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  • 開拓者精神はフィリピンの収穫の業を速める
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1986
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  • 開拓者精神は業の成長を助ける
  • 開拓奉仕をするために事情を調整する
  • 目が見えなくても全時間奉仕に携わる
  • 生涯の仕事としての全時間奉仕
  • 老いも若きも進んであずかる
  • もたらされた進歩を喜ぶ
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1986
塔86 7/15 28–31ページ

開拓者精神はフィリピンの収穫の業を速める

読者が1935年当時,マニラにいて,エホバの証人に会いたいとしたら,リサル街1134番地の小さなアパートを探さねばならなかったでしょう。そこでは,20人ほどの人々が定期的に集まって,聖書を研究していました。そのアパートはフィリピンのものみの塔協会の最初の支部事務所でした。

今日,首都マニラ地区には,エホバの証人の103の会衆があり,9,000人以上の王国宣明者がいます! また,50年前にはフィリピンのずっと南のダバオ市にエホバの証人は一人もいませんでしたが,今では同市に41の会衆があり,2,800人以上の証人たちがいます。

これら二つの主要都市における増加は,それら初期の証人たちがその名にふさわしく生活した証拠の一つとなっています。(イザヤ 43:10-12)それらの人たちは宣べ伝えて教える業をフィリピンのあらゆる場所に広げてきました。別表をお調べになれば,過去半世紀にわたったクリスチャンの弟子を作る業の実を見ることができます。フィリピンの野外における業の成長を速めているのは何でしょうか。

開拓者精神は業の成長を助ける

初期のフィリピンの証人たちが熱心な開拓精神を抱いていなかったなら,良いたよりを人の住む何百もの島々に伝えることはできなかったでしょう。その開拓精神は依然として大変盛んです。例えば,1986年2月の報告は,758名の特別開拓者に加えて,9,090名の正規開拓奉仕者がフィリピン中で奉仕していることを示しています。これはわずか2年前に報告された人数の2倍以上でした! 1985年4月には,この国の証人たち全員の3分の1に相当する2万6,630人が何らかの形で全時間の宣べ伝える業に携わりました。

そうです,フィリピンのエホバの民は時の緊急性を感じています。ですから,それらの人々は隣人に神の言葉を宣べ伝えて教える業に,できるだけ多くの時間を費やしているのです。皆さんはきっと,ある証人たちがどのように事情を調整して全時間奉仕に入ることができたかについて関心をお持ちでしょうし,またその立派な経験を知りたいと思っておられるでしょう。

開拓奉仕をするために事情を調整する

パンガシナン州ビナロナンに住むフェリペ・ベンツラは,家族を養うようになるまで,若い時代に13年間全時間奉仕にあずかりました。子供たちが成長するにつれ,開拓者の業にもう一度携わりたいと思っていましたが,糖尿病にかかり,片方の目の視力を失いました。その後,4年ほど前に完全に失明してしまいました。それにもかかわらず,フェリペは一家を支えるため,小さな事業をずっと営むことができ,また妻や子供たちの助けを得て,時間を調整し,1985年4月1日付でもう一度開拓者になることができました。そして,息子が聖句を読んでくれるおかげで,障害にもめげず,家から家への宣教に携わっています。ベンツラ兄弟は家庭聖書研究も数件司会しており,また会衆の任命された長老として仕えています。息子の一人は同兄弟と共に正規開拓者として奉仕しており,娘は時々補助開拓者として奉仕しています。

ラグナ州ビーナンの長老クロデュアルド・キオイラグは妻に子供が一人できた1960年代まで,開拓者および旅行する監督として奉仕していました。それで,キオイラグが言うように,「人は一度全時間奉仕の喜びを味わうと,常にそれを求めるものです」。ですから,事業で成功し,妻と娘と共に何不自由なく暮らしてはいても,それが自分の人生の真の目的だとは考えませんでした。キオイラグはこう述べています。「全時間奉仕に戻りたいという長年の夢がかなえられないなら,私が所有しているものはすべて無意味になるでしょう」。それで,彼は開拓者になるため,事業活動を半日だけに減らし,午前中を野外宣教に充てました。その夢は1984年10月1日に実現し,その時から正規開拓者としての奉仕を始めました。収入はそれまでの約半分になりましたが,支出も少なくなりました。現在,妻は夫と共に正規開拓の業に携わっており,娘は時々補助開拓者として奉仕しています。

目が見えなくても全時間奉仕に携わる

パンタレオン・タトイは風疹にかかったため,3歳の時に失明してしまいました。それでも,1972年に初めて真理について聞き,「とこしえの命に導く真理」と題する本を研究し始めました。こうして,すぐに喫煙と飲酒の根強い習慣を克服するよう助けられ,1973年7月29日にエホバへの献身をバプテスマによって象徴しました。

パンタレオンが隣人に宣べ伝える業に初めて参加したところ,姉から,「お前は目が見えないし,ズボンも1着しかないのに,奉仕者になれるわけはないでしょう」と,とがめられました。しかし,そのことで落胆したりはしませんでした。パンタレオンは家の周りの地区のことをよく知っていたので,一人で出かけては,隣人に真理を宣べ伝えました。1984年には,いとことおいが真理を学ぶのを助ける喜びにあずかりました。二人はその年の9月にバプテスマを受けました。

パンタレオンはまた,双子のめい,ロルナとルスとの聖書研究も司会することができました。その二人は共にろうあ者です。目の見えない開拓者が,どのようにしてろうあ者と研究をするのでしょうか。他の人の助けを借りて,出版物の中のさし絵を十分に用います。真理を説明する段になると,いとこのロキナがパンタレオンの述べることを,二人に分かるように手話で訳すのです。ロルナとルスはその大きな障害にもめげず,1985年4月20日にバプテスマを受けました。パンタレオンのほうは,1年間補助開拓者として奉仕した後,1985年3月1日付で正規開拓者に任命されました。

生涯の仕事としての全時間奉仕

ある高校の卒業式で,一人の生徒がエホバの証人の級友にこのように尋ねました。「あなたたちに卒業後の進路について聞くと,決まって『開拓奉仕』と答えるけど,それはどういう仕事なの」。尋ねられた若い証人は,開拓奉仕がどういうものなのかを説明しました。その生徒は関心を示し,聖書研究をすることに応じ,その女生徒もほどなくして開拓者になる目標を抱くようになりました。

大学の課程が人の霊的な必要を満たすものではないということに気づいた人たちもいます。ボホール島の若い姉妹は大学の最終学年でしたが,大学での研究を修了するまでに,開拓奉仕を行なう時間があることに気づきました。その後,姉妹は開拓奉仕学校に出席し,大学はその開拓奉仕学校やエホバへの全時間奉仕で得た喜びとは比べものにならないと述べました。姉妹は今,宣べ伝える人の必要の大きな所で開拓者として奉仕しています。

老いも若きも進んであずかる

詩編は,王国による支配の行なわれる時代に,神の民が『進んで自らをささげる』ことを予告していました。また,『若者たち,処女たち,年老いた者たちや少年たち』がエホバのみ名を賛美するとも述べています。(詩編 110:3; 148:12,13)このことは,フィリピンの神の民の間でも確かに真実となってきました。

最近の計算によると,フィリピンでは,名簿に載せられている正規開拓者のうち1,159人,つまり13%が20歳未満の開拓者です。若い人たちが,利己的な,もしくはこの世的な楽しみを追い求めて若い時代を浪費する代わりに,このように利他的な精神を抱いて,『若い日に創造者を覚えて』生活するのを見るのは,何という喜びでしょう。―伝道の書 12:1。

若い時代に全時間奉仕を始めて,年が進んだ今でも忠実に奉仕している人もいます。レオデガリオ・バルレイアン兄弟と妻のナティビダドは1938年4月1日に開拓奉仕を始めました。二人は何年間かの困難な戦争の時期を切り抜け,旅行する業を含め,いろいろな立場で奉仕してきました。現在,バルレイアン兄弟は72歳ですが,パンガシナン州サン・カルロス市で,妻と共に特別開拓者として今も熱心に奉仕しています。

年を取ってから全時間奉仕を始め,高齢に達している人もいます。例えば,レオンシオ・サバンダルは52歳で開拓奉仕を始め,92歳の今でも特別開拓者として奉仕しています。サバンダルとその妻は,118人の人々がエホバに献身するのを援助してきました。同様に,シプリアノ・セプルベダ1世は72歳の時に開拓奉仕を始め,1985年88歳で亡くなるまで正規開拓者として奉仕していました。パウラ・マリアノは71歳で開拓奉仕を始め,種々の病気にもかかわらず88歳の今なお全時間奉仕を行なっています。こうした兄弟たちや他の年配の兄弟たちは,信仰と専心の何と優れた模範なのでしょう。

もたらされた進歩を喜ぶ

過去半世紀のことを回顧すると,エホバがご自分の証人たちの熱心な努力を祝福してこられたことがよく分かります。1935年当時,少数だったことからすると,1986年2月に8万8,113名の人々が野外宣教に携わったのを見るのは何という喜びでしょう。マニラのリサル街にあった一つの小さな会衆が,今や全国で2,454の会衆に増え,120の巡回区に組織されているのです。

では,将来の見込みはどうでしょうか。励みとなるのは,1985年4月4日の記念式の26万8,526人という顕著な出席者数です。それはこの国のエホバの証人の3倍以上に相当します。さらに,1986年2月には,関心のある人たちと合計6万3,248件の家庭聖書研究が司会されました。したがって,エホバの祝福と是認を受けて,業は引き続き発展してゆくに違いありません。

50年以上も前にフィリピンの島々で初期の油そそがれた証人たちが始めた業を,エホバが大変実り豊かなものにしてくださったのは喜ばしいことです。エホバの祝福と導きのもとに,今後も宣べ伝えて教える業を拡大してゆくことは,フィリピンのエホバの民の目標です。

[29ページの図表]

フィリピンの50年間にわたる増加

1935年 20人

1940年 222人

1950年 10,055人

1960年 31,608人

1970年 54,789人

1980年 61,164人

1986年 88,113人

[28ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

フィリピン

サン・カルロス

マニラ

ビーナン

サンボアンガ

ダバオ

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