喜びを抱いて収穫の業にあずかる
1 古今,洋の東西を問わず,農作物の収穫は農夫にとって大きな喜びの時となってきました。(申 16:13-15)イエスは,「収穫は大きいですが,働き人は少ないのです」と述べ,弟子を作る業を人類という畑の収穫になぞらえられました。(マタ 9:37,38。ヨハ 4:35,36)わたしたちは,1935年以来,ほかの羊の大群衆を取り入れる業が急速な勢いでなされてきたことを知って大いに喜んでいます。1997奉仕年度中,わずか一年間に全世界で37万5,923人もの人々がバプテスマを受けたのです。
2 一方,ここ数年来,日本の社会は大きく変化してきました。「終わりの日」に生じる出来事によって人々の生活は確実に影響を受けており,そのことは,あなたが行なっている野外宣教にも少なからぬ影響を及ぼしているものと思われます。(テモ二 3:1-5)たとえば,以前のように家の人とじっくり聖書や出版物について話し合うことが難しくなってきたかもしれません。また「求め」のブロシュアーを何度か討議したものの,長く続かなかった人たちも多く,「知識」の本に移行した研究も,早いペースで司会を進めた結果,期待するような進歩が見られなかった例も少なくないかもしれません。もちろん,こうした努力のすべては魂をこめた神聖な奉仕であり,称賛に値するものです。
3 日本の野外の現状と,「奴隷」級の指針を注意深く検討した結果,今後,日本における教える業に取り組む上での方向づけを示すため,この折り込みが準備されました。それで,区域で会う家の人や研究生を念頭に置きながらこの折り込みを注意深く学び,引き続き,収穫の業に喜びを抱いてあずかっていただきたいと思います。
さまざまな道具を活用する
4 人々を弟子とし,収穫の喜びを実感したいと願うなら,まず研究生を見いだす必要があります。しかし,新しい研究を取り決めることは,多くの奉仕者にとって最も大きな課題となっているかもしれません。では,この挑戦にどう対処できるでしょうか。家の人の関心をとらえるために,その人が今抱えている当面の問題や関心事を扱っている適切な出版物を選び,再訪問でそれを活用することが鍵となります。それは,ちょうど農夫が作業のために最もふさわしい道具を駆使するのに似ています。「求め」のブロシュアーは今後も用いることができる有用な道具ですが,これはどちらかといえば聖書やキリスト教に関心のある人を対象に発行されたものなので,聖書になじみのない人々の関心を高めるには他の出版物のほうが効果的かもしれません。
5 「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」のブロシュアーは,創造者,聖書,楽園の希望という基本的な聖書の真理を分かりやすく説明しています。ですから,聖書に接することの少ない日本人の関心を高め援助する上で,特に効果的な出版物と言えます。このブロシュアーをきっかけに,聖書を研究するようになった日本人が非常に多いということを覚えておきましょう。
6 「神は本当にわたしたちのことを気遣っておられますか」のブロシュアーは,表題が神に対する責任を強調するよりも,まず神がわたしたちを気遣い助けてくださっていることを強調しているため,日本人向けの出版物と言えます。このブロシュアーの第3部は,自然界を通して神がわたしたちを気遣っておられるということを随所で強調しているため,再訪問のための有用な道具となるに違いありません。
7 「すべての人のための書物」のブロシュアーは,聖書が神の著作によることを読者に確信させようとしているのではなく,むしろ事実を提起し,読者自身に検証することを勧めています。教育を受けていても聖書についてほとんど知らない人々にぴったりの出版物ですから活用したい道具の一つです。
8 「楽園をもたらす政府」のブロシュアーは,神の王国という難しいテーマを人々になじみのある「政府」という表現に置き換えると共に,多くのさし絵を用いて,聖書の歴史的な流れを分かりやすく説明しています。聖書を一度も読んだことのない人に楽園の希望と聖書のあらましを教えるための優れた道具と言えるでしょう。
9 「地上での生活を永遠に楽しんでください」のブロシュアーは,高齢の人や文字を読むのが苦手な人などに聖書を学びたいという意欲を持たせることができる優れた出版物です。さし絵を中心に扱い,その内容を家の人が理解できる言葉や考え方に言い換えて話し合うと効果的です。
10 「幸せな家庭を築く秘訣」の本は,どんな家族,また家族のどの成員にも直接関係する種々の問題を聖書の原則を中心に多方面から扱っているため,副見出しごとの資料をそのまま再訪問の話題として用いることができます。家族生活に関連する話題を用いる再訪問は,これまで日本における産出に大きく寄与してきましたので,これからも積極的にこの本を活用なさってください。
11 「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」の本が特に効果的と思える理由は,この本が創造についての証拠を挙げるだけでなく,進化論的な考え方についても分かりやすく説明し,理性的に考えるよう読者に訴えていることです。この本の4章や7章にある説明は,進化論を証明していると見なされている巧妙な考えを打ち砕く上で非常に有効です。
12 忘れてならないのは,毎号の「目ざめよ!」誌の持つ価値です。取り上げられる記事の中には,家の人がまさに今必要としている情報が載せられていることが少なくありません。それで,その人の興味を引くと思われる記事を用いて関心を高めてください。「王国宣教」1997年11月号の折り込みには,「目ざめよ!」誌を活用するためのさらに具体的な情報が載せられています。
13 家の人が関心を持つものであれば,ここに挙げたものを含め,協会の出版物のどれであっても自由に用いて再訪問を行なうことができます。いずれかの出版物を使って3回ほど話し合いを行ない,訪問が続く見込みがあれば研究報告を提出できます。そして,十分に関心を高めることができたならば,ふさわしい時期に「知識」の本を用いた研究に移行することができるでしょう。
研究生の事情や背景を考慮する
14 賢明な農夫は,栽培している農作物や土壌の性質などを正しく見きわめ,それに合った世話を行なうよう心がけます。効果的な研究司会についても同様です。「王国宣教」1996年7月号の折り込みには,「知識」の本を用いた研究司会方法に関する優れた情報が載せられていますが,そこにある提案の趣旨を正しく理解するなら,研究生や土地の事情に合った司会を行なえるようになります。
15 たとえば,折り込みの2節には「識別力を働かせながら,一人一人の事情に応じて,ここに示されている事柄の一部,もしくはすべてを徐々に当てはめることができるでしょう」とあります。これらの表現は,折り込みの中に記されている情報がどの研究生にも一律に適用される規則ではなく,教え方に関する役立つ提案であり,思い出させるための諭しであることを強調しています。それで,司会者は識別力を働かせ,研究生の事情に合わせた融通のきく司会を行なってゆきましょう。
16 つづく3節はこう述べています。「研究生をクリスチャンの弟子,また霊的な兄弟姉妹になる見込みのある人とみなし,研究生に心からの個人的な関心を払いましょう。温かく,友好的であり,熱心であってください。良い聴き手になることで,生い立ちや生活の状態を含め,その人を知ることができます。これは当人を霊的に援助する最善の方法を見極めるうえで役立ちます」。これをどのように行なえますか。研究生との自由な話し合いの時間を取り分け,学んだ事柄から得られた益について感想を尋ねたり話し合ったりすることができます。また,研究が行なわれる日とは別に“親しい友人”として気軽に訪ねるなら,心からの個人的な関心を示せると同時に,研究生を親しく知る機会ともなります。
17 また,4節には「研究生の事情や素質にもよりますが,ほとんどの章は,慌ただしく研究しなくても,1回の討議として1時間ぐらいで扱えるかもしれません」と記されています。これまでの経験では,「知識」の本を司会したことのある奉仕者の多くは,1回の研究で一つの章を進むことに困難を覚えたようです。質問と答えという学び方に慣れていない人,聖書の基礎的な知識を持たない人,あるいは年齢や他の要素のため,1章を1回で討議できないとしても,特に問題視する必要はないでしょう。
18 この点に関連し,「王国宣教」1997年5月号に載せられた「進歩的な家庭聖書研究を司会する」という記事の5節には次のように記されています。「研究を必ずしも1時間に限る必要はありません。家の人の中には時間があって,もっと長く研究したいと思う人もいるでしょう。研究生の中には週に1度だけでなく,もっと多く研究することを望む人もいるかもしれません」。
19 「王国宣教」にあるこれらの表現は,「知識」の本の研究司会方法に関する提案が大まかなものであり,それぞれの国や人々の事情を考慮して融通をきかせ得ることを示唆しています。たとえば,「知識」の本は1回に1章研究し,約6か月間で終えなければならない規則と考えるのではなく,状況によっては一つの章を2回に分けるなどして,個々の研究生にとって何が最善かを考慮できます。このように,研究生の事情に応じて調整を加えるのは道理にかなったことです。―フィリ 4:5。
効果的な研究司会に関する課題
20 日本において,「知識」の本を効果的に司会し,研究生の進歩を助けるには,どんな分野に特別の注意を払う必要があるでしょうか。
21 予習の習慣を身につけるよう助ける: 進歩を早める鍵は,できるだけ早い段階から研究生が予習の習慣を身につけるよう助けることです。研究生の中には,書物を読んだり物事を考えたりすることから遠ざかってきた人たちがいます。ほとんど予習をせずに研究が進んでゆくなら,真理の正確な理解が得られず,その人の心を動かすことができないまま,「知識」の本の大部分を終えることになりかねません。ですから,研究生を親切に励まし,具体的な予習方法を示すことにより,研究生自らが神の言葉を真剣に学ぶ意欲を培うよう助ける必要があります。―ペテロ第一 2:2と比較してください。
22 早い段階で聖書に親しむよう助ける: 研究を司会する際,聖句を効果的に用いるなら,研究生は自分が確かに聖書を学んでいるという認識を抱くようになります。ですから,予習と並んで大切なのは,研究生が聖書に親しむよう援助することです。そうすれば,その人は1世紀のベレアの人たちと同様,『日ごとに聖書を注意深く調べる』ことによって真理に対する確信を持つようになるでしょう。(使徒 17:11)「知識」の本の14ページにある囲み記事「ご自分の聖書を大いに活用してください」を用いて,聖句の探し方を教え,聖書朗読の習慣を身につけるよう励ましてください。
23 研究生を集会に招待する: あなたは,エホバの見える組織に対する深い愛を抱いておられることでしょう。そうであれば,エホバの組織と世の組織との違いを明確に,しかも説得力のある仕方で説明できるはずです。集会の開かれていない時間帯に,研究生を王国会館に案内している司会者も少なくありません。また,「エホバの証人 ― その名前の背後にある組織」のビデオや他のビデオを一緒に見ながら,解説してあげるのも効果的です。さらに,公開講演の予定表を見せ,特に研究生の関心を持つ話題を取り上げた講演に積極的に招待して成功を収めている奉仕者も少なくありません。
24 教える能力の向上を目ざす: だれであれ,み言葉の良い教え手を目ざすなら,それは効果的な研究司会に必ず反映されます。会衆の円熟した奉仕者たちは,経験の少ない兄弟姉妹たちが良い教え手に成長してゆくよう共に働き,訓練を与えることができます。この面で進歩を願っている人は長老たちに遠慮なく近づき,援助を求めてください。『忠実な人々が,じゅうぶんに資格を得て他の人々を教えることができるように』援助することは,区域内での収穫をより豊かなものとするに違いありません。―テモ二 2:2。
「知識」の本を終了した人たちを援助する
25 「ものみの塔」1996年1月15日号の17ページの説明にあるように,「知識」の本を終えてバプテスマを受けた後は,2冊目の本を用いての正式な研究を司会する必要はないかもしれません。一方,研究生の中には,「知識」の本を終了したものの,集会に出席するなどの行動を起こすに至らなかった人がいます。あるいは,幾らか集会には出席しているものの,それ以上の進歩を示していない人もいるかもしれません。それらの人々を援助する何らかの方法があるでしょうか。
26 「王国宣教」1996年10月号の「質問箱」の3節には次のように記されています。「効果的な教え手であれば,エホバに仕える決定を理性的に下せるだけの知識を得るよう,普通の誠実な研究生を比較的短期間で援助できるはずです」。研究生を短期間で援助するための条件には,“効果的な教え手”と“誠実な研究生”という二つの要素が関係していることに気づきます。しかし,これまでを振り返ってみると,日本の実情はどうだったのでしょうか。
27 「知識」の本が発表されて以来,急にこの本を用いて研究を始めた人たちの中には,予習の習慣がなかったため,資料を十分に理解できなかった人たちが多数いたかもしれません。またある場合,司会者の側も効果的に教えるための十分な備えができておらず,必ずしも研究司会がスムーズではなかったことが観察されています。
28 この点に関連して,同じ「質問箱」の記事の4節には,「酌量すべき事情……が関係しているのであれば,それは,何らかの一層の援助を与える正当な根拠となるかもしれません」という説明があります。もともと創造者という概念がなく,聖書に親しんでこなかった日本人にとっては,根本的なところで酌量すべき事情があると言えるかもしれません。
29 それで,「王国宣教」が指摘しているこれらの事柄から,「知識」の本による研究が終わっても,引き続き何らかの援助の必要な場合のあることが分かります。
30 ですから,すでに「知識」の本を終了した元研究生について次のように自問し,その人が酌量すべき状況にあるかどうかを考慮してみてください。『その人は創造者の存在を認め,信じていただろうか』。『聖書を自分で求め,研究の際に活用し,聖書を霊感を受けた神の言葉として受け入れるようになっていただろうか』。『新しい考えや聖書の教えを学んだとき,研究生は理解していただろうか』。『集会に出席するよう励ますと同時に,その点で本人の抱えている問題や不安を取り除くよう実際的な援助を与えただろうか』。
31 前述の「王国宣教」の「質問箱」の3節によると,わたしたちの目標は,(1)研究生が真理の基礎的な知識を得ること,(2)エホバに仕える決定を理性的に下せるだけの知識を得るように援助することであると記されています。ですから,研究生に対して,この二つの目標を達成するための知識と理解を与えることができず,ふさわしい援助がされなかったと思うなら,会衆の奉仕委員の一人に近づいて相談することができます。また,奉仕委員も,積極的に奉仕者に近づき,継続的な援助の必要について話し合うべきです。
32 中には,ある程度の知識を有し,信仰が芽生えるようになったものの,親族や周囲の人々への恐れ,克服しなければならない何らかの問題,集会に出席することへのためらいなどがあり,行動を起こすことができないまま,「知識」の本の研究を終了した人がいます。そのような人の場合,もう少し時間をかけて実際的な援助を与えることができたなら,あるいは問題を克服できたかもしれません。こうした人についてもぜひ奉仕委員の一人にご相談ください。
33 話し合いの結果,援助の必要性が認められたなら,ふさわしい出版物を用いて正式な研究,つまり1章1章順を追って質問と答えの形式で行なう研究をすることができるでしょう。これらの援助は,家庭聖書研究として報告することができます。
家族のような霊を示す
34 パウロはフィリピ 4章23節で,「主イエス・キリストの過分のご親切が,あなた方の示す霊と共にありますように」と述べ,フィリピ会衆が示していた立派な精神をほめました。わたしたちは,新しい人が会衆と交わって一層進歩し,エホバの僕として数えられるようになることを心から願っています。では,もしあなたが,集会に出席し始めた新しい人の一人であるとすれば,その会衆に何を期待なさいますか。会衆の成員が温かい家族のような雰囲気を醸し出し,あなたを本当に親切に迎え入れてくれるなら,あなたは心からうれしく感じるのではないでしょうか。ですから,会衆の成員一人一人は,新しい人に対して家族のような霊を示す必要があるのです。
35 比較的短期間の研究を通して集められる人々は,バプテスマを受けた後も引き続き親切な援助を必要としています。ですから,新たにバプテスマを受けた,言わば“霊的な弟や妹たち”が時に未熟さを示すとしても温かく援助しましょう。会衆の成員すべてがこの点で率先するなら,会衆は温かい家族のような雰囲気を醸し出すものとなり,新しい研究生や弟子たちにとって一層の霊的進歩を促すものとなるに違いありません。
結び
36 現在の事物の体制の終結における収穫の業は,「人の子のような者」と述べられている栄光を受けたイエス・キリストの監督のもとに行なわれています。(啓 14:14-16)あなたも,大きな喜びの伴うこの重要な業に魂をこめてあずかりたいと願っておられることでしょう。引き続き,聖書研究を取り決め,効果的に司会し,新しい人を援助する業に励んでゆくなら,しかるべき時に豊かな収穫という祝福を味わうことができます。―ガラ 6:9。