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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
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平等を追い求める

劣等感を抱きたいと思う人はいません。欧米には,「自分は他のだれにも劣らない」という言い習わしがあります。優越感を態度に表わされると,やはり不快な気持ちになるのではありませんか。基本的に言って,自分が他の人と平等だと感じると,安心します。しかし,多くの人が経験しているとおり,平等について考えたり,話したりするほうが,それを実現するよりも簡単です。次の例について考えてみてください。

英国の北米植民地は1776年に自治を要求しました。その有名な「独立宣言」の中では,「すべての人は生まれながらにして平等」であるということが「自明の真理」とされていました。さらに,「生命,自由,および幸福の追求」を,全市民の享受すべき権利であると宣言していました。

13の植民地が英国から分離独立した当時,植民地の人口は約300万でした。そのうち50万人以上は奴隷でした。アメリカ合衆国において奴隷制が廃止されるまでには,ほぼ100年の歳月が必要でした。「独立宣言」の主だった推進者の一人,トマス・ジェファーソンは,生涯,奴隷所有者のままでした。その「独立宣言」の目指すところは尊いものでしたが,そうした基本的な平等権のほんの幾つかが実現するまでにも時間が必要だったのです。

多くの面で自由を享受していない人や差別を受けている人は世界中に大勢います。この点を認識し,あらゆる種類の不公正や不平等を取り除こうとしてさまざまな人がその一生をささげてきました。自由の問題を扱った,国際連合の最近の一出版物は,平等になることや平等の必要性に十数回言及しています。どうやらこれは,依然として非常にとらえどころのない目標になっているようです。なぜでしょうか。

問題になるのは,平等には数多くの側面があって,容易に定義できないという点です。人々は自分の置かれた状況に応じて,異なった仕方で平等を求めます。では,どの程度まで人間は平等であると言えるのでしょうか。仲間の人間との平等について,わたしたちは道理にかなった範囲で,現在および将来にどんなことを期待できるでしょうか。

平等 ― 今日どれほど現実的なものか

王子と乞食は同じ町で同じ日に生まれるかもしれませんが,恐らく一方は特権の伴う財産に恵まれるのに対して,もう一方は貧困にさいなまれます。これは,今日すべての人が生まれながらに平等だとは言えないことを示す一つの面にすぎません。

人の置かれた地域社会とその社会が長年の間に培ってきた平等の程度に,かなりのことが左右されます。ブリタニカ百科事典(英語版)はこの点を見事に要約してこう述べています。

「どの社会も富や権力および他の望ましいものを分かつための取り決めを必要に迫られて設けている。こうした取り決めは,個人および団体の間で程度の異なるさまざまな平等や不平等を表わすものとなっている」。

どんな地域社会にいようと,だれにでも自分にしかなくて人の役に立つものがあります。そこである人々は,すべての人の持つ個々の才能や能力を活用して,富と生産の手段とを公正に分配しようとしてきました。それで,「能力に応じて各人から徴集し,必要に応じて各人に分配」,あるいは,「能力に応じて各人から徴集し,仕事に応じて各人に分配」という共産主義的な言い習わしがあるのです。しかし,そのような哲学は一見魅力的ではありますが,不平等は人間のどの政治体制の下でも相変わらず続いています。

実際のところ,平等という理想を追い求めるどころか,人種は平等でないとされる考えにつけ込もうとしてきた政治体制もありました。ナチが“支配者民族”という考えを力説したことを思い起こすとよいでしょう。しかし,支配者民族なるものが存在するという考えが退けられてからすでに久しくなります。これもブリタニカ百科事典(英語版)からの引用ですが,身体的な特徴の明らかな相違を別にすれば,「行動と知力の面での真の人種的な相違の存在する可能性を確証するのは困難になる」のです。そのような人種の平等は基本的なものです。

教育と能力

教育の便益にすぐにあずかれるのであれば,教育は平等をもたらす大きな要素になり得ますが,必ずしもそのようにうまくゆくわけではありません。ごく初歩的なことを学ぶにも,依然として,汗の結晶であるお金を,授業料として払わなければならないような国は少なくありません。

一例として,南半球のある国では,読み書きのできる人は国民の20%にすぎません。その国では,年長の二人の子供は良い教育を受けているのに,ほかの子たちは全く教育を受けていないという家族は珍しくありません。それは単に家計が許さないというだけの理由によるのです。同様の問題に直面している発展途上国はほかにもあります。

こうした事態により,不平等が温存されてゆくきらいがあります。この現代の社会においては,教育のある人のほうに昇進の見込みがあり,お金のある人のほうが有利だからです。さらに,人々はある大学の学位をほかの大学の学位以上に追い求めます。前者のほうが有名だからです。ですから,教育は今日の不平等の問題に対する最終的な答えとはとても言えません。

基本的な権利

人間があらゆる面で全く同じになることは決してないということは遺伝的な要素から分かるかもしれませんが,それでもなお,ある基本的な事柄においては平等でなければならないことには同意なさるのではありませんか。以下に挙げるような分野で進歩が見られれば,人類にとって事態はずっと過ごしやすいものになるのではないでしょうか。

人種の平等: ある人種や階級がほかの人種や階級にらく印を押すことは少しも珍しくありませんが,どのようにしてそれを乗り越えることができるでしょうか。敵意は根深いものになり,多くの問題を引き起こします。個々の人が必ず平等に扱われ,ふさわしい尊厳を付与されるようにするにはどうしたらよいでしょうか。

食糧: 飢えた子供の写真を見たり,栄養失調やそれに関連した病気で毎年幾百万もの人が死んでいるという報道を読んだりしたとき,どんな反応を示しますか。世界の全人口を養うに足るだけの食糧が存在し得るということは,十分確証されています。では,このような苦しみを和らげるために,より平等な食糧の分配が行なわれないのはなぜでしょうか。

仕事: 失業は心痛と失意を生じさせ,さらには自殺の原因になることさえあります。すべての人が有利な仕事を得られるようになることはあり得ないのでしょうか。すべての人に働く機会が平等に開かれるようになることはないのでしょうか。

教育: 文盲を一掃するため,すべての人が少なくとも基礎的な教育を受けられるようにすべきではありませんか。教育によって階級間の格差が広まる傾向(『金持ちはますます裕福になり,貧しい人はいよいよ貧しくなる』)を許す代わりに,教育によって,すべての人の状態を向上させることができないでしょうか。教育が技術的なものにとどまらず,道徳や優れた人間関係をもたらす原則を含むものであれば,とりわけ,すべての人の状態を向上させることになるでしょう。

読者はきっと,平等を追い求める努力はまだまだこれからだということに同意されるに違いありません。

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