覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次の点を覚えておられるでしょう。
● 「愚かな者が高い地位に置かれ……ている。わたしはしもべたる者が馬に乗り,君たる者が奴隷のように徒歩であるくのを見た」と語ったソロモン王は何を意味していましたか。―伝道 10:6,7,口。
この世の中では,資格のない人が,気高い,つまり立派な気質を備えた有能な人の上に立つことがある。これら立派な人たちは,しかるべき地位に高められることなく,むしろ,権威だけを有し,職務を正しく遂行する資格を持たない人々から奴隷のように扱われることがある。―197,198ページ。a
● 自分の受けた『患難』はクリスチャンにとって『栄光となる』と使徒パウロが言いえたのはなぜですか。―エフェソス 3:13。
パウロの忠実な忍耐はキリスト教を称揚し,それが苦しむだけの価値のあるもの,いや,死ぬだけの価値のあるものであることを示した。また彼の忍耐は,イエス・キリストの弟子であることがいかなる犠牲をも払うに値する最も価値あるものであることを明らかにした。―229,230ページ。
● 「悩んでいる者の日々はことごとくつらく,心の楽しい人は常に宴会をもつ」という箴言 15章15節(口)の意味するところは何ですか。
悩みや悲しみで自分の生活の大半がふさがれるのを許す人にとっては,毎日が陰うつに思える。そうした人は,自分の周囲にある祝福に盲目になっている。しかし,不愉快な事柄で心をふさがれるようなことのない人は,日ごとに内なる喜びを味わう。そのような人は,積極的な見方をするゆえに,『常に宴会をもっている』かのように快活でいることができる。―261ページ。
● 「苦痛」を取り去ってくださるとの神の約束は,痛みの感覚すべてが過去のものになるという意味ですか。―啓示 21:4。
そうではない。痛みの感覚には,危険に気づいて,痛みを与えるものからすぐに人を遠ざけるなど,有益な働きがある。圧制,犯罪,病気,死など人間の苦しみの原因となるものが地から除かれるという意味で,痛みは『もはやなくなる』。―323ページ。
● ホセア 2章16節で予告されているように,イスラエルがエホバを「わが所有者」と呼ばずに,「わが夫」と呼ぶようになることは何を意味していますか。
これは,悔い改めたユダヤ人の残りの者の立場が変化することを示していた。複合の妻として,彼らはもはや,奴隷所有者に属しているかのように,ただ所有されているという感じを好まなくなった。「わが夫」という名称は,神との極めて親密な関係および神の助け手のような気持ちを反映していた。また,以前に,「所有者」という意味を持つ偽りの神バアルの崇拝で汚されていたゆえに,彼らがエホバ神に関連して「バアル」いう名称の使用を避けたのは正しいことであった。それにより,バアル崇拝に陥った自分たちや父祖たちの罪を思い出さずにすんだ。―397-400ページ。
● 詩篇 18篇35節に示されているようにエホバは謙そんなかたですが,どんな意味で謙そんなのですか。
だれにも服従すべき立場にないにもかかわらず,へりくだって罪深い人類と交渉を持ち,人々から卑しめられているような人に対してさえ好意を示されるという意味で謙そんである。―389,390ページ。
[脚注]
a 数字は1976年の「ものみの塔」のページ数を表わします。