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わたしたちの王国宣教 1995
宣 95/2 3–6ページ

個人研究の量と質を改善する

1 個人研究はあなたにとって何を意味していますか。あなたの生活の中であなたをくつろがせ,喜びをもたらす楽しいひとときとなっているでしょうか。それとも,まだ優先順位のリストの一番最後に来るような,たいへんな骨折り仕事となっているでしょうか。いずれにしても,わたしたちは個人研究の量と質を改善したいと願うことができますし,またそうすべきです。なぜですか。

2 きわめて重要かつ喜びをもたらす活動: 「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」というイエスの言葉は,何を意味していたのでしょうか。(ヨハネ 17:3)「洞察」の本は,人間は動物とは違い,霊性を発揮する能力を与えられていることを説明し,このことに光を当てています。こうした能力はアダムに一つの必要を生じさせました。人間は文字通りの食物を必要とするように,いやそれ以上に霊的な滋養物を必要としています。「したがって,エホバ神とその霊的な備えから離れては,命をいつまでも持続させることなどできません」―「洞察」,第1巻,247ページ。

3 この原則は,「人(は)パンだけによって生きるのではなく,エホバの口から出るすべての言葉によって人は生きるのである」というみ言葉の中に言い表わされています。(申命記 8:3)それが意味することについて考えてください。わたしたちが地上で生きるためには,エホバから教えられる霊的な人として,継続的に進歩してゆく必要があるのです。

4 しかしながら,「幸福な神」エホバは,わたしたちが食べることや飲むことなどの能力を用いて生活を楽しむように,与えられた能力を用いて個人研究から真の喜びを見いだすよう望んでおられます。(テモテ第一 1:11)集会の準備や出版物に遅れずについてゆくことを急いで行なったり,単なる義務として,あるいは早く済ませなければならない雑用として行なったりするのではなく,深い喜びと満足をもたらす活動とすべきです。詩編作者は,「喜び(が)エホバの律法にあり,その律法を昼も夜も小声で読む」人は幸福であると述べました。(詩編 1:1,2)イエスも,当時の群衆に,「霊的な必要を自覚している人たちは幸いです」と語られました。―マタイ 5:3。

5 なぜ幸いなのでしょうか。なぜなら個人研究は様々な良い結果をもたらすからです。神の偉大な特質とその道を学ぶことによって天の父エホバに引き寄せられるだけでなく,自分自身と家族に益をもたらす円熟した決定を下せるようになります。個人研究は,揺らぐことのない信仰や確信などの純粋な特質を築き,「わたしたちがもはやみどりごでなくなり,人間のたばかりや誤らせようとたくらむ巧妙さによって,波によるように振り回されたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりすることのない」ようにしてくれます。(エフェソス 4:14)さらに個人研究は,エホバへの奉仕において無活動になったり,実を結ばなくなったりすることからわたしたちを守り,わたしたちの兄弟たちとの関係を改善することに寄与します。―ペテロ第二 1:8。

6 これらの益を考慮し,日本支部は1995奉仕年度の目標として「個人研究に喜びを見いだす」を掲げました。あなたはこの面で個人的な目標を定めましたか。もしまだでしたら,そうできますか。

7 わたしたちの個人研究の量を増やす: わたしたちが注目しなければならない分野の一つは,わたしたちが行なう研究全体の量を増やすことです。時の経過と共に,霊的な欲求が増し,研究時間の使い方においてさらに効果的になり,研究にさらに多くの時間を用いることが可能になります。

8 新しい人にとっては,その週の家庭聖書研究の準備や,「目ざめよ!」誌の中にある特に関心がある記事の幾つかを読むことが,できるすべてかもしれません。しかしやがて,研究生が集会に出席し始めるようになると,司会者はそれぞれの集会で討議される資料を前もって概観するよう励ましてゆかねばなりません。これには,その週の「ものみの塔」研究や会衆の書籍研究で討議される資料や,後には奉仕会や神権宣教学校の資料も含まれてゆくことでしょう。新しい人にとって,別のよい目標は聖書全体を通読することかもしれません。もし毎日15分から20分間読めば,全体を読むのに約一年かかりますが,それを成し遂げることから得られる益は,努力を補って余りあるものです。約束の胤に関連して何世紀にもわたって成し遂げられてきたエホバの目的を概観することができ,新しい人はエホバの比類のない特質とその道に対する感謝と認識を深めることでしょう。

9 しかしながら,「すべての聖なる者たちと共に,[神の言葉の]幅と長さと高さと深さがどれほどであるかを悟る」ためには,わたしたちは個人研究の量を徐々に増やしてゆかなければなりません。(エフェソス 3:18)たとえば,あなたは毎週「ものみの塔」誌の副記事を読むために時間を取っておられますか。あなたは「目ざめよ!」誌に載せられている教育的な記事すべてを読み切ることによって,世界の出来事とその意味についての見聞を広めることができるでしょうか。それぞれの雑誌すべての記事を読み終えるために,毎週2時間半から3時間取り分けておく必要があるでしょう。

10 別の価値ある目標として,毎年地域大会で受け取る新しい出版物を読み終えることを挙げることができます。「ふれ告げる人」の本はすでに読み終えましたか。読み終えた人たちは,わたしたちの愛する兄弟たちとの関係ばかりでなく,自分の信仰や,今日エホバが業を成し遂げるために用いておられる組織に対する感謝と認識を大いに強めるものとなった,と述べています。昨年の夏に発表された「洞察」の本に関して,地域大会の閉会の言葉の中で話し手は,この本の中の情報は参照用としてだけでなく,楽しく通読したり研究したりすることにも用いることができると語りました。この2巻からなる聖書事典の中に収められた啓発的な資料に対する数多くの称賛の手紙を協会は受け取りました。

11 それ以前の地域大会でも「探求」の本が発表されましたが,あなたはそれを個人研究の計画の中に含めたいと思われるかもしれません。今日のキリスト教世界で共通に教えられている偽りの教理の起源を識別するとともに,世界の主要な宗教の一般的な知識を得られ,わたしたちの区域に住む人々の考え方が,どのように仏教,神道,儒教などによって形造られてきたのか,この本はそれらの影響力を理解するのに役立ってきました。確かに,「わたしたちの主また救い主なるイエス・キリストの過分のご親切と知識において成長し」続けようとするわたしたちは,個人研究の予定に数え切れないほどの,興奮を与え報いの多い読書計画を加えてゆくことができます。(ペテロ第二 3:18)たとえば,兄弟たちであれば,深い探求や長老としての活動に関連した記事などを集めたいと思われるかもしれません。開拓者たちは奉仕に関する指示,教える技術,わたしたちの活動に聖書的な動機づけを与えることなどに関連した記事に特別の関心を持っているかもしれません。

12 個人研究の質を改善することができますか: 個人的に考慮できる別の分野として,わたしたちの研究の質の面で目標を立てることがあります。もしあなたが以前学んだ書籍を見直すなら,確かにこの面で進歩してきたことを認めることができるでしょう。初期のころは漫然とした仕方ですべての部分に下線を引く傾向があったり,聖句にはわずかしか注意を払わなかったりしていたかもしれません。今では鍵となる単語や表現にだけ手際よく下線を引き,参照聖句を出版物の余白に書き記すようになりました。しかし,さらに個人研究の質を改善し,もっと多くの益にあずかり,それを楽しむことができますか。

13 個人研究を,地面を一気に流れ下る鉄砲水と,植物の根に必要な栄養物を運ぶ水分を地中深く染み込ませる柔らかい雨に例えることができます。後者は動機の座である心に達するので益をもたらします。エホバはイスラエルにこう命じられました。「わたしが今日命じているこれらの言葉をあなたの心に置かねばならない」。(申命記 6:6)これはどのように成し遂げられますか。それは,資料をよく分析し,推論し,黙想することによってです。

14 「ものみの塔」研究の予習を例にして考えてみましょう。まず,主題と副見出しに注意を払い,『なぜ忠実で思慮深い奴隷級は今この時期にこの資料を準備したのか,そこからどんな益が得られるか』と自問してください。書かれている質問を読み,節の中から答えを探し出すだけでなく,引用聖句と参照聖句の両方に注意を向けなければなりません。自問してみてください。『主題とどのように結びつけられるだろうか。その聖句は節の論議をどのように支持しており,聖句のどの部分が適用されているのだろうか』。一般的に言って,もし引用聖句が節の中ごろにあるのなら,先行する文の要点を支持するためにあり,もし節の最後にあるなら,節全体を支持するために載せられている場合が少なくありません。しかしながら,多くの場合に聖句の特定の部分だけが適用されるのであり,その部分を見極めなければなりません。たとえば,啓示 1章1節が引用されているとします。もし論議が啓示の成就の時に関するものであれば,「ほどなくして」という語に強調が置かれなければなりません。もし筆者に啓示が与えられた方法について,あるいは神が音信を明らかにするために用いる経路について論じているのであれば,「しるし」,あるいは「イエス・キリスト」や「ヨハネ」という名前に強調を置く必要があります。そして余白には,きちんと聖句のその部分だけを簡潔に記します。

15 簡単な復習を研究時間の最後に行なうことも,心の中に資料を鳴り響かせるのに有益です。もう一度記事全体を分析し,主題,付加的な点やさし絵などに注意を払い,おそらく簡潔に要点の理由や支持する聖句を書き留めることも役立つでしょう。多くの人はこの方法で聖句を推論し記事を分析することに最初は困難を覚えます。世俗の教育を受けるときにただ暗記して覚えることだけが強調されていた場合には,特にそう言えます。しかしながら,もしこうした高いレベルの学習方法という目標に向かって進歩し,自分自身にいつも質問を投げかけ,理由について推論し,要点と結びつけるようにするなら,わたしたちの研究の質は大いに改善されることでしょう。

16 若い人たち ― 救いに向かって成長し続けなさい: エホバの証人の若者は世の若者が持っていない優れた立場にいます。聖書の正確な知識が得られる王国会館での集会に出席するという特権だけでなく,定期的な聖書研究を通して個人的な関心を払い,十分世話してくれる親がいるという祝福にもあずかっています。しかしながら,協会が受けた報告によると,エホバの証人の中には,いまだに人生において何をしたいのか決めかねていたり,霊的に進歩するために他からの援助を必要としている若者たちが多くいます。

17 あなたはどうですか。あなたもまだ真理について疑問を抱いていたり,“親の宗教”と見なしたりしているでしょうか。聖書研究を重ね,真理をあなた自身のものとしたいと願っていますか。「み言葉に属する,何も混ぜ物のない乳を慕う気持ちを培い,それによって成長して救いに至るように」していますか。(ペテロ第一 2:2)学校の宿題や活動を成し遂げるために多くの時間と労力が必要であるという事実をわたしたちはよく理解しています。しかしながら,エホバに自分の命をささげることの重要性から考えると,わたしたちはあなたに個人的に「エホバが善良であることを味わい知」って欲しいと思います。(詩編 34:8)あなたが無理のない範囲で定めることのできるどんな目標があるでしょうか。

18 一つのすばらしい目標は,まだ学校に通っているうちに読書力を向上させることです。読書をする時には,特に協会の出版物を読む時には,手元に良い辞書を置いておく習慣を身につけ,よく知らない言葉すべての意味と正しい読み方について確かめることができます。このようにして語彙や表現方法を増やすことによって,読書をさらに楽しく意義深いものとすることができます。「目ざめよ!」1991年7月22日号にある「視野を広げるために読書をしましょう」の記事はこれに関連して助けになります。―「神権宣教学校案内書」研究4,および29ページ1,2節も参照。

19 別の達成可能な良い目標は,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を受け取ったら,それぞれの記事をすべて読むことです。より若い人でさえ,「ものみの塔」の研究記事のすべて,あるいはその一部を予習するという目標を定めることができますし,また参照されている聖句を調べたり,自分の生活にどのように当てはめられるか考えたりすることができます。

20 献身に向かって良い進歩を遂げている若者たちは,個人研究を続けるために計画を持つことが大きな刺激となることを知りました。例えば,あなたが抱いているかもしれない疑問について扱った本を選び,それを読み通すことを目標にしてみませんか。年齢にもよりますが,「若い時代」の本や「若い人が尋ねる」の本,十代であれば「創造」の本や「ふれ告げる人々」の本などを選ぶことができるかもしれません。各章を読んだ後に,学んだことを簡潔に要約して個人研究用のノートに書き出すことができます。そのノートを親や会衆の長老たちに見せて進歩していることを確認してもらい,さらにアドバイスを受けることもできます。他の人たちは,終わりの日に関する聖書の説明を支持する新聞の記事などを切り抜いてファイルにまとめています。(マタイ 24章。テモテ第二 3:1-5)他の良い目標は,聖書全巻を読み通すことです。分厚い本に見えますが,ポピュラー音楽五,六曲分の時間を毎日振り向けるだけで,一年でその目標を成し遂げることができるのです。ほかに付加的な事柄として,その日の日々の聖句が含まれている章全体を読み,その後,適用を記すための個人的なノートを作ったり,その意味を余白や別のノートに記したりすることがあるかもしれません。エホバは,個人研究の量と質を改善しようとして払うあなたの「真剣な努力」をご覧になり,豊かに祝福してくださることでしょう。―ペテロ第二 1:5。

21 「よい時を買い取りなさい」: 今奉仕年度,個人研究の幾つかの分野で良い進歩を図ろうとしているのであれば,わたしたちは他のそれほど重要でない事柄を追求することから時間を買い取ることや,読むものをより良く吸収することができる,思いがすっきりとしている時間帯に研究を行なうことにも,注意を向けなければならないかもしれません。―エフェソス 5:16。

22 自分の予定表を見るなら,特に最大の時間泥棒であるテレビなど娯楽や,あまり重要ではない活動や趣味などの時間を切り詰める余地を見いだせるかもしれません。わたしたちの時間は限られているために,わたしたちは,新聞や世俗の雑誌などの読み物をよく選択しなければならないでしょう。

23 研究の環境に注意を向けることも,わたしたちがよい時を買い取ることができる別の方法です。同じ部屋でいろいろな活動がなされているなら,たとえばテレビがついていたり,電話の会話が聴こえたりしているなら,研究に集中するのは難しいものです。そうした理由で多くのクリスチャンは自分の予定を調整し,静かな環境の中で効果的な個人研究ができるよう,朝の早い時間や家の騒音がなくなる夜遅くに行なっています。自分個人の部屋を持つことが難しいなら,安価な耳栓は賢明な投資でしょう。

24 幾つかの活動を同時に行なうことも,よい時を買い取るためのもう一つの方法です。あるクリスチャンは通勤の時や病院で,あるいは他の人を待っている時などに軽い読み物,例えば「目ざめよ!」誌などを読むことによって,読書量を増やしています。兄弟たちであれば,会衆で教えるそれぞれの割り当てを,「索引」や「洞察」,「参照資料付き聖書」などを用いて,関連した事柄を調べる機会とみることができます。特別の努力を傾けることは,会衆の祝福になるとともに,物事に対する洞察力を深める結果になるでしょう。

25 軽い資料を読むときには,読む速度を上げることにも注目できるかもしれません。広範囲にわたって下線を引くことや,読むときに口を動かす癖は,読む速度を落としてしまいますので,良い方法ではないかもしれません。目を訓練し,表現または言葉の一群を目に一度に入れるようにし,後戻りして文章を読み返すことを避けるようにしてみてください。これらは,読み方を改善するための幾つかの方法です。

26 時間を無駄にしてはならない: わたしたちが読むすべてのものに同じ重点が置かれることはありませんし,最初に受け取った時に細部まですべて学ばなければならないというわけでもありません。これまで出版物の中では,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌,その他新しい出版物を受け取ったなら腰をおろしてすぐに,単に楽しく通読する目的で,読むよう勧められてきました。しかし,もしそのような方法で読んだものを記憶の中に保持する努力をしないなら,貴重な時間を実際には浪費してしまいます。それで,それぞれの記事を読んだ後に少なくとも一つか二つの主要な点を復習するという目標を立ててください。ある人々は,要点が記憶から失われないようにするため,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌の記事を思い起こしてそれぞれを一つの文にし,それを書き出すことが役立つことに気づきました。

27 あなたが読んだものを時間という“水”が流し去ってしまうことがないようにしてください。手元に筆記用具を用意し,常に目的を持って読んで学び,決して膨大な資料の単なる網羅とならないようにしてください。クリスチャン人格を改善するため,あるいは野外奉仕で用いるために覚えておきたいと思うところには,それを見分ける特定の印を決め,マークするようにしてみてはいかがでしょうか。もちろん後日,「ものみの塔」研究や他の集会の準備をする時に,それらの記事をもう一度,詳細なところまで調べることになるでしょう。

28 良質の研究は報いを与える: 個人研究の量と質を改善しようと努力することには価値がありますか。イエスは,「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな,思慮深い人に例えられるでしょう。それは岩塊の上に家を建てた人です」と言われました。様々な災難という風が吹きつけても,その家は倒壊しませんでした。「岩塊の上に土台が据えられていたからです」。(マタイ 7:24-27)良質の個人研究から得られた知識は,クリスチャンが,背教者の行なう偽りの宣伝だけでなく,サタンの世からもたらされる嘲笑や疑いといった形の反対の風にも抵抗できるよう強めるものとなります。―ペテロ第二 3:3,4。

29 単に「正確な知識」を得るだけにとどまらず,神の道と目的についての理解の深さを習得する面において成長するなら,計り知れない喜びと満足を個人的に経験できます。(テトス 1:1。箴言 4:7)さらに,正確な知識は学んだ事柄を他の人に分かち合うようわたしたちを動かすので,わたしたちは他の人に与えることから来る幸福を経験することができます。わたしたちの集会における注解や割り当ては意味深いものとなり,兄弟たちの心を動かすものとなります。集会で幸福な交わりを楽しむ時に,わたしたちの心は積極的で築き上げる表現で「あふれる」ことでしょう。(ペテロ第二 1:8)戸口で良いたよりを分かち合うことにも,聖書をともに学んでいる研究生を援助することにも,より良い備えができることでしょう。エホバはわたしたちの口を開いて,憂いに沈んだ者や疑いを抱いている者たちに効果的に励ましを与えることもされるでしょう。(ユダ 22)わたしたちが築き上げる啓発的なものを持っているなら,わたしたちが社交上の交わりの場に共にいることは大いに感謝されるに違いありません。

30 さらに,これらすべての祝福に加えて,個人研究を改善するなら,わたしたちはエホバを十分に喜ばせることができるようになります。神の言葉の熱心な研究生であったパウロ自身,このように述べています。「わたしたちは……あなた方があらゆる知恵と霊的な把握力とにより,神のご意志に関する正確な知識に満たされるようにと祈り求めてやみません。それは,あなた方があらゆる良い業において実を結び,また神に関する正確な知識を増し加えつつ,神にじゅうぶん喜ばれる者となることを目ざしてエホバにふさわしい仕方で歩むためで(す)」― コロサイ 1:9,10。

31 それで,エホバを喜ばせることや数々の得ることのできる祝福を思いに留めつつ,わたしたちの個人研究の量と質を改善する面で,今奉仕年度,もう一段進歩するよう努力し続けましょう。

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