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目ざめよ! 1971
目71 5/8 3–7ページ

あなたは自分の仕事に使われていますか

「われわれの生活はまともじゃないよ。ただ生きているというだけだね。それも,仕事に使われるために生きてるようなものだ」とアールはにがにがしく不満を打ち明けた。

彼の上司であり,昼食の仲間でもあるキンリー氏aは,うなずきながら言った。「われわれは自分の仕事に使われている奴隷さ」。

「わたしが去年提出した販売記録を見てくださいよ。その成果は認めてくださったんですか。今年はその10パーセント増加を目標にするようにと言われるんですから」。

「無情のようだが,それが会社側からの冷酷な指示なんだよ。いわば人を最大限に利用するのがわたしの仕事というわけだね」とキンリー氏は説明を加えた。

その年配の社員は,以前の会社が“成長”企業と合併するまでは,これほど個人を無視する非人間的な待遇は見られなかったことを失望した様子で回想していた。合併する前は社長がその会社の所有者でもあり,対人関係はもっと個人的なものであった。以前には理解や同情心を示す余裕があった。ところが当時のもので残っているのは,彼自身とアールのような人,数人との間の古びた信頼感を除けば,ほとんどなにもない。その信頼感でさえ,うわべだけのもので,キンリー氏は自分の本心を打ち明けようとはしなかった。

「今では,われわれは成長大企業の一員ですね」と言ったアールの口調は皮肉に満ちていた。「われわれの株は一般市場で売りに出されており,金を持っている者ならだれでも,われわれに対する発言権を買える。そして,株に1ドルを投資し,なんの努力もしないで2ドルを返してもらおうという魂胆さ。だからわれわれは是が非でも,もっと利益を上げねばならないということになるね。どんな方法でもいいから,とにかく利益を上げろ,というわけさ。仕返しできる唯一の方法は見かけ倒しの製品を作ることだね」。

巨大化のわな

アールとキンリー氏の間で実際にかわされたこの昼食時の会話は,今日の実業界において,特に巨大企業のわなにかかったと感ずる人々にとって珍しいものではない。しかし,そのわなから出られそうな人は少ないのである。それらの人々は,いわば商業主義という像の面前で二つの握りこぶしを無気力に振りかざしているのだ,とキンリー氏は考えた。その鋼鉄の顔には貪欲というしわが刻み込まれ,その無表情の顔には,アメリカの大製鉄会社のある取締役が定義した精神がつらぬかれている。フォーチュン誌は彼の定義を次のように引用した。「われわれの会社の目的は,鋼鉄を作ることでもないし,船を造ることでもない。またビルを建築することでもない。われわれの会社の目的は金をもうけることである」。

拡大・合併その他どんな手段に訴えてでも企業を成長させること,これこそ収益の漸増に通ずる公道としてあがめられている。

企業を成長させて利益を上げるという傾向が中心となっている社会では,会社同志の競争が激しくなり,企業の巨大化に拍車をかけることになる。自分の店で絶対支配権を持っていた小売商人,自分の技術が財産であった職人,かなりの土地を所有し,十分自給自足のできた農夫たちの影響力は消え去りつつある。フレッド・J・クックは自著「堕落した国家」の中で「現在は数十億ドルのマンモス企業の時代である」と述べており,さらにこう続けている。「現在はますますコンピューターとオートメ化の時代になりつつある…その結果,個人が企業の中へ追いやられるだけではなく,小企業が大企業の中へ追いやられる。より膨大な支配体制の創設に向かっての,飽くことなき衝動こそ,第二次大戦後の全期間を特徴づけるものであった」。

1950年から1960年にかけて,アメリカでは一千以上の大会社の合併を見たが,1960年代のあいだその速度はいっそう増した。今日,アメリカ産業(運輸,製造,鉱山,公益)の3分の2以上は,わずか数百の会社によって支配されており,アメリカの全労働者数の40%に及ぶ人々は,わずか316の製造会社に雇われているのが現状である。そのような世界にあって,個人の意志は弱まり,良心は麻ひすると,前述のクックは述べている。

著述家エリック・フロムは,そのような状態を恐るべき主客転倒であると見なしている。「活気があるのは組織そして機械である……人間はそれらの主人となる代わりに奴隷になりさがってしまった」。人間はよく油の差してある機械の歯車の歯に過ぎない。「油を差すことは,より高い賃金,恩典,換気装置の整った工場,士気を高める音楽などによって行なわれている。そしてそれは心理学者や人間関係の専門家によるものである……雇用人の感情あるいは思うところの何一つとして本人から出ているものはない。また何一つ信ずべきものはない。彼は,政治,宗教,哲学……のいずれにも確信というものを持っていない巨大企業あっての自分であり,自らが,喪失してしまった人間の能力を真実に表わしてくれるものとして,巨大企業を崇拝するのである」。

非倫理的な行為

多くの実業家がわなにかかっていると感じている別の理由は,非倫理的な行為に向かう強い傾向にある。事実,「益となることは何事であっても不名誉なことではない」と古代カルタゴについて書いた歴史家のことばは,今日の実業界をよく言い表わすことばであろう。「ハーバード実業概観」によると,1,700人の会社取締役を対照として行なわれた調査の結果,7人のうち4人までが,自社の他のすべての取締役は,うまくやれると感ずる時は,いつでも倫理の法則を犯すと信じていることが明らかになった。5人のうち4人は,自分の会社が非倫理的であり,買収,顧客のために売春婦を雇うこと,不正価格,不当な宣伝,独占禁止法違反,貸付け金を受けたり,貸方記入にしたりするために経理報告書を偽わること,また賃金のぴんはねなどの不法行為を認めている。

それに加えて,企業には地位というはしごを登る競争がある。石油会社のある取締役が認めているとおりである。「うちの会社のある者たちは,出し抜くためならどんなことでもする」。「出し抜くためならどんなことでも」行なう結果,「詐欺,悪意のある巧妙さ,そして倫理の完全な喪失」と描写されているような多くの非倫理的行為が生じている。「堕落した国家」という本は,幾百もの会社の取締役たちが「暗黒街ならではの手腕」を発揮し,相手をこきおろしたり,しのぎを削り合ったりすることについて述べている。

「現代の事務処理法」という雑誌は,取締役にあるその読者たちに,「社員が,まったく公正かつ穏当な手段だけで,管理職の地位に昇進することができるか」との質問を出したが,そのほとんど全員は「否」と答えた。

無法な手段が用いられるなら,それがどんなものであっても,他に伝染するものである。ニューヨークの経営コンサルタント,ノーマン・ジャスペンはこう警告している。「会社の上の者が不正をすれば,それは伝染病のように広がる」。道徳上の伝染病にかかることを避けたいと望む者たちが,わなにかかったと感ずるのも無理はない。

「計画的な廃品促進」

ある実業家が自分の仕事でわなにかかっていると感じるもう一つの理由は,彼らが自分の望んでいる良質な製品を製造できないことにある。今日,「計画的な廃品促進」への傾向が見られる。つまり,製造会社が,見かけは良くても,故意に製品の品質を落とすのである。従って,その商品は早くだめになり消費者はまた新品を買わねばならなくなる。経済関係の一著述家はそのような行為を「アメリカ経済の欠かせない一環」と呼んでいる。

ゼネラル・モーターズは,毎年自動車の型を変えるという「計画された廃品促進」政策を採用し,それを自動車産業に導入することにより,他のメーカーの羨望の的となった。一批評家は,長年持ちこたえる自動車を作ることを理想とした自動車製造家の先駆者ヘンリー・フォードは「今日のアメリカにとっては絶対的な脅威」となるであろうと述べた。

軍備に対する政府の支出は,「自由企業」を全部合わせたものを追い越しており,「兵器がすぐに時代おくれになり,絶えず新しいものと取り替えねばならないので,その支出は浪費の社会における経済への喜ばしい刺激」と呼ばれている。

「計画的な廃品促進」は循環作用を生じさせる。商業界は借金を勧め,消費者に分割払いをいっそう容易なものにし,「ビジネス・ウィーク」誌が「借りなさい。使いなさい。買いなさい。消耗させなさい。欲しがりなさい」と呼んでいる,終わることのない循環を始めることになる。

そっとしておいてくれる地位はない

キンリー氏自身は,ジレンマに陥っていた。彼は病気であったし,自分の仕事にいや気がさしていた。経営の最高責任者は,市場に,見かけ倒しの商品を送りこむことに反対するキンリー氏の申し立てを全く無視した。以前の会社が総合企業に合併されて以来,従業員を最大限に活用し,生産を拡大させようとする圧力はいっそう激しいものとなった。彼の周囲にいる者はたいてい,会社の倫理をごく自然に受け入れる順応主義者のタイプで,昇進に飢えていた。人を使い,精力を消耗させ,解雇する圧倒的かつ冷酷,非個人的な企業の権力に対して,一人の人間がどのようにして立ち上がれるだろうか。

しかしそれ以外の道があるだろうか。会社が小さくて独立している間は,ある場合に,年をとった社員が,若い社員の望みそうもない,目だたない,安定した地位に退き,そこにとどまることができた。ところが今では総支配人の部屋に,ピラミッド型をした会社組織の一覧表がかけてある。一つ一つの地位はそのピラミッドの石のかたまりによって表わされており,それはより若く,より強健で,より有能な者が一段一段登って行こうと努める石段なのである。

「ストレス」病

キンリー氏は自分の神経系統内の危険信号が,“危機”を叫んでいることは十分承知であった。自分の潰瘍をほまれあるバッジのように人々に知らせてまわる実業家たちは,それに代わる上品な言いまわし ―“緊張<ストレス>”ということばを用いるだろう。

彼は会社専属の心理学者からどんな助けを得られるというのだろうか。キンリー氏は彼の忠告がどんなものであるかを知っていた。「あなたの感ずる良心のとがめを取り除いて,商売の勝負<ゲーム>をそれ自体の規則に従って楽しむことですね」。アルバート・Z・カーは自著「勝負<ゲーム>としての商売」の中でこう述べている。「経済にかんする決定と行動に,個人感情の荷を負わせすぎる人々は,実務のストレスに耐えるのが難かしいことを思い知らされる」。彼は実業家に,自分の良心のとがめは日常生活のために取っておくよう助言を与えている。なぜなら「商売上の戦術は,個人生活の理想とは,はっきり区別される」からである。アンドリュー・M・ハッカーは「社長の養成」という題の記事の中で,同様の意見を述べている。「[見かけ倒しの製品を容認するという]この挑戦に彼がどう反応するかは,彼の上司たちによって観察されている」。“勝負<ゲーム>を楽しむ”ことにあまり潔ぺきすぎる者は,社長になれる見込みがないばかりか,カー氏がさらに述べているように,「彼は取締役のどんな仕事であっても保ち続け,ストレス病を避けられれば幸運なほうである」。

思い悩む取締役たちが現在までとどまってこられたのは,30代,40代を通して,物事を成し遂げることを要求される世界にあって,競争を行ない続けてきたからである。絶えず独断的に駆り立てられることにより,彼らはやがて自分の個性がすっかり奪われてしまうような速度で走り続けるのである。それから彼らが50代にはいると,老化現象に合わせて,速度をゆるめ,くつろぐことができなくなっている自分に気づく。シカゴ大学のウイリアム・E・ヘンリー教授は,「現実に対処できない者は,文字どおり死への道を走ることになる」と述べている。

現在の実業界で絶えず容赦なく駆り立てられる人々は,往々にして,恐れ,憎悪,怒り,しっと心,さい疑心,ざ折感,ねたみ,有罪感,不安,自分に対する疑いなどの有害な感情の内部的な葛藤にさいなまれていたことになる。

キンリー氏は,自分が緊張していて神経質であり,気短かになっていること,そのうえいちばん悪いことに,疲れ切っていることに気づいたのである。それは憂うつな疲労状態であった。彼は一日の終わりに,仕事上のわずらわしさにドアをしめ,家庭ではそれをすっかり忘れてしまうことができなかったのである。疲労の残りが月曜日から週末までに蓄積し,ただ休息をとって元気を取りもどすだけでも土曜日と日曜日が必要なのである。

会社のわなから出る

しかし54歳にもなったら,ほかに就職先を見つける機会がはたしてあるのだろうか。同じ程度の給料,名声,恩典を提供してくれる地位を見つけることができたであろうか。確かに,彼ほどの円熟と経験を身につけた者なら喜んで雇用してくれる競争会社はないではなかったが,それは,現在の会社に追いつくべく彼らに手助けをするという上でのことであった。しかしそのことは,彼らの会社のピラミッドを以前と同じほど,あるいはもっと苦労して登ることになるのである。

彼はまず,仕事の圧力からの解放がいわばお金を払って買い求める商品のようなものであることを自分に銘記させ,彼の家族にも甘んじてそれを受け入れさせるようにしなければならない。その代価は? 恐らくより低い生活水準であろう。もはやお金は物の価値を計る唯一のものさしであってはならない。

お金に対して分別のある見方を持つことの大切さを,キンリー氏は知っていた。聖書はそのことをはっきり述べている。「お金に対する愛は,あらゆる類種の有害な事柄の根である。そしてある者は,この愛をとらえようとしたために,信仰から迷い出,多くの苦痛をもって自らの全身を刺し通した」― テモテ前 6:10,新。

キンリー氏は,もっと長生きをしたいと思うなら,変化せねばならないと感じた。デューク大学医学センターによる15年間の研究の結果下された結論はこうである。仕事上の満足は,長生きをする最も肝要な要素の一つである。キンリー氏自身のからだと思いの内にある何かが,それと同じことを彼に知らせていたのであった。

アールと昼食をともにした時から一週間のち,キンリー氏は静かに辞表を提出した。

2か月以内に,彼は独立した顧問として,同じ分野のもっと小さい幾つかの会社で週三,四日働くようになった。彼は以前ほどの高給をもらってはいないし,団体保険のような貴重な恩典も受けられなくなった。それは仕事の圧力から解放されるために支払った代価なのである。そのことにはそれだけの価値があったであろうか。

彼自身は,価値があったと考えていた。「わたしは非常にすばらしい精神的な幸福感を味わっている。会社のわなからのがれることができた。趣味,それに研究や熟考のための時間,そして自分自身の考える能力をいろいろなことのために用いる時間を持っている。今のわたしは生きるために働いているが,働くためにだけ生きるというようなことが二度とないよう願っている」。アメリカの一実業家にかんするこの実際の経験は,あなたに次の質問を提出するものとなるであろう。あなたは自分の仕事に使われていますか。

[脚注]

a これはあるアメリカの実業家の実際の経験を取り扱ったものです。人名は変更されています。

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