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目ざめよ! 1971
目71 6/22 24–26ページ

人種差別を受けながらも一致を保つ

南アフリカの「目ざめよ!」通信員

多人種の南アフリカの住民は,ヨーロッパ人(白人),アフリカ人(黒人),有色人(混血人)の三つのグループに大別されていて,おのおの別々の居住地域に住んでいる。しかし南アフリカのエホバの証人は,法律によって人種差別を受けているとはいえ,霊と崇拝とにおいては大いに一致しており,そうした一致をいろいろな方法で示している。たとえば,最近開かれた「善意の人々」大会もその一例である。

1971年1月7日から10日にかけて行なわれた大会のために,ヨハネスブルクは三つのりっぱな会場を提供した。ヨーロッパ人(白人)の証人たちは,ミルナー・パーク・ションー・グランドで大会を開いた。ミルナー公園から七,八キロ西に行くと,設備の行き届いた,りっぱな競技場,ユニオン・スタジアムがあるが,そこが有色人証人たちの大会場として選ばれた。

そこからさらに11キロほど南西に行ったところにモフォロ公園があって,そこではアフリカ人の大会が開かれた。モフォロ公園は片側に樹木の立ち並ぶ快適な場所で,公園には備えつけの大きな舞台があり,その向こうに美しい小さな湖がある。座席や日よけや建物は何もない。そこで,証人たちは大々的な建築作業を行なわねばならなかった。

大会の準備

建築作業は,必要な知識と技術と装備をもつヨーロッパ人の証人たちの指導のもとに行なわれ,何百人というアフリカ人の証人たちが作業を手伝った。これらのクリスチャンが,愛を示し合いながら楽しくいっしょに働いたことは,南アフリカのエホバの証人が一致しており,愛し合っていることを立証するものとなった。

証人たちは協力して,大きな集会場を作った。後部にも9列の座席を設けて,円形スタジアム式にし,3万人はゆうに収容できる座席が準備された。ここは,北アフリカとは事情が違い,近くに都合のよい“林”,つまりジャングルがあって,そこから材木や必要な材料を取ってくるというわけにはいかない。この公園は,近代的な大都市のどまん中にあるのである。だから,材木その他の材料はみな,その土地の会社から賃借りするが,借用しなければならない。しかし,注意深い組織と計画とにより,わずか1,400ドルで,座席つきのスタジアムができ上がった。約3万人の大群衆が利用する水洗便所や種々の部門の建設に,どれほどの働きが必要か,あなたは想像できるだろうか。会場を見に来た市の役人たちは,「あなたたちのすることには全くおどろきましたよ。二つの町をつくったじゃないですか!」と言った。

大会に出席した証人の多くも,十分前もって準備しなければならなかった。なかには長い旅をして来た証人もいた。というのは,そういう人たちは,何か月も前から貯金して準備をしたということである。とくに有色人とアフリカ人の証人たちはそうだった。南西アフリカに住むひとりのアフリカ人の証人は,一番近い町グルートフォンテインまでの527キロを自転車で走り,そこから大会までの2,735キロを汽車で旅した。有色人の会衆の多くが100%大会に出席したことも,前もってよい準備がなされたことを物語る。インド人の証人も多数よく準備して,有色人の大会に出席した。彼らはその民族グループに類別されているからである。インド婦人の証人たちのサリーが大会に美しい色どりをそえた。しかし,それよりもさらにうるわしかったのは,有色人とインド人の証人たちが表わした一致と善意の霊であった。

聖書劇

ミルナー公園では,聖書のエステル書にもとづく劇が行なわれたとき,おもしろいことが起こった。南アフリカの証人の大会でははじめてのことだが,ひと組の出演者が無言劇をするあいだ,その劇のせりふが同時に,スタジアムの一方に席を占める人々には英語で,その反対側の席の人々にはアフリカーンス語で放送されたのである。音響技術者は,どのようにしてそれをしたかをこう説明した。

「これにはまず最初に,アフリカーンス語への翻訳に特別の注意を払わねばなりませんでした。翻訳の仕方を標準的な仕方とは反対に,文章の長さが,英語の構文とできるだけ同じになるよう調整しました。それから,アフリカーンス語を話す劇の参加者が,そのアフリカーンス語の台詞を,イヤホーンで英語のものを聞きながら,英語と全く同じ早さで読む練習をしました。それからアフリカーンス語版の劇を録音し,それを英語版が録音されているステレオテープに同時録音したわけです。このテープの同時録音と編集だけに,60時間の忍耐強い働きが必要でした」。

劇が行なわれたとき,このひとつのテープがステレオ・レコーダーにかけられ,ひとつのチャンネルは英語,もうひとつはアフリカーンス語で放送された。こうして,両方の聴衆が,ひとつの劇を見ることができた。モフォロ公園でも,同じ手法でアフリカ人のための大会が行なわれた。ここでは全部のプログラムが,一方の側は(クソサ族とズル族の証人たちのために)ズル語で,他方は(セソト族,ツワナ族,セペディ族の証人たちのために)セソト語で行なわれた。

さまざまな仕方で表明された一致

人種差別を受けながらも一致している南アフリカのエホバの証人の間の暖かい愛は,さまざまな仕方で表明された。たとえば,最近,南アフリカの中の飛び領土レソトに,かなりひどい飢きんがあった。その国の証人の多くは重大な問題に直面していた。政治上の中立の立場を取るため,彼らはトウモロコシを植えようにも種を入手できなかったのである。なかには餓死の危険にひんしている人さえいた。その問題が,大会の「準備」集会で,ヨハネスブルクの証人たちに知らされたとき,この集会で寄付箱に入れられたお金は全部レソトの証人たちを助けるために送ろうではないか,という提案が出された。反響は圧倒的であった。2,400ドル以上の寄付が集まり,一週間以内に,種と食物を買うためのお金が,レソトの証人たちに送りとどけられた。

この愛ある取り計らいの恩恵に浴した,レソトのある婦人のエホバの証人はこう述べた。「家の中はついに無一物になり,ひきわりトウモロコシを買う10セントのお金さえない状態にまできました。そのとき,南アフリカの白人の兄弟たちから,食糧を買うお金がとどいたのです。私はただ泣けて,何も言うことができませんでした。他の証人たちも私も,当面する問題を切り抜けることができました。そしてエホバの備えにより,この大会にも出席できて,霊のごちそうにもあずかることができました」。

三つの人種グループの証人たちは,自由には交わることができなかったが,非常に多くの証人たちが一度にヨハネスブルクにやってきたのだから,当然のことながら,偶然の出会いもあった。あるヨーロッパ人の婦人の証人は,目を輝かせながら,自分の経験を話した。

「私が町のショッピングセンターに駐車したとき,アフリカ人を満載した5台のバスが,駐車場を見つけられなくて立往生していました。娘が,バスに乗っている人たちは大会のバッジをつけている,と言いました。それで,わたしたちが自分のバッジを指さすと,バスに乗っていた証人たちは手を振りました。そして,いく人かの証人がバスから降りてきて,ものみの塔協会の南アフリカ支部を訪問しようと思っているのですが,道に迷ってしまったのです。と言いました。ちょうどその時,交通巡査がきました。私は事情を説明し,協会の支部まで私が案内したいと申し出たところ,そのおまわりさんはたいへん親切で,車の流れをとめてバスをターンさせてくれました。そして,私の案内でバスは支部に着きました」。

夜,アフリカ人の証人たちを宿舎に送りとどけることは,非常に込み入った広いソウェトではかなりの問題だった。その広い地域には,「ソトシス」として知られている,凶悪なよた者たちがいて,夜になると町をうろつき,愚かにもひとり歩きをする者をみさかいなく襲って略奪する。静かないなかから出てきたアフリカ人の証人たちは,「ソトシス」にとってはいいカモである。そこで,ヨハネスブルクの証人たちは,よその土地から来るそれらクリスチャンの兄弟たちを保護する責任を感じ,「安全ガイド」という特別の取り決めを作って,一致と思いやりを示した。最初のバスが,各バス停に地元の経験あるガイドのグループを降ろす。次のバスが証人たちを降ろすと,それらのガイドが二人か三人で彼らを宿舎まで送りとどける,というふうにした。

すばらしい結果

神の「善意の人」となってバプテスマを受けた人の数は,大会のすばらしい結果を反映するものであった。たとえば,有色人の大会では112名のインド人と有色人が浸礼を受けた。1,390名という,有色人地域でのエホバの証人の数と比較すれば,これはすばらしい成果である。アフリカ人の受浸者数は603名,ヨーロッパ人の大会でバプテスマを受けた人の数は381名であった。受浸者の数は合計1,096名。2年ほどまえまで,1年間の受浸者の合計が1,000名前後であったことを考えると,これはすばらしい結果である。

大会の特筆すべき事柄である公開講演についていえば,三つのスタジアムに人々が続々とつめかけた。有色人の大会には2,770名,ヨーロッパ人の大会には1万2,252名,アフリカ人の大会には3万3,757名,総合計4万8,779名。南アフリカに2万2,000人ほどの証人しかいないことを考えると,これは驚くべきすぐれた成果である。

ものみの塔協会のノア会長の閉会のことばを聞くためにとどまった多数の人々には,さらによい励ましが待っていた。会長は,アフリカにおける一連の「善意の人々」大会のすばらしい成果を説明し,また南アフリカにおける協会の事務所と工場の拡大計画について語った。

三つの大会での一致と愛の霊があまりにも著しかったので,一般の新聞まで,「出席者すべてに見られた平和と善意」について論評した。(1971年1月12日付ザ・ワールド紙)また,ミルナー・パーク・スタジアムの管理人たちも,その秩序と清潔さに感心した。あるアフリカ人の従業員は,「ヨーロッパ人は,わたしたちをどなりつけるのがふつうですが,あなたたちは親切な話しかたをしますね」と言った。

人種差別を受けながらも一致している南アフリカのエホバの証人は,神の新秩序のもとで,すべての証人が集まって,その心にある愛をより深く経験し,完全で永続する一致を享受する時が来るのを待ち望んでいる。

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