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目ざめよ! 1971
目71 7/8 20–23ページ

ブラジルにおけるクリスチャンの一致

ブラジルの「目ざめよ!」通信員

ブラジルは最近,ますます分裂していく世界のただ中でクリスチャンが一致していることを示す,強力な証拠を見た。それは先ごろ,この広大な国土の18箇所で開かれた,エホバの証人の一連の「善意の人々」大会であった。

新聞は,このおどろくべきクリスチャンの一致に注目した。一部の記事には次のような見出しがかかげられた。

「エホバの証人は一致して,神は死んでいないと宣言」。(1970年12月17日付,ウルティマ・オラ紙)「実際的なキリスト教を支持するエホバの証人」。(1970年12月18日付,ディアリオ・デ・ノティシアス紙)「現代世界にかんする神の考えを知りたい人は,エホバの証人に尋ねなさい」― 1970年11月30日付,ドリブナ・ダ・インプレンサ紙。

パラ州ベレムのそうした一テレビ局の責任者は,クリスチャンの一致にひどく感銘し,大会にかんする15分間のインタビューを1時間近くに延長した。

もし,このような大会に50年間もつづけて出席する機会を得たとしたなら,クリスチャンの一致を培う上でこうした大会がいかに大きな助けになるかが理解できるであろう。1922年,リオデジャネイロで開かれたブラジル初の大会に出席したある証人は,当時何十人という数だった出席者が,今年は12万950人 ― 18の大会で講演を聞いた人の総計 ― に増加したのを見て,ほんとうに喜んだ。ブラジルのエホバの証人の最高数は6万4,199人だから,実際に,証人一人につき一人の関心をもった新しい人が出席したことになる。

遠く隔たっていても一致している

ブラジルの膨大な距離の隔たりも,緯度・経度のかなりの相違も,これらのクリスチャン証人たちの一致の促進に役だっただけであった。たとえば,二つの大会は,赤道に近いパラ州のベレムとアマリナス州のマナウスで,五つは南回帰線に近いサンパウロ,サンカエタノドスル,リオデジャネイロ,ニテロイ,ロンドリーナで開かれた。さらに南では,ポルトアレグレ,リオグランデドスルと,南緯30度くらいのところで開かれた。

経度にかんするかぎりでは,ペルナンブコ州レシフェにおける大会は,西経約34度のところで,またアマゾンの密林の奥深くに位置するアクレ州,リオブランコにおける大会は,その2倍の経度,つまり西経67度のところで開かれた。しかし,このように距離が隔たっているにもかかわらず,これらの大会に遠近から数多くの祝辞や祝電が寄せられたことは,ほかの人々もそれらの大会に思いをはせ,そのために祈っていたことを示すものであった。

エホバの証人は,あらゆる種類の人々が,神の「善意の人々」として,ともに集まって一致した崇拝を行なうのを助けることに関心をいだいている。それで,リオブランコ大会は人口8万のこの小都市で開かれたが,他の大会は,フォルタレザ,サルバドル,ベロオリゾンテ,ポルトアレグレといった,人口100万くらいの都市で行なわれた。それぞれ600万,450万余の住民を有し,「都市文明」に伴うあらゆる問題をかかえたサンパウロとリオデジャネイロの人口爆発は,エホバの証人の大会における彼らのクリスチャンとしての親密な交わりを強調することに寄与するものであった。

ともに集まるための努力

大多数の証人にとって,これらの大会のひとつに出席するためには,事前の準備が相当必要であった。エスピリトサント州,カリアシア会衆のある証人は頭を働かせて,ニテロイ大会の数か月前に,2匹の子ブタを買い,よくふとらせて,旅行に出る直前にそれを売った。その収入で彼女は費用をまかなうことができた。ペルナンブコ州,カルピナの別のエホバの証人は85歳で,ほとんど盲目であるが,100キロに近い旅をしてレシフェの大会に出席するだけの霊的視力を備えていた。その老婦人はすこしもためらわずに,自分の果樹園でとれた果物を大道で売った。大会に出席しようという,堅い決意のほどを知った不信者の親族は,その老婦人を経済的に援助した。

レシフェ大会に出席していたある証人は,「たばこのお金」で大会に来た。むろん,たばこの販売をはじめたわけではない。たばこを買うのをやめただけである。バプテスマを受けることを決意したとき,彼は喫煙をやめた。そのためにできた貯金 ― 1年足らずで88ドル(3万円)余りは,旅費と食費を払ってもあまるほどであった。

ブルメナウ大会に出席するため,6人の子どもをもつある夫妻は,生活の手段であるポップコーンの屋台を売った。まず王国を求めるよう努力しているので,生活の手段はまたエホバが備えてくださる,ということを彼らは確信していた。―マタイ 6:31-33,新。

ブラジルで2番目に最北の任地である,アマパ領のマカパに住む3人の全時間奉仕者は,現金は足りなかったが,ベレム大会をのがす気にはなれなかった。そこで彼らは,アマパ領の知事に直接会い,福音伝道者として無料の切符を申請した。申請は受理された。ということは貨物船の船倉の中で丸二日二晩旅をすることを意味した。それはたいへんなことだった。しかし大会の喜びは,すべての困難を補ってあまりあった。

克服しなければならない問題

ブラジルでは,エホバの証人の活動が短期間にあまりにも発展したので,時には備品の足りない事態も生じた。しかし,喜びに満ちた証人たちは,なんでも手にはいるものに感謝し,ブラジルの有名な“ジェイティンオ”(ものごとのやりかた)を巧みに応用して事を運ぶ。18の大会で,一食30セントで支給される10万食の食事を準備するために,エホバの証人は,自分たちで作った巨大なガスストーブから,木炭火ばちや石油ストーブに至るまで何でも使った。しかし,全体的にいって食事はたいへんよかった。チキンシチュー,マッシュポテト,スパゲティ,七面鳥,牛肉,トマトその他のサラダ,肉だんご,そしてもちろん,みんなの好物のごはんと豆も食べられた。そうした食事のときにも,全家族がクリスチャンの一致を楽しんだ。

地方当局の協力を得て問題を解決したこともあった。たとえば,サルバドル大会では,80台ほどのバスが,大会出席者を家に運ぶために,毎晩路線を変更した。

しかし,すべてがらくらくと行ったわけではない。サルバドル大会開催予定日の数日前になって,大体育館の使用許可取り消しの通知がきた。ほかの場所が二つ提供されたが,大会のためにはどちらも不適当だった。証人たちは州の知事のところまで行って事情を訴えようとした。多忙な知事は証人たちに会うひまがなかった。どうしても知事に話す必要があると考えた証人たちは,いつでも都合のつくときにお会いできるのをお待ちしてますという趣旨のメッセージを送りかえした。それが知事の手にはいったときには,『証人たちはあなたの事務所の外でストライキを行なう模様です』というふうになっていた。むろん,これほど事実からはずれたことはない。しかし,ついに会見が取り決められ,家畜展示場の使用が許可された。

あますところ48時間もなかったので,何百人という証人がありのように働いた。これを見たグランドの管理者は,「見たまえ!……われわれはこの場所をゴミの散らかった汚い状態で渡すけれども,戻されるときには,すっかりきれいになっているだろう。こんないい人たちに気の毒に思う」。しかし,大会はきちんと定刻に始まった。証人たちは,大会場が与えられたことをエホバに感謝し,花の木などで飾って,熱帯的なふんいきをつくり出した。

一致するよう他の人々を助ける

他の場所と同様にブラジルでも,エホバの証人は,関心のある人たちに神のみことばだけでなく,必要ならば読み書きも教えるよう努力している。したがって,人々は,神のみことばからより直接的に益を得,神が教えるクリスチャンの一致の仕方を学ぶことができる。証人たちが読み書きを教える計画を実行しはじめたのは1956年11月であった。その結果,5,900人が読み書きを学ぶようになった。また,わずか過去2年間に,1,000人が援助された。ものみの塔協会は,ゆきとどいた計画を立て,政府発行の読本を使用した。しかし,時がきてものみの塔協会は独自の読本を準備した。「読み書きを学びましょう」というポルトガル語の本が発表されたとき,大会出席者は喜んだ。ブラジルでは10万部が受け取られ,よく活用されている。

ブラジル政府は,読み書きを教えることに大きな努力を払っている。これまでの証人たちの骨折り,また近い将来にも,さらに何千人もの人々を教えようとしている積極的な態度は,教育局長たちに感謝されている。たとえば,証人たちが,リオグランデドスル州の教育文化局長を尋ねたとき,「援助を申し出たのはエホバの証人が初めてです。これこそ開拓者の態度と言えるでしょう」と彼は言った。リオデジャネイロ州の教育局長は,ニテロイで訪問を受けたとき,もし全部の教会が,「エホバの証人のこのりっぱな運動を見ならえば,わが国の文盲はなくなるだろうに」と言った。

宗教的文盲,つまり神のみことばである聖書にかんする無知は,世界の他の場所と同じく,ブラジルでも大きな問題である。それで,大会を通し,またブラジルのエホバの証人の1,160以上の会衆,150の孤立した群れにより,これらのクリスチャン証人たちは,真の一致への道を教える唯一の本である神のみことばを他の人々が学ぶのを助けている。

他の人々もクリスチャンの一致を望む

ブラジルの人々に神の王国を伝えるのはたいへん喜ばしいことである。人々は,聖書の真理の音信を真剣に受け取り,クリスチャンの一致を望んでいることを示している。たとえば,1970奉仕年度には,8,501名の新しい証人がバプテスマを受けた。これは一年の間,毎日平均23名がバプテスマを受けたことになる。そして今,これらの18の大会だけで3,036名の新しい奉仕者が,水のバプテスマによって神への献身を表わした。ひとつの会衆から,10人ないし15人の人々がバプテスマを受けたのは珍しくなかった。

聖書の真理の種は,時には芽を出すまでに何年もかかることがある。ジュイスデフォラでバプテスマを受けたある男の人は,1928年にはじめて神の真理を聞いた。その後まもなく,彼は証人との連絡を失い,正妻および二人の子どもとわかれて,別の女性と同棲した。次いで,1968年,ふたたび聖書の真理を聞き,神の戒めに従って生活を改めはじめ,正妻のもとにもどる機会が与えられたとき,彼は妻のもとにもどり,妻も彼を受け入れた。今,彼は72歳で献身を表わし,彼の70歳の妻は,大会でいつも彼のそばにいた。

ゴイアニアでバプテスマを受けた77人の中に11歳の少女がいた。彼女は学校で,進化論を信じていた新教徒の教師からひどく迫害された。そのために,別の学校に転校しなければならなかった。しかし,その学校で彼女の実力は認められ,一級上の学年に入れられた。この少女は,年の割に理解力が鋭く,聖書研究の司会をして,ある家族を毎週援助している。

クリティバ大会でバプテスマを受けた57名の中には,20代の若いプロ・サッカー選手がいた。彼はサッカーをするほかに,工学部の有望な学生でもあった。しかし,神の真理を学んだとき,有利な申し出を退け,彼の最終的な決意を次のように説明した。「時間は少ししかありません。その時間を,わたしたちの創造者であるエホバへの奉仕に最も有効に用いたいと思います」。彼は,自分の所属するクラブのスタジアムで開かれた大会でバプテスマを受けた。

こういうわけで,神の王国の音信は,社会のあらゆる階層の人々に伝えられている。たとえば,サンカエタノドスル大会でバプテスマを受けた279名の中には,ペンテコスト教会の元長老で過去44年間霊媒者だった人,元バプテスト教会牧師,元アドベンチスト,元ブーズー教信者などがいた。

これらの「神の善意の人々」大会はたしかにエホバの証人のクリスチャンの一致をよく反映した。そして外部の人々も,今までになくそのことに注目した。彼らの多くもまた,まことの神エホバに仕えることによってもたらされる一致と愛を神の「善意の人々」としてもちたいと願っているのである。

[22ページの写真]

ポルトガル語の新しい読本に目を通す,サルバドル大会の出席者たち

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