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  • 他の人への最大の贈り物
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1998
  • 副見出し
  • 王や預言者や他の人々に対する贈り物
  • 贈り物に関する訓戒
  • クリスチャンの施し
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1998
塔98 2/15 31ページ

他の人への最大の贈り物

最古の時代から,贈り物をすることは日常生活の中で大切な役割を果たしていました。アブラハムの年老いた僕は,エホバがイサクの妻としてリベカをお選びになったことを示す証拠を見た後,彼女に装身具の贈り物を与えました。(創世記 24:13-22)その後,アブラハムの僕は,ラバンとベトエルから結婚の承諾を得た時,リベカにさらに贈り物を与え,「えり抜きの品々をその兄と母に」与えました。(創世記 24:50-53)後にアブラハムは,自分の所有物をすべてイサクに譲りましたが,そばめたちの子らには贈り物を与えて去らせました。―創世記 25:5,6。歴代第二 21:3と比較してください。

族長時代には,逆境を経験した人々に贈り物をする習慣があったのかもしれません。エホバがヨブの捕らわれた状態を元に戻された時,ヨブの兄弟姉妹や以前の知人たちはヨブを慰めに来ただけでなく,各々,「金子一枚を,各々金の輪一つを」ヨブに贈りました。―ヨブ 42:10,11。

王や預言者や他の人々に対する贈り物

証拠によれば,王に会いに行く人々は贈り物を持って行く習慣があったようです。サウルに対して全く敬意を持たない「どうしようもない者たち」は,サウルに何の贈り物も持って来なかった人々として特に取り上げられています。ソロモンはとりわけ,遠くの国々からその知恵を聞きにやって来た人々から大量の贈り物を受け取りました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」に会いに来た占星術者たちは,幼子イエスに贈り物を差し出した時,その習慣に従っていたにすぎません。(サムエル第一 10:27。列王第一 10:10,24,25。マタイ 2:1,2,11。列王第二 20:12; 歴代第二 17:5もご覧ください。)同様に,預言者に伺いを立てに行く人々も,贈り物を携えて行くことがありました。(サムエル第一 9:7。列王第二 8:8,9)しかし,ナアマンの手から「祝福の贈り物」を受け取ることを拒んだエリシャの例から明らかなとおり,神の預言者たちは,自らの奉仕に対する贈り物を期待したり,求めたりすることをしませんでした。―列王第二 5:15,16。

何かの仕事を見事に成し遂げた人々に対する報いとして,贈り物が与えられることも少なくありませんでした。(サムエル第二 18:11。ダニエル 2:6,48; 5:16,17,29)律法によれば,解放された奴隷は,むなし手で送り出されるべきではなく,羊の群れ,脱穀場,油やぶどうの搾り場から取った幾らかの贈り物を受け取ることになっていました。(申命記 15:13,14)また,大きな歓びの祝典には,贈り物の進呈が伴うこともありました。―エステル 9:20-22。啓示 11:10と比較してください。

贈り物に関する訓戒

わいろという形の贈り物は,心を滅ぼし公正をゆがめる場合があるので,聖書はそのような贈り物を憎むよう訓戒しています。贈り物を追い求める人々は非とされています。(申命記 16:19,20。伝道の書 7:7。箴言 15:27。イザヤ 1:23)さらに,「贈り物について偽って自らを誇る者」は,誇るほどには実行しないため,雨を全く降らせない,蒸気の満ちた雲や風になぞらえられています。(箴言 25:14)贈り物をする人は多くの友を持つかもしれませんが,その人の与える行為は永続的な友情を保証するものとはなりません。―箴言 19:6。

クリスチャン・ギリシャ語聖書は,贈り物をすることに関連したある種の慣習を厳しくとがめています。イエスは,父と母を敬いなさいというおきてを踏み越えていた書士やパリサイ人たちを非とされました。彼らによれば,人が自分の持っている物質的な物は神に献納された供え物であると宣言するなら,当人は引き続きそれを自分で使うことができましたが,両親を援助するためにそれを使う責務からは自由にされました。(マタイ 15:1-6)見返りに何かを期待しているなら,与えることには何の価値もありません。(ルカ 6:30-36; 14:12-14)エホバに喜ばれるには,無私の気持ちで,見せびらかすことなく与えなければなりません。―マタイ 6:2-4。コリント第一 13:3。

クリスチャンの施し

初期クリスチャンは,困窮している兄弟たちのために贈り物や寄付をしました。(ローマ 15:26。コリント第一 16:1,2)しかし,そのような贈り物はすべて自発的なものでした。パウロの次の言葉が示すとおりです。「各自いやいやながらでも,強いられてでもなく,ただその心に決めたとおりに行ないなさい。神は快く与える人を愛されるのです」。(コリント第二 9:7)また彼らは,使徒パウロのようにクリスチャン宣教に全く身をささげている人々を援助しました。しかしパウロは,兄弟たちから送られた贈り物を大いに感謝しましたが,贈り物を求めることはしませんでした。―フィリピ 4:15-17。

クリスチャンは,物質的な贈り物よりも貴重なものを与えることができます。他の人々を精神的にも霊的にも啓発して築き上げるため,自分の時間や能力を与えることができますが,それはいっそう大きな幸福をもたらします。人が他の人に提供できる最大の贈り物は,神のみ言葉に関する理解です。それを受ける人は永遠の命に導かれるからです。―ヨハネ 6:26,27; 17:3。使徒 20:35。コリント第二 12:15。啓示 22:17。

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