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  • 成長させてくださったのは神です
  • わたしたちの王国宣教 1986
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  • 増築工事に見られるエホバの祝福
わたしたちの王国宣教 1986
宣 86/6 3–6ページ

成長させてくださったのは神です

1 何という増加でしょう。この3月に日本の伝道者の合計はついに10万9,042人となりました。この誉れは『小さな者が千となる』と約束しておられた方に帰されるべきです。(イザヤ 60:22)37年前の小さな始まりから今日の神の証人たちの大軍に至るまでのすばらしい神権的歴史を短く振り返るとき,日本の神の民の組織をエホバ神が「ずっと成長させてくださった」ことを理解できるでしょう。(コリント第一 3:6)海老名市の協会の支部の増築工事はその新たな証拠にすぎません。エホバはどのように成長を導かれましたか。

2 1949年1月初め,最初の宣教者として日本の土を踏みしめたのはドナルド・ハズレット兄弟でした。1月末,兄弟は大きな努力を払った後,現在の東京都港区三田に建物を購入することができ,それが最初の支部となりました。ハズレット兄弟はたった一つの火ばち以外は何の設備もないその家で最初の冬を過ごしました。ささやかな出発とはいえ,業の基礎が据えられたのです。その奉仕年度の働き人は15人でした。やがて1951年に「ものみの塔」誌が,1956年に「目ざめよ!」誌が日本語で発行され,エホバの祝福が次々と増し加えられて,宣べ伝える業は日本中に広げられていきました。

3 1963年にはエホバの証人の数は3,000人に近づき,支部の仕事も増加して,それまでの2階建ての日本家屋の建物では身動きできなくなっていました。それでその64坪の同じ土地に6階建て鉄筋コンクリートの建物が建築されることになりました。建設は清水建設によって行なわれましたが,この大規模な工事のためには海外の兄弟たちからの経済的な援助を得なければなりませんでした。

4 次いで1969年10月の国際大会で,当時の会長であるノア兄弟は沼津市の約1,200坪の土地の購入を発表し,1970年に土地の契約がなされました。そこに3階建ての印刷工場と5階建てのベテル・ホームが建てられることになったのです。この喜びの最中,1971年に日本のエホバの証人の数はついに1万人に達しました。1972年,清水建設により立派な沼津支部の建物が完成し,その年10月8日号の「目ざめよ!」誌を皮切りに,ついに両方の雑誌がベテル奉仕者の手で印刷され始めました。印刷の質はまだまだという状態であったものの,それはその後の目を見張るような進歩の始まりでした。多くの奉仕者たちは,その時の喜びを今でも鮮明に思い起こすことができます。

5 1973年の「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」の発表はうれしい驚きでした。業は拡大を続け,沼津支部の建設後3年もたたないうちに新たに二つの建物を増築することが必要になりました。約80人の兄弟たちの手により,1975年1月から1年がかりで工事が行なわれている間に,伝道者は3万人を超えました。結局,この増築をもってしても急速な拡大に追いつけないことが明らかとなりましたが,それは間もなく始まろうとしていたより大がかりな工事に備えて貴重な経験を得させるものとなりました。物事を常に導いてくださるエホバに感謝しなければなりません。

6 その拡大は1978年,神奈川県海老名市の1万5,000坪の土地が購入されるに及んで現実のものとなりました。(2年後に土地が追加購入され,総面積は沼津支部の敷地の18倍を上回る2万2,000坪となりました。)直ちに建設工事が始まりました。日本中のエホバの民がこの拡大計画を資金,労力の両面で熱心に支持し,約4年に及ぶ工事の後,1982年5月に,美しい海老名支部の現在の施設が喜びのうちに献堂されました。しかも野外は片時も静止していませんでした。その工事期間中に約2万5,000人の新たな賛美者が生み出されて,伝道者数は7万人に迫っていたのです。

7 海老名支部の完成は,霊的食物の供給面で新たな時代の幕開きとなりました。書籍が日本で生産されることになったのです。1982年夏,「王国の真理」地域大会において,「新世界訳聖書」全巻と『永遠に生きる』の本が日本語で発表された時,何という喜びと興奮が聴衆を包んだことでしょう! コンピューターによる組版プログラムの導入により,以来ふんだんに美しい出版物が供給されてきました。海老名支部の敷地にはその後,大会ホールも建てられ,関東地方の兄弟姉妹の大きな祝福となっています。

8 しかし,エホバがご自分の愛する羊を集める業の速度を上げられるにつれ,この海老名市の施設さえ手狭になり,1983年11月に増築工事の許可が再度統治体から与えられました。働き人が再び全日本からかけつけて来ました。そして,1984年8月に増築工事の建築許可が関係官庁から与えられ,今日に至っています。

増築工事に見られるエホバの祝福

9 物事に神の祝福があるとき,それが神の業であることを認めることができます。これは増築の業においても同様です。(1)働き人を備える点で,(2)財政的な必要を満たしてくださる点で,(3)工事上の困難を乗り切るように助けてくださることにおいて,神の祝福はこの増築工事に示されてきました。

10 エホバ神は喜んで働く人々を備えてくださいました。そのほとんどは開拓者から備えられました。これまで数百人にのぼる人々が申し込み,そのうち317人が現在建設に携わっています。平均年齢25歳という生気あふれる兄弟たちで,大半は真理にいる家族から来ました。他の全時間奉仕に携わる若者たちの場合と同様,その背後には子供を真理のうちに育てる親の立派な努力があったのです。加えて家族を持つ12人の兄弟たちが外部から通っています。ここで2年間働いたある兄弟の喜びの感想は信仰の表明と言えます。「一般の若者は部活動などで力のはけ口を求めますが,自分たちはここでの建設に神から与えられた若い力を存分に用いることができ,最高の特権と思っています」。このように,ここで建設奉仕に励む兄弟たちの信仰も築き上げられています。若い兄弟たちが引き続きこの奉仕を申し込まれるようお勧めしたいと思います。

11 財政的な必要の点でもエホバは業を支えておられます。全日本のエホバの民にこの建設計画を貸し付けと寄付で支持できることが知らされるや,寛大な支持があいついで寄せられました。額はさまざまですが寛大な愛の動機で与える精神は,全く神の霊の導きに調和したものです。出エジプト記 35章29節に「エホバがモーセを通して行なうようにと命じたすべての仕事のために何かを携えて行こうとその心に鼓舞されたすべての男女がそのとおりに行なったのである。イスラエルの子らは自発的な捧げ物をエホバのもとに携えて来た」と書かれているとおりです。協会は皆さんの自発的な捧げ物に大変励まされ,感謝しています。統治体はその最近の手紙の中で日本の兄弟姉妹たちの大変すぐれた精神をほめ,『統治体としては,協会が行なっている業について最新の情報を伝え,どんな仕事がなされているかを知らせるなら,それだけで野外の兄弟たちは必要な支援を喜んで与えてくださると考えています』と述べています。わたしたちの月ごとの経験はまさにそのとおりであることを示しています。例えば次のような手紙がしばしば寄せられます。「このお金は,アルバイト(新聞配達)をしてもらった月給の一部です。……19歳まであと3年です。私は,この世が過ぎ去る前に,なんとかして,ベテル奉仕を経験したいのです。今は,到底ベテル奉仕は無理ですが,今から,何かをしておきたいと思い,まずベテル増築の寄付をしたいと考えました」。

12 こうしてこの増築工事のために寄せられた寄付の合計は10億2,000万円,貸し付けの合計は21億9,000万円,合計32億1,000万円となりました。これは予定総工費48億円の約3分の2に相当します。この工事の最中に,前回の海老名支部建設のために全日本の兄弟たちがしてくださった貸付金を事実上すべて返済し終えることができました。確かに,これはエホバの業であり,エホバの祝福を共に喜ぶことができます。これからも,寄せられた基金を無駄なく生かして質の良い建物を建てていきたいと思います。皆さんから引き続き寄せられるご援助により,あと2年ほど後に,増築工事のためのすべての必要は満たされ,「聖なる寄進物のためのものはもう何も出さなくてよい」という知らせが伝えられる時が来ることでしょう。―出エジプト記 36:6。

13 何もかも初めてというような大規模なこの工事には,困難や試みのようなものもあります。例えば,地下7㍍まで大きな穴を掘るに際し,周囲の土が落ちないように土留めの工事は細心の注意を払って計画され,実施された結果,成功しました。また,ぼう大な左官の仕事も経験のある技術者はわずか3人だけですが土工部門約40人の兄弟たち全員が一生懸命技術を習得することにより,外部の技術を持つ兄弟たちの援助を受けずに毎回の仕上げを担う道が開かれました。今でも,毎週毎週が新しい仕事の挑戦,工程に合わせていくための真剣な努力の連続ですが,エホバがいつも共にいて祝福してくださり,工事は順調に進んでいます。目下,4月21日から6月25日にかけて,工場棟6階までの鉄骨が外部の業者により組み上げられています。これは160㌧のトラック・クレーンを用いて行なわれていますが,5ページの写真に示されているこのクレーンは自重が120㌧もあり,ジブの先端は50㍍近い高さになります。

14 何のためにこれらの建設が行なわれているのでしょうか。エホバが成長させておられる野外の刈り入れの仕事を世話するためです。それは,この建設工事が霊的な目的を持つ独特の工事であることを意味しています。1985年の末に訪問された地帯監督バリー兄弟は,工事に携わる人々にこの考えを強調しました。

15 1972年に沼津の支部を建設した時から今日までを振り返ると,日本支部がベテルの建設を行なっていなかった時はほんの二,三年にすぎません。エホバが全世界の業をずっと成長させておられるのを見るとき,わたしたちはこれからも,エホバがここ日本の野外の業とベテルの仕事とを同様に繁栄させてくださることを確信できます。

[3ページの図版]

1949年 ― 木造2階建ての最初の支部

1963年 ― 地上6階地下1階の東京支部

1972年 ― 印刷工場の加えられた沼津支部

[4ページの図版]

1982年 ― 海老名支部

6階まで鉄骨が組まれた宿舎棟

[5ページの図版]

進行中の工場棟の鉄骨建て方工事

[6ページの図版]

新しい2台目の三菱製輪転機(左)とデラックス版聖書の自動金付け機(右)

宿舎棟完成予想図

工場棟完成予想図

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