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  • 宣教者は未伝道の土地に良いたよりを伝える
  • 目ざめよ! 1975
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目ざめよ! 1975
目75 2/22 25–26ページ

宣教者は未伝道の土地に良いたよりを伝える

ものみの塔ギレアデ聖書学校第57期生の数はわずか25人でした。ところが,昨年9月8日日曜日にニューヨーク市のクイーンズ区で行なわれた同57期生の卒業式には,およそ2,000人もの親族や友人が出席しました。小人数のこれら卒業生にそれほど大きな関心が寄せられたのはなぜですか。

それは,1943年に同校が開設されて以来5,000人を超える卒業生が送り出され,それら卒業生によって非常に多くの事がなされてきたからです。それら卒業生は宣教者として奉仕しており,エホバの証人の活動を大きく拡大し,特に世界の遠く離れた土地でその業を開くという面で役だってきました。

宣教者は1943年にギレアデ聖書学校から派遣されるようになりましたが,それ以前,南アメリカ,アジア,アフリカなどにはエホバの証人の一人もいない国も多く,また証人の一人もいない島も幾百となくありました。しかし今,南米のわずか五つの国だけを見ても,合計三万人以上のエホバの証人が活動しており,宣教者たちの働きが実り豊かなものであることを示しています。

同校の教訓者その他の人が卒業生に行なった最後の訓話の中では,それまでの宣教者たちが成し遂げたこのりっぱな働きに注意が向けられました。校長N・H・ノアは,良いたよりを忠実に宣明する宣教者は実際には『神とともに働いている』という点を指摘して励みを与えました。―コリント第二 6:1。

良いたよりは真のクリスチャンを生み出す

宣教者は,「福音宣明者」,つまりイエス・キリストによる神の王国に関する良いたよりの使者として働きます。それはほんとうに良いたよりです。それは,千年間地上を治めて,人類に命と健康と完全性を与える政府のことを含んでいるからです。―啓示 20:4-6; 21:3,4。

この真の良いたよりは真実のクリスチャンを生み出します。それは,物質で“買われた”いわゆる“お米のクリスチャン”ではありません。ただ食物を得るために子どもをキリスト教世界の宣教師が経営する施設に入れて訓練を受けさせるような人々ではないのです。真の良いたよりを聞く人々は霊的な命の支えを受けます。彼らは,自分たちがイエス・キリストの血でもって買い取られていることを悟ります。(ペテロ第一 1:18,19)それまでの偶像礼拝的で堕落した生活をあとにし,正直で清い生活を送って神を恐れる人となるために大きく変化する人々も少なくありません。そして,その良いたよりをさらに他の人々に語り告げるようになるのです。―コロサイ 3:5-10。

宣教者のための備えと要求

エホバの証人の統治体から派遣される宣教者たちには,食事と“宣教者ホーム”とが備えられ,少額の手当が支給されます。宣教者たちは,家から家に良いたよりを伝え,また神と神の目的を知ろうとする人々と無償の聖書研究をするために,毎月150時間以上を費やします。それら宣教者は,人々が自分のもとに来ることや,人々に仕えてもらうことを期待してはいません。宣教者たちは自ら人々に仕えるのです。

ある場所では,すでに設立されている会衆を強める目的で宣教者たちがそこに任命されます。また,旅行する奉仕者として派遣される人もいます。しかし,人々を助けようとする宣教者の願いが最も強く試みられるのは,良いたよりがまだ宣べ伝えられていない区域で働く場合です。―ローマ 15:20,21。

ミクロネシアの島々で福音を宣明する

ミクロネシアのある群島に任命された宣教者の一夫婦の経験は,宣教者の生活がどのようなものであるかをよく示しています。またそれは,この福音宣明の業が神の後ろ盾を受けていることをも明らかにしています。

任命地に着いてすぐ,この夫婦は自分たちの“宣教者ホーム”とするための家を借りました。そこには,いわゆる現代の便利品は何もありません。石油ランプとストーブがあるだけです。飲料水は,大きなドラムかんにためた雨水で,トイレは戸外にあり,郵便は週に一度しか配達されません。熱帯につきもののいろいろな害虫にも絶えず注意を払わねばならず,捕虫器,噴霧器,蚊張などを使いました。

二人が学ぶべき言語の教科書や辞書はありませんでした。しかし,クリスチャン・ギリシャ語聖書(一般には「新約聖書」)と詩篇が土地のことばに訳されているのを知った時,それは大きな喜びでした。

紙に書いた短い証言のことばを使って小屋から小屋へ良いたよりを伝える誠実な努力と住民たちの助けによって,二人はしだいにことばを学んでゆきました。“外国人”が自分たちの家を訪ねてくれたということで,土地の人々は好感を抱きました。その土地にいるキリスト教世界の宣教師たちがそのように訪ねてくることはほとんどなかったのです。

普通の文明から遠く離れた生活状態は,こうした土地で働く宣教者が忍ばねばならないものでした。いろいろな島を訪ねるさいの,海上や陸上でのさまざまな危険もありました。しかし,彼らは豊かに報われました。1965年にこの土地での奉仕を始めましたが,1968年には会衆が設立されました。ジャングルから切り出した木材と海辺の砂を利用して,りっぱな王国会館も建てました。1971年までに会衆は十分強くなり,近隣の島々を含む会衆の区域を独力で世話できるほどになりました。そのため,宣教者たちは新しい割当てを受けました。そして1973年までに,太平洋の420平方㌔の海域に散在する,この二つの山岳島と八つの小さなさんご環礁で100人を超える人々が良いたよりを宣べ伝えるまでになりました。

宣教者はいろいろな土地で働いており,その経験もその土地によって異なります。西インド諸島に任命されたある宣教者は,一つの小さな島を訪ねました。その島にはホテルも宿屋もありません。いろいろ捜し歩いたあげく,やっとのことで軍用の簡易ベッド一つがある空部屋を見つけました。それから,小さな店でチーズとクラッカーと紅茶を買いました。朝食はそのチーズとクラッカーと紅茶でした。昼には同じチーズとクラッカーのほか,少し変化を持たせて,冷たい飲み物(島には電気が通じていなかったので石油を使った冷蔵庫で冷やしたもの)を飲みました。そして夕食は再びチーズとクラッカーと紅茶です。

島の人々は,キリスト教を信仰していると唱えてはいましたが,その宣教者に対して非常によそよそしい態度を示していました。そこで,戸別に良いたよりを宣べ伝えていた宣教者は,ある家に集まっていた数人の婦人に,ヘブライ 13章2節の聖書のことばを読むことにしました。そこにはこう書いてあります。「人を親切にもてなすことを忘れてはなりません。それによってある人びとは,自分ではそれと知らないで,み使いたちを接待したのです」。婦人たちはこの聖句に強く動かされたようでした。

この宣教者はその島に一週間滞在しましたが,それからというもの,多くの人が食べきれないほどの食事を毎日持ってきました。純真な心の持ち主であるこの島の人々は,クリスチャンであるという自分たちの主張がただ表向きのものとなることを望まなかったのです。

別の小さな島の場合,住民の態度は全く違っていました。彼らは霊的な食物の必要とその価値を認めていました。宣教者の話にもすすんで耳を傾けました。宣教者がその島に滞在した三日の間に,多くの聖書文書が配布され,加えて,「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌の予約も23得られました。それによって,宣教者が次に訪問する時まで,人々は聖書の良いたよりに関する知識を定期的に取り入れることができます。

こうして,宣教者たちの良い働きによって,「[キリスト]について何も告げ知らされていなかった者たちが見,聞いたことのなかった者たちが理解する」ようになっています。―ローマ 15:21。

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