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目ざめよ! 1971
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ダホメーの湖上生活者訪問記

ダホメーの「目ざめよ!」通信員

あなたは「アフリカのベニス」についてお聞きになったことがありますか。ダホメーのガンビエという都市は,しばしばそう呼ばれます。というのは,その都市は一年じゅう水でおおわれ,家屋は,柱または長い土台棒の上に建てられているからです。この町での交通の方法はベニスのそれと似ています。ただ,ゴンドラの代わりに,ずっと質素なピログエというくり舟を使用します。

おそらく,あなたは,よく知られているガンビエを観光旅行するより,むしろ,フランス語を話すその土地の人々からビラージュ・ラキュストルと呼ばれている,それほど有名でない村の一つに行って,そこの生活を直接に見るほうがよいと思われるでしょう。

ビラージュ・ラキュストルとは,まさに「湖上に棲む村」という意味です。とにかく,わたしたちはその村の一つを訪問しました。そして,それについてお話しするのはうれしいことです。

まず,わたしの夫が,ダホメーの長い土台棒の上にできた村の一つ,ヘチンで開かれるエホバの証人の大会に,地域の監督として出席するよう任命されたことをお話ししなければなりません。このため,わたしたちはトラックに,大会用の発電機,音響設備,文書,個人用のカバン,寝台,かや,食糧,飲料水,料理の道具,ストーブなどの用具を積み込み,コトヌーにあるものみの塔協会の支部をあとに出発しました。

ヘチンへは舟でないと行けないので,車を走らせることができたのは途中までにすぎません。沼地のちょうど端にある,ダングボー村まで迎えに来てもらう取り決めがなされ,そこから,荷物を大きなピログエに移しました。舟の旅は2時間ほどかかりましたが,その間じゅう一度もたいくつしませんでした。まばゆいばかりの色をした,熱帯の鳥や蝶がたくさんいたからです。すれちがう親しみ深い人々とは,あいさつをかわしました。静かな環境をそこなうモーターボートはここにはありません。わたしたちの仲間が,四,五メートルの棒をいっしょうけんめいにあやつってくれ,ピログエは狭い水路を通り抜けて行きます。スプーンのようなかいがまわって推進する,小舟も見えました。

まもなく,わたしたちはオウエメ川という,比較的広い流れに出ました。この流れは最後には大西洋に注ぎ,わたしたちが目ざす村をも貫流しているのです。水面をすべるように進んで行くと,農夫たちが畑で働いているのが見えました。雨期になると,畑はすっかり水でおおわれてしまうので,乾期を利用して作物を植えているところです。

わたしたちの仮りの宿に歓迎される

わたしたちは,村の滞在中に住む家へ,ただちに案内されました。その家も,他のすべての家と同様,まさしく,柱の上に建てられています。家は地上から約1.5メートルのところにあって,そこを出はいりするには,よった繊維の取り付けてある竹のはしごを登らなければなりません。戸というものはなく,戸口には外から見えないようにするためと,暑い日げしをしゃ断するため,1枚のむしろが掛かっています。戸も錠もない家に,持ち物全部を買いてゆくのはどうかと考えていると,ヘチンには泥棒がいないと村人たちが保証してくれました。そして,そのことは,人口6,000人のこの村において真実であることがわかりました。

他の大部分の家がそうであるように,わたしたちの家も竹でできています。そうしたじょうぶなごまがらは針金でゆわえられ,窓や戸口のための穴が設けられています。たいていの家の屋根は,わらぶきですが,わたしたちの家はトタン屋根です。わらぶきの良い点は,燃えるような熱帯の太陽のもとではずっと涼しいということです。ふつうの家には,共同のへやがただ一つあるだけで,中には,寝るための高間が設けられているへやがある場合もあります。雨期にへやが水びたしになると,その高間がしばしばたいへん重要な役割を果たします。

家具はそれほどありません。木製の低いまるいすが幾つかといったところでしょう。寝る時にはワラぶとんを使い,日中そのふとんはたたんでおきます。床には牛のふんが敷いてありますが,見た目もにおいも,想像するほど悪くはありません。床の中央には残り火があります。主婦はそこで食事を準備するのです。

シャワーとかふろ,またトイレの設備はありません。村人はみな,川で入浴します。男の人や子どもは裸ではいりますが,女の人は腰からひざまである腰巻き,パーニュをつけます。わたしたちを迎えた主人は,親切にも家の裏手に囲いを設けて,大きな石の水がめをしつらえ,そこで入浴できるようにしてくれました。別に川へ入浴に行かなくても,わたしたちが来たことは,すでにたいへんな評判になったいるようです。

この土地の人々が携わっている仕事

大会会場になる場所を見に行ったとき,土地の人々の暮らしや労働の様子を目にする機会がありました。この村は,雨期になると完全に浸水する広大な平野に位置しており,一年のうち今の時期には野菜が青々と茂り,はるかかなたには,草をはんでいる,幾千頭もの牛が見えます。乾期の間,それらの牛は全部いっしょに歩き回り,やがて各の所有者によって柱の上の牛小屋に集められ,水が出た時におぼれないよう守られます。

柱上の庭や,古くて使われなくなったピログエの中を利用した庭さえあります。農民は水が引かないうちに,それら高い所にある苗床に種をまき,苗が出そろうとそれを畑に移します。ここでは一毛作しかできないので,大半の人は農業と漁業を兼業しています。水のあふれる季節には,家の玄関口にすわってつりができます。

この村には自動車が1台も走っていません。滞在中にたった1台の自転車を見ただけです。ここでは,乾期に他の場所へ出かけるには,もっぱらピログエを用います。女の人が市場に行くにも男の人が畑仕事に行くにも,子どもたちが学校に行くのにも,みんなピログエを利用します。もちろん歩いて行けますが,そうすると濁った流れなど,いろいろな障害を越えなければならないのです。

ある日,戸別伝道の奉仕をしていたわたしたちは,そうした流れを四つ渡りましたが,その流れにはおのおの異なった型の橋がかかっていました。最初の橋は見るからに旧式のものでした。竹のはしごを登って,しっかりと竹を結びあわせた幅約2メートル,長さ約7メートルの橋を渡りました。歩くたびにいくぶん揺れるように思われる竹のすきまから見おろすと,下の泥の中でブタがころがっているのが見えました。見えたのはその目と鼻だけでしたから,一度見ただけではブタだということがわかりませんでした。続いて,2本の竹を結びあわせた橋,古びて捨てられた,一部こわれたところのあるピログエでできた橋,それから10センチ幅の鉄の橋げたを渡りました。それらの橋はみな浅い流れにかかっているのですが,下の泥を見ると,渡るのにやはり勇気がいります。土地の人々は敏しょうで,足元がしっかりしていますから,頭に荷物を載せたり,おそらく背中に子どもをおぶったりしても,素足で速くわたることができます。

湖上生活をしている,友好的なここの村民たちは勤勉に働きますが,娯楽をする時間も取ります。ときには,歌や踊りに合わせる太鼓の音が,夜ふけまで聞こえることもあります。子どもたちは手製の楽器をひいておもしろがっています。それは,たまご型をした,イワシのかん詰めのあきかんと,彫刻のしてある反響板に,長さの異なる5本の金属線を結びつけた小型の「ギター」とも言うべきものでしょうか。竹で作った笛や,二つの小さなヒョウタンを10センチぐらいの糸でつないで作ったカスタネットも見ました。一つのヒョウタンを手のひらに持ち,糸を人差指と中指のあいだにかけて,手首をじょうずに振ると,二つのヒョウタンがぶつかります。中には種とか砂がはいっていて,それが軽快なリズムをつくり出します。

王国の音信に対する関心

ここの人たちは聖書について話すのが好きです。そして,多くの人が自分たちのことばであるガン語の聖書を持っています。学校に通う子どもたちはフランス語の読み書きもできます。先祖を祭る物神崇拝をする人はほとんどいません。キリスト教世界の幾つかの宗派が,人々のあいだに強い影響力を持っています。とはいえ,忙しすぎてエホバの証人の聖書の話が聞けないという人はめったにいません。

その結果,この村にはたいへん大きなエホバの証人の会衆があります。晩になると,わたしたちはピログエでゆっくりと他の村々に出かけて行き,そこで聖書の映画を見せました。村人たちはこぞってやってきました。巡回大会そのものも大成功を収めました。とくにうれしかったのは,献身に関する聖書の見解を十分に知った7名の人が,新たにバプテスマを受けたことです。

別の地域に向かって出発するときが来ました。大ぜいの友だちを振り切るようにしてヘチンを去るのは,ほんとうにつらいことでした。わたしたちと荷物を乗せたピログエがゆっくりと水面にのり出すと,霊的な兄弟や姉妹たちは手を振り,「オ・ダ・ボ」(さようなら)とか「ボ・イ・ボ・ワ」(またきてください)と呼びました。エホバの御意志ならば,できるだけ早い機会にそうしたいものです。

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