奉仕の報酬を求めたので,私は少しためらいました」。(彼女はギリシャ正教会に属していました)姉妹はさっそく住所をひかえ訪問の約束をしました」。
証言のためにたえず機敏に,機会をとらえることの重要さは別の経験でもわかります。めがね屋を営む兄弟のもとへ新しいめがねを求めに一人の婦人がやって来ました。どのめがねがぴったり合うかきめるのに兄弟は視力検査表を婦人に示しました。しかし婦人はこれをことわり,次のように言いました。「私は毎日読書をするので本から読みたいと思います」。それで婦人は鞄から聖書を取り出しました。兄弟は婦人に聖書を読むようにすすめ黙示録 21章4節を開きました。婦人がこの聖句を読んでから兄弟は注解を加え,次に詩篇 37篇10,11節を開きました。婦人がふたたび読んでから兄弟は聖句の意味を説明し,それからヨハネによる福音書の17章3節をめくりました。こんな方法で彼は今使っている聖書の話をしたのです。兄弟が新しいめがねの具合はいかがですかと婦人にたずねると「けっこうです。でもあなたが聖書をよくご存じなのには驚きました。そんなすばらしい聖句をこれまで読んだこともありませんし,りっぱな説明をうかがったこともありません」と婦人は答えました。それで兄弟は証言を続け,この婦人が彼の義理の母親と研究するようとりきめました。婦人は今霊的な視力も高められて急速に進歩し満足しています。
ソビエト社会主義共和国連邦
兄弟にとって,昨奉仕年度は大きなよろこびの年でした。真理のゆえに何年か前シベリヤに追放されたり,また他の地区へ移ることを禁止されたすべての兄弟は自由の身となり,国内のどこでも好きなところへ行けるよう許可されました。多くの兄弟は長い間離れていたわが家に帰り,ほかの兄弟から暖たかく迎えられました。
この二,三年間に目立ったことですが,寛大に兄弟を取り扱う当局の傾向はますます明らかになってきました。昨年中は新たな逮捕はなく家宅捜査は行なわれませんでした。無神論を宣伝する講演で,協会の出版物の内容は純粋に宗教的なものだと述べたものもありました。彼らは以前,エホバの証人の文書を政治的なものとして絶えず偽りの非難をしており,前述のように認めたのは今度が初めてです。最近,西部ロシヤのある市の教授は工業学校の生徒に無神論について講議しました。彼は講議の中でエホバの証人に言及し,エホバの証人を改宗させようとしても無駄だと述べました。また彼はエホバの証人が軍役を拒否することはどんな国においても国家を敵にまわすものではないと語りました。兄弟たちに対する長い間の厳しい圧迫のうちに,このように事態が好転したことを兄弟はとても感謝しています。それはクリスチャン生活や奉仕をできるかぎりおだやかにまた平和裡に行なうことが彼らの望みだからです。
シベリヤという名前は,兄弟にとって恐ろしい場所ではなくなり,多くの者にとってそこは望ましい割り当ての区域となりました。家族とともにシベリヤに追放された一少女の姉妹は,両親と西部ロシヤの故郷に帰る許可が下りましたが,彼女だけ少しの間そこにとどまりました。つつましくしかも心から受け入れるこの地の人々を愛するようになった彼女は,よろこんで受け入れる人々に伝道するため,家族を離れ自発的にシベリヤに戻りました。
何年か前,兄弟たちは迫害者の語る次のような言葉を耳にしました。「シベリヤはとても広い地域でとても寒い。25年間シベリヤで過ごす刑を彼らに言い渡そう。彼らのわざもこおりついてしまうだろう」。自然の厳しい寒さの中での増加など無神論者には思いもよらないことでしたが,エホバの御霊により勇気づけられ証人は増加しました。「私は強制収容所の厳寒の中で真理を学んだ者です」と一兄弟は語りました。彼はソ連のドイツ人居住地で生まれたので,世俗的な考えで満たされ,第二次世界大戦中ドイツ軍が活躍した時,ヒトラーの特別親衛隊に加わりました。彼は捕虜になってアメリカに送られましたが戦争が終わるとソ連に引き渡たされました。彼はドイツ軍と行動をともにしたかどで,シベリヤの地で25年間の重労働の刑を宣告されました。あらゆる困難や失意を重ねたことを彼はいま喜んでいます。真理を求めていた彼は強制収容所の中で兄弟たちと接して,音信を聞き,兄弟たちの模範的なふるまいを見て真理を受け入れたからです。
そのような強制収容所でいまだ服役中の兄弟からたよりが届けられ彼らが伝道していることがわかります。「私たちは今,他の人とともに監房に入れられています。以前は許可されないことでしたが,政府は他の人の入れられている監房に幾人かの兄弟を移しました。霊的なわざは今非常な速度で広がっています。こういった人々は品位のない人ですが,たとえわずかであっても耳を傾ける者がいます。エホバ神は霊的な食物を用いて私たちを大いに援助してくださいます」。