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  • 犠牲者はだれか
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  • 一定しない告訴の内容
  • マラウィの大統領
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  • 神と戦う
  • 人々は成り行きを見守る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 4/15 231–239ページ

マラウィにおける驚くべき宗教的迫害

熱心な少数者の宗教グループに対する迫害が,またもや起きました。その激しさと残酷さは,20世紀も3分の1を残すにすぎない現代ではなくて暗黒時代を思わせます。昨年のあいだ何千人の献身したクリスチャンが,聖書にのっとった生活をしようとしたために家や店また崇拝の建物を焼き打ちにされたり,破壊されたりしました。彼らは強奪され,何千人の婦人が暴行され,男は気を失うまで打たれ,殺された者も少なくありません。どこであったことですか。中央アフリカでもやや東南に寄った,四方を陸地で囲まれた小さな国マラウィです。

以前ナイアサランドと呼ばれた,人口400万のこの新興国において,この驚くべき宗教上の迫害が起きています。マラウィ中央部のリロングウェにおいて,これらクリスチャンの家170軒が3晩のうちに焼き打ちにあいました。やや南寄りのフォート・ジョンストン地区では,10月下旬に住宅34戸と食糧庫18が焼かれています。10月27日,ムバラムでは二つの会衆のクリスチャン全部が家を焼かれ,彼らは婦人をも含めて皆,衣服をはぎとられて打たれました。ある場合に迫害者はこれらのクリスチャンの家財をトラックで運び去ってから家を破壊しています。

この国の巡回奉仕者は次のように書き送ってきました。「10月27日のこと,わたしはすべての持ち物を奪われ……妻とともにひどく打ちたたかれました。何百人ものクリスチャン兄弟は家を焼かれ,崇拝の場所が何か所も破壊されました」。

あるところでは,これらのクリスチャンが何人も打たれて気を失い,そのひとりはたきぎの山の上におかれて,たきぎには火がつけられました。そのすべてはマラウィの議会の一議員が人々をそそのかして行なわせたことです。しかしこの政治家は考え直して,無意識のそのクリスチャンをたきぎの上から引きおろさせました。

別の場所ではある晩,これらクリスチャンの一グループが会議党の役員たちに起こされ,男は打たれて杖や刀で傷つけられ,またその目の前で10人の婦人が暴行されました。その中の2人は妊娠しており,ひとりはそのために流産しました。

その後にも10月にムランジェ地区の大ぜいのクリスチャン婦人が襲われて暴行され,1967年10月25日には,ムクウィラ村で15歳の少女が宗教上の信念をまげなかったため,木にしばられて6度も暴行されました。迫害者の残酷さは,木の栓をある婦人にさし込んだことによってもわかります。

この驚くべき迫害によって大ぜいのクリスチャンが病院で治療を受け,1967年11月末現在で少なくとも5人が死亡しています。何百人が森林に難を避け,何千人が隣りのポルトガル領モザンビークに避難して食物と住居を得ました。

マラウィの主要な工業都市で南部にあるブランタイアにおいて11月9日付タイムズ紙が伝えるところによれば,3000人に上るこれらクリスチャンが,非合法団体に加入したかどによりリロングウェで裁判にかけられるということです。この報道を確かめるためにその地をおとずれた2人の宣教者は,2400人が投獄されており,5人の赤ん坊が刑務所の中で生まれたこと,800人が警察に拘留されていることを知りました。その大多数は雨の野天で一晩をすごしたにもかかわらず,意気盛んで堅く立つことを決意しています。確かにこのような信仰はほめるべきものですが,しかしこのような仕打ちをする政府は,その醜体を世界にさらしていませんか。

犠牲者はだれか

迫害の犠牲者は,聖書に基づいた堅い信仰で世界的に知られているクリスチャンでエホバの証人と呼ばれる少数グループに属しています。エホバの証人はあなたの周囲にもいることでしょう。彼らは,イエスが追随者に対して,「まず神の国と神の義とを求めなさい」と教えられたとおり,生活の中で宗教を第一にしています。あなたもそのことに気づかれているに違いありません。(マタイ 6:33)マラウィのエホバの証人も同様です。

これらのクリスチャンは第一次世界大戦以来マラウィにおり,1933年以降,ものみの塔協会によって「この御国の福音」の伝道のために組織されてきました。(マタイ 24:14)1967年8月までにはマラウィにおいて1万8519人のクリスチャン,エホバの証人が,ほとんど妨害を受けることなく聖書教育のわざを活溌に行なっていました。1967年夏に開かれた「人々を弟子とする」地域大会は,国内のエホバの証人の数を7000人も上回る2万5830人が出席するほど関心を集めました。部族を異にする何千人の人々が一つの大家族のように交わったことは,エホバの証人の愛と平和と一致を示すもので,出席者の中にいた政府関係者にも感銘を与えました。

なぜ迫害されるか

エホバの証人のふるまいがこのようなものであるのに,マラウィで激しい迫害が起きているのはなぜですか。おもな理由の一つは,彼らがマラウィの会議党の党員カードを買うことを拒否し,またマラウィの大統領カムズ・バンダ博士の写真がついたバッジを買って着用することを拒否していることです。カトリック,新教,回教など他の宗教団体がこの点でみな圧力に屈した中で,エホバの証人は妥協していません。なぜですか。それは神のことばに堅く従うからです。

クリスチャンであるエホバの証人として,彼らは神の御子イエス・キリストの手本に従います。イエスは当時の政治に全く無関係でした。またその追随者について,「わたしが世のものでないように,彼らも世のものではありません」と言われました。(ヨハネ 17:16)ユダヤを治めたローマの政治支配者ポンテオ・ピラトの前で,イエスは次のことをあかしされました。「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば,わたしに従っている者たちは,わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実,わたしの国はこの世のものではない」。(ヨハネ 18:36)それより前にユダヤ人がイエスを王にしようとした時,イエスは彼らを避けてひとり山にしりぞかれました。―ヨハネ 6:15。

イエスは「天国」,「神の国」を宣べ伝え,神の国に忠誠を示されたのです。献身した誠実なクリスチャンとしてイエスの足跡に従うエホバの証人は,「世の汚れに染まずに」,世と離れた立場をとる以外にどんな道も選ぶことができません。彼らはエホバ神とその御国だけに忠誠をささげるゆえに,政治指導者に献身するどんな行為に参加することもさしひかえるのが自分たちの義務であると考えています。それで彼らはマラウィの政治的な事柄に対して中立を保ちます。他のどんな国に住むエホバの証人でも国の政治に対して中立を保つことに変わりはありません。マラウィで彼らが迫害されているのは,クリスチャンのこの中立の立場のためです。―マタイ 4:17。マルコ 1:15。ヤコブ 1:27。

迫害者はだれか

マラウィの人々は平和愛好者として知られており,彼らはエホバの証人が平和愛好者であることを知っています。ではなぜ迫害が起こるのですか。それはこの国の多くの人,とくに青年同盟に加入している青年たちがいだく熱烈なナショナリズムのためです。彼らはヒトラーが政権の座にあった時,ユダヤ人を略奪したナチスドイツの青年あるいは,愛国心がなまぬるいと見るや人々を槍玉にあげて恐れられた中共の紅衛兵に類似しています。これらのグループに言わせれば,エホバの証人が忠実にはたしてきたように税金を納め,国のすべての法律を守るだけでは良い国民としてじゅうぶんでなく,だれでもマラウィ会議党に加入して党員カードを買い,カムズ・バンダ大統領の写真のついたバッジを着けなければなりません。

1964年7月6日にマラウィが独立する何か月も前すなわち1964年1月から3月までのあいだにおいてさえ,エホバの証人はこの問題で暴力行為や残酷な迫害を経験しました。その時には住宅1081戸,御国会館100戸が焼かれたり破壊されたりしたほか,とうもろこし,きび,豆,カサバ,綿の畑588が台なしにされました。大ぜいのエホバの証人が入院を要するほどの怪我をし,婦人は暴行され,打たれたのがもとで死んだり,殺されたりした人が8人ありました。迫害されたこれらのクリスチャンは,へびや獣におびやかされながら雨季の野天で何週間も寝る有様で,食べるものもほとんどありませんでした。

当時マラウィのエホバの証人は,無実な男女子供のすさまじい迫害に終止符を打つため,代表者を立てて政府の高官との話し合いに努め,当時のヤトウータ・チシザ内務大臣(のちにバンダ大統領に反逆し,最近マラウィ国防軍に射殺された)とも会見しています。内務大臣は,エホバの証人だけがマラウィ会議党の党員カードを買わないのは甚だ遺憾であると述べ,証人の代表にむかって,もし改めなければ「由々しい結果」になるだろうと告げました。ここでもわかるように,エホバの証人は国の政治に対する中立の立場のゆえに迫害されていたのです。

しかし内相との会見またそれ以前のバンダ大統領との会見の結果が上首尾でなかったにもかかわらず,マラウィのエホバの証人にとって事態は好転しました。その大多数は村にもどって家や御国会館を再建できたのです。エホバの証人を虐待した人の多くも,かつての仕打ちをわび,いま自分自身エホバの証人になっている人も少なくありません。この時期におけるマラウィのエホバの証人は,同様な事態の下において1世紀のクリスチャンが経験したように「平安を保ち,基礎がかたま」ったと言えるでしょう。―使行 9:31。

「青天のへきれき」

1965年および1966年にマラウィのエホバの証人が比較的平穏に宣教を遂行できた事実に照らしてみれば,1967年4月23日,カムズ・バンダ大統領がラジオ放送によってエホバの証人を攻撃したことは,彼らにとってまさに「青天のへきれき」でした。およそ半時間にわたる放送の中で大統領は国の問題をいろいろ論じましたが,時間の3分の1はエホバの証人を攻撃することについやされました。大統領は中でも次のように述べています。

「わたしは,わたしの支持者であるマラウィ会議党の党員とくに青年同盟と青年開拓者のメンバーが,エホバの証人によって故意に挑発されているとの報告を,ほとんど全部の地方から受け取って憂慮している。わが党の党員に対するこの故意の挑発は,さまざまである。エホバの証人自身が税金の支払いを拒絶しているのもその一つであるが,彼ら自身,税の支払いを拒絶するにとどまらず,他の人が税金を払うのを阻止あるいは阻止しようと努めている。税金不払いを人々にすすめないように党の役員から命ぜられると,彼らは党の指導者にくってかかる……エホバの証人が,マラウィ会議党員に対し,党員カードの更新またマラウィ会議党員の新しい党員カードの購入をやめさせようとするのも,挑発行為の別の表われである。ここでもマラウィ会議党の党員カードの更新また新しいカードの購入を阻止する行為をやめるように,マラウィ会議党の指導者から命ぜられると,エホバの証人は言う,「わたしを打つがよい。わたしは人々に働きかけることをやめない。わたしは,あなたがわたしを打つよう,故意にそのことをしている。そうすればわたしは,あなたを警察に訴えることができる」……政府は,法を守る国民をいかなる不当行為からも保護するであろう……しかしそれはエホバの証人の挑発行為を許すものではない……わたしは次のことを明らかにしておく。エホバの証人は他の人々を挑発することをやめなければならない。もしやめなければ,そして挑発行為をつづけるなら,彼らは袋だたきにされても,文句は言えない」。

彼らの納税は周知の事実

クリスチャンであるエホバの証人が税金を払わず,また他の人が税金を払うのを妨げているという非難は,正しくありません。現存する事物の制度の政府の要求する税金を納めるのが,聖書から見てクリスチャンの義務であることは,彼らの文書の中にくり返し指摘されています。「カイザルのものはカイザルに,神のものは神に返しなさい」というイエスのことばは,税金を納めることを命じたものです。ローマのクリスチャンにあてられた使徒パウロの手紙も同じことを命じています。「あなたがたは,彼らすべてに対して,義務を果しなさい。すなわち,貢を納むべき者には貢を納め,税を納むべき者には税を納めなさい」― マタイ 22:15-22。ローマ 13:7。

マラウィのエホバの証人は,納税者として良い評判を得ているゆえに,税金を払わないというバンダ博士の非難に対しては不同意を公に表明した人がたくさんいました。そのうえ,クリスチャンであるエホバの証人が納税を故意に拒絶したり,他の人の納税を妨げたりすれば,その人は会衆から排斥されるでしょう。興味深いことに,神の御子イエス・キリストを捕えた人々の不当な訴えは,「この人が国民を惑わし,貢をカイザルに納めることを禁じ」ているということでした。(ルカ 23:2)いまマラウィの政府は,イエス・キリストの死を図った人々と同じ道をとっています。

マラウィにおいてエホバの証人をよく知る人々は,エホバの証人が良心的に税金を納めるだけでなく,学校,病院の建設など政府のいわゆる自立計画にもよく協力してその分担をはたしていることを報告しています。事実マラウィのエホバの証人はこのような計画を支持することにおいて模範的であるため,多くの村の首長はエホバの証人の良心的な働きを公にほめてきました。彼らは模範的な納税者として政府関係者や土地の有力者からもほめられています。またモザンビークに避難してきた大ぜいのエホバの証人について調べたポルトガルの官憲も,彼らがひとり残らず税金の領収証を持っていることを知りました。それで「税金を納めない」という非難は,でっちあげられたものであることがわかります。

挑発は事実無根

エホバの証人が他の人々を故意に挑発して襲われたという非難も,事実無根です。国家主義的な若者や他の人々はエホバの証人を袋だたきにしたにとどまらず,その所有物をトラックで運び去ったことに留意してください。彼らはエホバの証人の住宅や御国会館を焼き打ちにし,婦人に暴行し,男を殺すことさえしました。エホバの証人がこのような仕打ちを受けることをわざわざ望んだと言うのは,こじつけです。何千人のエホバの証人がモザンビークに避難したこと自体,挑発の非難の正しくないことを証明しています。

このような訴えは初めてではなく,それが正当なものでないことは,法的な証拠によっても示されています。マラウィのエホバの証人のひとりエルトン・ムワンチャンデを殺害したかどでダフター・ビジィウエックほか7人が有罪とされた1964年第46号刑事事件の判決文の中でエメユール代理判事は次のように述べています。

「挑発の証拠は認められない。エホバの証人が断固としてその信仰をひろめ,信者を得ようとしていることは事実である。しかし彼らは国民の義務にも目ざめており,地域社会の開発をも含めて求められたことをすべて行なっている。彼らは政党に加わることを拒絶するだけである……彼らがその宗教を他の人に強制した,あるいは強制しようとしたことを示す証拠はない。証拠はそれとは反対のことを示している。いかなるものであれ政党に属し,あるいは属さない権利は,憲法によって保障されている。わたしは,挑発の証拠を見いだし得ない」。

この殺人事件について,1964年10月29日付グラスゴー・ヘラルド紙(スコットランド)は次のように報じました。

「8人に死刑宣告。エホバの証人殺害事件。ブランタイア,マラウィ。水曜日 ― マラウィ会議党の役員3人を含む8人は,総選挙のために登録することを拒否したエホバの証人を殺害したかどで今週,高等裁判所から死刑を宣告された。証拠の示すところによれば,去る2月,ムランジェにおいて登録を拒否した人々の家が焼き打ちにあった際,逃げるエホバの証人の中にいたエルトン・バーネット・ムワンチャンデ氏は切り殺された。―ロイター」。

非合法化されたエホバの証人

こうして1964年当時にエホバの証人の立場は法的に擁護されたにもかかわらず,1967年9月18日付マラウィ,ブランタイア,タイムズ紙の一面には,「マラウィ,エホバの証人を非合法化か?」という大きな見出しが掲げられました。その報道によれば9月中旬に(バンダ大統領をはじめ全閣僚が出席して)開かれた会議党の年次総会において12の決議が採決され,第8のものは次のことを述べていました。「エホバの証人の宗派をこの国において非合法化することを強くすすめる。その信者の態度は,わが国の進歩に有害なばかりか,すべての面において非協調的であって,国政の円滑な運営に不可欠な安定,平和,平穏をおびやかすものである」。

タイムズ紙は,この決議に対してバンダ博士の述べたことばを報じており,それは全国に放送されました。

「彼らはあらゆるところで問題を起こしている……政府は,各地域が,エホバの証人を望むかどうかについてそれぞれの決定を下すことができるような法律の制定を考慮中である。どの地域においても,人々が『否』と言えば,エホバの証人はその地方に存在を許されない。決定は各地域に委ねられる。退去しないエホバの証人は投獄されるであろう」。

「あらゆるところで問題を起こしている」― このことばは,使徒時代の同様な非難を思いおこさせます。クリスチャンの宣教者であり,諸国民への使徒であったパウロも,あらゆるところで騒ぎを起こしているという不当な非難を受けました。―使行 24:2-9。

マラウィ会議党の政治的集会で採決された,そしてエホバの証人の非合法化をすすめる決議は,50の議席を有するマラウィの議会で討議されませんでした。議員の90パーセントは,クリスチャンであることを表明しています。そのうえ各地方に決定を委ねるかわりに,政府はエホバの証人を全国的に非合法化することを決定したのです。1967年10月23日付タイムズ紙は「マラウィ,危険な宗派を非合法化」という見出しをかかげ,次のように報じました。

「エホバの証人の宗教組織はマラウィ政府にとって危険な存在であることが宣言され,非合法団体とされた。これは週末に出た特別号の官報付録において告示された。告示第235号はバンダ大統領の署名を得ており,この措置がマラウィ刑法第70節(2)(ii)に基づくことを述べている。この告示の結果,エホバの証人は集会を開くこと,文書を配布ないし販売すること,資金を集めることができなくなる……非合法団体に関する法律によれば,非合法団体の運営に参与また助力する者は有罪とされ,最高14年の刑を受けることがある。また別の条項によると,メンバーは自分の所有ないし占有する家,建物,土地において,当該団体あるいはそのメンバーの集会を開いてはならない。これに関しては7年の刑が規定されている。さらに当該団体あるいはメンバーの所有ないし占有する建物は,警察の捜索を受けることが,刑法に定められている。いかなるメンバーも,当該団体と関係のある標識を掲げてはならず,スローガンを叫び,あるいは口にしてはならない。また標識を作ってはならない。また非合法団体の事務を整理する役人の任命が法によって定められている」。

2週間後の11月7日,ヨーロッパ人およびアメリカ人のエホバの証人の宣教者8人は,次のような最後通告を受けました。その中にはマラウィに来て10年になる者たちもいます。「司法長官に請願しない限り,この通告を受け取ってから24時間以内にマラウィを退去することを命ずる」。エホバの証人がマラウィに持つ,設備のととのった現代的な本部の建物は,それと同時に政府に接収され,警察の管理下におかれました。またものみの塔聖書冊子協会の発行した文書も全部没収されました。

しかし宣教者は,何も悪いことをしていない以上,自発的に退去せずにいたところ,翌日,警官が来て8人とも逮捕されました。4人は,警官の護衛のもとに直ちに飛行機に乗せられ,あとの4人は,チチリ刑務所に収容されて2日後,マウリタスに追放されました。

11月9日付タイムズ紙の一面には,「3000人起訴さる。指導者は追放」という見出しがかかげられ,写真入りで追放の詳細が報道されました。また,マラウィ議会のJ・D・ガンダ議員は,禁止されたエホバの証人の宗派のメンバーに対し,非合法団体にその後もとどまって故意に法を犯すならば,重い罰を受けることを警告したと伝えられています。

一定しない告訴の内容

エホバの証人は不法行為を挑発する,不法かつ危険な団体として訴えられていましたが,いまでは単に「ばかで愚かな者」として非難されています。それならば由々しい犯罪ではありません。政府の機関紙マラウィ・ニューズは1967年11月24日付同紙の1面上段をさいて「エホバの証人はばかで愚かな者」「彼らは一顧だに値しない」といった種類の見出しをかかげ,中でも次のように報じました。

「ヌグワージー[征服者]大統領は,彼らをばかな愚か者と呼んだ。政府に信頼せず,天に属する者であると言うなら,なぜ子供を学校にやり,病院で治療を受け,“かすり傷”一つで警察の保護を求めるのか」。しかしあざけりは理くつのかわりにならず,またそれで事実が消えるわけでもありません。納税者である以上,子供を公立学校にやり,政府の病院で医療を受け,危害を受ける時に警察の保護を求めるのは,エホバの証人の当然の権利です。しかし家を略奪され,焼かれ,婦人が暴行され,男が気が失うまで打たれ,殺されてさえいるのに,それを「かすり傷」と言えますか。

危険な宗派として禁止されたエホバの証人が,翌月には単なる愚か者とされているのはいったいなぜですか。そのうえエホバの証人が「一顧だに値しない者」であるとすれば,政府がこのように強硬な手段をとるのはなぜですか。

政府の立場が首尾一貫していないことは明らかです。それはなぜですか。その告訴は真実ではないからです。政府の行為を国民の前で正当化するため,非難中傷する運動が必死に行なわれているのです。

マラウィの大統領

このような驚くべき迫害がマラウィで起きているのを見て,バンダ大統領は民主主義の原則に通じていない粗野な支配者であると思う人がいるかもしれません。しかしそれはまちがいです。バンダ博士はアメリカの三つの大学を出ており,欧米の高い教育を受けた人です。そしてロンドンで7年間,医を業としただけでなく,キリスト教国の宗教にも接してきました。同博士が渡米して高等学校を出るのを助けたのは,メソジスト教徒であったと言われています。同博士は,新教の中でも厳格なスコットランド教会の長老をつとめてきました。そして「わたしは神の人である」とも語っています。

1967年6月8日,アメリカのジョンソン大統領との午餐会の席上で,バンダ博士は,「他の人は知らず,我には自由を与えよ,しからずば死を」と述べた昔の人のことばに托して自身の気持ちを表わしました。またジョンソン大統領に次のようにも語っています。「わたしはどんな犠牲を払おうとも,自分の良心に従ってみずから正しいと信ずることを行なう所存であります」― 1967年7月10日,アメリカ国務省公報。

バンダ博士は,ヨーロッパ人たちから称賛されています。マラウィが独立した時,英国の著名な政府関係者はこう語りました。「バンダ博士のような人を得たのは幸いなことである。同博士は汚れのない忠節の人であり,生存するアフリカ人中でおそらく最も傑出した人物であろう」。(1964年6月17日付クリスチャン・センチュリー)マラウィ政府にやとわれて,貿易,施政の中枢を成しているヨーロッパ人たちにも,バンダ博士は受けがよく,彼らはかつてこう言いました。「ここでは共産主義者以外なら,どんな者になろうと自由である。バンダの失脚するようなことがあれば,それは考えただけでも恐ろしい」。(1966年7月8日付ニューズ・ウィーク)しかし今やエホバの証人であることは,マラウィでは非合法なのです。

1967年11月4日,マラウィにおけるエホバの証人の代表者は,高い教育を受けたマラウィの大統領バンダ博士に手紙を送り,クリスチャンであるエホバの証人が受けている驚くべき迫害に注意を促し,大統領の権力によってこの暴力がとどめられるよう,敬意をこめて要請しました。「政府は,法を守るすべての国民を不当な干渉から保護する」と述べた大統領のことばも,その手紙に引用されています。そして「無実な人々に対するこのような暴力行為をやめさせるため,大統領の権力」が行使されることを,その手紙は求めていました。しかしこの願いは聞き届けられませんでした。

禁令に対する一般の反応

この禁令に対してマラウィの一般の人々はどのように感じていますか。ここでも聖書に同様な例を見ることができます。イエスの使徒の時代にユダヤ人の支配者は使徒たちの伝道を禁じましたが,一般の人は喜んで聞きました。マラウィにおいても同様です。一つには,過激な国家主義的青年団体は大衆の間で人気があるどころか恐れられています。エホバの証人が非合法化されたのを聞いて,一般の人の中につぎのように言った人もありました。「神の民が禁止されるとは,これで世もいよいよ終わりだ」。エホバの証人の外国人宣教者の追放を聞いて,ある上級の警察官は,「これはいったいどうなることか」と興奮して叫びました。―使行 5:28; 6:7。

エホバの証人を禁令下におくことが初めて警告されたとき,マラウィ会議党の著名な一党員は,やみにまぎれてイエスのもとに来たニコデモのように夜中にやって来て,こう尋ねました。「エホバの証人になるにはどうすればよいのですか。エホバの証人のいない世界にいるよりも,刑務所であなたがたと一緒に死んだほうがましです」。(ヨハネ 3:1,2)宣教者がマラウィですごした最後の晩にブランタイアの本部にやってきたひとりの若者は,エホバの証人に対するかつての仕打ちをわび,これからは心をかえ,エホバの証人と聖書をぜひ学びたいと語りました。

神と戦う

エホバの証人は,そのクリスチャンの行ないがバンダ大統領に是認されないからといって神に仕えるのをやめたりはしません。彼らは人間に従うよりも神に従うことを第一にした1世紀のクリスチャンと似ています。「あの名を使って教えてはならないと,きびしく命じておいたではないか。それだのに,なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を,はんらんさせている。あなたがたは確かに,あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと,たくらんでいるのだ」。支配者の前にひき出されてこのように告げられたとき,使徒たちは臆せずに答えました。「人間に従うよりは,神に従うべきである」― 使行 5:28,29。

しかし彼らは政府に反抗して立ちあがるようなことをせず,悪をもって悪に報いることをしません。これらのクリスチャンの武器は肉のものではなく霊的なものであり,それはおもに神のことばです。彼らは指導者イエス・キリストの手本にならう義務を認めています。イエスの手本は次のようなものでした。「ののしられても,ののしりかえさず,苦しめられても,おびやかすことをせず」。彼らはみずから報復しようとはせず,「〔エホバ〕が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書かれていることを知って,「神の怒りに任せ」ます。―ペテロ第一 2:21,23。ローマ 12:19,〔新世訳〕。

バンダ大統領もその支持者も,エホバの証人から何かをされるのではないかと恐れる必要はありません。恐れるべきものは全能の神ご自身です。彼らはエホバ神に敵対し,神と戦う者になっています。(使行 5:38,39)しかしそのことをつづける必要はありません。彼らは改めることができます。彼らは改めるでしょうか。それはバンダ博士のみならず全閣僚,マラウィ議会の全議員およびマラウィの公務員すべてが直面しなければならない問題です。これはバンダ博士の政党の党員として同博士を支持するすべての人が直面しなければならない問題です。

人々は成り行きを見守る

マラウィの大統領は,大統領として何を行なおうと自由であって,他の人の知ったことではないと考えるかもしれません。しかし正義が踏みにじられ,無実なクリスチャンが残酷な仕打ちを受ける時,世界の人々は注目します。大統領はそのことを悟るべきではないでしょうか。大統領のとった措置は,マラウィの国民にも,世界のどの国の,心の正しい人にも好感をもって迎えられていません。大統領がその事実を知らされないで良いはずはありません。

神に対する信仰のゆえにこのような残酷な仕打ちを受けている人々のために発言するのは,自由と真理と正義を愛する人の特権です。抗議の手紙は左記にあてて送ることができます。

His Excellency

Dr.H.Kamuzu Banda

President of Malawi

P.O.Box 53

Zomba, Malawi, Central Africa

The Hon.J.D. Msonthi, M.P.

Minister of Transportation and Communication

Zomba, Malawi, Central Africa

The Hon, G.W.Kumtumanji, M.P.

Minister of Local Government

and Minister of Health

Zomba, Malawi, Central Africa

The Hon.M.Q.Y.Chibambe M.P.

Regional Minister for the Northern Region

Zomba, Malawi, Central Africa

The Hon.A.M. Nyasulu, M.P.

Minister of State

in the Ministry of External Affairs

P.O.Box 943,

Blantyre, Malawi, Central Africa

The Hon.G.Chakuamba, M.P.

Minister of Education

Zomba,Malawi, Central Africa

The Hon.Aleke Banda

Minister of Economic Affairs and of Works

Zomba, Malawi, Central Africa

The Hon.J.T.Kumbeweza, M.P.

Regional Minister for Central Region

Zomba, Malawi, Central Africa

The Hon.J.Z.U.Tembo, M.P.

Minister of Finance

Zomba, Malawi, Central Africa

The Hon.A.A.Muwalo

Minister of State in the President’s Office

Zomba, Malawi, Central Africa

The Hon.A.B.J.Chiwanda

Minister of Labor

Zomba, Malawi, Central Africa

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