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目ざめよ! 1974
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ブラジルを襲った大洪水 ― なぜそれほど破壊的だったか

ブラジルの「目ざめよ!」通信員

「ブラジル史上最悪の災害です」。ひとりの役人は,去る3月の破壊的な大洪水を,このようにはっきりした,率直なことばで説明しました。

表現力に富む能弁な人でも,当時の恐ろしい状況を語りつくすことはできません。しかし,生存者の顔の表情を見ただけで,その災害がおよぼした大きな影響を推察することができます。これらの人びと,つまり南部のリオ・グランデ・ド・スル州から北部のパラ州までの,災害に見舞われた少なくとも12州の住民は,豪雨とうず巻く激流がおよぼした結果を目撃したのです。

全国にわたる死者の数は,最後には1,000人を超えるかもしれません。何人死亡したのか実際の数はだれにもわかっていません。川底の厚い沈泥層の下に埋もれている遺体や,海に押し流された遺体は数知れません。しかし,30万人の人びとが家から追い出されたことは確実です。

ブラジル経済の基盤であり重要な部分である農業も,洪水中に大きな被害を受けました。マトグロソ州の推定被害は,家畜約50万頭,同州の家畜全体の5分の1という,想像もおよばない膨大なものでした。リオ・グランデ・ド・ノルテ州の農家が受けた被害は,500万クルゼイロaと見積られています。これはおもにトウモロコシと豆が荒らされたためでした。マラニャン州では,大きな稲作の農場がいくつも破壊されました。

もっともひどかったツバラン

しかし,最大の被害をこうむったのは南部のサンタカタリナ州でした。被害のほとんどは,かつて7万の住民を擁する町であったツバランで生じました。同地区では,200余人が死亡し,4万5,000人が家を失い,被害額は5億クルゼイロに相当するものと見られています。

この町はツバラン川の河岸にあります。町なかを慣流するツバラン川の川幅は,ある場所にくると130㍍に達します。町の大部分は,川岸より2㍍も低い位置にあります。洪水の舞台はととのっていました。雨の降らない日が長く続いたのち,3月20日水曜日に大雨が降り始めました。幾日かたって,低地に住む人びとは,高い場所に移らねばなりませんでした。3月24日の日曜日の朝までには,水は引いたように見えたので,人びとは家に帰って片づけを始めることができました。しかしその夜,川が幾箇所かではんらんし始めました。

やがて家々は荒れ狂う濁流にのまれていきました。いまや川はところどころで500㍍に広がり,樹木,車,家具,泥などを押し流しながら記録破りの速度で町なかを流れていました。夜半までに水位は最高に達し,平常水位より12㍍余高くなりました。橋は通行不可能となるか,堤防のところからねじ曲がってしまいました。その間も雨は降りつづけ,町の95%が浸水しました。四日間の総降雨量は2,050㍉でしたが,これはブラジルで記録された降雨量のなかでもおそらく最高でしょう。

洪水に生き残った人びとの多くは,行くえ不明の肉親なのか,こわれてしまった自分の家なのか,あるいは配給センターで長い列をつくってもらう少量の鉱水や食物なのか,自分が何を捜しているのかもわからずに,がれきのまわりをさまよいました。恐るべき悪臭が,いたるところで漂い始めました。疫病の流行の危険があったので,死者は大衆墓地に埋葬されました。

「ツバランを地図から消し去れない理由は何一つなかった」と,オ・エスタド紙は述べました。ツバランの発展は少なくとも10年は後退したと考えて,多数の人びとが町を去りはじめました。多くの人が疑問に思ったのは,洪水などブラジルでは新しくもないのに,なぜこうも破壊的なものになったのか,ということでした。それにはいくつかの理由がありました。

なぜそれほどに激しかったか

もちろん,1週間近く降りつづいた大雨が,実際に破壊をもたらした大水を出したのです。しかしそれは,一連の致命的な事態のうちのひとつの明白な要素にすぎません。地すべりも水路をつくって水を運びました。幅2㍍ほどの小川が突如幅30㍍かそれ以上の大川になりました。そのうえに非常な高潮と強い東風が,大西洋への川の流入を妨げ,その結果,水は内陸に押しもどされました。

しかし,不思議に思えるかもしれませんが,水とか風などの「自然の原因」は,災害の原因の一部でしかありませんでした。3月の大洪水がもたらした莫大な被害に対しては,人間が大半の責めを負わねばなりません。

もちろん,偶然に人間が責めを負うはめになった面もあります。たとえば,人間がかけた橋は,川向うへの輸送を便利にするためのものでした。にもかかわらず,それらの橋は,川がはんらんするひとつの原因となりました。流れてきた何㌧ものごみくずが大量に橋脚にかかって水をせきとめ,その大きな圧力によっていくつかの橋はついにはぎ取られてしまいました。どんな結果になったでしょうか。木の幹で作られていた長さ60㍍のひとつの橋は,大きな草刈りがまのように,行く手にあるものをかたっぱしからなぎ到しながら,激流に押されて30㌔も流れてゆきました。

しかし,人間の無思慮と不注意も,洪水が起こる状況と直接に関係がありました。それはどういうことでしたか。オ・エスタード・ド・サンパウロ紙は,「洪水の生じたおもな原因は……森林の乱伐にあった」と答えています。ブラジル自然保護協会の前会長,ピケト・カルネイロ教授もこの意見に共鳴し,生態学者たちは,ブラジルの森林が無制限にはぎ取られてゆくので,洪水が起こることを,ここ数年間実際に予期していた,と述べました。

樹木は,雨をせきとめる自然の防壁となり,浸食や地すべりを防ぎます。ブラジルはかつて,よく茂った熱帯林を有していました。しかし現在では1日に100万本もの木が切り倒されています。しかし植林されるのは,その数の3分の1にすぎません。

森林の広い部分をこのように裸にすることは,人間の「進歩」のために必要だ,と考えられています。たとえば,アマゾン地方に入り込んでいるいくつもの大きなハイウェーは,幾千人もの開拓者を同地方に送り込みました。彼らのほとんどは,自然保護の方法については全く知識がありません。大規模な伐採が行なわれたために,国内のいくつかの場所で,深い峡谷が裸になっています。かつては森林であった地域が今は都市になっています。また,コーヒーや大豆の農園がほうぼうにできました。

ですから多数の専門家は,このほどの水害は,人災以外の何ものでもないと言います。人間の先見の不足がこの災いとなり,それが洪水をいっそう破壊的にしたのです。前途にはさらにひどい経験が待ちかまえているかもしれません。リオ・グランデ・ド・スル州の環境保護協会の会長,ホセ・ルゼンベルガーは,次のように予言しています。「ツバランを襲った災害は,きたらんとするものの前兆にすぎない。将来はさらに大きな災厄が生ずるだろう。われわれはすでに,人間が地球上全体で進めてきた破壊に原因する最初の気候上の変化を経験しつつあるのかもしれない」。

しかし生き残った人びとは,このたびの大洪水が,これ以上ひどくならなかったことを喜んでいます。実際に,多くの人びとの英雄的行為と協力とがなかったなら,ツバランの悲劇はもっと大きくなっていたことでしょう。

もっとひどかったかもしれない

3月24日,日曜日の夜,水がふえはじめたとき,自動車の警笛と汽車の気笛とがいっしょになって,深い眠りに落ち入っていた町をめざめさせようと,必死に,そして不気味に鳴りつづけました。この措置は多くの命を救ったと言われています。バスを高台のほうへ避難させたとき,バスの運転手たちは避難中の人びとを拾っては乗せて,約400人を救ったとみられています。そしてそれらのバスは1週間近く,行くところのない人びとの仮のやどりになりました。6機のヘリコプターは,屋根の上に乗っていた犠牲者を約6,000人救助しました。軍隊や市の職員の中には,最もひどい地域に住む人びとをトラックで救出するために,24時間ぶっとおしで働いた人たちもいました。

ブラジルの各種団体は,水害のあと1週間にわたり,2万人分の食物と衣服を供給しました。毎日40㌧余の食料品が到着しました。国際赤十字社は,ドイツのフランクフルトから500枚のテントを送ってきました。

エホバの証人のツバラン会衆の成員38人は,物質面では多くが非常な損害をこうむりましたが,全員洪水に生き残りました。ある巡回監督の話によると,その証人たちは,「死に直面しても勇気を失いませんでした」。会衆の主宰監督,バルドミロ・カルドソは,困っていた人びとの救助にあたったときのことを思い出し,次のように語りました。「私は自分の家族を近くの高い建物に避難させたあと,他の人びとが危険から脱出するのを助けにもどりました。水はどんどんふえており,流れは急でした。わたしたちの周囲の世の人びとはぼうぜんとしていました。しかしわたしたちは,祈りを通してエホバに頼りました。そして,近づいている王国の祝福の希望を話して,彼らを慰めることに努めました。

近くのフロリアノポリスのエホバの証人たちは,食物,衣服,水,薬品などを持って,荒廃したツバランにまっ先に乗り込んだ人びとのひとりでした。直ちに救助計画が立てられ,同地域内のエホバの証人と他の人びとは,サンパウロのものみの塔協会支部や方々の会衆からの助けを受けました。

再建

サンタカタリナ州の住民は希望を失ってはいません。「南部は生きている」のスローガンのもとに,人びとは再建の気構えを見せています。破壊物,がれき,悪臭を発する厚い泥の層などを町から一掃するためのトラックや機械を送り込むことが計画されています。州政府と連邦政府は,家屋,ハイウェー,農業,工業などの再建費として膨大な額を予算に計上しました。

被災地域の住民は再建の仕事に期待を寄せています。しかし,ブラジルを襲った大洪水は,次の事実を彼らに銘記させました。つまり,国を襲ったこのたびの災厄は,自然力のみによるものではなく,人間に大半の責任があるということです。環境に順応することにかんして,人間はまだ学ぶべきことがたくさんあるということを彼らは知りました。

[脚注]

a 1クルゼイロは約50円

[22ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

ツバラン

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