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  • 目ざめよ! 1971
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目ざめよ! 1971
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「あなたのみことばは真理です」

祈りを優先させますか

優先(権)という語は,「重要さの順位で前に来る。何かに優待の地位を与え,必要な資源を最初に請求する権利を付与する」と定義されています。第二次世界大戦中,「優先権」という語はひんぱんに用いられ,軍需産業にはすべて優先権が与えられました。

したがって,祈りを優先させるとは,その重要性を認めること,それほど重要でない事柄から時間をさき,祈りのために時間を設けることを意味しています。

今日クリスチャン奉仕者は,忙しすぎて神の王国の音信を聞くひまなどない,と人々がこぼすのをよく耳にします。しかしそれらの人々すべてが実際に,聖書からの短い話が聞けないほど忙しいのでしょうか。聞きたいという欲望があれば,そんなことはないはずです。自分にとって何が最も重要と考えるか,という問題に尽きます。多くの人は「神を愛するより快楽を愛する者」であるゆえ,娯楽を優先させます。―テモテ後 3:4,新。

献身したクリスチャンは,この点から祈りに関する教訓を得ることができます。献身したクリスチャンであるなら,祈りの時間を設けるべきこと,各食事の前に祈るべきこと,1日の初めと終わりや,その他の機会に造り主に祈るべきことを当然知っているはずです。しかし常にそうしますか。それとも,朝から神と話すこともせずに仕事に出かけ,夜の休息,新たな日の光,そして自分を待ち受けている霊的および物質的な祝福の数々に対して神に感謝することはおろか,1日の上に神からの知恵と力とを求めることも,全世界における神のわざの関心事のために祝福を願うこともしない,という生活を送っていますか。

仕事に出かける前に,しなければならないことがあるのは確かです。からだをきれいに,し,髪にくしをあて,ひげをそるかたもいます。それに食事をして,バスに間に合うよう急いで家を出なければなりません。バスは待ってはくれません。そうした事柄は,『凡ての人のまへに善いことを図ろう』とする者にとって肝要なことです。(ロマ 12:17)そうした必要な事柄を毎日行なっているのですから,それにどれぐらいの時間を要するかはもうご存じのはずです。では少し早起きして,神と話し合い,少なくとも,「エホバの証人の年鑑」(英文)に掲載されている,その日の聖句と注解を簡単に考慮するための時間を設けることはできませんか。そうするならば,「自分自身のために,都合のよい時間を買い取りなさい。今は邪悪な時代だからである」との,パウロの助言に聞き従っていることになります。―エペソ 5:16,新。

神の完全な子であったイエス・キリストは,地上におられた時,祈りの価値と必要を認識していました。福音書は,イエスがバプテスマの際に祈ったこと,夜じゅう祈ったこと,地上での宣教の最後の日には,何度も祈られたことを告げています。イエスはさらに,自分の追随者にどのように祈るかを教え,「眠らずにいて,いつも祈っていなさい」と勧めました。―マタイ 26:41,新。

この優先させるという問題の帰する所は,霊的な必要の認識です。(マタイ 5:3,新)わたしたちは日ごと神に話しかける必要があります。『すべての道においてわたしたちは彼を認める必要がある。わたしたちの行く道に対して彼の指示を得るためである』。(箴言 3:5,6)詩篇 127篇1節に示されている原則を,絶えず銘記することが必要です。「エホバ家をたてたまふにあらずば建るものの勤労はむなしく,エホバ城をまもりたまふにあらずば衛士のさめをるは徒労なり」。そうです。『自分たちの時が神の手にある』という事実をいつも覚えておく必要があります。―詩 31:15。

祈りは,わたしたちの造り主,命の与え主,維持者および審判者であられるエホバ神と親密な関係を保つ最善の方法です。祈りによりへりくだった思いで,わたしたちは神と歩むよう助けられます。(ミカ 6:8)『たゆまずに祈る』ならば,それに応じて,エホバ神はわたしたちに近づいてくださいます。(ロマ 12:12,新。テサロニケ前 5:17)さらにそれに応じて,クリスチャン生活の最も肝要な面の二つの点で強められます。その二つの面とはなんですか。

まず第1に,祈りによってエホバ神とのより親密な生活をするに応じて,神の不興を買うことを恐れるようになります。その恐れは知恵の始まりです。それによって悪から離れるように助けられ,さらには誘惑に抵抗するよう強められるからです。他方,エホバ神とのより親密な生活をするに応じて,エホバをもっと知り,愛し,その戒めを守る熱意を深められます。なぜなら,使徒ヨハネが示しているとおり,それが神への愛を意味するからです。―箴言 8:13; 9:10。ヨハネ第一 5:2,3。

エホバへの祈りを他の事柄に実際に優先させるのであれば,単に神に願いごとをするにとどまらず,時間をかけて賛美と感謝とをささげるはずです。この点で詩篇は良い例を与えています。厳密には歌ですが,その多くは基本的には,賛美と感謝の祈りであり,同時に祈願でもあります。

たとえば,詩篇 136篇はこう命令しています。「エホバに感謝せよエホバはめぐみふかしその憐憫はとこしへに絶ゆることなければなり,もろもろの神の神にかんしゃせよ……主の主にかんしゃせよ……王の神にかんしゃせよ」― 詩 136:1-3,26。

エホバ神に祈願や懇願,また嘆願をする際,神に請求したり命令したりするような大胆な態度を決して取らないようにしましょう。神に説教したり講義をしたりするようなことは決してあってはなりません。むしろ,わたしたちはこじきであり,次のように言ったイエスと同じ態度を取るべきです。「わたしの望むとおりにではなく,あなたの望まれるとおりに」― マタイ 26:39,新。

祈りを優先させるなら,わたしたちの願いが神にかなえていただける理由を添えて,懇願をささげることができるでしょう。それは神の名前が関係しているからかもしれませんし,神がめぐみと公正また愛ある親切を喜ばれるかたであることを,わたしたちが知っているからかもしれません。(出エジプト 34:6,7。ダニエル 9:16-19)また,ダビデ王と同様,親から受け継いだ罪ゆえに許しを請うことができます。―詩 51:1-5。

祈る時には,話しかけているかたが至高者,宇宙の主権を持たれる支配者であることを忘れず,精選されたことばと言語を用いましょう。このことを認識するなら,真の謙虚さと,できうるかぎりの尊敬の念をもって神に近づくことにもなるでしょう。また懇願する時,聖書を信じていない人々がするように,「徒らに言を反復」さないようにしましょう。―マタイ 6:7。

次のように祈った老人をまねるべきでもありません。「神よ,私と妻,息子のジョンとその妻を祝福し給え。4人だけで,あとは結構です」。そうではなく,最も広い範囲の祈りをしましょう。神の名前の聖別,王国の到来,地におけるご意志の成就を祈り求めたいと思います。さらに,世界じゅうの『全部の同僚の兄弟たち』の福祉をも覚えたいものです。―ペテロ前 5:9,新。マタイ 6:9,10。

神のことばが述べていることを真理であると認めるなら,祈りを優先させ,決してそれを怠らないでしょう。そして,それに相当すべき総括的な事柄を含ませ,ふさわしいりっぱなことばに託して祈りをささげることでしょう。

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