ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔81 12/1 8–12ページ
  • 宣教者の熱意 ― 真のクリスチャンのしるし

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 宣教者の熱意 ― 真のクリスチャンのしるし
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1981
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 現代によみがえる,宣教者の示す熱意
  • 新しい備えは外国での宣教者の業を促進する
  • 宣教者としての真の熱意を抱いていますか
  • 『エホバのみ手は彼らと共にあった』
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
  • 支配している神の御国の宣教者
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
  • 『神とともに働く』ように励まされた宣教者たち
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1975
  • エホバのために熱心になりなさい
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1981
塔81 12/1 8–12ページ

宣教者の熱意 ― 真のクリスチャンのしるし

「食事をする暇もなかった(の)である」。この言葉は,天のみ父から与えられた宣教者の割当てを遂行する際のイエス・キリストの生活のテンポと熱意を如実に示しています。(マルコ 6:31)イエスは魂をこめて業に携わっており,「わたしの食物とは,わたしを遣わしたかたのご意志を行ない,そのみ業をなし終えることです」と言い得たほどでした。(ヨハネ 4:34)イエスはその地をくまなく行き巡り,「良いたより」を宣べ伝えました。(ルカ 8:1)宣教者として示す熱意の実にすばらしい表われではありませんか。

この業をはかどらせるため,イエスは西暦31年に,祈りをもって12人の弟子を選び,その者たちを遣わしました。その際,次のような指示を与えておられます。「諸国民の道に行っては……なりません。そうではなく,いつもイスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。行って,『天の王国は近づいた』と宣べ伝えなさい」。(マタイ 10:5-7)この時に,業を行なう方法について完全な指示が与えられただけではありません。この言葉は弟子たちが宣べ伝える業を行なう区域を明確に限定するものでもありました。西暦33年に至るまで,弟子たちとその主人はこの区域で,骨折って熱心に働きました。

こうした区域の制限が念頭にあったので,イエスの弟子たちの中にはイエスがその死の直前に語られた言葉を聞いて不可解に思った者もいたことでしょう。イエスは「事物の体制」の終わりを特色付ける「しるし」を弟子たちに与え,終わりの来る前に「良いたより」が「あらゆる国民に対する証し」のために,人の住む全地で宣べ伝えられることになると予告されました。後日,復活したイエスは,弟子たちが「すべての国の人びとを弟子と(する)」べきことを強調されました。最後に,天に昇る直前にも弟子たちにこうお告げになりました。「聖霊があなたがたの上に到来するときにあなたがたは力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。―マタイ 24:3,14; 28:19。使徒 1:8。

西暦33年に約束の聖霊が注がれ,ペテロは権威を与えられて最初の「王国の鍵」を使いました。その結果,約3,000人のユダヤ人と改宗者がクリスチャンになりました。(マタイ 16:18,19。使徒 2:1-4,14-41)その後の3年半の間に,ペテロはさらに二つの「鍵」を用い,宣教者の業は実際にすべての国の人々に達するようになりつつありました。(使徒 8:14-17; 10:23-48)聖霊は正に「力」を与え,イエスが示されたと同じ宣教者精神が再びはっきりと見られるようになったのです。これら初期クリスチャンが宣教者として行なった業の記録は聖書の「使徒たちの活動」の書に収められており,驚くべき熱意の示されたことを物語る明白な証拠を成しています。西暦61年ごろに,「良いたよりは天下の全創造物の中で宣べ伝えられた」と言い得たことに,使徒パウロは満足を覚えたに違いありません。―コロサイ 1:23。

現代によみがえる,宣教者の示す熱意

しかし,予告されていた背教と,それに伴って神の霊が失われたことの結果,宣教者の示すそうした熱意は1,700年以上にわたってほとんど消え失せてしまいました。その代わりに,キリスト教世界は武力や植民地主義やその他の非聖書的な手段に訴えて“改宗者”を作ろうとしました。では,キリストとその真の弟子たちの抱いていた宣教者としての熱意は全く消え失せてしまったのでしょうか。そのようなことは決してありません。1914年に始まったご自分の臨在の期間中に,あらゆる国民に対する証しとして王国の良いたよりが宣べ伝えられるであろう,とイエスご自身が予告しておられたからです。

1870年代に,神の聖霊がチャールズ・T・ラッセルとその仲間の誠実な聖書研究生と共にあることが明らかになりました。こうして,真の宣教者の示す熱意が再び明らかになりました。やがて,北アメリカ大陸一帯に聖書研究者のエクレシア(会衆)が出現しました。ものみの塔協会が米国以外に開設した最初の支部事務所が1900年に英国のロンドンに設置されました。ラッセルはヨーロッパへ伝道旅行をして,1903年に同協会の支部事務所としては2番目のものをドイツに設立しました。翌年,今度はオーストラリアにもう一つの支部が設置されました。同地ではその前の年から宣教者の業が行なわれるようになっていました。1911年と1912年に,ラッセルとその一行は世界旅行に出掛け,シンガポール,フィリピン,中国,日本などの土地で宣べ伝える業を行ないました。確かに,イエスが範を示された宣教者としての熱意が再びはっきりと表われてきていました。しかし,イエスの場合と同様,証しの業に対するその熱意はサタンのあからさまな反対を引き起こしました。ですから,宣教者の業には問題や試練が伴わなかったわけではありません。

1915年に,ラッセル兄弟は行なわねばならない宣教者の業がまだまだあるとの意見を表明しましたが,1916年にその地上での歩みを終えました。迫害の的になっていたクリスチャンのこの小さなグループは,引き続き宣教者としての熱意を示すでしょうか。確かに示しました。同協会の第2代会長,J・F・ラザフォードは,(今日エホバの証人として知られている)これらのクリスチャンすべてに,熱意をもって宣教者の活動にあずかるよう励ましました。外国の地に移り住むことのできる人々はそうするよう勧められ,その結果,小さなグループがアフリカ,インド,ビルマ,タイ,中国,そして数多くの海洋の島々へ出掛けて行きました。第二次世界大戦がぼっ発した時までに,60以上の国で少なくともある程度の宣教者の業が行なわれていました。当時そうした遠く離れた土地に出掛けて行った人々の中には,40ないし50年を経た今日でも依然としてそこにとどまっている人もいます。

新しい備えは外国での宣教者の業を促進する

第二次世界大戦は,これら多くの土地で行なわれていた宣教者の業を著しく制限するものとなりました。その戦争はそのままハルマゲドンに直結するのでしょうか。(啓示 16:14,16)イエスが始められた宣教者の業は終了しようとしていましたか。1942年のエホバの証人の大会で「平和 ― それは永続するか」という公開講演がなされて,啓示 17章8節のより明確な理解が与えられることにより,こうした疑問は解決されました。この講演から,エホバの証人は終戦後に一時期平和な期間があることを学びました。この点を念頭に置いて,ものみの塔協会の第3代会長,N・H・ノアは,ものみの塔協会の他の理事たちと協力して,自分たちが予期している平和の期間を活用するための計画を立てました。

地元での宣教の業のために会衆でより大きな訓練が施されるようになったのに加え,外国での宣教者奉仕のためにクリスチャンを訓練することを特に目的とした学校の構想が立てられました。そして1943年2月1日に,ものみの塔ギレアデ聖書学校の第1期生がその研究課程を学び始めました。これは実に大きな信仰の表われでした。当時,これらの宣教者を派遣できるような国は事実上まだ一つもなかったのです。それでも,平和な期間が訪れることになっており,それを活用できる,との確信に基づいて,宣教者たちは訓練されていたのです。

結局,ギレアデ学校の第1期生の宣教者のほとんどは,中南米諸国やカリブ海の島々へ入国することが可能になり,他の人々を助けるために自分たちの受けた訓練をそこで活用することになりました。その当時,克服しなければならない問題は沢山ありました。住む場所を見いだすこと,言語,習慣,食べ物,僧職者の反対,迷信などのすべてが,これら新しい宣教者たちの立ち向かわねばならない困難を一層増し加えるものとなりました。宣教者が到着したとき,これらの国々のほとんどは,クリスチャンの証言の業に活発に携わっている人や関心を抱く人が一人か二人しかいないという有様でした。しかし,ありとあらゆる障害にもめげず,それら最初の宣教者たちは依然としてその国々で奉仕しています。今では中南米やカリブ海の諸国に,自分たちと共に奉仕する人が38万人以上いるのを見て,彼らは大きな喜びを味わっているに違いありません。

ギレアデ学校はこれら宣教者たちにどのような備えをさせたのでしょうか。東洋で24年間奉仕してきた一宣教者はこう語っています。「宣教者の活動の分野で私たちの用いる主な道具は聖書なので,聖書の中の各書を順に,それもしばしば節を追ってなされる聖書研究,およびそれと関連のある歴史や地理,および聖書時代の生活の仕方等を扱った課程などは,私の受けた訓練の中でも最も大切な部分として脳裏に残っています。さらに,人々と話し合い,人々を教える能力を向上させるための演習授業もありました。新しい環境での生活を楽しむために,どんな調整が必要になるかをも悟るよう助けられました。私にとって大きな助けになった別の事柄は,ありとあらゆる背景の人々から成る大きな“家族”と一緒にギレアデで5か月間生活したことです。これは様々な環境の中で生活してきた成員から成る宣教者の“家族”との生活に順応する助けになりました」。年の経過に伴って,ギレアデのカリキュラムは,新しい宣教者を外国の地における割当てに備えさせるのに役立つものとなるよう,より一層実際的で効果的なものへと改訂されてきました。

では,だれがそのような特別の訓練を受ける資格にかなっているのでしょうか。一般的に言って,求められている要件は,申込者の年齢が21歳から40歳の間であり,世界のどこへでも出掛けて行って奉仕するのに妨げとなるような扶養家族やその他の責任がないということです。申込者は独身か,結婚して少なくとも2年を経ている人で,健康でなければなりません。また,少なくとも3年前にバプテスマを受け,現時点で全時間の王国宣明者として少なくとも2年間中断することなく奉仕していることが求められます。また,申込者は真の宣教者精神を抱いていなければなりません。冒険心などではなく,割り当てられた業を行ないたいという願いに動かされているべきなのです。これには,エホバ神と将来自分たちが割り当てられる地に住む仲間の人間に対する深い愛に動かされていることが求められます。この種の愛に動かされていれば,物事がそれまで慣れ親しんできたほど便利で快適ではなくても,自分たちの任命地で真の満足を味わえます。―ルカ 10:27。

宣教者としての真の熱意を抱いていますか

外国で宣教者として奉仕できるエホバの証人は比較的少数に過ぎないことは明らかです。しかし,エホバ神の献身した僕たちすべては,それと同じ宣教者としての熱意を抱いているべきです。もっとも,気を散らすものが多いので,そうした熱意を保つには勤勉な態度が求められることを認めなければなりません。

時には,高校に通う若いエホバの証人が,国の内外を問わず全時間の宣教者の業を自分の目標にしたいとの願いを言い表わすことがあります。ところが,そのような特別の奉仕にあずかる資格にかなうころになると,当初の熱意は消え失せてしまっているのです。一体どうしたのでしょうか。世の霊によって横道にそらされるままになってしまったのでしょうか。世の霊は自己本位なもので,快楽を追い求め,きつい仕事や責任を侮ります。この霊の影響を受けたために,単に仕事を立派に成し遂げるだけでは満足を覚えられなくなった人もいます。世の多くの人にとって,生涯の仕事は“面白く”て,“刺激的”で,“魅力”がなければならないということになっています。そうでなければ,その仕事は世の人々にとって何の魅力もないものになります。ですから,若いクリスチャンの男女は,特に次のように自問してみる必要があります。安楽な生活に対するこの愛が幾らか自分にも乗り移っていないだろうか。世の霊,あるいは他の何かのために,宣教者の業に対する自分の熱意が弱まっていないだろうか。

年齢を問わず,またたとえ国の内外で宣教者の業に全時間あずかることができなくても,自分が宣教者としての真の熱意を抱いているかどうか自己吟味をしてみるのは有益なことです。自分には宣教者として示す熱意が何らかの点で欠けていると思えるなら,それに対してどんな措置を講ずることができますか。

使徒 4章を調べてみれば,一層の注意を向けるべき分野を正確に見定めるのに役立ち,1世紀のクリスチャンの宣教に対する熱意を一層十分に見倣えることでしょう。13節に,反対者たちは使徒たちが「イエスといっしょにいた」ことに気づいた,という記述があることに注目するとよいでしょう。今の生活で追い求める事柄が色々あるため,聖書研究を通して『イエスといっしょにいる』ことが少なくなり,当初の熱意を失ってしまったのかもしれません。

23節には,使徒たちが,試練に直面した後でさえ,できるだけ早く仲間の信者たちと集まり合い,霊的に励ましを与え,互いの熱意を強め合ったことが示されています。それに対し,それ自体別に異存のないような娯楽その他の活動で,仲間のクリスチャンと定期的に集まり合うことを妨げられるままにするなら,やがて徐々に宣教者としての真の熱意を失ってしまうでしょう。24節から30節に収められている優れた祈りの言葉は,熱意を増し加えようとする人々に対してさらに導きを与えるものとなります。イエスの弟子たちが大胆さをもって語れるよう祈ったことに注目しましょう。これらの信者たちがその祈りの中で求めたのと同じほど誠実な態度で,自分の熱意が増し加わるよう助けを与えてくださるように神の霊の力を求めていますか。そうであれば,31節に記されているのと同じような結果を予期できるでしょう。エホバはその祈りを聞き届けてくださり,弟子たちは聖霊に満たされて,『神のことばを大胆に語った』のです。

「良いたより」は証しのために人の住む全地で宣べ伝えられるであろう,とイエスは言われました。特権と言えるその業に携わるに当たって,クリスチャンの中には自国の区域で宣教者としての熱意を表わす人もおり,外国の野外でその熱意を表わす人もいます。その人たちは,熱意を抱いて,「神のことばを大胆に語る」のです。

ギレアデ学校開設当初は54か国で宣べ伝えられていたに過ぎなかった王国の音信は,エホバの過分のご親切により今や200以上の国に響き渡っています。では,宣教者の生活とは一体どのようなものなのでしょうか。その物質上の必要はどのようにして満たされていますか。宣教者はどんな所に住んでいるのでしょうか。言語の問題にどのように対処していますか。外国で宣教者として奉仕することを考えておられるなら,次の記事は特に勇気を与えるものとなるでしょう。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする