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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
塔96 3/15 8–9ページ

彼らはエホバのご意志を行なった

イエスの別れの言葉に留意する

西暦33年ニサン14日の晩に,イエス・キリストとイエスの忠実な11人の使徒たちはエルサレムのある階上の間の食卓に寄りかかっていました。ご自分の死が迫っていることを知っておられたイエスは,「わたしはあと少しの間あなた方と共にいます」と使徒たちに言われました。(ヨハネ 13:33)事実,ユダ・イスカリオテは,イエスを殺させようとしていた邪悪な者たちと共謀して事を運ぶべく,すでに出かけていました。

その階上の間にいた人たちで,事態の緊急性をイエス以上に意識していた人は一人もいませんでした。イエスはご自分がまさに苦しめられようとしていることをよくご存じでした。イエスはまた,使徒たちがまさしくその夜,ご自分を見捨てるであろうこともご存じでした。(マタイ 26:31。ゼカリヤ 13:7)それはイエスが死ぬ前に使徒たちと話す最後の機会でしたから,イエスの別れの言葉はこの上なく重要な問題に焦点を当てたものだったに違いありません。

「わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」

イエスはご自分の忠実な使徒たちと共に,ユダヤ教の過ぎ越しに取って代わろうとしていた新しい式典を制定されました。使徒パウロはその式典を「主の晩さん」と呼びました。(コリント第一 11:20)イエスはパン種の入っていないパンを取り,祈りをささげられました。次いで,そのパンを割き,それを使徒たちに与えて,「取って,食べなさい。これはわたしの体を表わしています」と言われました。それから,イエスはぶどう酒の杯を取り,感謝の祈りをささげ,その杯を使徒たちに渡して,こう言われました。「あなた方はみな,それから飲みなさい。これはわたしの『契約の血』を表わしており,それは,罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されることになっているのです」― マタイ 26:26-28。

この出来事にはどんな重要な意味があったのでしょうか。イエスが示されたように,そのパンはイエスの罪のない体を表わしていました。(ヘブライ 7:26。ペテロ第一 2:22,24)そのぶどう酒は,罪の許しを可能にするものとなった,イエスの流された血を象徴していました。また,その犠牲の血は,エホバ神と14万4,000人の人たちとの間の新しい契約を発効させるものでもありました。それらの人はついには天でイエスと共に支配することになっています。(ヘブライ 9:14; 12:22-24。啓示 14:1)イエスはこの食事にあずかるよう使徒たちを招くことにより,彼らが天の王国でイエスと共に治めるようになることを示されました。

この記念の食事に関して,イエスは,「わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」とお命じになりました。(ルカ 22:19)そうです,主の晩さんは過ぎ越しと同様,年一度の行事となるはずでした。過ぎ越しはイスラエル人がエジプトにおける隷従状態から救出された記念として祝われましたが,主の晩さんはそれよりずっと大きな救出,つまり罪と死への隷属状態から贖われ得る人間の救出に焦点を当てた行事となりました。(コリント第一 5:7。エフェソス 1:7)さらに,表象物であるパンとぶどう酒にあずかる人たちは,将来,神の天の王国で王ならびに祭司となる特権を思い起こさせられることになりました。―啓示 20:6。

イエス・キリストの死は確かに人類史上最も重要な出来事でした。イエスが行なわれたことを高く評価する人たちは,主の晩さんに関する,「わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」というイエスのご命令に従います。エホバの証人は毎年,ニサン14日に当たる日にイエスの死を記念して,その晩さんを行ないます。1996年のその日時は,4月2日の日没後に当たります。お近くの王国会館で行なわれる主の晩さんに出席なさるよう心からご招待いたします。

「わたしはあなた方に新しいおきてを与えます」

イエスは主の晩さんを制定するほかに,ご自分の使徒たちのために幾らかの別れの助言を与えたいと思っておられました。使徒たちは優れた訓練を受けてはいましたが,学ぶべきことは沢山ありました。彼らは,イエスや自分たちに対する,あるいは将来に対する神の目的を十分に悟ってはいませんでした。しかし,イエスはそのような事柄をすべてその時に明らかにしようとはされませんでした。(ヨハネ 14:26; 16:12,13)むしろ,イエスは非常に重要な事柄について話されました。「わたしはあなた方に新しいおきてを与えます。それは,あなた方が互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなた方を愛したとおりに,あなた方も互いを愛することです」と言われたのです。それからイエスは,「あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」と付け加えられました。―ヨハネ 13:34,35。

それはどのような意味で「新しいおきて」だったのでしょうか。モーセの律法は,「[あなたは]あなたの仲間を自分自身のように愛さねばならない」と命じていました。(レビ記 19:18)しかしイエスは,仲間のクリスチャンのために自分の命を与えるほどの愛を示すことをご自分の追随者にお求めになりました。もちろん,『愛の律法』はそれほど重大な状況ではない場合にも当てはまるはずです。イエス・キリストの追随者はいかなる状況のもとでも,他の人たちを霊的な面や他の面で助けることにより,進んで愛を表わすでしょう。―ガラテア 6:10。

イエスは地上の生涯のその最後の夜,愛の気持ちから,ご自分の弟子たちのためにエホバ神に一部,次のように祈られました。「彼らは世におり,わたしはみもとに参ります。聖なる父よ,わたしに与えてくださったご自身のみ名のために彼らを見守ってください。わたしたちと同じように,彼らも一つとなるためです」。(ヨハネ 17:11)み父に対するこの嘆願の中で,イエスがご自分の追随者たちの愛に基づく一致を祈り求められたことは注目に値します。(ヨハネ 17:20-23)彼らは,『イエスが彼らを愛したとおりに,彼らも互いに愛し合わなければ』なりませんでした。―ヨハネ 15:12。

忠実な使徒たちはイエスの別れの言葉に留意しました。わたしたちも同様にイエスの命令に従わなくてはなりません。危機的な「終わりの日」の今,真の崇拝者の間の愛と一致は,これまで以上に重要なものになっています。(テモテ第二 3:1)確かに,真のクリスチャンはイエスのおきてに従い,兄弟愛を表わしています。それには,主の晩さんを守り行なうようにというイエスのご命令に従うことも含まれています。

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