振る舞いによって人々を真理に引き寄せる
1 イエス・キリストは弟子たちに対し,「世の光」となり,その「光を人々の前に輝かせ」るようにと諭されました。(マタイ 5:14,16)ですから,わたしたちは,宣べ伝えることと一致した生活を送る必要があります。わたしたちは地域社会においてりっぱな市民として,模範的な父親または夫,母親または妻,息子そして娘として際立っていなければなりません。―エフェソス 5:24-6:4。
家や学校で
2 わたしたちが公の宣教活動に携わっているかどうかには関係なく「良いたよりにふさわしく行動」することが重要です。(フィリピ 1:27)例えば地域社会の一住民として課されている通常の務めを良心的に果たし,普段から近所の人と意思を通わせているなら,「外部の人々から」良い評判が得られるばかりか,伝道の目的で人々を訪ねる時,良い話し合いの道が開かれることでしょう。(テモテ第一 3:7)学生であれば,やはり良い振る舞いによって先生や学友たちにキリスト教の音信を一層魅力あるものとすることができます。とりわけ若い証人の皆さんが,クリスチャン人格を身に着け,まじめに学校の授業に取り組み,敬意を抱いて人々に接してゆくなら,人々は皆さんの「りっぱな業を実際に見」,神の栄光をたたえるようになるでしょう。―ペテロ第一 2:12。
3 主婦にとって挑戦となるのは,いかにして宣教活動と家事の務めを両立させるかということです。箴言 31章には「有能な妻」について多くの事が論じられています。勤勉で平衡の取れた妻は,家族の益となることを行なうため,常に「家の状態を見守」り,加えて家庭の外にも関心を向け,困っている人々に霊的にも物質面でも援助の手を差し伸べることのできる人として描写されています。それで家事を最優先させる必要はないものの,家族や訪問客にとって,家が居心地よく,くつろいだところとなるよう「家事にいそしむ」なら,今日でも人々の称賛を受けることになります。―箴言 31:10,20,27-31。テトス 2:4,5。
野外宣教において
4 りっぱなクリスチャン人格は,野外宣教における振る舞いにも健全な影響を及ぼすようになります。わたしたちとしては,『温和で深い敬意』を込めた話し方をぜひ習得したいものです。(ペテロ第一 3:15)家の人の見解を見下す独善的な話し方は,容易に人々の反発を招きます。たとえ音信に快い反応を示さない人が多いとしても,次回の訪問を期待し,家の人と気持ちよく別れるように努めましょう。―コリント第二 4:4。マタイ 23:3,4。
5 思慮深く振る舞うことも大切です。例えば家の人にどれほど関心があるように見えたとしても,長居しないことは賢明です。初対面であり,家の人にどのような事情があるかが分からないため,ころ合いをみて話を切り上げ,再び訪問することを伝えてください。また異性の関心者を訪問する時は,二人で訪問するか,早目に同性の奉仕者に替わってもらうのはよいことです。それは家の人や周囲の人々に対する気遣いの表われであると同時に,自分自身サタンのわなに陥らないようにするためでもあります。
6 今日,わたしたちがエホバ神の『生ける証人』となり,キリストの思いを豊かに反映させる弟子として,宣教活動に活発にあずかるなら,『世界という畑』から多くの収穫を得,エホバに賛美をもたらすことができます。―イザヤ 43:10。マタイ 13:38。