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  • 『神とともに働く』ように励まされた宣教者たち
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
塔75 2/1 93–94ページ

『神とともに働く』ように励まされた宣教者たち

聖書のコリント第二 6章1節に記された,『神とともに働』くことに関する使徒パウロのことばは,1974年9月8日に執り行なわれたギレアデ宣教者学校の第57回卒業式の主題を成していました。25人の学生からなるギレアデのこのクラスはこれまでで最も規模の小さいものでしたが(志望者が少なかったわけではなく,聖書や聖書研究手引きを印刷する働き人のために宿泊施設が多く必要とされたからです),ニューヨーク市クイーンズ区にあるエホバの証人の大会ホールは,この機会のためにアメリカ,カナダ,ハワイ,ヨーロッパなどから来た親族や友人たちで埋めつくされました。四つの国から来た卒業生たちは,13の国へ任命されました。

午前のプログラムの最高潮は,同校の校長N・H・ノアの話でした。その中で彼は,福音宣明の業を行なうにさいして,神の霊のほかの実と共に,特に辛抱強さを示すように励ましました。そうすることによって,『王国のことばの種を成長させてくださる』神とともに働くことになる,と彼は語りました。―コリント第一 3:6。

ノア校長の話に先だって,同校と,ものみの塔協会本部の教訓者や監督たちが簡単な助言の話をしました。ついでF・W・フランズは,すべての証拠からして今や間近に迫った「大患難」の滅亡からできるだけ多くの人を救い出すことを目ざした福音宣明の業の緊急性について話しました。―マタイ 24:21。

午後のプログラムは生徒たちの手にゆだねられました。それぞれの出身国の珍しい音楽による楽しいプログラムの後,卒業生たちは二つの劇を上演しました。最初のものは,婦人たちがパウロとペテロの助言を,自分に適用する方法を示す,現代と古代の場面を短く描写するものでした。(テトス 2:2-5。ペテロ第一 3:1-6)その日のプログラムの結びとして,邪悪なアハブ王とその妻イゼベルがイスラエルを治めた期間の出来事と,その時代に神の預言者エリヤが果たした役割について歴史を思い出させる劇が上演されました。

信仰を強めることがこの学校の目的

ギレアデ学校での訓練は,何にも増して宣教者たちの信仰を強めるものです。この学校は,幾つかの教理的な点だけでなく,神の目的についての総合的な見方を持つことに重きを置いています。聖書全体が与える「健全なことばの型」を生徒に伝えることが目的です。それは,わたしたちに「容易に絡みつく罪」,つまり信仰の欠如に対する防壁となります。(テモテ第二 1:13。ヘブライ 12:1)宣教者としての業はその人の信仰を真に試みるものとなるからです。それに加えて,イエス・キリストに属する真の宣教者は,その強固で破れることのない信仰を他の人々のうちにも築き上げねばなりません。

外国の土地へ行く宣教者は環境が大きく変化するために,信仰のそうした試みを受けることがしばしばあります。多くの場合,神や聖書に対する概念,生活の仕方などは宣教者にとって新しいものとなります。それに加えて,宣教者としての生活の初期には,新しい言語を学ぶことが問題となります。人々が理解できるような方法で自分の考えを表現し,人の心に達することができるように努力しなければならないのです。

この分野で20年を過ごしてきたある宣教者はこう語りました。「ギレアデ学校での訓練がわたしたちすべてにとってすぐれた助けとなったことは明らかですが,わたしは,自分の割当てを堅く保った宣教者たちは,人々に対する真の愛と,人々を助けたいという願いを育てた人々であることに気付きました。そうした宣教者たちは,他の人に対する深い関心を抱いています。これは,宣教者として成功するための基本的な条件です。もちろんこれはことさらに驚くべき事ではありません。イエス・キリストもそうした態度を抱いていました。イエスは完全な人間として地上に来られ,不完全さに満ちる人々と毎日生活しました。しかしイエスについて次のように述べられています。『群衆を見て哀れみをお感じになった。彼らが羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,ほうり出されていたからである』」― マタイ 9:36。

その宣教者の妻はこう語りました。「そのとおりです。初めのうちは不慣れな環境や習慣,特にことばのことで頭がいっぱいになり,自分にはとても学べないと感じることも時にはありました。しかし人々はことばを学ぶのを親切に助けてくれました。そしてそのことばをある程度学んで自分の考えを表現できるようになるころには,愛すべき人々が大勢いることに気付きました。そうした人々は,わたしが与えることのできる霊的な援助に快く応じて認識を示してくれましたので,その任命地はわたしの本当の故郷となりました。自分が以前に“故郷”と呼んでいたもののためにそこを離れようと思うようなことはありませんでした」。

ギレアデ学校が1943年に開校されて以来,世界中でエホバの活発な証人の数は驚くべき増加を見ています。しかしこの増加は宣教者が援助しえた人々だけに限られているのではありません。新しい証人たちの大半は同じ国の人々の良い業によってその隊列に加わりました。伝えた人々は初めは宣教者を通して良いたよりを聞いたかもしれませんが,熱心にその業を続け,生活や,仕事の面,また神のことばに従って自分の家族を養っていく面でも良い模範を示しました。その人々は達するのがより困難な場所にも良いたよりを携えて行き,自分たちと共に真理の側に立つよう幾万もの人々を助けました。ギレアデの宣教者たちはそれを見て幸福を感じてきました。

このすべてを通してエホバの知恵は明らかにされ,霊的な繁栄と増加に対する感謝はすべてエホバに帰せられます。宣教者として多くの業を行なった使徒パウロが述べるとおりです。「わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神がそれをずっと成長させてくださったのです」― コリント第一 3:6。

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