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  • パナマの一地域で王国を宣べ伝える
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
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  • カヨ・パロマとトボベで
  • チリキで
  • 海上で
  • カマロンで
  • トレで
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
塔82 11/1 24–27ページ

パナマの一地域で王国を宣べ伝える

神に仕えるためどんなことに耐える覚悟がありますか。ジャングルの中を歩きますか。野生動物に出くわす危険をあえて冒しますか。海をも恐れませんか。

私たち夫婦と一緒にパナマの一巡回区にあるエホバの証人の諸会衆の幾つかを訪問するようご招待いたします。そうすれば,その中央アメリカの国のクリスチャンが自分たちの神エホバに仕えるために行なっている事柄をご自分の目で見ることができるでしょう。

カヨ・パロマとトボベで

最初に訪問する幾つかの会衆はカリブ海沿岸のボカス・デル・トロ県にあります。ここにはグアイミ族のインディオが住んでいます。グアイミ族は背が低く,肌は浅黒く,強健で,髪の毛は黒く,縮れていません。カヨ・パロマとその近くのトボベの会衆では,王国を宣べ伝える業の大半がグアイミ方言で行なわれていますが,スペイン語と英語での証言も幾らか必要とされています。イグナシオという名のグアイミ族の一人の兄弟は三つの言語のいずれをも話します。イグナシオとその奥さんのビルジリアには3人の子供がいますが,この夫婦は良いたよりを全時間宣明する特別開拓者です。

この地域で宣べ伝える業を行なうために人々の所に行くには,美しい浜辺に沿って進み,岩の多い丘や断がいを越えて歩いて行かなければなりません。海から行かなければならない所もあります。ですからイグナシオはそうした所へ行くために自分のモーター付きのカユコ(丸木舟)に乗って行きます。ここでははだしで歩くのが人々の習慣になっているので,くつをはいているのは私と家内だけということがよくあります。しかし,くつをはかずに浜辺を歩くことがいかに実際的か,私たちはほどなくして学びました。

区域の中の最初の家にたどり着くと,ノックをするにもドアがないことに気付きます。大抵の家には何も付いていない戸口があるだけで,中には壁があると言っても申し訳程度に付いているだけの家もあります。これは暑い熱帯性気候の下では実際的です。屋根がやしの枝でふかれた,竹でできた家々は,長い土台柱の上に建てられています。刻み目を付けた丸太が家へ入るためのはしごになっています。訪問者はまっすぐ家の中に入り,床かベンチに“腰を下ろし”てから家の人にあいさつするのが習慣になっています。それから,通例,その場にいる人々すべては証言の行なわれる間丁重に話を聞きます。農耕社会であるため,現金の持ち合わせのない人々はしばしば作物と交換に聖書文書を求めます。

この地のもう一組の開拓者の夫婦はナタナエルとオリバです。二人はカヨ・パロマからチリキ潟にある海岸沿いの小さな村,ブエナ・ビスタの自分たちの区域まで定期的に通っています。私たち夫婦にとってこの二人と共にその宣べ伝える業にあずかるのは本当に冒険と言えます。熱帯の鳥の立てる音のこだまする,木々の茂った暗いジャングルの中を3時間ほど歩いて半島を横切ります。ぬかるみがあり,蛇がいるので長靴をはかなければなりません。また,緊急な場合に用いるために刃の長いなたをも携えて行く必要があります。スズメバチやその他の昆虫と戦わねばならないこともあります。そして,倒れた丸木を“橋”代わりに幾つもの川を渡らなければなりません。ナタナエルとオリバは必要とされる品々をチャカラに入れて運んでいます。チャカラというのは粗く織った手製の袋です。ナタナエルはそれを肩にかけていますが,オリバはひもを額にかけ,袋を背中に背負っています。

長時間歩いて緑色の川に出ます。この川の水はまるでよどんでいて,流れていないように見えます。私たちはカユコに乗って下流へ30分ほど下ります。初めはこけむした大木に覆われた浅瀬を進みますが,その後,川幅が広がり海に出ます。ナタナエルはブエナ・ビスタに別宅を持っており,それは海岸に近い丘の上にあります。この家は地元の王国会館ともなっており,四,五十人が定期的に集まっています。この遠く離れた土地でも,集会でプログラムを扱う私たちのクリスチャンの兄弟たちはスーツの上着とネクタイを着用しています。集会の一部はスペイン語で,一部はグアイミ語で行なわれています。

チリキで

ブエナ・ビスタからチリキ県へ行くには,まずカユコでサメのいる海を5時間ほど通って行かなければなりません。次に1時間列車に乗り,それから30分ほど小型の飛行機で山地を越え,この国の太平洋側に出ます。

高地の涼しい峠に美しいボキートの町が広がっています。この小さな会衆に交わるクリスチャンの一姉妹は,確かに忍耐のりっぱな模範を示しています。ご主人がエホバの証人ではないにもかかわらず,この姉妹は日曜日の集会に定期的に出席しています。姉妹は普通5人の子供全員か,さもなくばそのほとんどを連れて来ます。山の高い所に住んでいて,集会に出席するために歩いて来なければなりません。それも数分や30分ぐらいではなく,ほぼ3時間歩かなければならないのです。蛇や時にはピューマの出る地域をずっと歩いて上り,子供たちと一緒に家にたどり着くのが日の暮れた後であるということもしばしばあります。しかし,集会から霊的な益を受けるために,いつも喜んでそれを行なっています。―ヘブライ 10:24,25。

ビファグアルと呼ばれるチリキの別の地区では,馬に乗って家から家の宣べ伝える業が行なわれることがあります。しかし,徒歩で行く場合,雨期にはぬかるみの中をとぼとぼ歩き,水たまりを飛び越えねばならず,乾期になると細かい土ぼこりの中を歩かなければなりません。このような状況にもかかわらず,この地での証言も祝福を得ています。

ここはたばこ栽培地帯なので,多くの人は神の言葉の真理を学んで,それまで自分たちの生計を立てる唯一の手段であったたばこの栽培をやめました。(コリント第二 7:1)バルタサルという名の人もそうでした。かなりの期間迷った後,この人はたばこの栽培をやめ,結婚を合法的なものにし,妻と共にバプテスマを受けました。そしてほかの作物を植えた最初のシーズンの後,今まで以上に経済的にゆとりができたと言いました。

海上で

太平洋沿岸のある会衆と交わるルイスとグメルシンダ,そしてその3人の子供たちをご紹介したいと思います。1974年の1月に,アントニオという名の特別開拓者が,ルイスの父親を通して,ホルコンシトスにあるルイスの家を借りました。ルイスは島に小さな農場を持っていたので,四,五か月後になるまで町には戻って来ませんでした。ルイスが戻って来てから,アントニオはルイスに証言をするようになりました。ルイスは島へ戻ると,自分が受け取った聖書文書を読みはじめ,自分の学んでいる事柄を他の人々に告げるようになりました。やがてルイスとグメルシンダは一緒に研究をするようになり,町へ帰るたびにアントニオに質問をしました。家族や友人から多くの反対を受け,ちょう笑されたにもかかわらず,二人はバプテスマを受けたいとの願いを言い表わしました。

二人は1975年2月の巡回大会でバプテスマを受けることになっていました。大会の時期が来た時,家族全員が小さなボートに乗り,木曜日の朝の2時に島を出ました。しかし,2月には海が非常に荒れます。それで,一家は引き返して待たなければなりませんでした。午前11時ごろ風はおさまり海はなぎになったので,一家は再び出発しました。午後2時に,湾の丁度真ん中あたりで,海が再び荒れはじめ,小さなボートは波にもまれ,海水がボートの中に入ってきました。海岸線はまだ遠かったので,一家はボートをこいで大きな岩の陰に避難しました。その晩の11時になって,風が幾らか静まり,彼らはホルコンシトスに金曜日の午前5時にたどり着きました。日に焼けて疲れきっていましたが,一家は翌日大会の会場へ向かうバスに乗り,日曜日には水のバプテスマを受けるために自らを喜んで差し出しました。

そのような努力に対してエホバは彼らを祝福したでしょうか。確かに祝福されました。例えば,ルイスは今では会衆内で奉仕の僕になっています。また,自分の肉親の兄弟の一人が献身とバプテスマの段階にまで進歩するのを援助できたのです。

カマロンで

チリキ県のカマロンには,ほとんどグアイミ族のインディオだけで成る一つの会衆があります。その人たちを訪問するために,私たちはまず,幹線道路を外れてから30分ほど,車で行ける所まで行きます。そこには,兄弟たちが馬に乗って私たちを迎えに来てくれています。川を渡ってから,馬に乗って山を登って行きます。2時間ほど後に,私たちが滞在するために小さな家を開放してくれる仲間の信者の家に到着します。おいしい食事を取り,小川で水浴びをした後,翌朝の集会に備えて休みます。ここからカマロンの王国会館までは上り坂を歩いて1時間と15分ほどです。そこに行くために,ほかの兄弟たちも長い距離を歩かなければなりません。トタンぶきの王国会館には壁がないことに気付きます。しかし,看板と年の聖句そして王国の歌のためのバッテリーで動くレコードプレーヤーがあります。

集会後,証言のために一番近い区域へ出掛けて行きます。25分歩くだけでその区域に着きます。ほどなくしてそこにある数軒の家を終えてしまいます。次の区域はどこでしょうか。さらに1時間ほど歩いたところにあるのです。

トレで

宣べ伝える業を行なうための自分の区域が難しい区域だと思えることがありますか。それでは,トレで良いたよりを宣べ伝える業に参加してみるようご招待します。丘陵地帯に入ってパンアメリカンハイウエーを下りると,ほどなくしてトレの町に入ります。その町の王国会館は幹線道路沿いに位置しています。この町のカトリックの修道女たちは,家の人に配布された聖書文書を取り上げるために,しばしばエホバの証人の後を付いて回っています。しかし,それにもかかわらず,幾人かの誠実な人々が聖書の真理を受け入れました。

例えば,お引き合わせしたい一人のお年寄りのエホバの証人がいます。この人は,エホバの証人である商店主がたばこを売ろうとしなかったことから,幾年も前に関心を持つようになりました。クリスチャンの集会に対する認識から,この人は集会に出席するために片道6時間の道のりを馬に乗ってやって来ていました。しかし,この人は王国会館の近くに引越した方がよいと判断しました。今では片道4時間のところに住んでいるのです! 集会に来る途中この人は馬に乗って3回川を越します。いつもいつもそうしたことをするのでしょうか。そうです,これまで10年以上そうしているのです。

パナマの一部で会衆を訪問し,宣べ伝える業にあずかるとはどんなことなのか,大体のところをお伝えできたのは私たち二人にとって喜びでした。―寄稿。

[25ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

パナマ

カヨ・パロマ

ブエナ・ビスタ

トボベ

チリキ潟

ボカス・デル・トロ

ボキート

ビファグアル

チリキ

ホルコンシトス

カマロン

トレ

ボカ・ブラバ

太平洋

カリブ海

[24ページの図版]

宣べ伝える業を行なう区域へ向かう

[26ページの図版]

カマロンの王国会館

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