大災害をもたらした洪水
ブラジルからの報告
水に恐ろしい力があることはよく知られています。その力を利用すれば,水は人間の有用な僕となります。しかし,その力が一気に爆発して,水が突然その破壊的な力をふるうことがあります。
今年の初め,ブラジルの人々は水の破壊力を目の当たりにしました。フランス,ベルギー,オランダ,ポルトガルの4か国を併せたほどの地域が大洪水に見舞われ,人々は恐怖におののきました。それは,「ブラジルを襲った史上最悪の天災の一つ」であった,とある雑誌は報じました。ミナスジェライス州の全域とエスピリトサント州の大半の地域,リオデジャネイロ州の北部,そして最後にはバイア州南部が洪水の大きな被害を受けました。ブラジル北東部に通じる2本の主要道路が冠水したため,ブラジルは二つに分断されてしまいました。
洪水が猛威をふるっているさなかに,ブラジルの東北部からサンパウロに向かっていた一目撃者は,自分の体験を次のように語っています。
被災地で
「私たちを乗せたバスはエスピリトサント州のリニュアレスに着きました。眼前には痛ましい光景が広がっていました。約40日にわたって雨が降ったため大災害が起きていたのです。ドセ川がはんらんし,行く手にあるすべてのものを流し去っていました。
「川堤に沿って,水かさが急速に増えたため,安全に逃げる時間的余裕はだれにもありませんでした。牧畜場は造作なく水の中に消えていきました。
「私たちはサンパウロに向けて旅行を続けることができるでしょうか。憲兵がすべての遠距離交通を停止させていました。幹線道路は大きな被害を受けていました。いくつもの橋が,まるでマッチ棒のように水で折り取られていました。私たちは,カヌーで川を渡り,対岸でバスに乗ろうと考えましたが,目的を果たすことができませんでした。
「一日,一日と時間が過ぎてゆきました。婦女子は,地元の人の好意で,夜の間家の中に泊めてもらえましたが,私たち男性はバスの中で眠りました。多くの人がお金を持ち合わせていませんでした。私たちのバスに乗っていたある婦人は,7歳の娘に食べ物を買って与えるために,二日間何も食べませんでした。別の女性は,お金がなくなってしまったため,熟していないアボカドをかじりました。仲間の乗客のそのような窮状に気付いた時,当然ながら私たちは,全員のお金を集めて,全員のための食物と子供のためのミルクを一緒にまとめて買うことにしました。
「リニュアレスで7台のバスが立ち往生していました。私たちは,市内の食糧が残り少なくなっているため,市内から立ち去るよう通告されました。しかし,乗客は移動することを恐れていました。そこで最後に,一人の商店主が助力を申し出て,市街から2㌔ほど離れた所にあるその人の倉庫を私たちに使わせてくれました。ここで,私たちは政府の支給する食料の配給を受けました。
「壊れた下水管や死体の放つ悪臭に悩まされ,不安にかられながらただ待つだけであったため,緊張が高まりました。幾つかの争いが起きましたが,私たちのバスでは発砲騒ぎは起きませんでした。しかし,私たちよりもっと不運な人たちもいました。5日後,水位の上昇が止まったため,移動することが許されました。サンパウロに着いた時,私は神に感謝しました。それまでは,まるで悪夢を見ていたようでした」。
悲しい結果
2月の中旬までに,死者の数は300人を上回りました。しかし,当局の公表したこの数字は実際をずっと下回っていると言う人が少なくありません。事実,ドセ川がたけり狂った時,その流域で少なくとも330人が流され,おぼれ死んだと言われています。家が地滑りに襲われて,土砂に埋まった人もいます。その地域に住む1,400万人のうち,800万人以上が洪水の影響を直接に被りました。
失われた人命を金銭に換算することはできません。一方,資産の被害も幾百万㌦にも上っています。死傷者の数や物的被害の概数の公式な集計はまだ終わっていませんが,民間防衛調整本部によると,ミナスジェライス州だけで次の被害が確定しています: 死者250人,家を失った人17万2,400人,家屋の損壊1万6,000戸,破壊された橋712箇所,分断された道路90本,影響を受けた町294町。ミナスジェライス州だけでも,被害総額は28億クルゼイロ(約288億円)に上りました。
人道的な行為
何件かの略奪事件が報道されたり,仲間の人間を食い物にした人がいたりしましたが,人道的な行為も数多く見られました。政府軍の兵士は,不屈の精神をもって,救助活動に従事し,食料と医薬品の支給を行ないました。
ビトリアに住むエホバの証人のクリスチャンの長老たちは,洪水に見舞われた地域内の兄弟たちと連絡を取りました。兄弟たちは,一世紀のクリスチャンに倣って,各地で食糧や衣類,毛布を集め,救援物資としてそれらを直ちに運びました。―使徒 11:29,30; 12:25。
サンパウロとリオデジャネイロの諸会衆は,災害の報に接するとすぐに,不自由な生活を送っているクリスチャン兄弟たちに,金銭や衣料品,シーツ,まくらカバーなどの寄付を送りはじめました。何らかの仕方で洪水の影響を受けたすべての会衆と電話で連絡を取る努力が払われました。また,サンパウロにある,ものみの塔協会の事務所からも,代表者が救済資金を携えて急きょ被災地に向かいました。
食糧や衣料品は友人や隣人にも分け与えられました。特に,ゴベルナドルバラダレスのエホバの証人は,地元の軍当局や地方官憲から,空前の大災害に際して示したその精神を大いにほめられました。洪水で家が水浸しになっている隣人たちを泊めるために,一つの王国会館が使われました。別の会衆は,当局と協力して炊き出しをするのに,自分たちの王国会館を使用しました。そこの備品を使って政府から支給された材料が調理され,2月13日までに約3万食の食事が提供されました。エホバの証人は大量の食事を準備する上で豊富な経験を持っているため,その経験は大いに感謝されました。
一方,ブラジル政府はさらに様々な処置を講じ,緊急措置として15億クルゼイロ(約154億5,000万円)を支出することにしました。このように,あらゆる援助が差し伸べられてはいますが,洪水の惨禍の跡を消し去るには,幾年もかかるものと思われます。
洪水はなぜ起きたか
ブラジルの中部と東部では洪水が発生し,一方南部では干ばつに見舞われていて,天候は極めて不順でした。これに匹敵する出来事を過去に経験したことのある人はだれもいません。ところで,なぜ,このような事態が発生したのでしょうか。
オ・エスタード・ド・サンパウロ紙に注目すべき報告が載りました。こう伝えています。科学者の見解によれば,「人間は,石炭や石油を燃やし,森林を破壊することによって,あまりに多くの炭酸ガスを遊離させている。このため,大気を透過してきた太陽光線の生み出す熱が逃げ場を失い,それによって大気の下層部が熱せられ,ある地域で雨が多く降ったり,別の地域でひどい干ばつが発生したり,極地の氷が溶けたりする事態が引き起こされている」。
原因がなんであれ,次のことは明らかです。すなわち,このような災害を回避するためには,人間は,自分の力のはるかに及ばないこのような力を制御できるよりどころを必要としているということです。
[12ページの地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
ブラジル
洪水の影響を受けた地域