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目ざめよ! 1971
目71 2/22 3–6ページ

わたしはプロゴルファーを目ざしていた

日本の「目ざめよ!」通信員に語られた経験

私が,はじめてゴルフをしたのは,20歳の時でした。兄につれられて,ただ遊びのつもりで,ゴルフ場に行きました。はじめてボールを打った時のことを,今でもはっきり覚えています。打たれたボールは,実に見事に,右にそれてゆきました。何回試みても,私の願いを無視して,ボールは右にそれてゆきました。このように右に曲がる打球を“スライス・ボール”と言い,反対に,左に曲がる打球を,“フック・ボール”と呼びます。

しばらくして,たまたまテレビでプロゴルフ選手権試合を見る機会があり,その時はじめて,私は,ゴルフで生計を立てている人々,つまりプロゴルファーと呼ばれる人々のいることを知りました。その瞬間,テレビの前で,私は決心しました。“プロゴルファーになろう”と。若い私にとって,この魅力あるスポーツを生涯の仕事にするほどすばらしいことはないと思われました。私の父は,私が大学を終えて,世間一般の人々が普通にとる道を歩むことを望んでいましたので,ゴルフは趣味程度にするよう私に勧めました。しかし,その勧めはすでに時を逸しており,私の決意は,コンクリートのように固まっていました。父の反対を押し切って,私は,プロゴルフの世界に飛び込みました。

自分の決定を実行に移す

私はまず,1日300円の給料でゴルフ練習場に勤めました。ゴルフ客が少ない時は,仕事中でも自由に練習しても良いというのが条件でした。しかし,いつでも誰かがいて,思うように練習できないということがだんだんわかってきました。それで私は,練習場の仕事が終わってから,練習場の上方にかかっている橋の明かりを頼りに,夜練習したものです。私には先生がおりませんでしたので,ゴルフの本を求めて研究し,本で学んだことを練習しました。ほとんどわくわくする思いでゴルフクラブを手にしました。ボールを打った時のあのすばらしい手答え,青空を突き進んでゆく白球,それはこの上ない喜びでした。

2年,3年そして4年の歳月が飛び去りました。それは文字どおり“ゴルフとともに明け,ゴルフとともに暮れた”毎日でした。私はボールを自由に扱えるほどに,よく上達しました。でも,プロゴルファーになる試験に合格するのは,私が想像していた以上にむずかしいことでした。精神面と技術面で私は大きな壁につきあたったのです。ゴルフはしばしば人生にたとえられます。1ラウンドの間には,喜びと悲しみの時,冒険をする時,挫折する時,また忍耐と緊張があります。ですから,成功するためには,強い精神力が要求されるのですが,私はそれを持ちあわせていませんでした。特に“グリーン”上の“パッティング”の技術で,私の弱さがあらわれました。ここに一つの例があります。ある“ロング・ホール”(パー5)で私の打った第2打はカップからなんと40センチのところに止まりました。私の喜び様を想像してください,1パットで入れれば“イーグル”です。(イーグルとは規定の数よりも2打少なく入れること)“グーリン”が傾斜していましたので,私は“やわらかいタッチ”でボールをカップに送りました。ところがボールはカップの横を通り過ぎて,1メートルも反対の方へ行ってしまいました。その時の私のみじめな気持ちとやりばのない怒りの気持ちは,ゴルフをした方なら分っていただけるでしょう。続いて打った1メートルのパットにも失敗しました。2度で正確に500ヤード飛ばしながら,わずか40センチの距離で3回も打つなんて! 次の“ディーグラウンド”へ向う途中,私はいったい何をしたと思いますか。私はパターを木にたたきつけて,こわしてしまいました。まるでパターが悪いことでもしたかのように。

もっと強い欲望が必要

「お前はもっとずぶとい心臓を持たなきゃいかん。そうだ,もっと強い欲望だ」。一人の先輩は私に忠告しました。「お前はもっともっと名声や地位や金を求めなけりゃいかん。世の中のことをもっとよく知って,世の辛酸を味わって,おとなにならなきゃいかん」と先輩は続けました。また彼は,試合の時には必ず金を賭けるようにと勧めました。それは“勝つ精神”を培うためです。

こうして私は,プロゴルファーになるという目標を達成するには,私の物の考え方を徹底的に変化させなければならないことを知るようになりました。実際,ゴルフ技術を修得するためのそれまでの年月は楽しみの年月でしたが,今は,“プロ”として勝つために,利己的な見方を培って,他人をけ落してでも自分の目的を達成しなければなりません。プロとして成功するためにそれが必要なら,そうしなければならない。相手と賭もやろう。金もためよう。自分のために名もあげよう。必要なら,そうしなければならない。競争相手に同情を示さなければならない理由がいったいあるだろうか。こうした物の考え方は私にとって,しだいに正しい,そして自然な考え方となってゆきました。それは名声と地位と富に通ずる道でした。

人の環境と交友関係は物の見方になんと大きく影響し,変化を与えるものでしょう。それは驚くほどのものがあります。そうではありませんか。私はいわゆるプロと呼ばれる人々のようになってゆきました。また,年齢の点も考える必要がありました。年老いてからではできないのだから,若い時の今,安定した将来を築いておかなければならない,私はそう考えました。こうして,富を得たいという欲望は,まるでガンのように,私の生活のすべての面に広がってゆきました。もはやゴルフは楽しみではなくなりました。それはとうとう目的を達成するための単なる手段となってしまいました。

内心の相克

さて,思いがけない事がある日起こりました。1967年5月,一人の婦人が家に尋ねてきました。いつもでしたら,その時間には2階にいるのですが,その日はたまたま階下で新聞を読んでいました。母と訪問者の間でかわされている会話をふと聞いて,何だろうと思い,玄関に出て,その婦人に会いました。その出会いがやがて,私の人生に決定的な影響を及ぼすものになるなどとは,もちろん夢にも思いませんでした。その婦人はエホバの証人でした。

3日の後,その婦人は再び尋ねてこられ,私は,彼女が勧める家庭聖書研究に喜んで応じました。目標達成まであと一歩のところにあった私が聖書研究に応じたのはなぜだったのでしょうか。ゴルフを始めたころは本当に楽しい毎日でしたが,腕が上達するにつれ,私の心臓にはぽかんと穴があいたかのように空虚な気持ちをいだいていました。時には自分の追い求めているものが何かむなしいもののように思われました。好きなことを追い求め,目標にもう少しで到達するところにありながら,なぜこのようなむなしさを経験するのか,私にはその理由がわかりませんでしたが,ともかく,私の人生になにか大きな変化がほしいと思うようになっていたのです。それで聖書研究に応じました。

私がはじめて読んだ「目ざめよ!」誌(1967年,4月8日号)は,「悪が許されているのはなぜですか」と題する特別号でした。これまで,神の存在については考えたことがありませんでしたが,その記事は,神が人間を道徳的に自由な行為者として創造されたことを説明していました。また私は,アダムの創造の年が紀元前4026年であることを学んで感銘を受けました。なぜかですって。なぜなら,1970年代の半ばに人間は地上存在の6,000年目を迎えるからです。そして,人類史は間もなくその最高潮をむかえようとしているからです。しかし私が最も強く感動したのは,エホバの証人が利己的な思いなど少しも持たずに,定期的に私を訪問してくれることでした。私は研究を定期的に行ない,できる時にはいつも集会に出席して,エホバの証人と交わろうと決心しました。聖書の勉強は時が立つにつれ,ますます楽しいものとなってゆきました。特にダニエルの預言とその成就は,私の心臓をとらえて魅了しました。私は,偉大な第一原因者であられるエホバ神について,少しずつ理解するようになりましたが,まだ頭だけの知識であったことを認めなければなりません。知識が心臓にまではいっていなかったため,私の生涯で最も意義のある事柄を行ないはじめるところまではゆきませんでした。

転機

聖書研究をはじめて5か月を経た9月にプロゴルフ試験の時が来ました。この試験こそ私が長い歳月をかけて,練習に練習を重ねて目指してきた目標でした。最後のラウンドは今でも忘れることができません。試験に合格するためには最後のハーフラウンドをパープレーしなければなりませんでした。10番ホールから15番ホールまでパープレーしましたが,16番ホールで90センチの“スライスラインのパット”をはずして,“ボギー”(規定数より一つ多く打つこと),としました。しかし,全く不思議なことに私は落着いてました。そして問題の17番ホールが来ました。私の打った第2打はグリーンの真中に乗りましたが,カップはグリーンの端に切ってあり,8メートルほど離れていました。あの時そのパットをなぜあれほど大胆に打てたのか,今でもよくわかりません。勢いよく飛び出したボールは,吸い込まれるようにカップにはいりました。“バーディー”(規定数より一つ少なくはいること)です! 18番をパーであがり,私は念願のプロテストに合格しました。

なんという喜びでしょう,家に帰り合格したことを知らせると,父は手をたたいて喜んでくれました。目には涙が浮んでいました。いつも私の将来を案じてくれていた父なのです。でも今やそのむすこはゴルフで成功したのです。家族も親類も友だちも皆おめでとうと言ってくれました。私は幸福の絶頂にいるかのようでした。

しかしこのころ,聖書の真理は私の心臓にしみ込みはじめ,私の生き方に挑戦してきました。エホバ神が人間に従うよう求めている道は,当時私が歩み続けている道と,全く正反対のものであることに,私は気づきはじめていました。神のことばは,「ただ衣食があれば,それで足れりとせよ」と勧め,また,「金銭を愛することは,すべての悪の根である」(テモテ前 6:6-10)と諭しています。でも私が求めているのは,その“悪の根”ではありませんか,聖書は私たちに,神に仕えるよう命令しています。でも,私が求めてきたのは名声であり,他の人々が私に注目することではありませんでしたか。聖書はまた,私たちはこの世の人々のようになるべきではないと述べています。でも私は,この助言と全く反対のことを行なってきていませんでしたか。プロゴルフの世界は,賭と競争で満ちていました。ショットに失敗すれば怒り,競争相手が失敗すると,安心して喜ぶのは,なんと醜い物の見方ではありませんか。私が歩んできた道は,このように神と聖書にまっこうから逆らうものでした。ちょうど進化論が神の創造に逆らうように。

もはや妥協する道のないことは明らかでした。私は一つの道を選び,他の道を捨てなければなりません。しかし,プロゴルフをやめるのですか。どうしてそんなことができるでしょうか。では,神の真理を捨てますか。それもできるはずがありません。こうして苦しい精神的な戦いがはじまりました。

しかしまもなく,エホバ神がすべてを解決してくださいました。ゴルフに費やす時間と努力を減らし,聖書の勉強をする時間と努力を増すことによって,神のことばはより深く心臓にはいりはじめました。神は私たちに永遠の命の賜物をくださろうとしており,私はどうしても,その賜物をいただきたいと望みました。神の貴重な真理のことばに比べたら,プロゴルフにいまでも執着するどんな理由があるでしょうか。こうして私の考え方は,日に日に急激に変化してゆきました。聖書の研究の時間をふやしたことによって,エホバ神の聖書が取るべき正しい道を教えてくださいました。その時もまだゴルフは好きでしたが,ゴルフはもはや私にとって生活の道ではなくなっていました。1968年3月の巡回大会でエホバの証人と楽しく交わったことは,ことばには言い尽くせない感動を与えてくれました。その感動はほんとうに心臓の底から湧きあがってくるものでしたから,私は大会会場からゴルフ場に電話をかけました。なんと言ったのですかって。もちろん,「私はプロゴルファーをやめます」と伝えたのです。翌月,新しい職を見つけた私は,〔エホバの証人の〕すべての集会に参加できるようになりました。どの集会でも,楽しい交わりを通して信仰を増し加えることができました。エホバの証人ならだれでも次のように思ったのではありませんか。「もっと早くから交われば良かった」と。私もまったくそのとおりに思いました。

もちろんプロゴルファーをやめることは,いろいろな理由で,プロゴルファーになるのと同様やさしいことではありませんでした。父は再び反対しました。父が興奮したのも,もっともなことです。私はかつて,父の反対を押し切って大学をやめ,今度はプロゴルファーに合格してわずか半年足らずで,それもやめたのですから。父にとって,このむすこはなんと期待はずれのむすこだったことでしょう。父はいつも家族の良いかしらとして振舞ってきました。その父に私は再び苦労と心配をかけました。その時,私が心臓から祈り求めたのは,そうした状態が一時的なものとなり,私が神とその貴重な真理に対する信仰を守り通すことによって,やがて両親も命に至る道を学び,私とともに永遠の喜びを味わうことができるように,ということでした。その時以来,3年を経過した今,両親はまだ真理を学んではいませんが,とても協力的な態度をいだいているのを見るのは大きな喜びです。

私は現在,ものみの塔協会東京支部事務所でエホバの証人の全時間奉仕者として働く特権を与えられ,深い満足をもたらす,貴重な聖書の真理と,すべての人々に希望を与える聖書の音信を,他の人々に分ち与えるわざにあずかっています。過ぎ去った3年の歳月の間,ゴルフをしていた時に私をしばしば悩ましていたむなしさから,私は全く解放されました。私は,神のかたちに作られている人間が,与えられた生命を神の御意志を行なうために用いることほど,満足と喜びを与えるものはないということを今知っています。それで,もっと多くの人々や若い人たちが,聖書の真理を認識されるよう,心臓から願っています。

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