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  • あなたは彼らを助けるために何ができるか
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
塔72 9/1 533–541ページ

シンガポールはクリスチャンの少数者の活動を禁止する

「新しい国」ができると,世界中の人が,その国の政府は,国民のためにどんな政治をするだろうか,と考えるものです。指導者たちは,その権力と権威を行使するにさいして,どこまで知恵を働かせ,また自粛するでしょうか。すべての人に自由が与えられるでしょうか。それとも少数者のグループは苦しむでしょうか。人々は,「その国は,自分も住みたくなるような,または行ってみたくなるような,あるいはそこで商売でもしてみたくなるような国ですか」と尋ねます。シンガポールはその「新しい国」のひとつで,マレー半島南端沖の島からなる共和国です。首都はやはりシンガポールと呼ばれ,世界で最も船の出入りの多い港のひとつで,年間約4万せきの船舶を扱います。1965年,シンガポールはマレーシア連邦を脱退して独立国になりました。人口は多民族からなり,約4分の3は中国系,約6分の1はマライ人,残りはインド人,パキスタン人,ヨーロッパ人の少数グループです。ところで,1967年当時,シンガポールのいく人かの指導者たちが出した声明に耳を傾けてみましょう。新政府は,国民の自由をおびやかすようなことは決してしないことを保証したかのようでした。

1967年3月16日のザ・ストレイツ・タイムズ紙は,「成功……それは少数者が少数者であることを感じなくなるときであるとリー氏」という見出しのもとに,シンガポール首相リー・クアンユー氏のことばを引用し,同氏は国会で,『もしシンガポールが,今から10年後もなお宗教的寛容や,多民族社会の長所を説いているようであれば,政府は失敗したことになる』と述べたと伝えました。同首相は,『シンガポールにおいて,人種上,宗教上,あるいは言語上の迫害や圧迫を恐れている者はひとりもいない』と語りました。

それから2か月後同じ新聞(1967年5月24日付)は,「シンガポール,宗教の自由で世界をリード」という見出しをかかげ,次のように報じました。「労働大臣ジェク・ユン・ソェング氏は,仏教徒その他に,宗教または人種のいかんを問わず,シンガポールが多民族,多宗教認容のとりでとしてその立場を堅持できるようおのおのの分を果たし,シンガポールに力と意志を与えてほしい,と呼びかけた」。同紙はジェク氏の次のことばを引用しました。「われわれの力は,国教だけを信ずるよう市民に制限を課すことにあるのではなく,すべての人が幸福と満足感をもって,国家に十分尽せるように,すべての人に宗教の自由を許すことにある。……宗教のゆえに迫害を受けたり,差別された人はかつてなく,今後も決してないであろう」。

こうした発言はすべて,シンガポール連邦憲法第11条に定められている明確な原則と完全に一致していて,すべての人に,自分の宗教を信じ,実践する権利を保証するものでした。

したがって多くの人は,シンガポール政府が5年もたたないうちに突如,少数者の宗教グループであるエホバのクリスチャン証人を抑圧し始めたことを知ったとき,ショックを受けたことでしょう。

現在,世界には,207の国および地域に,2万7,000以上のエホバの証人の会衆があります。そして独裁国家や共産国以外のところでは,これらの会衆は自分の宗教を自由に実践することができます。したがって当然次のような疑問が生じます。シンガポール政府はなぜそのような措置に出たのか。シンガポールのエホバの証人は,世界の他の国々にいる彼らの兄弟姉妹とは異なっているのか。違う教理でも教えているのか。あるいはふるまいが変わっているのだろうか。

以下は,最近まで妻とともにシンガポールで宣教者として奉仕していて,そこで起きたことを直接に見た,ノーマン・D・ベロッティの報告です。

23年後に消滅

彼の説明は次のように始まります。

「1972年1月12日の熱帯の夜明けはいつもと変わりなく,シンガポールは気持ちのよい朝を迎えました。私と妻のグラディスは,きょうも次第に暑くなって32度Cくらいにはなるな,と考えていました。わたしたちがシンガポールに住むようになって,ついに23年たちました。シンガポールはわたしたちの故郷です。シンガポールは,東洋の都市の中でも,清潔で緑に恵まれた,住みよい町のひとつです。訪問者は,ここに住む人々の社会が豊かなことをすぐにみてとることができます。

「私と妻は,エホバの証人の宣教者として,1949年の初めにシンガポールに来ました。聖書に良いことが教えられていることや,聖書があらゆる人種の中の心の正しい人々にすばらしい希望をさしのべていることを知っていたので,わたしたちは他の人々がその王国の良いたよりについて学ぶのを助けることに献身しておりました。これは,神の王国が来ますように,神の意志が天で行なわれるように地にも行なわれますように,という主の祈りの中に含まれている良いたよりです。―マタイ 6:9,10。

「1月12日のその朝,グラディスは何軒かの家で無料の家庭聖書研究を司会する約束があって,まもなく最初の家に出かけるところでした。私は,ものみの塔聖書冊子協会シンガポール支部のしもべとして奉仕していたので,協会の事務所で仕事を始めました。ちょうど,エホバの証人の諸会衆あての手紙を発送しようとしていたときに電話が鳴って,ファン・ツ・ホンという人が私と話したいと言いました。内務省の官吏であると自己紹介したあと,同氏は自分の事務所に直ちに出頭するようにと言いました。事は急を要するようでした。その時にはちょうど乗物がなかったので,会見の約束は午後2時になりました。

「それから20分ほどたって,警察の車が,ジャラン・セジャラ11番地にある支部事務所の車道にはいってきて,私にファン氏からの手紙を手渡しました。それは先ほどの電話による約束を追認したものでした。私は手紙を受け取ったことを,手続受け取り帳に記入しました。たしかに緊急な問題が起きているようでした。

「午後2時に私は内務省の事務所に到着し,中に案内されました。同省の別の役人ラーン氏が私を紹介するとファン氏は私にあいさつをし,さっそく呼び出した目的を話しました。それによると同氏は,内務大臣のウォング博士から私に命令を出すよう指示を受けたということでした。命令の内容は,その時私に渡された紙にタイプされていました。それは政府追放法109章にもとづく追放命令で,内容は次のとおりでした。

「1追放の臨時責任を有する大臣ウォン・リン・ケンは,追放法第8条の条文にもとづき,1919年10月13日オーストラリア生まれ,ノーマン・デイビッド・ベロッティに対し,本追放状の日付から14日以内にシンガポール国外に退去し,以後シンガポール国外にとどまることを命ずる。

「私はまたここに,1972年1月19日を定め,ノーマン・デイビッド・ベロッティが,同条(5)に詳述されている事項にもとづき,1,000ドルの保証金契約を作成すべき最後の日とする。

「また私は同条(3)の付与する権限を行使し,あなたノーマン・デイビッド・ベロッティに対し,シンガポールを去る前に,シンガポール移民局監督官に報告することを命ずる。

1972年1月12日交付

署名: シンガポール国内務大臣

ウォン・リン・ケン

「私は追放命令書を読んでショックを受けました。なぜ追放されるのか,理由は述べられていません。私はファン氏にこの措置が取られた理由を尋ねました。大臣から追放命令を出せと言われただけなので,詳細はわからない。『大臣にはわかっているのだろう』と氏は言いました。私は,大臣に会うことはできないか,と尋ねてみました。彼は『できない』と答えました。では会う約束をすることはできないでしょうか。それは『不可能だ』と彼は言いました。法律は追放の理由の説明を義務づけていないのです。ファン氏は私が早く命令書に署名することを望みました。そうすれば自分の仕事はすむからです。

「私は問題をさらに押し進めて,一国から,とりわけシンガポールのようによく知られている国から追放されることは,人の人格の汚点となることを指摘しました。私は何か破壊活動をしたという理由で訴えられたのでしょうか。それとも共産主義者というレッテルを張られたのでしょうか。追放される人間は普通よくない性格の人物ですから,私はなぜ自分が追放命令の対象になったのか,ぜひその理由を聞きたいと思いました。

「ファン氏は何も答えませんでした。それで私は言いました。『ではこれは,私が過去23年間この国に住むことができ,その間私が知っているかぎり,だれも私に対して苦情を申し立てた者がなく,政府のだれひとり私のところへ来て,私の聖書教育にかんして私に話すことをせず,官吏のだれひとり男らしく私と面談して,事実にせよ想像だけのものにせよ私の悪事を非難したこともないのに私は追放命令を受け,しかもその理由を知って説明をする特権を与えない,ということですか』と。ファン氏は,もうこれ以上あなたに伝えることはない,それに『私にもみんなと同じように仕事がある』と答えました。

「私は命令書を受理した旨を述べ,命令書に署名しました。この部分の役目は終わりました。そこでファン氏は,追放命令を受けながらそれに従わない者にかんする法律を私に読んで聞かせました。

「過去23年間法律を守ってきた人間です 今後も法律には従いますからご安心ください,と私は言いました。政府は,神を恐れる聖書愛好者を恐れる必要はさらさらありません。長い年月にわたり私は多数の官吏のかたがたと聖書の約束について話し合う特権に恵まれてきました。大会は毎月開かれ,ほとんどの場合政府所有の公会堂が使われました。シンガポール会議場,文化センター,ビクトリア・メモリアル・ホール,無数の市民会館,ソーシアル・ファンクション・ホールなど何度も使いました。それらの建物の官吏の人たちとの交渉はいつも暖かいもので,彼らが苦情を申し立てたり,建物の使用を拒否したことは一度もありませんでした。1963年にはものみの塔協会はビクトリア劇場で大きな国際大会を開き,世界各国から多数の人が出席しました。こうした大会を開くために私は警察に許可を申請しそれを得ました。どの警察署の担当官からも私は常にていねいに扱われました。彼らの多くもまた聖書を信じていました。ですから私は,追放命令を受けたときにたいへん驚きショックを受けました。

「ファン氏は,指定された日に国外に退去する保証として,1月19日までに1,000シンガポール・ドルを同氏に寄託することを指示しました。私は事務所を出る前に,聖書に従う人間に対し何の理由も知らせずにこのようなことをされるとは驚きにたえない,と言いました。その日ファン氏は最後のことばとして,『あなたが1,000ドルを支払いに来る19日までには事態は少しはっきりしてくるだろう』と言いました。

「私は帰宅してニュースを妻に明かしました。私たちは計画を立てるためにすわりました。どこに行くか,何を荷作りして何を残して置くか。全部の親しい友人たちに別れのあいさつができるだろうか。わたしたちはここに23年間住んでいたので,シンガポール中に,またここだけでなくマレーシア中に友だちがいました。それにしても,『19日までには事は少しはっきりしてくるだろう』ということばの裏には何があるのでしょうか。

「私たちは,いうまでもなく重い心で荷作りを始めました。友だちや近所の人たちがやってきて,何事が起きたのか知りたがりました。『なぜ?』『なぜ?』『なぜ?』 しかしこの質問に私たちは答えるすべがありませんでした。内務大臣ウォン・リン・ケン博士は,追放命令書の中に理由を述べていないのです。氏は私と一度も話さなかったし,こちらが面会を申し込んでも会おうとしませんでした。『退去せよ,そして国外にとどまれ』という命令だけで何の理由も示されず,説明もありませんでした。二日後,つまり1月14日の朝までには,出発の計画はほぼ良好に進んでいました。ところがその日のうちに,私たちすべてを驚かせる事態が発生したのです。シンガポールにとってその日は暗黒の日でした。

崇拝の場所に南きん錠

「正午少し前,警官が,にぎやかな市場のすぐ向かいのエクスター・ロード8番地にあるエホバの証人の王国会館にやってきて,解散命令書を正面のドアに張りつけていきました。

「1972年1月14日のその日に,内務大臣ウォン・リン・ケン博士は,エホバの証人のシンガポール会衆の登録を取り消したのです。同会衆は10年ほど前,協会法にもとづいて登録され,王国会館は同会衆の登録された本部でした。そこでは何年もの間,聖書の研究集会が英語と中国語で定期的に行なわれてきました。

「それらの集会は秘密集会だったでしょうか。そうではありません。すべてが公開集会で,近年,会館は毎日曜日満員でした。毎年正式に年次総会が開かれ,所定の書類に業務報告と会計報告が記載され,協会登録官に提出されました。登録された会衆の責任者はすべて宗教上の奉仕者たちで,外国人はひとりもいませんでした。彼らは法律を守る市民,1日正直に働く人々で,公務員も少なくありませんでした。

「妻と私が23年間交わったエホバの証人のこの会衆は,秩序正しい集会をもち,やかましい音楽をかけたり,叫び声を上げたりして近所の人に迷惑をかけるようなことはしませんでした。またいわゆる『西洋文明』に従っていたのでもありませんでした。彼らが指導書として使う聖書自体,中東の人たちによって書かれ,保存されてきた東洋の本です。またエホバの証人のシンガポール会衆の成員の中には,犯罪その他の罪で逮捕されたり,けん疑をかけられたりした者はひとりもいません。会衆は公に伝道を行ない何の苦情も言われたことはありません。そして何千という人々が,自分たちのことばで「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を定期的に読むことを楽しんできました。

「にもかかわらずシンガポール政府はこのクリスチャン会衆を禁止する挙に出,それらの心の正直な男女子どもは,もはや王国会館に集まってともにクリスチャンの崇拝を行なうことができなくなりました。それは非合法化されたのです。彼らにとって宗教の自由はもはや存在しなくなりました。

「警官たちは今や王国会館に押し入って,彼らの所有に属さない物を盗み出す用意を整えました。もし彼らが,登録されている会衆の会長,副会長,または会計係りに会館のかぎを求めるなら,それは彼らに渡されたでしょう。電話をかけさえすればすむことでした。しかし彼らは,はなばなしく,正面ドアを押し破ってはいるほうを好みました。彼らは価値のあるもの,とりわけ聖書,聖書解説書,図書室の本を一つ残らず押収しました。

「フラットの2階に住んでいた管理人はそのとき外出中でした。警官たちはその管理人のフラットにまではいり,管理人の私物を盗み,聖書さえ持ち去りました。そして会館には南きん錠がおろされました。管理人は午後もどってきたとき,自分の家にはいることもできませんでした。一市民が,着の身着のままで自分の家から閉め出されたのです。ドアに南きん錠がかかっているので,中にはいってシャワーを浴びることも,シャツを取り替えることもできず,仕方なく着替えを人から借りるありさまでした。

「エホバの証人のシンガポール会衆の銀行預金も当局に押えられました。このお金は全部自発的に寄付されたもので聖書教育の仕事がシンガポールに広められることを願って良い心の人たちが献金したものでした。募金によって人々から集めたお金は一銭もありませんでした。また同会衆はどんな商売にも携わっていませんでした。

「1月14日のその金曜日の晩,王国会館では7時から,いつものように聖書集会が予定されていました。その集会の準備のために,多くの証人とその友人たちは,政府の措置にかんするラジオ放送を聞きませんでした。彼らは王国会館に着いたとき,ドアに南きん錠がおりているのを見て驚きました。登録されていた同会衆の会長と副会長もその中にいました。禁止されたことをだれも彼らに伝えなかったのです。紳士らしい考慮を示して仲間の市民に,その宗教,その崇拝の自由,および聖書研究が,政府によって禁止されたことを教えてくれた官吏はひとりもいませんでした。がっかりした彼らとその家族は家に帰らねばなりませんでした。

聖書文書は発行禁止

「同じ日にエホバの証人は別の打撃をこうむりました。文化大臣ジェク・ユン・ソング氏は,ものみの塔聖書冊子協会の印刷した文書を禁止したのです。このことはその日の官報に次のように公示されました。

「文化大臣は,不良出版物法第3条(1)の与える権限を行使し,ここに,ものみの塔聖書冊子協会が印刷し発行したすべての出版物の輸入,販売および配布を禁止する」。

「ジェク氏は,5年前,労働大臣として,シンガポールが,『多民族,多宗教容認のとりで』としてとどまることを助けるよう全国民に呼びかけた人物です。当時の彼の約束は『宗教のゆえに迫害を受けたり差別された人はかつてなく,今後も決してないであろう』というものでした。にもかかわらず現在,宗教の自由は,エホバの証人という少数者のグループからはく奪され,そしてその措置にジェク氏が関係しているのです。

「1月14日の晩ついに,この少数派のクリスチャンを禁止したことを正当化する政府の声明が出されました。ラジオとテレビジョン・シンガポールは,エホバの証人のシンガポール会衆が解散され,ものみの塔文書が発禁になったことを発表するさいに,内務省から出された公式声明を放送しました。その内容は次のとおりでした。

「政府はきょう,エホバの証人のシンガポール会衆の登録を,同会衆の存続はシンガポールにおける公共の安寧と秩序にとって不利であるという理由にもとづき,解消した。同宗派の教理と宣伝の特徴は,組織された政府と宗教はすべて『サタン』とその体制の下にある,という彼らの主張にもとづくものである。切迫している『ハルマゲドン』の結果,地を継ぐエホバの証人以外はすべて滅びる,と彼らは言う。この教理にもとづき同宗派は戦時においてはメンバーの中立を主張する。そのため,国民兵役にある多数のエホバの証人がすべての軍務を拒否し,軍服を着ることさえ拒否した者がいる。

「エホバの証人のシンガポール会衆の『母』体は,アメリカの法人団体,ものみの塔聖書冊子協会である。同協会はオーストラリア人宣教師(N・D・ベロッティ氏)をシンガポールに派遣している。同氏の任務は,同協会の文書を輸入し,かつその文書がエホバの証人のシンガポール会衆および他に配布されるのを監督することである。エホバの証人のシンガポール会衆が解体した以上,そのような文書や同氏のシンガポール滞在の必要はもはやなくなった。したがって政府はものみの塔聖書冊子協会を禁止し,ベロッティ氏に国外退去を要請した」。

聖書に従う生活は不利か,それとも有益か

「翌1月15日,新聞はこの禁止を報道しました。地元の新聞記者や写真班,外人記者たちが支部事務所に取材に押しかけました。彼らは問題がはっきりしないと言いました。しかし私は,政府が出した声明の内容以上の情報を提供することはできませんでした。私は過去23年間してきたように,聖書と聖書文書をこの国に輸入していたので追放されようとしていたのです。エホバの証人のシンガポール会衆の責任者たちは何も知らされていませんでした。察するところ彼らの『罪』は,聖書および聖書関係の本を読んでいたことのようでした。

「エホバの証人のシンガポール会衆の存続は,『シンガポールにおける公共の安寧と秩序にとって不利である』という政府の公式声明に注目してください。そのような声明を裏づけるどんな証拠,どんな事実があったでしょうか。神はまもなくすべての悪を滅ぼしこの地球に楽園の状態を復興され,『へりくだる者が国を継ぐ』と,少数の人々が信じているからと言って,そのことが国の良い秩序をくつがえすというようなことは,大小を問わずどんな国においてもありえません。今日の国々を見てごらんなさい。エホバの証人が国の良い秩序を乱してきたことを示す証拠は,どの国においても発見することはできません。彼らは使徒パウロのように,『恥づべき隠れたる事をすて,悪巧に歩まず,神の言をみださず,真理を顕わして神の前に己をすべての人の良心にすす(めて)』いるのです。(コリント後 4:2)彼らは使徒ペテロの次の勧めに従うように真剣に努力しています。『異邦人の中にありて行状を美しくせよ,これ汝らを諦りて悪をおこなふ者と云へる人々の汝らの善き行為を見て反って眷観の日に神を崇めんためなり」― ペテロ前 2:12。

「妻と私は,23年間,シンガポールにおける聖書教育活動に,ものみの塔聖書冊子協会の文書を使ってきました。イエスや使徒パウロと同じように,私たちも,『秘密に』,『片隅で』行なうのでなく,何事も公然と,『公に』行なってきた,と言うことができます。(ヨハネ 18:20。使行 26:26)私たちは,英語,中国語,タミル語の聖書の配布に参加し,また聖書を愛する人々が聖書のよりよい理解を得るよう無料で助ける奉仕も申し出ました。変わりゆく世界,そして聖書にしるされている高い行為の標準からますます遠くへ離れていく世界の中にも,神はこのことを聖書の中でどのように述べておられるのかを知りたいと思っている人が大ぜいいることを私たちは発見しました。私たちは新しい宗教をだれかに押しつけようとしていたのではなく,聖書を,また聖書が将来に対してどんな希望を差し伸べているのかを知りたいと思っている人々を助けていたのです。

「エホバの証人は決して無秩序や無政府状態を好む者でも,またそうした状態をかもし出す者でもなく,むしろ権威に従うことの正しさを人々に教えているのです。エホバの証人は次のことを認めています。つまり現在の事物の体制において人間の政府活動を許しているのは神である。したがって,『[政府という]権威にさからう者は神の定めにもとる』ということです。(ロマ 13:1,2)もちろんエホバの証人は,近いうちに神が,ご自身のみ子キリスト・イエスの天からの完全な支配をもって,あらゆる種類の人間の政府に置き替えられる,という聖書の教えを信じています。(ダニエル 2:44)しかし,それは神の力によって行なわれることであって,そうした変化をもたらそうとする自分たちの努力によるものではないことを,エホバの証人は知っています。ですから,現存する政府の活動を妨げるようなことはしません。

「この世の紛争や軍事行動にかんしてエホバの証人が取る中立の立場は,宗派的な教義もしくは宣伝といったものではなくて,聖書中の明確なことばに基づいています。自分の追随者たちに次のことを言ったのはイエス・キリストでした。『汝らもし世のものならば,世は己がものを愛するならん。汝らは世のものならず,我なんぢらを世より選びたり。この故に世は汝らを憎む。……「僕はその主人より大ならず」……人もし我を責めしならば,汝らをも責め,わが言を守りしならば,汝らの言をも守らん』― ヨハネ 15:19,20。

「エホバの証人は,国連広場の壁に刻まれている,イザヤ書 2章4節から取られた,『かれらはその剣をうちかへて鋤となし,その鎗をうちかへて鎌となし,国は国にむかひて剣をあげず,戦闘のことを再びまなばざるべし』ということばにしたがって生活しています。シンガポールは国際連合の加盟国です。なるほど今日,諸国家はこのことばに従わず,武器の蓄積をつづけ,戦争を学びつづけています。しかし,このことばに実際に従って生き,このことばにそむくよりは,むしろ迫害をさえ甘んじて受ける人々を,『公共の安寧と秩序にとって不利』と非難するのは正しいことでしょうか。じりじりと暴力で満たされていく世界にあって,そういう人たちはその平和で穏やかな生活の仕方によって悪い手本を示している,とどうして言うことができるのでしょうか。もしすべての人が,あるいは大多数の人でさえ,そのような誠実なクリスチャンの模範に従ったなら,全世界はより安全で,りっぱで,住みごこちのよいところとはならないでしょうか。

「シンガポールに住んでいた間に私は数回の暴動を切り抜けました。それらの暴動で多くの人は命を失ったのです。しかし,エホバの証人の中に,そのような騒動に関係した者はひとりもいませんでした。また,ものみの塔協会の出版物の1冊といえども,そのような暴力の行使を支持したことはありません。

「他方,エホバの証人が,神の大いなる戦いは近づいていて,それは『ハルマゲドン』と呼ばれると,聖書の黙示録 16章14から16節に述べられていることを指摘するのは,一国にとって不利と考えられることでしょうか。隣人に災害の近づいていることを知らせ,逃げ道を教える人は,良い友だちと考えられます。エホバの証人は,全世界の人々に対する友情から,そのような警告を行なっているのです。もちろんエホバの証人は警告することしかできません。人々がそれを信じるかどうかは,聞く人によります。

「1月18日,私は1,000ドルを支払うために内務省に行きました。『19日までには事は少しはっきりするだろう』というファン氏のことばはすでに成就していました。クリスチャンの一少数者は,もはや崇拝のために集まることはできなくなったのです。彼らの宗教集会の場所は警察の手入れを受け,財産は没収,封印され,預金は凍結されました。

「さて私はファン氏にお金を差し出しました。ファン氏は,私にまちがったことを言ったと言ってわびました。実際に必要だったのは,土地の人がだれか来て,契約書もしくは保証書に署名し,私が所定の期日に国外に退去することを保証することだったのです。もし私が契約を履行しなかったならば,その人はお金を失い,私は逮捕されてしかるべき処置を受けます。シンガポールには親友がたくさんいたので,契約書に署名する人を見つけるのに問題はありませんでした。

悲しみの宣教者たちの出発

「時は残り少なくなっていました。別れのあいさつは涙をさそう悲しいものでしたが,真の神エホバに対する信仰は強いものでした。真理は単なる『宣伝』ではなく,人の思いと心を慰め,強めるものです。正直な心の人々に人生の目的を与えます。そしてそういう人々をよりよい男性,よりよい女性にします。

「私は,内務省の事務所にいたファン氏と,出発直前まで私のパスポートを押えていた移民監督官代理タン・ハン・ツアン氏に対し,シンガポール政府になんの恨みも感じていないことを説明しました。私は敬意をいだいた客としてこの国に来ました。また敬意をいだいた客として去ります。私のシンガポール滞在は非常に楽しいものでした。しかし,シンガポール市民が崇拝の自由を取り去られ,自分の良心を働かせたり,自分の信仰を表現したりするのを抑圧される,というひどいことが起きたのを見たのは,私にとって非常に悲しいことでした。聖書の教えに従って平和に暮すことを唯一の願いにしている法を守る誠実なクリスチャンの少数グループが,そのようなひどい扱いを受けたことを遺憾に思います。他の進歩的な国々は,エホバの証人のクリスチャンらしいりっぱな行ないについて,好意的に語ってはばかりませんでした。英連邦の一員であるシンガポールでこれらのクリスチャンたちが集会を開くことができず,しかも彼らが使う種々の翻訳の聖書さえ,またものみの塔協会の印刷する聖書も,彼らが神の王国の宣明に使う文書もろとも政府の禁令下におかれたことは,まことに残念です。

「1972年1月25日の晩,妻と私はシンガポール共和国を去りました。私たちは,エホバの証人のシンガポール会衆の愛する生涯の友たちをあとに残してきました」。

あなたは彼らを助けるために何ができるか

わたしたちは,シンガポールのこのクリスチャンの小さなグループのために祈っています。あなたもエホバ神への祈りの中で,彼らへの関心を表わし,エホバを愛するそれらの人々の安全と,またエホバが,困難な事態のもとでも,神の真理のことばの宣明を発展させてくださるように,お願いしてください。(コリント後 1:8-11。テサロニケ後 3:1,2)使徒パウロは,神の王国の良いたよりを伝道したかどで獄につながれていたときに言いました。「然れど神の言はつながれたるにあらず」― テモテ後 2:9。

またシンガポール共和国政府に対してあなたの懸念を表明し,このたびの措置が,思慮ある公平な観点から再検討されるよう嘆願してください。確かに「新しい国」シンガポールは,聖書に述べられているクリスチャンの行為の高い標準に従う人々を,恐れる必要は全くありません。彼らがこの世の紛争において厳正中立を守ることは,クリスチャンの男女子どもを彼の崇拝の場所から閉め出す理由にはなりません。

「シンガポール,宗教の自由で世界をリード」という1967年の新聞の見出しは,1972年においても事実でありますように。シンガポール共和国政府の指導者のかたがたが,この少数者,エホバのクリスチャン証人たちに宗教の自由を再び与えてよき模範を示し,明察あるかたがたとしてその威厳を示されるよう願ってやみません。次のページにかかげるのは,シンガポール共和国政府の要職にあるかたがたの住所氏名で,こころある人々はこれらの住所あてに嘆願書を送ることができます。

His Excellency Dr. B. H. Sheares

President of the Republic of Singapore

The Istana

Singapore 9

Republic of Singapore

Mr. Lee Kuan Yew

Prime Minister of the Republic of Singapore

Prime Minister's Office

City Hall

Singapore 6

Republic of Singapore

Dr. Goh Keng Swee

Minister of Defence

Ministry of Defence

Pearl's Hill

Singapore 2

Republic of Singapore

Dr. Wong Lin Ken

Minister for Home Affairs

Ministry of Home Affairs

Pearl's Hill

Singapore 2

Republic of Singapore

Mr. Jek Yeun Thong

Minister for Culture

Ministry of Culture

City Hall

Singapore 6

Republic of Singapore

Mr. S. Rajaratnam

Minister for Foreign Affairs

Ministry of Foreign Affairs

City Hall

Singapore 6

Republic of Singapore

Mr. E. W. Barker

Minister of Law and National Development

National Development Building

Maxwell Road

Singapore 2

Republic of Singapore

Mr. Michael Chai

Acting Controller of Immigration

Immigration Department

Empress Place

Singapore 6

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