人体 ― 卓越した工学の驚異
人間が工学を応用して驚嘆するようなものを造り出すはるか以前に,そのなにひとつとして及びもつかないほどすぐれた構造を持つものが存在していました。それは人体です。
人体の600に余る筋肉は,まるで自動車のエンジンと同じように燃料を燃焼し,その燃料をエネルギーに変えては消耗します。しかし,人体のほうが自動車よりはるかにすぐれています。なぜなら,人体は必要な燃料を原料から自家製造し,そうじから修理までみずから行ない,それに毎日何百万にも上る老廃細胞を補充します。自動車が同様なことを行なえるとしたら,持ち主にとってさぞすばらしいことでしょう。
傑出した構造
古代ローマの技師たちがパンテオンの頂上にドームを造るずっと昔の時代に,人間の頭がい骨は人の頭をドームのようにおおっていました。さらに,それらローマの技師が水道橋をささえるアーチを建造する何世紀も前に,足は体重をささえるスプリング付きのアーチともいうべき役目を果たしていました。さらに,アーチ形の骨が柔軟で非常に効率の高い一種の囲いを形成し,胸郭部の諸器官を保護していました。また,ギリシアやエジプトの大円柱が考案されるずっと前に,人間は人体の円柱ともいうべき脚を使って直立していたのです。
力と柔軟性を兼ね備えた骨は,人間の考案した建築資材よりもはるかにすぐれています。脛骨は体重の約30倍もの重量に耐えられます。鉄でさえそれほど強くはありません。それに鉄のように堅いと人体の動きに適応するだけの弾性がありませんし,重すぎて実用的でありません。
人体の骨格を包んでいるのは体組織です。体組織は,木材・れんが・セメント・しっくい・塗料などのように人の造りだした建築資材とは異なり,割れたり,かけたり,いたんだりするということがありません。目には保護とおおいの働きをするまつげ,突き出たひさしに相当するまゆ毛,そして自動的に開閉するシャッターもついています。人体の内臓の周囲には液体が満ちており,それが緩衝器のような役割をしています。生物工学の分野に携わっている工学者が人体の研究を続ける際,工学の見地から人体がいかに卓越したものであるかを知って,驚嘆せざるを得ないのはもっともなことです。
ポンプ・ろ過・循環装置
どんな工学者でもけっして完全には模造できないポンプがあります。それは心臓です。この小さなポンプは平均,1分間に70回,1年間に4,000万回脈を打ち,1日約6,650リットルの液体をくみ出します。その量は平均寿命にすると20万トンに及びます。
またどんな特殊工業品の製造者といえども,じん臓に匹敵する高圧のろ過装置を提供できる人はいません。じん臓は,ろ過紙・こし器・再吸収装置を完備した200万近い小体から成っており,1日に190リットルの液体をろ過できます。しかもたった2対しかなく,その各は手のひらにすっぽりはいってしまうほどの小さなものです。
次に,人体の循環系を考えてみましょう。それは,毎日の食料品や生活必需品を供給するのに必要な施設である,都市の道路・鉄道・海運施設に比べることができると思います。都市には,そのほか,下水装置,清掃や塵埃処理の取り決めや設備もあります。同様に人体には血液が循環しているため,供給物が体内の各所に運搬され,老廃物は運び去られます。
たとえば,アメリカ合衆国には,2億余の人々に食料を供給するため,何キロにも及ぶ道路が敷かれています。しかし,体内には「道路」や「輸送管」に相当する,動脈・静脈・毛細血管がなんと約16万キロにわたって延びており,生命を維持する栄養が,30兆に上る細胞に運搬されています。そして,人体の約5リットルの血液がこの膨大な経路を完全に循環するのに,どれぐらいの時間がかかると思いますか。驚くかもしれませんが,わずか1分前後です。
人体を循環する「道路」の交通規制は,完全の域に達しているといえます。たとえば,血液は一方向にしか進行できません。この一方交通が可能なのは,工学用語で「制御弁」として知られている弁が,静脈内に理想的に取り付けられているからです。血液は相当の圧力を受けて心臓から送り出され,動脈を通って毛細血管に達します。下端部から心臓への帰路につく血液は低圧のまま,脚や胃腸筋肉の働きにより,静脈を伝わって上部に押しやられます。そうした筋肉の緊張や収縮運動により,血液は静脈間を流れます。筋肉運動に加え,「制御弁」の働きにより,血液は心臓に向かって流れてゆきます。
しかし,何千キロに及ぶ体内の循環系統各所に,等量の血液が供給されるのはどうしてですか。それは液体がある特定の目的で循環している導管装置には共通の問題です。たとえば,建築物各所に設置された暖房用のラジエーターに熱水を送る際,個々のラジエーターに流れ込む水量の調整が問題になります。装置全体に等量の水がゆきわたるようにするには,絞り弁あるいは調整弁を取り付けねばなりません。
体内を循環する血液の量を一様に保つ場合も同じで,体組織や器官内を通る小動脈内にあるコックが調整の役割をしています。それらが,心臓からの距離にかかわりなく,血液の流量を制御します。それらのコックは各臓器に送られる血液の流れを適当に制御するほか,必要ならば臨時に開き,通常以上の血液を送ることもします。人体の内部では,最高の水力工学と輸送技術が確かに数々の驚異を織り成していることがわかります。
温度および環境調整
現代の工学者は,極度の寒暑にもかかわらず,外部の気象状況と無関係に室内が一年じゅう適温に保たれるような建築物を造ります。しかし,もっとも精巧な環境制御装置といえども,人体には比べものになりません。人体は自動温度調整をみごとに応用しながら体温を調節します。周囲の気温にかかわりなく,人体の自動温度調整装置は体組織の温度を36.7度から37.2度に保ちます。
寒い冬には,ある種の燃料をもやすと熱が得られることをご存じでしょう。燃料がもえると,その燃焼過程で起こる酸化作用によって熱が放出されます。しかし人体の場合はどうですか。体内で「火」が燃えるわけではありません。ではどのようにして熱が発生するのですか。
実際には人体も燃焼の過程を利用し,酸化作用によって熱を得ているのです。体内にぶどう糖が生成され,その分子が体内で分解される結果,エネルギーが放出されます。そうした体熱の発生現象が,新陳たい謝として知られているものです。
さらに寒気にさらされると,筋肉が緊張するのに気がつかれましたか。それも人体の発熱方法の一つで,その場合筋肉が使用されます。からだが冷えてくると震えはじめます。筋肉の緊張と震える作用の意義について,有名な生理学者アーサー・C・ガイトン教授は,「生理医学の教科書」と題する本の中で次のように述べています。
「その結果筋肉のたい謝が行なわれ,発熱速度が増加する。震えはじめる前でさえ,体内の総発熱量が50%ふえることも珍しくない。からだが震えはじめると,発熱量は通常の200ないし400%も増加する」。
身体の発熱装置に劣らず驚異的なものに,冷房装置があります。暖気に接すると,人体は発汗します。つまり人体は蒸発作用によって,熱を発散させているわけです。現代の冷却装置の主要原理の一つとなっているのは,本質的には蒸発現象です。水が蒸発すると,水が気化するために冷却現象が起こります。しかし,工学者がこの原理を応用しはじめるはるか昔から,驚嘆すべき人体はそれを使いこなしていたのです。
高等光学
人間の目の水晶体は,もうひとつの驚異といえます。水晶体をとおしてさまざまな形状が知覚され,網膜の上で焦点が合わされます。目の焦点を合わせる作用は,写真機の光学装置に似ています。水晶体も写真レンズも,距離を調節するのにその形を適当に変えます。しかし,写真機は手で調節しなければなりませんが,目のほうは焦点距離に合わせて,その厚みと湾曲率を自動的に調整できます。
人間の視覚に関してさらに興味深いことがあります。それは,ある物体が人間の目の水晶体のような凸レンズを通過する場合,その像は倒立像,すなわち,さかさまに映るということに関係があります。網膜の上に像が結ばれ,次にそれが脳に送られる過程でも同じことが起こります。しかし,人間の脳は自動的に映像を解釈するので,外界がさかさまに見えることなく,正常に映ります。これも,人体の機能がいかに精巧であるかを示す別の例にすぎません。
こうして簡単に人体を調べるだけでも,それが工学の見地からいかに驚異的なものであるかが理解され,わたしたちは人体の偉大な創造者の知恵に心を打たれます。理知を持つ正直な人ならば,昔の聖書の詩篇作者と同様,こう神に語りかけずにはいられないでしょう。「われなんぢに感謝す。われは畏るべく奇しくつくられたり」― 詩 139:14。