覚えていますか
あなたは最近号の「ものみの塔」誌を,内容を記憶する目的をもって注意深くお読みになりましたか。もしそうでしたら,きっと次の点を覚えておられるでしょう。
● 自分の希望が地的なものか天的なものかは,各自の選択に任されていますか。
そうではありません。人は,何らかの聖書的な希望を抱く前に,これからは神のご意志を行なうということに同意し,エホバ神に無条件で献身してバプテスマを受けなければなりません。エホバはその聖霊を働かせてご意志が行なわれるようにされます。またその霊は,将来「小さな群れ」の成員となる人々の内に天的な希望をかきたててきました。一方,現在集められつつある,地上で永遠に生きる見込みを持つ「大群衆」も,神の霊を与えられています。(ルカ 12:32。ローマ 8:14-17)―3月1日号,28ページ。
● 自分の動機を悪く解釈された場合,どのように反応すべきですか。
腹を立てないようにするのは良いことです。(伝道 7:9)クリスチャンとしてわたしたちは,非難を受けても自制を示しておられる神に倣いたいと願うべきです。エホバはわたしたちを慰めてくださいますし,『エホバによりたのんで善を行ない』続けるなら,喜びを得られます。(詩 37:3,新)わたしたちの嫌疑を晴らしたいと神が望まれるなら,神はふさわしい時にそうすることがおできになります。―7月1日号,14ページ。
● 王国の支配を受ける地上の臣民に『苦痛がもはやない』というのはどういう意味ですか。
苦痛がもはやなくなるという預言的な約束は,王国の地上の臣民があらゆる痛みに無感覚になるという意味ではありません。(啓示 21:4)身体の痛みを感じる能力は有益な働きをすることがあります。しかし,罪と不完全さに起因する精神的感情的苦痛や身体的な激しい痛みは,その原因が取り除かれるという意味で『もはやなくなり』ます。―7月15日号,5ページ。
● クリスチャンにとって,神と隣人に対して愛を示す主要な方法は何ですか。
「良いたより」を宣べ伝えることこそ,心と魂と力と思いをこめて神を愛していることを示す重要な方法です。(ルカ 10:27)また,仲間の人々に「良いたより」を教えるのも,彼らに対する愛の最大の表明の一つです。それは神のみ前に良い立場を得るよう人々を助けることだからです。―7月15日号,28ページ。
● イエス・キリストの,献身しバプテスマを受けた弟子になることによって,人はどのように益を得ますか。
そのような人は,エホバ神とイエス・キリストに是認される事を行なっているという自覚から来る満足感があります。またクリスチャンとして,霊的な意味での兄弟姉妹,母親,子供を得ます。―8月1日号,14ページ。
● 大いなるバビロンとは何ですか。「彼女から出なさい」との呼びかけに注意を払うべきなのはなぜですか。
大いなるバビロンとは偽りの宗教の世界帝国であり,そこから出ることは,来たるべき「大患難」で共に滅びないための唯一の方法です。(マタイ 24:21。啓示 18:4)『出ること』は急を要します。大いなるバビロンの以前の政治的愛人が彼女を攻撃してからでは,彼女から出るのは不可能だからです。(啓示 17:15-18)―8月15日号,17,18ページ。
● わたしたちエホバの民が,エホバはわたしたちの祈りを聞いてくださると期待できるのはなぜですか。
神は「祈りを聞かれる方」であり,わたしたちに祈ることを命じておられます。(詩 65:2,新。ローマ 12:12)さらに,神のみ名が関係しているゆえに,また神がわたしたちの限界を知り,わたしたちを助けたいと願っておられるゆえに,そしてわたしたちが忠誠を守る者であることを根拠にして祈りを聞いてくださるゆえに,確信をもって祈りのうちにエホバに近づくことができます。―9月1日号,17,18ページ。
● クリスチャン会衆内に,クリスチャンが正しく成長する上で助けにならない環境の存在することがありますか。
確かに,霊的にあまり有益でない環境や交わりがあるかもしれません。例えば,最近神への献身を象徴した人の中には,幾分この世的なものを会衆内に持ち込みがちな人がいるかもしれません。ですから交わりには注意を払わなければなりません。わたしたちの人格特性という種が埋められ,養われる環境は,土と同じように,わたしたちがクリスチャンとしてまき始めた時に意図した真意とあまり食い違いのないものを生じさせ得るものだからです。―9月15日号,19,20ページ。
● 新しい契約には終わりがありますか。
あります。イエス・キリストを仲介者とする新しい契約は,14万4,000人の神の霊的な子たちを生み出すというその目的を果たした時に終わります。それはこの油そそがれた人々すべてが天の不滅の命によみがえる時です。しかし,地上に住む人々は,新しい契約から永遠にわたって益を得ます。なぜなら,その後14万4,000人はキリストと共に,千年王国を通して地を支配し,人類が永遠の命を得るべく完全さへと回復されるときに,キリストの贖いの犠牲を適用するからです。―10月1日号,31ページ。
● ヨハネ 10章16節にある「ほかの羊」とはだれですか。
「ほかの羊」は「この囲い」のものではないと述べられているので,それは天的な見込みを抱くアブラハムの約束の相続者,つまり霊的イスラエル人ではありません。むしろそれは地的なクラスであり,究極的には,地上で永遠の命を得る人すべてで構成されます。「りっぱな羊飼い」イエス・キリストは彼らのためにも魂を投げ打たれました。(ヨハネ 10:14)―10月15日号,26-28ページ。
● 妨げとなる疑いに悩まされ始めたら,クリスチャンはどうすべきですか。
自分の動機を吟味して,その疑いが純粋なものか,あるいは忍耐の欠如や許しを与える神の力に対する信仰の欠如を示すようなものか調べてみるべきです。また積極的な態度を保ち,エホバ神がイエス・キリストを通してわたしたちにしてくださったこと,さらに,「忠実で思慮深い奴隷」によって備えられた霊的食物を通し,神の目的や約束について学んだすべての事柄を思い起こすべきです。(マタイ 24:45-47)―11月1日号,14,15ページ。