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目ざめよ! 1972
目72 1/22 23–24ページ

ジブラルタル ― 強さのシンボル以上のもの

モロッコの「目ざめよ!」通信員

地中海の西門を警備する歩しょうのように立っているのは巨大な岩 ― 名高いジブラルタルの岩山である。この岩山は,強さという特質を表わすのに非常によく使われるようになったので,その名を耳にするとすぐに,「ジブラルタルの岩山のように強い」という表現を思いうかべる。

しかしジブラルタルは,要害堅固の岩山であるばかりでなく,多くの人々のすみかでもあるのだ。西暦前1世紀もの昔から,フェニキア人,ギリシア人,カルタゴ人,そしてローマ人が住んだ記録がある。そして西暦5世紀,ローマ人は侵略してきたゴート人の手にこの地を渡した。

もっと最近の住民

西暦711年,タリク・イブン・ジャドは,1万2,000のムーア人をひきいて,この戦略上重要な城を占領した。ムーア人は,彼らの指導者の名にちなんで,それを「ジャバル・タリク」(タリクの山)と名づけた。時がたつうちに,その名はなまって,「ジブラルタル」となった。

600年後の1309年,スペイン人がその岩山を攻略したため,ムーア人の占拠は中断された。カスチリャの王フェルジナンド4世は,この地への定住を人々に奨励する布告を出した。その布告は,定住者の兵役と王への納税を免除した。またそこを,法をのがれた犯罪者の避難所にすることさえした。そこに1年と1日住みさえすれば,犯罪者の罪は許された。

しかしながら,要塞を保持するためのスペインの努力は失敗に終わり,1333年,ムーア人がふたたびそこを攻略した。その後,無残な争奪戦が断続的に生じたが,1462年,スペインがまた勝利を収めた。スペイン人によって強化されたジブラルタルは難攻不落と考えられていたが,1704年の7月,英国の手におち,以来今日におよんでいる。

ジブラルタルを占領した英国人は,6,000人のスペイン系住民に,とどまるなり,去るなり,自由に選ぶことを許した。とどまった者は100人に満たなかった。あとの住民は地峡を渡り,10㌔ほど離れた所に行って,サンロケという小さな町を建設した。こうしてジブラルタルの人口はひどく減少した。

結局その空白は,おもにスペイン人とイタリア人の移住者によって満たされたが,ユダヤ人やモロッコ人,インド人その他も定住した。やがてそれらの人々が混血して,特異な種族 ― ジブラルタル人ができあがった。今日この植民地には,2万5,000人の住民がいる。住民の大半はスペイン語と英語の両方を話す。

特色のある住みか

ジブラルタル人の住みかは,スペイン本土から突き出た,長さ約5㌔,幅1.6㌔ほどの岩山の半島である。ニューヨークのマンハッタン島の10分の1ほどの大きさだ。スペインとジブラルタルの間の,警戒の厳重な「中立地帯」をなす低い砂地の地峡がなければ,島とも言えるだろう。

その巨大な岩山が,最大の特色であることは言うまでもない。標高は427㍍ほどで,頂上からは,ヨーロッパ,アフリカ,地中海,大西洋などを一望におさめられる。植民地の唯一の町は岩山の西側のかなり広い埋め立て地にある。商業地区は全部平地にあるが,住宅地域は段々になった斜面に密着していて壮観である。

そこには木陰の小道や吊り庭があり,空気は花の香をただよわせている。実際に数えたところによると,植物は500種以上ある。ナツメヤシ,松,イトスギ,ユーカリ樹,イナゴマメ,イチヂク,コショウ,野生のオリーブ,オレンジやレモンの木,各種のサボテンなどもある。この豊富な植物はほとんど全部西側に生育する。岩山の東面と北面は裸でけわしい。

ジブラルタル人は,屋外活動に都合のよい極端に暑くない温暖な気候に恵まれている。夏になると,たいていの人は砂浜で過ごすのを好む。多くの家族は,前の晩に弁当を作って,朝早く浜に行けるようにする。水にもぐって魚を取るのが好きな若者たちもいる。彼らはタコその他,海の珍味を手にしてもどってくる。

かと思うと,新しいケーブルカーで岩山の頂上に登るのを楽しむ人も多い。ケーブルカーは架空ロープウェーを何分かで登る。頂上からはモロッコのリフ連山,反対側に目をやれば,スペインのコスタ・デル・ソルを望むことができる。まったくみごとな眺めである。

岩山の内部

ジブラルタルの大きな魅力の一つは,自然の洞窟の多い,岩山の内部にある。聖ミカエル洞窟は時々,音楽会の会場として使われ,これまでの観衆の最高数は600名であった。鐘乳石や石荀が色のライトをあびて,さまざまな色彩をおびるさまはたいへん感動的である。

しかし自然の洞窟のほかにも,人間が作ったトンネルや,貯水池として使われる大きなほら穴などがたくさんあって,岩山は文字どおり穴だらけである。第二次大戦中,英国は岩を爆破して,48㌔におよぶ地下道を作った。そこには病院,兵舎,弾薬臨時集積場,作業場などがあった。それは一つの町だ。最近,私は家族といっしょに岩山の内部を見学した。

ガイドは数か所の貯水池にわたしたちを案内し,「どれもみな深さは6.4㍍,底は海抜104㍍です。みんな堅い岩を発破でくり抜いたものです」と説明した。全部で13の貯水池があり,合計610万㍑の水を入れることができるということだ。その大きさをもっとわかりやすく説明したガイドは,戦争中ひとつの貯水池は400人の兵隊を収容する3階建の兵舎として使われた,と言った。

わたしたちが見学したときには数か月も雨が降らなかったので,いくつかの貯水池には水がなく,雨を待ちこがれていた。「25㍉の雨で340万㍑の水がたまりますが,わずか三日しかもちません」とガイドは説明した。そこで,水を補給するために淡水井戸が掘られ,海水を淡水にかえる蒸留プラントも2箇所に作られている。

わたしたちはついにトンネルの東側に出た。そこは,大きな集水地域のすぐふちのところである。ここでは,14㌶の場所をおおう7万2,000枚の波状金属板が雨を捕え,水路を通じてそれを貯水池に運ぶ。こうして,東側の裸の斜面さえ有効に利用されている。

トンネルを通って,もと来た道をもどったとき,ジブラルタルは実際には人が考えるほど強くはないということがよくわかった。ジブラルタルは花こう岩ではなく石灰岩である。そして今のように洞窟や,貯水池や,トンネルなどが中にいっぱいあったのでは,たしかに堅いとは言えない。しかし,ジブラルタルはシンボル以上のもので,何千人もの人々の住みかなのだ。

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