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目ざめよ! 1973
目73 9/22 9–12ページ

サーフィン ― 人気が高まっているのはなぜか

ハワイの「目ざめよ!」通信員

海岸に押し寄せては砕ける強大な波は長いあいだ人びとを魅了してきました。近年になって,サーフボードに乗って,砕ける波頭に乗る遊びは国際的な楽しいスポーツとなりました。サーフィンを楽しむ何十万もの人びとが世界の至る所の海岸につめかけています。サーフボードの製造業者は毎年何百万㌦もの純益を上げています。

サーフィンが急に人気を博してきたことを反映して,海岸から遠く離れた所でサーフィン愛好家を楽しませるために人工波動機が製作されています。東京の近郊にある世界最大の円形室内スポーツ競技場のサーフ・ア・トリムでは,高さ1㍍ほどの人工の波がサーフィン愛好家を全長60㍍のプールの一方の端から他方の端の模擬海岸まで運びます。アメリカのアリゾナ州の砂漠には,さらに大きな人工波動機があります。その機械は約20万㍑の水で秒速4.4㍍ほどの波を作り出し,サーフィン愛好家を幅90㍍,全長120㍍の「海」の他方の端の砂浜に運びます。

波乗りの楽しさ

『寄せ波がそそり立つ』とき,サーフボードの乗り手が感ずるうきうきした気分には言いようのない喜びがあります。寄せ波が砕け始める所まで水をかいて進みながら,乗り手はサーフボードの上に座るか,うつぶせに横たわるかして,自分の望む波を待ちます。波が盛り上がると,乗り手は力いっぱい水をかき始め,自分の進むスピードと波の隆起するぐあいのタイミングを合わせると,サーフボードは波に乗って「出発し」非常な速さで前方に運ばれます。ここで,乗り手は直ちに立ち上がり,自分の体重と足さばきでサーフボードを巧みにあやつります。

こうして『出発』した後,経験を積んだ乗り手はサーフボードの方向を左右に向けて,砕け落ちる白い波を避けながら,なお砕けていない緑色の波頭を横切ります。前方には寄せ波の長い斜面が猛烈な勢いで進み,後方では波頭の砕ける轟音がとどろきます。熟達した乗り手は大きな寄せ波の砕けていない斜面を上ったり下ったりしながら,時速50㌔以上ものスピードで,時には幾つかの波に乗って何百㍍もの距離の波乗りをします。

一方,波の基底部に沿って疾走しているさい,波頭が砕けだしたり,乗り手を巻き込み始めたりすることがあります。しかし,からだを低くかがめることによって,バランスを保ちながら,波の「トンネル」もしくは「管」を通り抜けて,ついに最後まで波に乗ったまま突き進むことができます。ある乗り手は次のように述べました。「波の管の奥深くに閉じ込められているので,海岸にいる人からは全然見えません。……波の内側の奥深いところにいるので,波は頭上やからだの回りで砕けるのです。ですから,最後に波の外に出た時には,ぬれてさえいません」。

波乗りに伴う興奮やうきうきした気分は疑いもなく,サーフィンが急に人気を博してきた主要な原因です。しかし,このように人気を博したのは今に始まったことではありません。

サーフィンの起源と人気を博した初期の時代

中には,タヒチ近くの南太平洋の島々をサーフィンの発祥地と考える人びとがいます。後に,その地域からの移住者がハワイ諸島に定住し,そこでサーフィンは高度の発達を遂げ,りっぱなわざとして評価されるようになりました。特に,ハワイの王族の人びとはこのスポーツの達人になりました。事実,サーフィンの技術を教えることは酋長の子どもの教育の一部とされていました。

1778年,ジェームズ・クックを船長とする英国船がハワイ諸島を発見した時,原住民が波乗り板を使って大波に乗っているのが見られました。原住民の巧みなあやつり方は新来者たちを驚かせました。その目撃者のひとりは次のように述べました。「その難しい,しかも危険な波乗りをこなして見せるさいの彼らの大胆さと巧みさには全く驚嘆させられたが,それはほとんど信じがたいほどである」。

初期のハワイ人は現代のサーフボードの乗り手がするのとだいたい同様に,容易に向きを変えたり,砕けていない波の斜面をある角度で横切ったりすることができるような小型で軽い波乗り板を用いていました。しかし,それほど自由に操縦できない大型の波乗り板も用いられていました。特にハワイの王族の人びとの間ではそうでした。ホノルルのビショップ博物館には,1830年代にハワイの酋長パキの用いた波乗り板が展示されています。それは全長4.8㍍近くもあり,重さは70㌔以上もあります。

サーフィンは初期ハワイ人の生活の一部でした。サーフィンをハワイの人たちの「国民的娯楽」また「お気に入りの楽しみ」と呼んだ観察者もいます。ところが,19世紀初頭にカルビン派の宣教師がハワイに到着したのち,事態はたちまち一変しました。宣教師たちは,サーフィンを含め,原住民の伝統的な流儀や習慣をやめさせ,サーフィンは事実上滅びた技となってしまいました。

近代におけるその再興

1912年のオリンピックの100㍍自由型で優勝したカハナモク公はサーフィンの再興に一役買いました。1925年のこと,カリフォルニア州,ニューポート・ビーチ沖で海が荒れて一艘のヨットが転覆したとき,彼は乗組員八人を救う劇的海難救助を成し遂げて,サーフボード(波乗り板)の多能性を示しました。彼はサーフボードに乗り,海岸から,生存者たちが木の葉のようにもてあそばれている沖合いまで,さか巻く海を突っ切って三回往復しました。彼が使った5㍍のサーフボードはホノルルのハワイ・ワックス博物館に保存されています。

1915年,カハナモク公はオーストラリアを訪れ,シドニーのフレッシワーター・ビーチでサーフボードを使って劇的な波乗りを披露し,それが端緒となってオーストラリアでもサーフィンが始まりました。その数年前,第一次世界大戦勃発前ですが,サーフィンはカリフォルニアの海岸に紹介されました。太平洋電気鉄道会社が乗車券売り上げ増大策の一環としてアイルランド系ハワイ人,ジョージ・フリースを雇い,レドンド・ビーチでサーフィンの実演を行ないました。その催しに集まった何千人もの見物客のおかげで乗車券の売り上げはふえましたが,同時にその地でサーフィンが行なわれるようになりました。

その後長年の間,サーフィンはおもにハワイ,カリフォルニアおよびオーストラリアの海岸で行なわれていましたが,近年になって世界中に広まり,サーフィンを行なえる海岸なら事実上どこでも行なわれるようになりました。とはいえ,ハワイはサーフィンのメッカであることには変わりありません。

近年人気を博した要因

サーフィンがほんとうに人気を博するようになったのは第二次世界大戦が終わってから,それも特に最近の15年間のことです。そのおもな理由はサーフボートの作りが改善されたことにあります。

1950年代まではサーフボードは大型で,重さは45㌔以上もありました。また,それは屈強な人でないと持ち運びが困難だったうえに,水上ではあまり自由に操れませんでした。事実,サーフィンの目的は,サーフボードの上に立って波に乗り,ただまっすぐ海岸の砂地に到達することだけでした。初期ハワイ人が熟達したサーフィンの驚くべき難しい離れ技を再現できるようになったのは,軽量のサーフボードが開発された1950年代になってからのことです。以来,サーフボードは順次軽いものが作られ,今日のグラスファイバー(繊維ガラス)製のものは重さがわずか4ないし7㌔しかありません。

サーフィンの人気を疑いもなく助長したもう一つの要因は,現代社会の豊かさと人びとの余暇がふえたことです。それとともに,サーフィンの競争や実演がテレビや映画で広く伝えられたりしたため,何千人もの人びとがこのスポーツを行なうようになりました。

サーフィンの方法を学ぶ

サーフィンをやったことのない人が海岸から見ていると,サーフボードに乗って行なう波乗り遊びは,努力なしでもできる容易な遊びのように思えます。しかし,それは見かけだけです。サーフィンには,筋肉の力だけでなく,タイミングや平衡そしてリズムも関係しています。その道の専門家は多くの時間を費やして練習し,驚嘆すべき技を身につけるのです。

しかし,だれでもがサーフィンの方法を学ぶべきだなどとは言えません。サーフィンは上手に泳げる人そして優れた身体的条件を備えている人たちだけのスポーツです。親は子供が休まずに270㍍ほど泳げるようになるまではサーフボードを使用させないようにすべきだと勧告されています。また,最初は何も使わずに波乗りをする方法を習うのは良いことです。そうすれば,波にどう処すべきかがわかります。

そのような波乗りをする場合には,砕け波をとらえてより大きな速度を得られるようにするためのフィンを足につける以外はたいてい装備は何も用いません。このスポーツで肝要なのはタイミングです。迫って来る波頭の直前で泳ぎだし,波に追いつかれるにつれてその波の速度とほぼ同じ速さで泳ぎます。そうすると,今度はその波に運ばれて岸まで進むというのがサーフィンの趣向です。

何も使わずに波乗りをする方法を学ぶほかに,波の感じをつかむ別の良い方法は,サーフマット ― 長さ1㍍前後の四角もしくは長方形のゴム製の浮き袋 ― あるいは腹ばいになって乗る板などに乗って波乗りをしてみることです。それは正式のサーフボードに乗るための良い練習になります。

サーフボードの乗り方を習う第一歩は,サーフボードに腹ばいに乗り,両手で水をかいて進む練習です。普通,初心者がそのようにして同時に平衡を取るのは容易ではありません。何度も水中に落ちるのを覚悟してかからねばなりません。上手にできるようになるまで,波のない静かな水面でその練習をするのは良いことです。

次に,寄せ波の中で水をかいて進む練習をします。寄せ波が砕けるところに身を置いて,砕けた白い波にサーフボードごと捕えられて岸まで運んでもらえるようにするのです。うつ伏せの姿勢で波に乗る感じをよくつかむまでは,立つ練習はしないこと。その感じをつかんだなら,今度は立ってごらんなさい! サーフボードから何度も落ちますが,練習を重ねるにつれて平衝を保てるようになります。

今や,打ち寄せる波をかきわけて,波頭が砕ける水域の外に泳ぎ出る用意ができたことでしょう。水をかいて進むのは非常な難事となる場合もあります。からだのバランスを取ってサーフボードの先が水面上にわずかに突き出るようにすることです。ひとたび砕け波の外に出たなら,今度は一つの波を選んで波乗りを試みる番です。

注意が必要

実際,あらゆるスポーツについていえることですが,サーフィンにも危険が伴います。一番危険なのは,サーフボード,それもたいてい他のだれかのサーフボードがもたらす危険です。波に運ばれるサーフボードは,重大な,ことによると致命的な傷害をさえ負わせる場合があります。ですから,自分の方に向かってくる,からのサーフボードをつかもうなどとは決してすべきではありません。その下にもぐって,あとで回収することです。

また,次のことをお忘れなく。決して独りだけでサーフィンをしないこと。時には他の人の助けを必要とする場合があるからです。礼儀を守ること。つまり,他のサーフボードの進路に留まらないこと。自分の身体的限界や能力をわきまえ,命を危うくするほどの大波をとらえてサーフィンを試みるようなことは避けること。また,自分の泳いでいる水域の種々の危険を知っておくこと。

たとえば,浅い水域に向かって流れる大量の海水のために潮衝が生ずる所もあります。水にはいる前にそのような箇所をよく見ておいて,それを避けることです。潮衝は,より明るい色彩を帯びた一部の海面が三角形のように広がっていたり,泡が沖に向かって流れていたりするのでわかります。万一潮衝にとらえられたなら,流れに逆らってもがいたりせず,できるだけ流れを横ぎって端に向かって泳ぎ,流れが力を失うようになるまで流されるままにすることです。とりわけ,あわててうろたえてはなりません。上手な泳ぎ手なら,泳いで戻れないほど流されることはありません。

注意をもうひとこと。サーフィンに関して平衡の取れた見方を持つこと。それはほんとうに喜ばしい娯楽ともなれば,他のことをいっさいのけてそれに熱中すると,精神をゆがませる恐れがあります。多くのサーフィン選手は麻薬その他に頼る快楽の追求者となりました。1969年11月号,サーファー・マガジン誌が述べたとおりです。

「不幸な事実ではあるが,マリファナたばこを無知なことにぐっと吸ったのが始まりで,恐ろしい麻薬の犠牲者となった,かつてのサーフィンの有名選手は少なくない。

「一昨年の有名なデューク・コンテストの決勝戦出場選手のひとりは,今年は出場できなかった。彼は麻薬で『精神がやられた』ため,人と満足に話し合うことさえできなかった。……数年前に『彗星のように現われて』名をあげた驚異的なサーフィン選手は,今年の冬の一時期には北海岸の一本の立ち木の中で動物のように生活した。もうひとりのかつての偉大な大波乗り選手の頭脳は,麻薬のために干しスモモのようになった。彼はいまハレアカラの丘陵地で無為の生活を送っている。…

「……麻薬は今日,サーフィンの多くの『仲間』のあいだではやっているようである」。

サーフィンが真の喜びをもたらす楽しいスポーツとなりうることに疑問はありません。が,注意をする必要もあります。正しい判断を下さなかったために身をもちくずしたり,死んだりしたサーフィン選手は少なくありません。そのようなことを自分自身や自分の愛している人たちの身に起こさせないようにしましょう。

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