ラビの推奨のことば
◆ アメリカのミシガン州,デトロイトに住むあるユダヤ教徒の婦人は聖書を学びたいと思いました。ある日,婦人は,聖書を学ぶため教会かユダヤ教の会堂へ行かせてほしいと夫にたのみましたが,夫はそれを許さなかったので,彼女は,「では,成り行きを見守っていらしてね。わたしに聖書を教えたいという人がだれか来てくれますわ」と言いました。まさにその日の午後,エホバの証人がその付近の区域で戸別訪問を行ない,ある証人は最初にその婦人の家を尋ねました。聖書を学びたいと祈りのうちに願い求めていた婦人は,聖書を学ぶ援助をしたいとのエホバの証人の申し出に喜んで応じました。
しばらく聖書を学んだ後,その婦人は,エホバの証人のひとりとしてバプテスマを受けたいと夫に話したところ,夫はたいへん憤慨して,ラビを呼びました。ラビのことばはたいへん興味深いものでした。なぜなら,彼はこう語ったからです。「わたしたちの国では自由が認められているのですから,わたしたちは自分の望む仕方で崇拝を行なえます。エホバの証人はりっぱな人たちですし,彼らの崇拝は清くて純粋です。彼らは新約聖書を用いており,わたしたちはそれを用いてないという点を除けば,彼らに反対すべきことは何もありません。そのうえ,『汝らの事ふべき者を選べ』としるされているのです」。