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目ざめよ! 1971
目71 11/22 26–27ページ

苦悩するドイツの諸教会

ドイツの「目ざめよ!」通信員

ドイツでは毎年何万という人が,プロテスタントの教会や,ローマ・カトリック教会から脱退しています。ベルリン・ブランデンブルクの司教クルト・シャルフは,「ドイツと西ベルリンの教会の状態はいよいよ悪くなっている。教会を去る者の数は以外に多い」と言っています。

1970年9月,ダブルシュタットで開かれた第49回ドイツ牧師大会では,この傾向にかんして種々の意見が述べられました。たとえば,フランクフルト大学のハンス・ラウンゼンバーガー教授は,「現在わが国には説教を聞きたいという強い欲望がない」と言いました。

それは事実です。日曜日の朝の教会はからっぽに近い状態です。市内にある教会はとくにそうです。ドイツの雑誌シュテルンは,フレンスブルク市内の新教とローマ・カトリックの教会の日曜日朝の礼拝の写真を掲載して,その点を説明しました。記事の題名は,「フレンスブルクの教会の牧師たちは,からっぽに近い席に向かって説教」。

ではこの傾向は一時的なもので,逆転可能なものと考えられているかというとそうではなく,1970年1月20日号のジュセルドルファー・ハンデルスブラット誌は,むしろ次のように述べています。「教会自身が俗化の一途をたどってきた以上,その道徳体系がぐらついているように見えても,多くの人はおどろかないだろう。これからも多くの人が教会を去るだろう。そして教会に通う者の数は減少をつづけるだろう」。

ベルリンの神学教授ギュンター・ハルダーの予測はさらに暗く,「われわれの息の根をとめるなだれがやってくる」と言っています。

ドイツの教会で起きている問題の原因のひとつは,税金徴収制度に対する不満です。ドイツでは政府が教会のために税金を徴収します。そしてその税金が非常に高くなったのです。現在政府は年間3,600億円に近い税金を教会のために徴収します。

教会はこのお金の流入を絶やさないために,教会員がどんな人間かについてはやかましく言いません。たとえば,ある調査によると,ドイツの教会員の32%は聖書の神を信じておらず,51%はアダムとエバを自分たちの先祖と考えず,64%はイエスの処女誕生を信じていません。それでも彼らは,税金を払うので,みんなよい教会員として受けいれられています。

売春婦,その他いかがわしい方法でお金をもうける者たちも,教会員として歓迎されています。カトリックのある若い司祭は,「われわれの教会は実にうまくできているので,創始者なしでやっていけるが,会社の資本金がなければやっていけない」と自嘲しました。

金銭や物質に執着するために,教会に対する反対はしだいに強くなっています。フランクフルター・ルントシャウの指摘するところによると,「外観ばかり神の誉れのために光り輝く……気取った,麗々しい建物や教会に」多額の税金がつぎこまれ,「教会の内側では神がひとり暗がりに座している」ことに人々は不服をいだいています。

ジュセルドルフ・ハンデルスブラットも同様の批判を行なって,次のように問いかけています。「いったい教会は,あの世との仲立ちをつとめるのに,これだけの財産が必要なのか。どちらかといえば,教会は行政上の建造物とそれ自体の官僚制度を有し,増大してとどまる所を知らない基礎を持つ,世俗化と経済化を志向する一財閥へと発展する観を見せている」。それでも教会は,収入に執着し,収益の高い教会税を支持しつづけています。

僧職者の中にさえ,これが正しくないことと認めている人がいます。ハンブルクの牧師エドガー・シュピールは,教会税制度を変えることについて語り,つぎのように言いました。「われわれはイエス・キリストの証人として存在するよりも,宗教というかくれみのの下の単純なくつろぎを愛するがゆえに,ひるむのかもしれない。事実を直視しようではないか。われわれの慣習的なキリスト教は,サタンがかわいがっている子なのである」。

多くの人はこの評価に共鳴した。自分の賛成できない組織を財政的に支持することを欲しないために,教会を去っています。しかし教会税の支払いを免れるには,関係当局に行って,教会をやめたことを実際に宣言しなければならないのです。

教会に対する不満の原因は,教会税だけではありません。教会内の霊性の不足 ― 神および神のみことばを人々に教えることにほとんど完全に失敗していることも,その原因を成しています。ドイツの宗教制度は,聖書と神に対する懐疑的な,それどころか時には敵意のある態度によって,毒されるに至りました。

たとえば,コロンに住む著名な神学者ドロテー・ゾーレは,「神が過去において行なったことを確証したところで何の益にもならない」とか,「この神とよばれる,一神論者の崇拝の対象は」死んでいるなどと主張します。誠実な人々が,そのような教理の宣伝を許す教会を去るとき,だれが非難できますか。

若い人たちはとくに,教会に得るべきものがないことをよく見てとっています。いく人かの新教徒の若者たちを対象に調査が行なわれたとき,彼らはかなりしんらつな意見を述べました。質問を受けたエッセンの2,500名の生徒のうち70%は,日曜日の朝の説教は人の人生観にほとんど影響を与えないと言い,約25%はそれは「全然重要でない」と言いました。ある17歳の若者は,「毎週日曜日に葬式に行っているような感じがする」と言いました。

教会を去る人がみな,神にあるいは聖書に無関心である,というのではありません。反対に多くの人たちは,西ドイツでエホバの証人たちが毎週司会する4万2,000以上の家庭聖書研究に出席しています。昨年は5,828名が,このうちの一部はごく最近教会を離れた人たちですが,聖書の知識の面で進歩を遂げ,エホバ神に献身し,その献身を水のバプテスマによって表わしました。ですから,教会の会員や出席者が減少していくのとは対照的に,聖書を教える西ドイツのエホバの証人は9万以上に増加しました。

エホバの証人は何年もの間,キリスト教世界の教会は神を代表していないし,神のことばである聖書を人々に教えることにも失敗していると言いつづけてきました。この事実は今ますます多くの人の目に明らかとなってきており,多数の人が教会を捨てるという結果を生み出しています。

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