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目ざめよ! 1973
目73 6/8 21–25ページ

再び始まった残虐な迫害

エホバの証人がマラウィへもどることを望まなかったのは十分の理由がありました。それは,連れもどされた証人に起こったことがわかったときに明らかになりました。

彼らを待ちかまえていたのはあいも変わらぬ恐怖政治でした。何ひとつ変わってはいませんでした。彼らに対する悪意ある態度は依然として激しいものがありました。マラウィ政府は,事態を緩和させる措置を何ひとつ講じていなかったのです。

マラウィへもどる

証人たちがマラウィのリロングウェ空港に着いた時,指導的立場にある監督として知られていた人たちは投獄されました。スィンダ・ミサレ収容所の監督だったジョン・チウェレ,彼の補佐であったラザルス・チルワもその中にいました。

空港では,マラウィ政府の役人たちが証人たちに一場の演説を行ないました。そのひとりは中央地区の大臣クンブウェザ・バンダ氏で,もうひとりは北部地区の大臣クアニソ・チバンボ氏でした。あなたがたは自らの意志に従ってマラウィを出て行き,また自らの意志でマラウィにもどったのである,と証人たちは言われましたが,いずれも事実ではありませんでした。

次に役人たちは,証人たちは各自村にもどって党員カードを買わねばならないと言いました。証人のひとりが役人に何か言おうとした時,役人はその証人に,黙れ,と言いました。警察官と,マラウィ会議党の好戦的な青年団である青年開拓者たちは,すべての証人を調べるよう指示されました。彼らは証人たちの聖書,聖書解説書,パスポートその他の書類を全部押収しました。それから証人たちは自分の村まで歩いて帰るように言われました。ごく遠くに住んでいた人たちは貨物自動車で近くの場所まで送られ,そこから歩くように言われました。

証人たちが村に着いた時,少数の人には親類がいて,寝る場所を提供されましたが,大多数の証人は野天にいてそこで眠りました。木の下で子どもたちといっしょに寝た人たちもいました。しかし,それよりもさらに悪いことが彼らを待っていました。そのことはすぐに明らかになりました。その一例は,1月14日のロンドン・サンデー・テレグラフ紙に見られます。同紙はバンダ大統領が新年の初めに,ラジオを通じて行なった演説について次のように報じました。

「エホバの証人たちは…彼ら自身の仲間にあざむかれて,『ハルマゲドンとかいう者が,11月15日にマラウィを滅ぼし,リロングウェに彼らのために新しい町を建てると信じている』と,バンダは述べた。

「同大統領が語っていた時,湖畔のヌハタ・ベイにある自分の家にもどった同宗派の中年のメンバー,ゴルソン・カマンガ夫妻は,再び党員カードを買うことを拒否したために裸にされて街路を引き回わされていた。

「また,リロングウェに近いある村では,『帰還した』別の5人の証人が,青年開拓者たちにめった打ちにされて腕や足を折った。ひとりの男は手にいく本かのくぎを打ち込まれた。リロングウェの病院では,彼らは党員カードを持っていないために治療を拒否された。

むろん,エホバの証人の教えに精通している人ならだれでも,マラウィの証人たちが,ハルマゲドンを人間と信じていたこともなければ,そのように教えられたこともなく,また,マラウィが11月15日に滅ぼされるとか,証人たちのためにそこに新しい町が建てられるといったことなど,決して教えなかったことをよく知っています。

しかし,証人に対するその敵意は,迫害のほのおをあおりたてました。党員カードの問題は再びエホバの証人に投げつけられました。政治問題にかんして中立を保つゆえにそれを買うことを彼らが拒否した時,『帰還』していた証人たちに再び激しい攻撃が加えはじめられました。

目撃者の説明

こうしたことが生じている証拠は,外国の新聞が示しているだけではありません。迫害の犠牲者であるエホバの証人自身もその証拠を提出しています。再びテロの波にのまれた『帰還者』と多くのインタビューが行なわれました。

その証人たちの報告が示すところによると,難民たちが各自の村にもどったとき,政府の役人は言うにおよばず,しゅう長,村長,党の役員などが,党員カードを買うよう証人たちに要求しました。次の例はその典型的なものです。

エホバの証人のひとりである,チモンゴ村のギルバード・ジュライは次のように報告しました。「1973年の1月3日にムチンジ地区の村長会議が開かれました。議長は,ムチンジ地方の議員チェウチェ氏でした。この会議で,もしスィンダ・ミサレからもどったエホバの証人たちが依然として党員カードを買おうとしなければ,か酷に扱う,という決議が行なわれました。この会議があってから,チモンゴ村(村長はヅワ)にあったカンダマ会衆の兄弟姉妹たちは,党員カードを買わなかったために追い出されました。兄弟姉妹たちは奥地に向かいました」。

エホバの証人であるライトウェル・モーゼスはカチジェレ村の出身で,この村の村長はムベルワといいます。モーゼスの報告によると,証人たちは村に着くが早いか,党員カードの購入を拒否したためにめった打ちにされ,そこの会衆の監督であるヘイスチング・ムザモはひどくたたかれたために耳が聞こえなくなりました。

ライトウェルは,つぎのようなくわしい報告をつけ加えています。「わたしたちが家に着いてから二日後,議員のマハラ・バンダ氏が村にやってきて集会を開き,党員カードを持たない者は村にとどまることを許されない,と人びとに警告しました。それから1973年の1月1日,マハラ・バンダ氏は,ふたりの若者を自分の車に乗せてきました。その若者たちの姓はジェレおよびテンボといいました。マハラ・バンダ氏は村のはずれに車を止め,若者たちが村にいる間そこで待っていました。村にはいってきた若者たちは,私の娘のジョイシーとオリバー姉妹に近づき,党員カードを見せろ,と言いました。もちろん姉妹たちは見せることはできません。そこで若者たちは彼女らをなぐりはじめました。彼らはその若い姉妹たちの衣服をむりやりにはぎ取り,裸にしてむちで打ちたたきました。彼らは兄弟たちもつかまえてたたきはじめました。そして疲れてきたときに,きょうは帰るが,また来て兄弟姉妹たちをたたいてやる,と叫びながら車のほうへもどってゆきました。それで,彼らが行ってしまうと兄弟姉妹たちは直ちに村を脱出して奥地にのがれ,そのあとマラウィを去りました」。

別の婦人のエホバの証人,ライクネス・カマンガは,チンジという人が村長をつとめるビサンド村に送りかえされました。彼女は次のように報告しています。「村にもどるとすぐにわたしたちは,ブラエで行なわれる集会に来るように言われました。集会で話をしたのは,マラウィ会議党の地区の議長アダムソン・ジンジでした。それは1973年1月4日のことでした。私をいれて12人のエホバの証人たちが集会に出席していました。私たちは全員,党員カードを買うように命令されました。でも私たちはそれを買わないことを説明しました。ジンジ氏やそのほかの人たちはもうかんかんに腹を立て,今直ぐ,この場でマラウィから出て行け,と命令しました。何も持ってゆくことはゆるされませんでした。私たちは小さな群れに分かれて全員奥地に向かいました。逃走中私は親類の者から,前日私たちといっしょに集会に出ていた証人のひとりが殺されたということを聞かされました」。

ムエレケラ村出身のエホバの証人,ゲレソン・エサヤは次のように語りました。「1973年の1月2日に,私たちはムエレケラ村で開かれる集会に来るようにと言われました。集会を司会することになっていたのはロンブワ村長でした。私たちエホバの証人は全部で20人いました。集会中に私たちはマラウィ会議党のカードを買うように命じられ,買わなければ死を覚悟せよ,と言われました。私たちはカードを買わないことを説明しました。それで村長は,直ちに村から出るように私たちに命じました。私たちは,私たちを村から追い出す理由を説明した手紙を書いてほしいと,ていねいな,しかしき然とした態度で村長に頼みました。村長は聞き入れてくれませんでした。そこで私たちはムチンジ警察署に行くことにしました。でも警察署の担当官は私たちの訴えを聞こうともせず,村へ帰れ,と命令しました。ですから私たちはマラウィを去るほかはなかったのです」。

他の多くの目撃者たちの説明も,証人たちが同様の虐待を受けたことを証拠づけるものでした。インタビューされた100人以上の証人はひとり残らず,政府が迫害をやめさせる措置を何ひとつ講じていなかったことを認めました。そして彼ら全部が,事態は悪化する恐れがあると述べました。

モザンビクの難民

1972年に迫害の火の手が上がった時,何千というエホバの証人はすでに隣国のモザンビクに逃げていました。そして今,最近『帰還』して再びマラウィから逃げることを余儀なくされた証人たちも,モザンビク方面に向かいました。

モザンビクのエホバの証人の難民は現在どんな状態にあるでしょうか。ここでも事態は容易でないものがありますが,露骨な迫害はないようです。生活は苦しく,就業日は非常に長くて骨が折れますが,この国の政府は証人たちを虐待していません。

証人たちは国境に近い,証人たちに与えられた特定の地域に収容されています。彼らは土地を開こんし,作物を植えるように言われています。そうすれば食糧を自給することができるからです。ほかの場所のエホバの証人たちもそれらの地域へ物資を送る努力を払いましたが,当局者は自分たち自身で扱うといって申し出を辞退しました。

ポルトガル当局も親切に,フォート・ムランジェニの近くに,キャンプ建設用地100ヘクタールを難民に提供してくれました。当局者は,証人たちがすぐに仕事に取りかかり,てきぱきとキャンプを組織したのに感心しました。証人たちは,男子用,女子用,子ども用の便所をつくりました。また自分たちの病院もつくり,助産婦たちがそこでお産の世話をしました。12月15日までに78人の赤ちゃんが生まれました。当時,そこには7,670人のエホバの証人がいたと報告されています。

12月の後半に,エホバの証人のある地域の監督がこれらの地域のいくつかを訪問する機会を得ました。その監督の報告によると,証人たちは非常に激しい労働をしていますが,迫害されてはいません。また証人たちは,クリスチャンの集会や聖書研究を行なうことを許されています。

事実,12月中に217人がエホバの証人によるバプテスマを受けました。ということは,逃げた人たちの中には,聖書に関心を持つ,しかしまだバプテスマを受けていない人たちがいたことを意味します。

心ある人びとはきょうがくした

エホバの証人に対するマラウィの迫害は,全世界の心ある人びとをきょうがくさせました。そしてそれと同時に,マラウィの評判は大きな打撃を受けました。

エホバの証人でない多くの人びとが同情を表明しました。エホバの証人たちは神を心から愛する,品位ある,そして法律を守る人たちであることをわたしたちは知っている,とその人たちは言います。バハマ諸島に住むある人のそのような感想が,英国の有力紙ザ・ガーディアンに掲載されました。この手紙は,以前にガーディアンが掲載した,エホバの証人に対する残虐な迫害を説明した記事を見て,編集者に送られたものです。

「『殺害される証人たち』という記事を読んで,涙がとめどなく流れました。私はこの人たちがどんな人たちかをよく知っています。彼らを知っている人ならだれでも,エホバの証人の中には,世界のどこに住んでいようと,あのような扱いに価する者はひとりもいないことを知っています…

「彼らは地上の何ものよりも神を愛していると言えないでしょうか。ある人が,神のことばに大いに違反する人殺しの群れに加わることを拒否して残虐にも殺されたとしたら,わたしたちは直ぐにその人に何かがあることに気づかないでしょうか。

「その人は神を信じ,愛し,信頼している人です。その群れに加わって生きつづけるほうがたやすかったにはちがいありません。しかし,もしそうしたなら,その人が教えていたことはもの笑いとなったでしょう。したがって真のクリスチャンの信仰に逆行することになります。…

「別のことばで言えば,彼らがこよなく愛した神のために死ぬことは,彼らにとっては誉れであったのであります。…

「彼らは自分の居住する国の法律を破らないように細心の注意を払います。しかし,神の律法も破らないのです。

「私はエホバの証人ではありませんが,近くにいて彼らをよく観察してきた者であります。彼らは,私が今までに会ったいちばん良い人びとの中にはいります。彼らの目を見るならば,彼らが非常な忍耐と精力的な働きとによって人びとに教えようと努めている彼らの神を愛し,信じていることがわかります」。

またアメリカの出版物,クリスチャン・センチュリーは次のように述べています。

「多くのクリスチャンにとって証人たちは干渉がましく思えるかもしれないが,迫害や暴力に直面しても断固として信仰を曲げぬ彼らの頑強さには,われわれすべてが,少なくともある程度の感嘆の念をいだくはずである。ナショナリズムの勢いの強い今日において,エホバの証人は,人間に従う前に神に従わねばならないというクリスチャンの見方を依然として証言しつづけている数少ないグループのひとつである。擬似宗教国家という混乱したイメージのあるアメリカにおいて,われわれに以前の忠誠を思い出させてくれるエホバの証人は一服の清涼剤と言える」。

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