再訪問に喜びを見いだす
1 聖書の中では,「喜び」という語はエホバのご意志を行なうことや良いたよりを宣明することとしばしば結びつけられています。(詩編 59:16; 100:2)それゆえ今日のエホバの僕たちも,再訪問を含むすべての神聖な奉仕に喜びを見いだすことを期待できます。
2 なぜ,この再訪問の業にわたしたちは多くの喜びを見いだせるのでしょうか。それは,自分がエホバを喜ばせており,宣べ伝える責務を果たしているという自覚から来る内面的な満足感に由来します。今日,人々はこの音信に対する反応に応じて裁かれており,羊のような人々を見いだし援助することは現在行なわれている最も重要な業です。(テサロニケ第二 1:8,9)エレミヤと同様,差し迫った滅びに関する預言的な知識は,骨の中に閉じこめられた燃える火のように命を救う業にわたしたちを駆り立てます。(エレミヤ 20:9)一方,人々は気を散らされているゆえにすぐにこたえ応じなかったり,わたしたちが頻繁に訪問するためいらだったりするかもしれません。しかしわたしたちの喜びは人々の反応に依存しません。ある兄弟は,家の人の関心が短い再訪問を繰り返すことによって高まってゆくのを見る喜びを,花のつぼみがほころび始め,一気に咲き出すのを見る喜びに例えています。
3 どのようにして再訪問での喜びを増し加えることができますか。次のように自問してください。わたしはどの家の人も再訪問できる可能性のある人とみなし,相手の述べることに注意深く耳を傾け,関心を見極めるようにしているだろうか。再び訪ねたいと述べ,再訪問のための良い土台を築いているだろうか。再訪問の準備を十分に行ない,協会の出版物に載せられている提案に従ってさらに興味を引きそうな特定の点を銘記させているだろうか。
4 再訪問を成功させ喜びを得るための別の要素は,喜びのうちに忍耐することと家の人に対する積極的な関心です。(ローマ 2:7)支部に寄せられる経験の中には,最初の訪問で断わられたものの親切を示され感じが良かったというだけの理由で再訪問を行ない,祝福を受けたというものが数多くあります。ある姉妹はインターホン越しに今から出かけるので話せないと家の人に言われましたが,その女性の声がとても優しいものであったため断わられるまで訪問し続けようと決意しました。その女性に会うため繰り返し訪問する努力を払った結果,聖書研究が取り決められました。また別の姉妹は午前の奉仕中,ある仕事場で誠実な一人の若い男性に会い,その人を援助したいと思いました。同じ日の昼休みにもう一度訪ねましたが,忙しかったのでその晩に会衆の兄弟と訪問することを取り決めました。その結果,進歩的な研究が始まりました。皆さんの勤勉な努力は,同様のすばらしい祝福をもたらすことでしょう。
5 イエスや使徒パウロは,神から与えられた割り当てを懸命に果たし優れた結果を得たため,喜びに満たされていました。日本でも,依然として人々は良いたよりにこたえ応じており,昨奉仕年度中,1万3,000人がバプテスマを受けたのです。それらの人々のほとんどは,最初に抱いていた霊的食欲を勤勉な再訪問によって高められました。それゆえ,「あなた方の労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから」,引き続き再訪問の業に喜びを見いだしてゆきましょう。―コリント第一 15:58。ヨハネ 13:17。