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目ざめよ! 1974
目74 7/8 14–18ページ

歴史書から益を受ける

ある定義によれば,歴史とは人間の過去のできごとの記録です。もちろん,そうした歴史に対する見方はひととおりではありません。過去から学ぼうとしない人は必ず過ちを繰り返すと言われている一方で,今日では,“歴史はでたらめである”と唱える人も多くいます。

この二つの見方には,どちらにもある程度の真実があります。過去の例から学んで過ちを避け,自分の歩みを賢明なものとしてゆくなら,その人は歴史から益を得たことになります。しかしその一方では,歴史が人々を誤導するために用いられる場合もあります。一世代まえ,ナチスは,ドイツ国民の“民族的優越性”に関する自分たちの神話を証拠だてようとして,ゆがめられた“歴史”を利用しました。これが数百万の人々の死と災厄の一因となったことは否定できません。

歴史から益を受けるためには,過去の物事に対する正しい見方を持たなければなりません。どうしたらそれが得られますか。

歴史資料

非常に大切なのは,自分が読んでいる情報の真の出所について考えることです。こう言うのはなぜですか。現代の歴史書に記されている事がらは,通常その本の筆者が生まれるずっと以前に起きた事がらであるからです。筆者は過去の時代からさまざまな方法で伝えられてきた情報に頼らねばなりません。筆者自身が考古学や地質学から幾らかの事を学ぶかもしれません。しかし,情報の資料として理想的なのは,通常は文字になった記録であり,特に,そのできごとを目撃した人の手になる記録です。

例えば,現代の歴史家があるローマ皇帝の生涯にふれる場合,あなたは,その情報がどこから来たのだろうかと考えるかもしれません。それは,二世紀ローマの伝記作者スエトニウスから来たものであるかもしれません。スエトニウス自身はローマ帝政期に生きた人であり,また,当時の種々の文書類のほか,帝室および元老院の古記録類にも容易に接近できたものと思われます。スエトニウスの著作を自分で読むことにより,古代のこの著作家が述べる事がらを実際に学べることは確かです。それによって人は,多くのローマ皇帝に関し,入手しうる最も直接的な歴史資料を得ることになるでしょう。

しかし,遠い昔の人物やできごとに関する記録は多くの場合十分には得られません。したがって,入手しうる情報から連続した記述を作り上げるために,空白の箇所を埋め,資料全体をなんらかの形にまとめ上げねばなりません。現代の筆者は“空白部分を埋める”ための資料をどこから得ますか。

こうした分野での専門家であれば,自分の知識に基づく推測によって,他から分離した情報をつなぎ合わせて全体的に一貫した形にまとめるでしょう。これは不当なことですか。必ずしもそうではありません。それによって歴史書は一般の人々にとって読み易いものとなり,思考の流れとまとまりが添えられることになります。歴史家が,しかじかのできごとはしかじかの方法で「起きたかもしれない」,あるいは,「おそらく起きたのであろう」という点を読者に明示しているかぎり,それは公正なことであり,ある意味で役にたちます。

しかしながら,記述者の中には,過去に起きた物事に関する他の人の解釈をそのまま受け入れ,それを自分の資料の中に事実として取り入れる人もいます。この場合には,それ以前の,そして直接の歴史資料に関する調査がなされていません。こうして,以前の陳述の典拠性を調べるだけの時間や配慮を払う人があまりいないというだけの理由で,過去の物事に関する誤解,そうです,真実にもとる事がらが,幾十年にもわたって次から次へ伝えられ,やがて事実として受け入れられてしまう場合もあります。

一例を考えてください。紀元前10世紀あるいはそれ以前の古代バビロニア人は,非常な天文学的能力を備えていたかのようにときに誇張されて伝えられています。彼らは天体の観測によって惑星の運動に関する詳細な知識を得ていたように述べられる場合もあります。そのため,バビロニア人の文化全体が高度に進歩し複雑化したものであったように示されています。それとは逆に,周囲の諸民族はずっと遅鈍であったように描かれ,バビロニア人との接触を通してのみ進歩したように唱えられます。しかし,元の歴史資料はそうした見方を正しいものとしていますか。

古代のバビロニア人が多少の天文知識を有していたことは確かです。バビロニア人の宗教の占星術的な面がそのことをはっきり示しています。しかしながら,バビロニア人の天文知識に関する事実性のある資料として今日入手しうるものは古代の粘土板です。それら粘土板は何を明らかにしていますか。ひとりの学者O・ネウゲバウアーは,その専門上,古代の粘土文書について他の人の主張する事がらだけでなく,それら古代文書そのものをも自ら扱っていますが,「古代文物に関する厳正科学」の中でこう述べています。

「科学史全般について見ると,一時期に関して一般に受け入れられた描写と,実際の歴史資料の精細な調査の結果として徐々に解明された事がらとの間に,これほど大きな隔たりのある分野はほかにまず,ないであろう。……初期メソポタミアの天文知識は幼稚なものであったと思われる……同時代のエジプト天文学とほとんど同様であった」。

実際の証拠は,バビロニア人の天文学が一つの学問として入念な発達を見たのは紀元前数世紀以降であることを示しています。

現代の多くの筆者はバビロニア人に誇張的な装飾を施しましたが,これを取り去ると,事実に基づく証言だけが残ります。古代バビロニア人は,依然文明化した民であったとはいえ,現代の歴史の読者の目から見るとき,加えられたその文明の輝きを幾分か失います。

過去を潤色する同様の手法によって,古代のできごとや人物に関する真実がゆがめられる場合もあります。古代史に関する最古の資料を探ることによってのみ,入手しうるかぎりの過去の事実を確かめてゆくことができます。しかし,過去から益を受けるためには,単に古代の記録を見つける以上のことが必要です。

その史料は正確か

現代の筆者が古代の歴史資料に接し,それを正しく訳すとしても,今日の人が過去の歴史として提出するものは依然として多少誇張されている場合があります。なぜ? なぜなら,その人の依存している古代の歴史資料そのものが正確でないことがあるからです。

そうした古代の史料を残した人自身がその記述するできごとよりずっと後代の人である場合もある,という点を考えてください。あるいは,世界の全く異なった場所に住んでいた人であったかもしれません。したがって,今日の著作者たちと同じように,そうした過去の人たちも他の人々からの情報に頼らねばならなかった場合も多く,それを伝える人もひとりとして完全ではありませんでした。

さらに,すべての人に共通なこととして古代の著作者たちも国家的な偏見・忠誠心・宗教感情などを有していた,という点を述べねばなりません。これもその人の書き残した物に影響を与えているはずです。

適切な例として,古代の文筆家の中でもその記述の正確な人の中に挙げられるタキツスの場合を取り上げましょう。彼のローマ的な教養は,反面において強い偏見となって表われています。結果として,タキツスの提出する情報の中には誤導的なものもあります。

例えば,タキツスはその著「歴史」(第五巻)の中で,ユダヤ人についてこう記しています。

「ユダヤ人とはクレタ島からの逃亡民であり,サターンがジュピターの力によってその座を追われたころにアフリカの至近岸に定着したと言う人がいるが,その証拠はその名前の中に求められる。クレタにはイダという有名な山がある。その近隣の部族イダエが,この民族名の異国的長音化によってユダエと呼ばれるに至った」。

タキツスがこれを記した一世紀当時,これを明確に否定する文書資料はユダヤ人自身の側から手に入れることができました。しかしこの論議の中で,タキツスはそれをそれほどに認めていません。

古代の著作家個人の偏見かその著作の中にどのように表われているかは,ヨセファスの記述をめぐる論争にも例示されています。この第一世紀のユダヤ人の著作家は,アレクサンダー大王がティルス市とガザ市の征服ののちにエルサレムに来たことを伝えています。アレクサンダーは盛大な出迎えを受け,『ギリシャのひとりの者がペルシャ人の帝国を滅ぼす』ことに関するダニエルの預言を示されました。彼はこの予言を自分に当てはめたと言われます。そして,ヨセファスの示すところによると,こうした理由のために,エルサレム市はギリシャ軍による破壊を免れました。一方,アレクサンダーに関する最も著名な伝記作者として知られるアリアヌスはそのようなできごとにふれていません。二人の著作家の間になぜこのような相違があるのでしょうか。

それはアリアヌスの側の強い反ユダヤ感情のためであったろう,とある人々は論じています。もちろん,アリアヌスがアレクサンダーのエルサレム来訪(それが事実であったとする場合)に言及しなかったとしても,それはアリアヌスの記述を誤りとするものではありません。省略は必ずしも誤りではないからです。

しかしまた,自分の国民であるユダヤ人に栄光を付するためヨセファスが真実を誇張した場合もある,という点も思い出さねばなりません。ヨセファスもアリアヌスもそれぞれに多少偏った見方をしていたと考えられますから,今日のわたしたちは,アレクサンダーがエルサレムに来訪したかどうかについては確言できません。

古代の著作家の提出する史料の中に不確かなものがあることから,そのすべてを偏狭で全く役にたたないもの,現代の学徒に益のないものとみなす人がいるかもしれませんが,それも全く当を得た判断とは言えません。

古代の著作家の著作の動機がすべて誤っていたとする理由はありません。自分の学び知った事がらを,なんらねじ曲げる意図はなく,ありのままに記した場合も多いはずです。しかし,古代の著作物に部分的なゆがみがあり,個人的な忠誠心による偏りのあることが明白な場合でも,描写的な部分や状況証拠となる部分には正しくて価値の高いものもあります。

歴史書についてあきらめの見方をし,それを無用なものとしてわきに押しやってしまうのではなく,大切な資質として識別力を養うことが必要です。

有益な歴史記述を識別する

現代の一般読者の多くが,古代の歴史資料を読んで他の人が学び取った事がらに頼らねばならないのはやむをえないことです。普通の人々は,すべての史料を掘り出してそれを比較考量し,個々の物事の真偽を判定するだけの時間がありません。しかしそれでも,歴史から益をくみ取ることは人の願いです。それで,識別力のある人は,歴史的な著作を読むさいに,次の点を常に銘記します。

著者は個々の事実(それが真に事実である場合)をどのように用いているか。何かの意図が秘められていないか。自分の正邪の感覚から当然非とすべき事がらを信ずるように求められていないか。また,自分の経験から見て人間性に全く反する事がらを真実として受け入れるように要求されていないか。著者は,過去の物事を,人類が直面している問題と十分に取り組みえないことをすでに示した宗教や政治上の体制もしくは人の生き方を栄化するために用いていないか。一定の国民や民族を他に照らして不当に高めたり卑しめたりする意図はないか。もしそうであれば,識別力のある人は,そうした歴史書を読むさいにしっかり注意力を働かせるべきことを銘記します。

しかしながら,全き信頼感をもって頼ることのできる古代史の資料があります。

歴史の記述としての聖書

その正直な歴史の記述は聖書の中に見いだされます。神を恐れる人が歴史を熱心に調べれば調べるほど,聖書の歴史的な記述の価値を認識するようになります。それは一続きの歴史として人が接しうる最古のものです。歴史家H・E・バーンズは次のことを認めています。「かなりの規模の真実な歴史的記述を最初にまとめ上げた栄誉は……古代パレスチナのヘブライ人[聖書の編集に用いられた人々]に帰せられねばならない」。

しかし,聖書の歴史記述がなぜそれほどきわだったものと言えるのか,と問うかたもあるでしょう。それは一つの国民,イスラエルに栄光を付しているのではありませんか。それは,普通には信じ難い事がら,奇跡的な事がらをさえ信じることを求めているのではありませんか。

聖書の記述の多くの部分がイスラエルの歴史を中心としていることは確かです。しかし,聖書におけるイスラエルの描写が正直なものであることをだれが否定できるでしょうか。それは,イスラエル国民の良い特性だけでなく,悪い特性をも率直に認めています。この国とその国民とは,神の高い規準に従って生活しようとしない者に臨む処罰を例示するために用いられています。聖書の歴史記述は,神がいかに厳しくイスラエルを懲らしたか,またこの民が神の特別の契約の民という関係から全く捨てられたしだいを示しています。

そうです,聖書の歴史記述は地上の特定の国民や民族に栄光を付しているのではありません。むしろそれは,「どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」ということをはっきり言明しています。―使徒 10:35。

また,その歴史記述の中で奇跡が扱われていることも確かです。しかし,そのゆえにこれを捨て去ってしまう前に,そうした奇跡の記述法が史実性のあるもので,信じうるものであるという点を銘記すべきです。どうしてですか。時と場所が明示されているからです。

その例は,イスラエル国民をエジプトから去らせるために紅海の水を分けたことに関する聖書の記述中に見ることができます。目撃証人であるモーセによって記されたこの記述を受け入れ難いと見る人がいます。それを退ける人の中には,その記述を自分ではつぶさに読んだことのない人が多くいます。

しかし,その内容(出エジプト記 12章から15章に記されている)を自分自身で思慮深く検討する人は,人物や場所の名が記録されていることに注目するでしょう。―民数 33:1-8と比較。

イスラエル人のエジプト滞在が終了した時も次のように示されています。「イスラエルの人々がエジプトに住んでいた間は,四百三十年であった。四百三十年の終りとなって,ちょうどその日に,主[エホバ,文]の全軍はエジプトの国を出た」― 出エジプト 12:40,41,口。列王上 6:1と比較。

こうして,聖書の歴史記述の中では,紅海でのできごとに関して,その起きた時と場所という,事件の明確なわく組みが示されています。どの時代,またどこに住むいかなる歴史家にしても,自分が現実に目撃した事がらを書き記した証拠として,これ以外のどんなことを提出しえたでしょうか。何もありません。では,どんな根拠で,聖書のこの記述を史実ではないとして退けうるでしょうか。だれもできません。

聖書の歴史記述は信頼できるものです。それは,他の歴史書と異なって,神の預言のことばの確かさ,神の定める道徳律の優越性,そして,創造物に対する神の不断の関心を正確に強調しています。歴史を正確に記録させる神が過去に行なわれた事がらは聖書の中に記されていますが,それを親しく読む人は最大の益を受けます。―ローマ 15:4。

[14ページの図版]

スエトニウス

[16ページの図版]

タキツス

ヨセファス

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