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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1984
塔84 3/15 26–28ページ

配偶者が不義を働くとき

それは耐え難いほどの大きなショックでした。その夫婦には小さな子供が一人あり,若い妻は二人目の子供を身ごもっていました。ところが妻は夫に裏切られたことを知りました。夫は姦淫を犯したのです! 心をひどく傷つけられ,気持ちが混乱してしまった妻は,どうしていいか分かりませんでした。

残念なことですが,こういう問題は少なくありません。様々な国からの報告は,配偶者を裏切って不義を働き,結婚生活を重大な危機に陥れる既婚者が少なくないことを示しています。クリスチャンならば,自分の配偶者が不義を働いていたことを知ったときどう反応したらよいでしょうか。

そのような場合には,この問題に関するイエスの次の言葉を考えてみなければなりません。「あなた方に言いますが,だれでも,淫行以外の理由で妻を離婚して別の女と結婚する者は,姦淫を犯すのです」。(マタイ 19:9)これはどういう意味でしょうか。淫行(聖書的意味においては姦淫および同性愛行為のようなはなはだしい性の不道徳が含まれる)は,結婚生活を解消させるものとなり得るということです。聖書的な見地からすると,潔白なほうの配偶者には,罪を犯した配偶者を離婚して再婚する権利があります。そのようにしても神のみ前に罪はありません。a

では,潔白なほうの配偶者はそうした行動をとらなければならないのでしょうか。

神が自ら示した模範

昔のイスラエルの時代に見られた一つの例は,この質問に答える助けになります。神の預言者であったホセアという人はゴメルという名の女と結婚し,彼女によって一人の息子をもうけました。この後ゴメルは不義を働き,他の男たちの子供を二人もうけました。それから彼女はホセアを捨てて愛人たちのもとに走ったようです。それでもホセアは深い同情を示しました。ゴメルのために金を払わなければならなかったにもかかわらず,ホセアはのちほどゴメルを連れ戻しました。(ゴメルは愛人たちに捨てられて窮乏し,奴隷になっていたようです。)そのようにホセアは,妻に対して厳正な態度で臨まずにむしろ憐れみを示しました。

ホセアのこの憐れみは,聖書の中で,過ちを犯した妻に示されるさらに大きな憐れみの行為の例として用いられています。エホバ神はご自分とイスラエルとの関係を,夫と妻の関係に例えておられました。ある時エホバは,『わたしは夫としての所有権を持っていた』と言われました。(エレミヤ 31:32)しかし,イスラエル人はホセアの妻のように不義を働きました。彼らはしばしば偽りの神々を崇拝して霊的姦淫を犯しました。(ホセア 6:10; 7:4)神はご自身の律法によってイスラエルを「離婚」し,捨て去ることもできました。神はどうされたでしょうか。

神はホセアのように,過ちを犯した「妻」がもし不道徳な行ないをやめるなら,彼女を連れ戻す気持ちのあることを示されました。『イスラエルの子らが戻って来て,自分たちの神エホバを,また自分たちの王ダビデを必ず求め,末の日に,彼らがエホバのもとに,その善良さのもとにわななきながらやって来る』ときを待ち望んでおられました。―ホセア 3:5。

クリスチャンは過ちを犯した配偶者を同様の愛をもって許すことができるでしょうか。

なぜ憐れみを示すか

できます。事実,多くのクリスチャンは許してきました。姦淫を犯す既婚者は,潔白なほうの配偶者に自分の将来を左右されることになります。しかし,被害者は多くの場合,自分の心の中に許す気持ちのあることに気づきます。なぜ彼らは許すのでしょうか。

一つには,結婚は神からの賜物で軽々しく解消すべきものでないことを覚えているからです。また,わたしたちすべてに神が示された大いなる憐れみを思い起こし,わたしたちが互いに憐れみ深くあるときにいかに神が喜ばれるかを思い出すからです。イエスは,「憐れみ深い人たちは幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです」と言われました。―マタイ 5:7。

憐れみを示すことは可能です。罪を犯した配偶者が深い罪悪感を抱き,犯した間違いを心から悔いていればなおのことそうです。そのような場合には,潔白なほうの配偶者は,苦々しい気持ちや傷つけられた心と闘い,罪を犯した者が変化するよう愛をもって助けるかいがあると感じるでしょう。愛のある配偶者がそのようにして許してくれると,悔い改めた罪人は,自分の結婚生活がどれほど貴重なものであるかをかつてなく強く感じ,それを危険にさらすようなことはもう決してすまいという決意をしやすいでしょう。

必ずそうだというわけでは決してありませんが,時には家庭の中が面白くないために姦淫が行なわれる場合もあるということを忘れてはなりません。そういう状態なら姦淫は許されるということでしょうか。決してそういうことではありません! しかし,そのような事情があったことが分かれば,潔白なほうの配偶者は,過ちを犯した配偶者がまた迷い出ないよう何ができるかを知る助けになるでしょう。

例えば,夫は仕事その他の価値ある事柄を行なうのに長い時間を費やすかもしれません。それで自分は申し分なく幸福で満ち足りた気持ちでいるかもしれませんが,家にいて夫と一緒に過ごすことの少ない妻はどうでしょうか。

あるいは,仕事から疲れて帰って来ても妻はいつも留守で,食事の支度はできておらず,洗濯物はゆかの上に山積みになっている,といった状態にあった夫の場合を考えてみてください。妻は家庭の外のいろいろな活動に参加して忙しく働いていました。それらの活動は確かに崇高で重要なものでしたが,結果として夫は自分がないがしろにされ,いなくてもいいと思われているように感じました。そのために夫は別の女性に注意を向けるようになりました。問題が露見した時に夫は許しを請い求め,罪を繰り返さないことを約束しました。しかし妻は事を進めることにして夫と離婚してしまいました。もちろん,夫は重大な罪を犯していたのですから妻にはその権利がありました。しかし妻は,夫婦の間が,不道徳につながるような悪い状態にあったことに対して,自分には全く責めがないと言えたでしょうか。

ですからクリスチャンはいろいろな理由で,神ご自身に見倣うことにして,過ちを犯した配偶者を許すかもしれません。そうするとすれば,大きな祝福を得ることになるでしょう。どんな祝福でしょうか。

憐れみ深い人に対する祝福

まず,不義を働いて悔い改めた配偶者を許した人の多くは,結婚生活を良い状態に引き戻すことができ,夫も妻も子供たちも,再び幸福な家庭生活を送ることができるようになりました。確かにこれは努力するだけの価値のある目標です。

許されたほうは,多くの場合,潔白なほうの憐れみ深い配偶者に対して以前よりも感謝の気持ちを深めます。そして,それまではその存在にさえ気づいていなかったかもしれない謙そんさや愛という特質を認めるでしょう。配偶者にひどい経験をさせたことを悟るなら,なおのことそうでしょう。

この記事の冒頭で述べた家族の場合にそうなりました。夫の不貞が分かったとき,その若い妻がひどく傷ついたことは言うまでもありません。彼女には夫を家から出して結婚を解消する聖書的権利がありました。でもそれをすれば母子家庭になってしまい,離婚した女性の寂しさを経験することになったでしょう。

ですから彼女はそうしないで,幼い子供とこれから生まれて来る赤ちゃんのことを思いやりました。また夫の深い悔恨の情をも考慮に入れ,かつて二人が抱いていた愛を思い起こして,エホバ神に倣うことを選び,悔い改めた夫を許しました。夫は強く心を打たれました。そして妻の愛ある援助によって平衡を取り戻し,家族や仲間の尊敬も取り戻しました。この問題は今はもう過去のものとなり,この幸福な家族は一致していて,将来に向かって共に励んでいます。

祈りを込めた決意

神の律法に対する違犯は決して軽視できるものではありません。配偶者に対して不義を働く人は,人間の結婚の創始者であられるエホバ神のみ前には有罪です。もし家族を失うことになれば,それは自分自身の罪の直接の結果であることを認めなければなりません。神との関係を築き直し,神がわたしたちに差し伸べておられる約束を確信を持って待ち望むことを願うなら,配偶者が許してくれてもくれなくても,悔い改め,自分の考え方と不道徳な生き方を完全に改めなければなりません。

しかし,結婚の解消は自動的なものと見るべきではありません。ホセアがゴメルを許したように,また霊的姦淫を行なったイスラエルをエホバが何度も許されたように,潔白なほうの配偶者は結婚のきずなを保つ可能性を少なくとも考慮する,しかも祈りを込めて考慮すべきです。これは結婚の創始者に対して敬意を示す方法となり,もしかしたら二人がもう一度結婚生活の幸せを楽しむ道を開くことになるかもしれません。

[脚注]

a 「ものみの塔」誌の1983年6月15日号,29,30ページをご覧ください。

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