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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
塔89 10/1 6–7ページ

地獄に関する真理

明らかに,死後の罰に関する信条の背後にある基礎的な教理は,肉体が死んでもその人自身は実際には死なず,むしろ何か ― 魂と呼ばれることが多い ― が肉体の死後も生き続けるという信条です。この信条の起源は,前の記事で理解できたように,メソポタミアに住んでいた初期のシュメール人とバビロニア人にまでさかのぼります。後に,ギリシャ人はそれを取り入れ,プラトンのような哲学者がその理論に磨きをかけました。「体と魂」に関する,洗練されたその二元論的な信条は,背教したユダヤ人の信条の一部ともなりました。

自称クリスチャンが死後の命に関するそのような信条を採用したのは,いつでしょうか。イエスと使徒たちの時代でないことは確かです。フランスの一般百科事典は,「キリスト教の文献の中で,罪人が地獄で罰を受け責め苦に遭うことを最初に述べているのは,[外典の]ペテロの黙示録(西暦2世紀)である」と述べています。

実際,初期の教父たちの間では,地獄をめぐって意見が激しく対立していたようです。殉教者ユスティヌス,アレクサンドリアのクレメンス,テルトゥリアヌス,キプリアヌスは,火の燃える地獄を擁護しました。オリゲネスは,地獄に矯正の場所としての性格を付そうとし,地獄にいる罪人も最終的には救われると主張しました。ナジアンズスのグレゴリウスおよびニッサのグレゴリウスも,程度の差こそあれオリゲネスの説を支持しました。しかしアウグスティヌスは,地獄に関するそうした穏やかな見方に終止符を打ちました。オックスフォード大学のJ・N・D・ケリー教授は,自著「初期キリスト教の教理」の中でこう書いています。「罪人が現世での命を終えた後に二度目のチャンスを迎えることはなく,罪人を焼き尽くす火は決して消えないという厳格な教理は,5世紀までにどこにおいても優勢になっていた」。

「オルフェウス ― 宗教史概説」という本は,煉獄に関してこう述べています。「聖アウグスティヌスは,将来の至福と断罪の間には試験期間としての中間的な段階,つまり火によって魂を清める段階があると考えていた。これは,煉獄に関するオルフェウス教[異教ギリシャ]やウェルギリウス[異教ローマ]の教理である。福音書の中にはそれに関する言葉は一つもない。……煉獄の教理は……6世紀に定式化され,フィレンツェ公会議(1439年)で教会の教義と宣せられた」。新カトリック百科事典も,「煉獄に関するカトリックの教義は,聖書ではなく伝統に基づいている」ことを認めています。リンボについても,ローマの枢機卿ラツィンガーは,それが「神学上の仮説にすぎない」ことを認めています。

死後の罰はない

では,聖書についてはどうでしょうか。聖書は,肉体の死後も魂が生き延びて,火の燃える地獄や煉獄で罰を受けることがあると述べていますか。新カトリック百科事典には,こう記されています。「死後も魂が生き延びるという概念を聖書の中に見いだすのは容易ではない。……旧約[聖書]の中の魂は,人間の一部ではなく,人間全体,生きた存在としての人間を意味している。同様に新約[聖書]の中でも,魂は,人間の命,個人の命を表わしている」。

このようにして,死後の罰の基礎となる前提は崩れ去ります。聖書は,「罪をおかす魂は死ぬ」と述べています。(エゼキエル 18:4,改訂標準訳,カトリック版)また,「罪の報いは死である」(ローマ 6:23,改訂標準訳)とも述べています。それで,悔い改めない邪悪な者たちが「ゲヘナ」や「永遠の火」や「火の湖」に行き着くことについて聖書が述べている場合,そうした人々が永久の死,「第二の死」に処せられることを象徴的な言葉で表現しているにすぎません。―マタイ 23:33; 25:41,46。啓示 20:14; 21:8。a テサロニケ第二 1:7-9と比較してください。

復活によって地獄はからになる

では,地獄は熱い所ですか。聖書によれば,そうではありません。一部の聖書の中で地獄と訳されているヘブライ語およびギリシャ語の言葉は,死者の共通の墓を指しているにすぎません。そこは責め苦のための熱い所ではありません。むしろ,休みの場所であり,死者は復活によってそこから出てきます。(伝道の書 9:10。使徒 24:15)スイスのバーゼル大学およびパリのソルボンヌ大学の神学部教授,オスカー・カルマンは,「死者の復活に対するクリスチャンの期待と,魂の不滅性に関するギリシャ人の信条との間にある根本的な相違」について語り,「後代のキリスト教がこの二つの信条を結びつけたと言うが……実際には結びつけたのではなく,一方[人間の魂の不滅性に関する異教の信条]を支持して他方[復活に関する聖書の教理]を放棄したのである」と正しく述べています。―下線は本誌。

エホバの証人は,魂の不滅性という考えを支持して復活に対する信仰を放棄したりはしませんでした。証人たちは喜んで幸福な希望を読者と分かち合い,本当に地獄は熱い所ではないことを聖書から証明します。

[脚注]

a 一部の人々が火の燃える地獄の教理を支持しようとして用いてきたこれらの聖句や他の聖句に関する情報をさらに得たい方は,ものみの塔聖書冊子協会が発行している「今ある命がすべてですか」という本をご覧ください。

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