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目ざめよ! 1976
目76 1/22 17–22ページ

プロ・フットボールより良いもの

はるかに優れたものを見いだした,二人のプロ・フットボール選手の経験

わたしには,寝食を忘れるほどスポーツに熱中した時期がありました。スポーツが自分の生活のすべてであったのです。身長1㍍90㌢,体重90㌔という恵まれた体格のわたしは,高校時代,各種の運動競技で名を上げました。

大学に入ってからはフットボールに熱中し,バークレーにあるカリフォルニア大学の攻撃側エンドとして試合に出場しました。三年間“太平洋岸オールスター”に選ばれ,四年生の時には,プロ・フットボール界の人々が選出する全米プロ・グリッド・チームの一員になりました。

そして1973年には,プロ・フットボールの名門チームであるオークランド・レイダーズに入団するよう選ばれ,最初のシーズンを首尾よく終えました。そして,一昨年わたしがそこを退団した時,そのことは地元スポーツ紙のトップ記事になりました。サンフランシスコ・クロニクル紙はこう報じました。

「レイダーズ側を代表する二人の“慰留説得担当者”は,これまでのところ[同選手の]考えを変えさせることに失敗している……同選手が今や傑出した選手であることは,レイダーズのスカウトがしつように同選手を引き戻そうとして説得していることからも明らかである」― 1974年6月21日付。

「なぜ退団したのか。フットボールでの有望な前途を,どうして捨ててしまったのか」と尋ねる人は少なくありません。

試合に対する態度

それはプロ・フットボールが楽しくなかったからではありません。わたしはプロ・フットボールを楽しみました。米国でも一流の選手と試合をし,彼らと自分の腕を競う楽しさを味わいました。

確かにフットボールは荒っぽい競技であり,毎年幾十人ものプロ選手がひどいけがをします。事実,毎年八人の選手のうち一人はひざの手術を受けなければならないと言われています。しかし,わたしはけがが怖くて退団したわけではありません。実のところ,わたしはむしろ体をぶつけ合うことを楽しんでいたのです。

金銭的に言えば,プロ・フットボールで一年間に得た収入は,大工としての現在の仕事から得られる収入の数年分をも上回るものでした。その上,前途には一層多くの収入を得る見込みがありました。

悩みの種となった事柄

ところが,フットボールに関連してわたしが思い悩むようになった事柄がありました。幼いころの訓練がわたしの考えに影響を及ぼしたに違いありません。わたしが十歳の時に母はエホバの証人と聖書を研究し始めましたが,わたしはスポーツに対する関心が強かったので余り注意を払いませんでした。しかし後日,麻薬を使うよう仲間から誘われた時,わたしはそれに強く抵抗しました。ところが,バークレーの大学に入ってから一年半ほどして,わたしはその圧力に屈してしまい,試合前に覚せい剤を使うようになりました。

覚せい剤を使うと,試合中の動きは機敏になり,疲れもすっかり取れ,常に素早く動け,全速力で走れるようになります。自分たちの職業また生活は,試合中,自分の注意力とスピードが頂点に達しているかどうかにかかっているため,そうした薬剤を服用するプロ選手は少なくありません。しかし,その後幾時間も,あるいは幾日間も興奮は覚めません。わたしの場合,試合後の丸一日は大抵眠れませんでした。ですから選手たちは,試合後の緊張をほぐすために,別の薬剤を用いる場合もあります。

やがてわたしは,マリファナを吸ったりコカインを吸い込んだりするようにもなりました。それが間違った行為であることを知っていたので,それがまず悩みの種となりました。しかし,仲間の選手たちがそうした薬剤を用いているので,わたしもそれに倣いました。わたしを悩ますようになった別の事柄は,プロ・スポーツ選手の間に見られる不道徳な生活です。

女の子たちは,選手と近付きになろうと考えて,いつも近くをうろうろしています。結婚している選手が,自分の妻以外の女性と出掛けるのは珍しいことではありません。それに対して人々は,『あれはプロ・フットボールの選手だから,まあいいではないか』というような態度を示します。フットボールの選手は“特別な人物”だという理由で,そうした事柄を当然のこととして見過ごしてしまうのです。

新人選手であったわたしは,チーム内の大勢の人々を尊敬していました。しかし,そうした人々の口から出る事柄は,彼らに対してわたしの抱いていた感情や敬意すべてを吹き払ってしまうようなものでした。そうした選手たちは,例えば次のようなことを言います。「おい,先週は女房を除いて五人の女の子とうまくやったぞ」。わたしはその人を見て,こう考えました。『自分はこんな男を偶像視していたのか。あのようにはなりたくない』。

しかし,やがてわたしも,自分が独身であることを除けば,それと同様な行為をするようになりました。人々がプロ・フットボールの内幕を知っているとすれば,それはぜいたくな暮しをする,非常に不道徳で,ひどいものであると感ずるでしょう。すべての人がそうした行為に関係しているわけではないにしても,それは選手たちの間ではごく当たり前のことになっています。

人格に及ぼす影響

あらゆる種類の追従を身に受けると,人の性格まで変わってしまいます。ある時,試合の前に一人の男がチームメートの一人と握手をするため遠路をはるばるやって来ました。そのチームメートは,テレビのコマーシャルにも出たことのある有名な選手でした。その男は手を差し出しながら,「あなたはすばらしい選手だと思います。それで,是非握手させてもらいたいのです」と言い,さらにこう付け加えました。「もっとも,わたしはカンザス・シティーの方を応援しますがね」。それを聞いた途端,選手の方は差し伸べた手を引っ込め,「ここから消えうせろ。お前なんか顔を見たくもない」とどなり,その人をばとうし始めました。

この尊大さと思い上がりにはうんざりさせられました。有名であるというだけで,他の人をそのように扱ってもよいと考えているのです。もちろん,選手がみなそうだというのではありませんが,確かにそうした傾向が一般に見られます。わたしにはそれがよく分かります。プロではスターにはなりませんでしたが,大学時代は花形選手であったため,わたしも同じような影響を受けました。

大学のヒーローになり,人々からいつもほめそやされていると,謙そんになるのが難しくなります。家に遊びに帰ると,母や友人たちは,わたしに聖書の見方を示そうとしたものです。しかしわたしは,フットボール以外には関心がなく,謙そんなクリスチャンになるなどという考えを内心ではせせら笑っていました。わたしの成し遂げたことを彼らは誇りにすべきだ,と自分では考えていました。

真剣な考察

わたしは自分が欲しいと思っていたものすべてを手に入れましたが,それでも本当に幸福ではありませんでした。わたしの生活には何の目的もなかったからです。そこで,自分の生活を幾らか変化させて清いものとする決意をし,インド大麻を吸ったりコカインを吸い込んだりするのをやめました。

その後,一昨年の初めころ,仲間たちが「エクソシストを見に行こう」と言い出しました。それは,これまで見た中で最もサディスト的で気味の悪い映画でした。映画館を出てから,わたしは非常に気分が悪くなり,目に見えない邪悪な勢力の存在について幼いころ聖書から学んだことを思い出しました。

わたしは,モデスト市に住むエホバの証人である姉とその夫に電話をしました。二人は,悪霊が世の出来事や人間に悪い影響を本当に及ぼし得ることをはっきりと説明してくれました。(エフェソス 6:12。使徒 16:16-18; 19:11-17)心配になったわたしは,自分の車に飛び乗って,モデストに向かいました。

聖書に基づく討議から,わたしは霊の世界が本当に存在することを確信するようになりました。しかし,もしそうであれば,真の神も存在しているに違いありません。そうなると,命を神の目的に従って用いないなら,自分のエネルギーを浪費していることになります。この時点で,わたしは人生の岐路に立つことになりました。

わたしは,自分がそれまで歩んで来た道に真の満足や幸福などはなく,ただ無益で空しい,浅薄な感情が残るにすぎないことが分かりました。それは,金銭,この世での名声,不道徳,麻薬など,物質的な虚飾のあふれた道です。しかし,別の道もあります。それは,聖書研究,クリスチャンの集会,神への奉仕などを伴う道であり,単純簡素ではあっても,真の意義に満ちた生き方です。これこそ,わたしが現在歩むべく選んだ道です。

本当に優れている

わたしの決定を知って,レイダーズの代表は,考えを変えさせようとしてやって来ました。その人たちには,これほど有利な職業を捨てるのは愚かなことに思えたのでしょう。わたしは,自分がフットボールをきらいになったのではなく,エホバ神との関係が自分にとってそれ以上に重要なものとなった,という点を説明しました。

わたしは,そうした社会での交わりがどんな結果をもたらしたかを話しました。つまり,麻薬の使用,ふしだらな生活,尊大で思い上がった傾向などです。そして,プロ・フットボールと関連した生活様式全体は,現在自分が送りたいと思っているクリスチャンとしての生活と相入れないことを説明しました。また,わたしはファンからある意味で偶像視されていましたが,その種の偶像礼拝とこれ以上にかかわりを持ちたくはありませんでした。さらに,キリストの模範に倣って,王国を宣べ伝える緊急な業に,より多くの時間をささげられるよう,もっと自由な身になりたいと思いました。―ルカ 4:43。

1974年の夏,水のバプテスマを受けて,エホバに仕えるための献身を表明して以来,わたしは霊的に祝福されてきました。フットボール選手だったころ,わたしは少なからぬスリルを味わいました。スタンフォード大学との試合の後,歓呼する7万人のファンの前で,ヒーローとして競技場からかつぎ出されたのはその一例です。しかし,最近それをも上回る喜びを味わいました。

家から家を訪問して宣べ伝える業を行なっていた際,わたしは,神の言葉に誠実な関心を抱く若い男の人を見いだしました。幾度か訪問したところ,その人は自分の家で,わたしと毎週聖書研究をすることに同意しました。これはわたしが経験した中で最大の喜びです。それは,イエス・キリストが創始し,ご自分の真の弟子たちが引き続き行なうように勧めた,『弟子を作る業』に,自分もあずかっていることを意味するからです。―マタイ 28:19,20。

プロ・フットボールの選手だった人で,わたしと同じように考えている人たちはほかにもいます。その中の一人は,すぐ近くのカリフォルニア州ストックトンに住んでいます。その人は,七年間ナショナル・フットボール・リーグで過ごし,そのうちの五年は,一軍の守備側タックルとして活躍しました。では,そのことについて,彼自身に話してもらいましょう。

念願を果たす

わたしは高校時代,エジソン高校フットボール・チームの前衛として非常に注目を浴びました。そして卒業すると,全米各地の大学から40ほどの誘いを次々に受けました。わたしは自宅の近くにとどまって,サン・ホセ州立大学に行くことにしました。

四年間大学でフットボールをした後,わたしは米国全土のプロ入り予定選手の中でも非常に有望な選手の一人と評価されました。事実上,ナショナル・フットボール・リーグのすべてのチームがわたしのところに交渉に来ました。わたしは,身長1㍍93㌢,体重110㌔で,40ヤード(約36㍍)を4.9秒で走れました。

1966年の大学生ドラフト会議で,グリーンベイ・パッカーズが三回目にわたしを選びました。契約金として,現金1万㌦(約300万円)とオールズモービル・トルネードの新車をもらいました。最初の年俸は1万8,000㌦(約540万円)でした。

まだ21歳のわたしが,百㌦紙幣で5,000㌦(約150万円)余りをポケットに入れて歩き回っていたのです。わたしは自分に言い聞かせました”『さあ,これで望んでいたものすべてを得たのだ。金も,新車も,名声も,高級服も皆手に入れたし,高級レストランでも顔をよく知られて歓迎されるし』。

合宿練習

1966年7月,わたしはすでに最高の体調でパッカーズの合宿練習に臨みました。調整のための反覆練習は厳しいものでしたが,そこで合宿前のわたしの調整計画の成果が現われました。ベテラン選手の中で,わたしと同じほど良いコンディションにある人は一人もいないようでした。中には,苦しみの余り反覆練習から脱落して途中でやめてしまう選手もいました。

しかし,シーズンが始まる前に,ロンバルディ・コーチから話があると言われて,わきに連れて行かれました。同コーチは,セントルイス・カージナルスから電話を受けたところでした。カージナルスきっての前衛が心雑音のためにフットボールができなくなり,同チームはその代わりとなる良い後継者を必要としていました。そこでパッカーズは,ドラフト会議での優先選択権および相当な額の金銭と引き換えに,わたしをセントルイスに移籍させることにしたのです。

試合の模様

わたしはセントルイスで上達し続け,やがて守備ラインの中心選手,またチームきってのパス・ラッシャーになりました。コーチ陣が荒々しく振る舞うことや特別に力強くなることの必要性を強調したので,わたしは相手をなぐりつけるのが非常に上手になりました。ライン内での攻防が“戦い”と呼ばれているのも,根拠のないことではありません。

わたしは守備側タックルでしたが,守備側の前衛は平手で打つことができました。それは反則になりません。わたしは,相手の顔面の上部,こめかみの辺りを打つことを覚えました。それは“ヘッドスラップ”と呼ばれ,打ち方が強ければ,攻撃側の前衛は頭痛に襲われます。ですから,敵を早く傷つけ,その痛手を負った箇所を徹底的に攻めつければ,それだけ自分にとって有利になるのです。

ボールが後ろに投げられるや否や,わたしは相手攻撃側の前衛を力一杯なぐり付けたものです。これは相手の頭に衝撃を与えるので,ラインを突破してクォーターバックを捕える機会が生じます。ひじや腕も使う場合があり,わたしは自分の腕で相手のヘルメットを割ったこともあります。

プロ・フットボールで敵味方に分かれて戦った選手の中には,大学時代からの知り合いが少なくありませんでした。ところが試合の日になると,互いに相手の体を傷つけ合おうとする不倶戴天の敵となるのです。大学時代の親友で同室者でもあった人が,後にクリーブランド・ブラウンズに入りました。ところが,ある日クリーブランドと対戦した際,わたしがその人を強打したため,彼は後日入院して手術を受けなければなりませんでした。妻とわたしは,そのことで大変いやな思いをしました。

試合の戦術

わたしは,ある日クリーブランドと対戦した時のことを覚えています。コーチ陣は,相手のクォーターバックは首を傷めているので,機会があれば試合から引きずり出すようにと指示しました。そこで試合中,わたしはセンターとガードをなぐってラインを突破し,クォーターバックと相対しました。わたしが腕で力任せにその頭を引っ張ると,その人はボールを落としました。

チームメートは賞賛の言葉を浴びせましたが,わたしは地面に倒れたクォーターバックがとても痛そうにしているのを見ました。そして,突然こう考えました。「自分はけだもののようになってしまったのだろうか。これはゲームなのに,自分は人を不具にしようとしているのだ」。さらに,その人にも,自分と同じく妻子があることを考えました。群衆はわたしに拍手かっさいしてくれましたが,わたしは自分のしたことを正しいとは思いませんでした。

それ以来,敵を故意に傷つけようとすることが自分にとって難しくなりました。もちろん,週ごとの戦術会議では,対戦チームの選手の弱点や負傷している箇所について討議しました。わたしたちの戦術は,相手選手の最も弱い所,以前にけがをした箇所をねらい撃ちすることでした。

後日,ニューヨーク・ジェッツと対戦した時,その花形クォーターバックが幾度かひざを痛めているという点が指摘されました。ですから,ねらうのはひざでした。試合中,そのひざをひどく傷つける機会がわたしにはありました。後程,なぜそうしなかったのか,とコーチに尋ねられましたが,そうする必要はなかった,とわたしは答えました。チームメートは,それを不思議がっていました。

1971年,わたしたちはバッファロー・ビルズと対戦しました。足の速い花形の後衛は,足首を痛めたことがあるので,わたしたちはその選手を試合から引きずり出すことになっていました。試合中,わたしはその足首を捕え,その選手が倒れたので,足首を持ったまま転がろうとしました。それは反則にはなりません。しかし,わたしはそうしませんでした。こうした新たな態度を取ったため,相手チームの選手は,競技場で故意に傷つけなかったことに対して,わたしに実際に感謝したほどでした。

態度を変えさせた要素

1969年に試合中痛めた背中のけがは,わたしの態度を変えさせる一つの要素となりました。鎮痛剤を服用したにもかかわらず,そのシーズンはほとんどずっと,背中と足に慢性的な痛みを感じながら試合に出場しました。鎮痛剤がなくなると,痛さの余り,家の中をはい回らねばなりませんでした。1970年4月に背中の手術を受けてからは,体の具合が少しよくなったようでした。それ以来,わたしは他の人を自分と同じような目に遭わせたくないと考えるようになりました。しかし,他の人を故意に傷つけるのをためらうようになったことには,それ以上の事柄が関係していました。

わたしが手術を受けたころ,妻はエホバの証人と聖書を勉強するようになりました。わたしはそれを好みませんでした。そのすべては,金銭を得るための一つの宗教的企てにすぎないと思ったからです。そこで妻にこう告げました。「勉強したいなら,勝手にやってもよいが,わたしは巻き込まれないぞ」。そして,実際にその言葉を守りました。

ところが,妻はやがて次のような質問をするようになりました。神の名前は何か。なぜキリストは死んだか。神の王国とは何か。質問は難しくありませんでしたが,わたしには答えが分かりませんでした。わたしはこのことが少し気になりました。わたしは神を信じていた上,聖書は多少読んだこともありました。にもかかわらず,聖書が何を教えているかをほとんど知らないことが分かったのです。

そこで,わたしは考えを変え,妻の週ごとの聖書研究に加わりました。神の言葉そのものから答えを得られたので,わたしはその研究から益を受けました。そして,カリフォルニア州ストックトンのエホバの証人の王国会館へ行くようになりました。

より良いもの

やがてわたしは,神の目的について自分が学んだ良い事柄を分かち合うために,人々の家を訪問したいと思うようになりました。これは真の満足をもたらす活動でした。神の言葉からのこの情報は,わたしとわたしの家族が,それを生活に当てはめて益を受けたと同様,他の人々にも本当に役立ち得ることを知っていたからです。1972年2月,妻とわたしは,クリスチャンの大会で水のバプテスマを受け,エホバに仕えるために自分の献身を表明しました。

しかし,わたしにはフットボールの契約がまだ二年残っていました。ですから,7月になるとわたしは合宿練習に参加する義務があると感じました。わたしはそのことで非常に悩みました。プロ・フットボールの粗暴なプレー,特にライン内の攻防戦をクリスチャンの原則と調和させることを難しく思っていたからです。(ガラテア 5:22,23)しかし,神のみ言葉も示しているとおり,契約を果たすことによって約束を守るのも肝要です。(マタイ 5:37)このジレンマと思える事態に関して,わたしは神に幾度も祈りました。

そして,1972年のシーズン半ばに,背中の古傷が痛みだして,10月には再度手術を受けるために入院していました。チームに対する将来のわたしの貢献度を疑ったカージナルスは,契約を解消することに同意しました。わたしは自由の身になれたことを非常に喜びました。

フットボールのようなスポーツそのものが悪いというわけではありません。楽しくスポーツをすることができます。しかし,利己心や,是が非でも勝とうとする態度が,プロ・スポーツを不健全なものにしているのは確かに悲しいことです。もっとも,この同じ利己心や貪欲の精神は今の事物の体制全体に行き渡っているのですから,それは少しも不思議なことではありません。

わたしたちの創造者が,ご自分に仕える人間のために,はるかに良いものを与えようとしておられることを知るのは,確かに喜びです。神のみ言葉は,神が間もなく,この体制全体をその利己心や貪欲さもろとも完全にぬぐい去り,それに代わって義の宿る新しい事物の体制を立てられることを明らかにしています。(マタイ 24:36-39。ペテロ第二 3:5,13)その新体制に関する聖書の約束は心温まるものです。啓示 21章4節はこう述べています。「神は[人]の目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。

人類を祝福する神のこうした壮大な目的について,他の人々に伝えることに自分の時間をささげ努力を払うほうが,わたしには,プロ・フットボールよりもはるかに優れた生涯の仕事のように思えます。―寄稿。

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